人生を少し共有させてもらって、思うこと

twitterやブログに 皆様が綴られたことに ほっこりしたり、しみじみ感じたり、うふふと笑えたり、「こういう捉え方・考え方もあるのね」と気付けたりできるのが とても楽しい。 私も 人生の坂を半分?くらいは登ったとはいえ、自分の経験してきたことは ほんの僅か。 あとは他の方達の人生を借りて、喜び・悲しみ・和み・辛さ・楽しさ・頑張り・・・などを共有させてもらっている。 その方達とまるで同じ体験をすることはできないけれど、なるべく心の翼(想像力)を広げて「想い」を汲み取れるといいなぁと思いつつ読む。

 

今回は このHatenaBlogから。(ご本人のお許しをいただき、書き抜きさせていただきます)

【頬に涙は伝ってはいないのですが 全身で泣いていた人を見た映像が 今でもくっきり残っています】という書き出しで始まる あおまぐろ(id: vidro-man)さんの ブログを読んだのが3日前。胸に響いた。

 

【全身で泣いていた人】とは、あおまぐろさんの お母様の主治医だったお医者様。
最初にお母様の癌を見つけ、執刀され、その後 2 年数ヶ月、お母様が亡くなられるまでの主治医だった、癌のスペシャリストの先生とのこと。

いよいよ・・・という状態を迎え 緩和ケアに移る時に、お母様は 「もう先生には会えないのですか?」と泣かれたとのこと。お母様がどれほど信頼を寄せられていたかが伝わってくる。 

それから、最期の時を迎えられ、【看護師さんの案内で普段乗ることのないエレベーターから、棺を乗せて一階に降り・・・病院のドアを出て駐車場に向かいました。 振り返ると、出口の明かりに照らされて 先生は全身で泣いてくれていました。そう見えました】。

 

(プロとして 良い意味で)感情を表に出されることがなかったという先生ゆえに、【全身で泣いてくれているように見えた】先生の姿は、あおまぐろさんの心に より響くものがあったのだろう。 私の胸も熱くなる。

明け方の午前4時、外はまだ真っ暗。 薄暗い明かりだけが照らす病院の出口に 立ちつくして 見送ってくださる先生の姿が、私の脳裏にも浮かんでくる。 そして先生の心中に去来するものを思う・・・。 どれだけの想いで、棺とあおまぐろさんを見送られたことか・・・。

 

医療技術の進歩は 日進月歩だと言われても、まだ助けられない命もある。 
それでも、このような医師に出会えたことが、残された人々の心に 救いと温かい思いを残してくれるのだろう。

命と向き合う方々の 努力と辛さと尊さ 。 頭が下がる。

 

※ 私の実家の母は、父親 (私の祖父) をはじめ、身内の闘病生活に長く関わってきています。 無念の思いで見送った者もいます。感謝の念と共に思い出すお医者様も。 母から聞いた話と あおまぐろさんのお話が重なって、あれこれ思いが巡った ここ数日間でした。

 

※ 記事を投稿した後に思ったことです。(12月15日)
お言葉に甘えて、あおまぐろさんの記事を一部、こちらに書かせていただいたものの、やはり あおまぐろさんご自身がお書きになったものでないと、行間の想いが伝わらないような気がしました。(主治医の先生が「見送りたいから、必ず出棺のときに呼んでほしい」と看護師さんに おっしゃって 待っていてくださったことなど、書き切れないこともありました)。私が中途半端に書いてしまって、あおまぐろさんには申し訳ないことをしたと思っています。
ここに改めて あおまぐろさんの記事を  ↓  貼らせていただきます。

www.chotto-siesta.com 

 

 

 

尖りきれない男の子たち

★ TV局が 街でインタビューした番組を観た。 テーマは「2019年の重大ニュース」。

新宿の広場でラップをしていた少年達の一人が答えた。「今年 中3になってトガった」(ことが彼にとっての今年の重大ニュースらしい)。 彼は更に続ける。「不良の部類じゃないですか? 良い子じゃないです。 絶対。トガってるんじゃないですか?」。

見ると、耳には幾つものピアス、手にはタトゥー・・・。なかなかの トガりっぷり・・・。

レポーターが「ごりごりにピアスを開けてるの?」と心配そうに尋ねると、「さっき買った 全部フェイクピアス」と言い、指でひょいと引っ張って取って見せる。マグネットでくっついているだけで 耳に穴は開いていない。 リポータの「安心したぁ」という声がマイクに入った。 

隣の少年も「これもそう。さっき買った」と自分もフェイクピアスを取り外して見せる。 手のタトゥーは好きなミュージシャンの名前だとのこと。「これ(タトゥー)? ジェットストリームっていうマジックペンで書いた」のだそうだ。

 

レポーターはまだ尋ねる。「今までしてきた1番悪い事って?」
少年は答える。「親にクソババアって言ったことです」。

もう一人の少年は「牛乳あんまし好きじゃないんすけど、お母さんが買ってきたタピオカに ミルク入ってて、僕、ちょっと怒った」。

 はい?  これが今までしてきた中で一番悪いこと? お母さんのことをクソババアと呼んでしまったり、せっかく買ってきてくれたタピオカに文句を言ってしまったことを後悔してるから、心に残っていたのね。

お母さんには気の毒だけど、それらが ニュースに度々登場する クラスメートへの陰湿な いじめや犯罪ではないことに、私は救われる。

そう思えば、言葉遣いは「です、ます調」だし、雰囲気も爽やかだ。

 

画面には二人の少年の笑顔がアップで映し出され、その下に大きく文字が入った。

「絶対イイ子達」。

TV画面のこちら側の私も 「だよね!」と相槌を打ちながら大笑いする。 

うんうん、良い子たち。 思春期を 思う存分「トガって」気が済んだら、彼らなら いずれ「爽やかな社会人」として歩み始めるのだろうな…と思った。

 

 

★ 以前に聞いた 双子ちゃん男の子のエピソード。 

保育園に入ってしばらくすると、年上の子達の真似をして 悪い言葉を使ってみたくなったらしい。そうすると、自分も年長さんの仲間入りができる気がしたのかな?

「やべぇ」「~だぜ」を連発するようになった。
一人が言う。「やべぇ! ワンワンがいるぜ!」
もう一人が言う。「やべぇ! にゃー にゃーも来たぜ!」

 

背伸びして悪ぶってはみたものの、まだ「ワンワン」と「にゃー にゃー」のお年頃なのね。もう~ 可愛いったらありゃしません! 抱っこして ほっぺ スリスリしたい。 

きっと、サンタさんが 欲しかったプレゼントを持って来てくれるよ ♪♪

 

 

中学生の憂鬱と「お母さんに叱られるよ!」

★ K 君の憂鬱

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「海に向かって、『ばかやろぉ~!』と叫んできた」と、学校の昼休み時間に K 君が言ったそうな。(私の娘の)小焼けが「昭和か!?」と突っ込みを入れながら、詳しく聞いてみると・・・以下のような話の流れらしい。


以前 「もう女なんか信じらんねぇ」とぼやいていた K 君は、 付き合っていた (と K 君は思っていた) 彼女から 遂に決定的な言葉を告げられたらしい。(※ K 君はいつもは「女子」というのに「女」とわざわざ言ったことに K 君のとまどい・怒り・ショック等が入り交じっている気がする)。

「 K 君が私のことを好きだってわかってるのに 思わせぶりな態度をとって、K 君の気持ちを もてあそんでごめんね」。

えっ?! 「気持ちを弄んで・・・」って・・・中学生にして この小悪魔ぶり。すごっ。
(子どもの頃から「なんか おじさんくさいねぇ」と言われていた私には 夢のような世界だ)。彼女が 将来どのように魔性の女にバージョンアップ?していくか見届けたい気もする。(ただの好奇心)。

 

「それで、K 君は海に行って、昭和をしたん?」と小焼けが問うと、K 君家ではその日、お母さんの誕生日祝いにイタリアンのコース料理を予約していたとのこと。レストランに向かう途中、 夕日が綺麗だったから車をとめて写真を撮ったりしたとか。そのついでに K 君は海に向かって「ばかやろぉ~ ! 」と叫んだだけのことらしい。

 

「女なんかもう信用しない」と宣言したK君は、ふとこちらを見て言ったそうだ。「あっ、小焼けちゃんは別だよ。女と思ってないから・・・(ってそれ、フォローになってる?)。

K君と小焼けは幼稚園からの仲良しだ。「ママと離れたくない」と 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして べそをかく K 君と、トイレが間に合わなかった小焼け・・・。

二人は「(幼稚園からではなく)中学校から新しく 一緒になった友達には、決して知られたくないお互いの秘密」をいろいろ共有している。それゆえ 恋に落ちることもなく、ずっと仲良しのままらしい。

K君はしばらく憂鬱だろう。可哀想に・・・。

 

 

★ J 君の憂鬱

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期末テストの答案用紙が返却されている時期だ。テスト問題の解説は 授業中に先生がなさるので、自分がどこを間違ったかは理解できる。ほとんどの生徒はそれぞれに問題用紙と答案用紙を持ち帰り、親にも見せる(まだ中学生なので可愛い)。

しかし、J 君はその答案用紙を学校の自分のロッカーに仕舞い込んでいるらしい。
「なんで~?」と尋ねると、「期末テストって、9 教科のうち 7 教科も筆記テストがあるっしょ? 1 教科ずつ持って帰って親に見せたら、7 回も怒られるよ。全部まとめて見せたら 1 回だけで済む」とのこと。

「そっかぁ、賢いね!」・・・って、ここ、褒めるとこ? しかし、J 君は将来おもしろい発想をして起業しそうな予感。J 君の将来も見届けたい気がする。

J 君はしばらく憂鬱だろう。がんばれ~。

 

 

★ J 君の話を聞いてふと思った。「(そんなことしたら)お母さんに叱られるよ」と、真っ直ぐな心で思えるのは いつまでかなぁ?  それは 幼い子ども同士の戒めの言葉であり 「良い子になるための魔法の言葉」かもしれない。 何歳頃まで効き目があるのだろう?

「お母さんに叱られる」というのは、電車の中など公共の場で「騒いだら あの (目の前の) 怖いおじさん (おばさん) に怒られるからやめなさい」ということではない。

知らない人に怒られるから「してはいけない」のではない。 前もって「人がたくさんいる所で騒いだら  みんなに迷惑がかかるからダメ」とか「友達を悲しませるようなことをしたり、言ってはいけない」と教えておき、そのことが守れなかったら「お母さんに叱られる」ということだ。


以前、テレビでタモリさんが「バカだな、お前」と若手芸人さんに言ったことがあった。すると その場にいた幼稚園児が「人のことバカって言ったら お母さんに叱られるよ!」と言った。幼い子からの思わぬ言葉に、一瞬たじろいだタモリさんが「お母さんって、誰のお母さんだよ?」と尋ねると、幼稚園児は当然のように言った。「タモリさんのお母さんにだよ」。無垢な心が輝いている。まぶしい・・・(遠い目)。

その時 タモリさんは既に結構な年齢だったので、お母さんに叱られているタモリさんを想像すると愉快だった。

 

☆ 音楽友達の D さん(おそらく 40 歳は超えてらっしゃると思われる)、時々お母さん(よしこさん)に叱られる・・・。

ご自宅の 2 階で音楽配信をされているのだが、 ライブ中の部屋のドアを開けて お母さんが「そんな大きな音を出したら、ご近所迷惑でしょ? やめなさい」等と言われる声が マイクを通して聞こえる時がある。 D さんは「はい、わかりました。やめますよ」と優しく返答される。そんな素直な  D さんも まぶしい・・・(遠い目の私)。

「あ~あ、お母さんに叱られちゃった・・・」。 私達リスナーは、D さんライブでオリジナル曲を聴く楽しみの他に、「今日は よしこさん ご登場かな?」と、ハラハラ ドキドキする。(そして、ちょっぴり ワクワク。ごめん!)。

叱ってくれる母のいる ありがたさでもある。

 

憧れのブログを真似してみたものの・・・果てしない道のりのようだ

 ひと息ついた時間に、皆様のブログを訪問するのが楽しみだ。

★「心に染み入るエピソード」(思い出しては何度も ほっこりする。私まで幸せな気持ちになる。あるいは率直に綴られた心情には その方が歩んでこられた道のりや現在の状況に思いを馳せる)。

★「生活する上での知恵や情報」(勉強になる)。

★「日本・世界のあちこちの風景や生活・習慣の違い」(自分も訪れた土地であれば懐かしく、そうでない所は 知らなかったことを発見する楽しさがある)。

等々・・・・書き切れないが。

 

その中に、「このようなスタイルの記事を書いてみたいなぁ・・・」と思うブログが幾つかある。 センスの良い写真と、趣のある文章でまとめられていて素敵だ。日々の暮らしの中で心に残った風景や心情・遠い日の記憶などが すっきりと綴られている。

私はブログを始めて3か月目に入ったけれど、twitterと違って文字制限のないことに甘えて、ついつい頭に浮かぶことを長々と書き連ねてしまう。だからこそ余計に、すっきりとした文章に憧れるのだ。

 

今回、友人の俳句と 音楽友達のDさんに 良い刺激を受けて、かねてより思っていた憧れのブログのような形にしてみたくなった。(皆様の足下にも及ばないが、真似っこしてみたい誘惑に勝てない・・・)。
って、ここまでで既に この長さ。 ちっとも すっきりできない。 なんで~?? う、う、う・・・。
↓(写真は 友人の俳句のイメージに近いものを フリー写真からいただいたもので、文章は 前回と同じです)

 

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紅葉は終わりを迎えた。
左右に 背の高い街路樹のある車道には、 うっすらと落ち葉が積もり始めている。
車が通ると その勢いで落ち葉が舞い上がる。
舗道側には 車椅子の老婦人。
車椅子が ゆっくりと静かに通り過ぎて行った後にも 落ち葉が はらはらと舞った。
季節はすこしずつ本格的な冬に向かっているのだなぁ。

 

 

 

 ★

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霜の降りた 底冷えのする朝。 
まだ日が差し込んでいない薄暗がりの中、自宅を出て職場に向かう。 
既に刈り込まれた田んぼにも、霜が まだらに降りている。
(その田んぼの中には) 取りこぼしの米粒をついばむために、チュンチュンと鳴きながら動き回る雀たちがいる。
そんな小さな体で 寒いでしょうに・・・。 
お日様、早く 陽を差して・・・。 
こんなに小さな雀たちも 頑張って生きているのだから、私も 今日を精一杯 がんばろう。

 

 

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高速道路の側道(高速道路に沿って走っている下道。山手の道)を ゆっくり走行していると、山々の中に あでやかな紅(赤色)・オレンジ色・黄色に色づいた葉をつけた木々が、緑色の木々の間から見えた。
そのさまは、まるで競いあっているような、あるいは、騒いでるようであった 。

 

 

★感想・・・写真を選んだり それに文章を添えるとなると、はぁ~難しい。しかも、写真や文が真ん中に来ない。(検索したら 方法が見つかったが、え~! 私に できるかなぁ? 今回はひとまずこれで・・・)

★ブログを このページから読み始めてくださった方へ・・・実は次のような順になっていたものです。①(友人が送ってくれた)俳句 ②彼女の添え書きと私の鑑賞文 ③私が それに似たような写真を探した。

それを音楽友達のDさんが、逆引き辞典のように②→①→③の順に、鑑賞文から 元の俳句がどんなものだったのかを推察して作り、更に情景のイメージの絵を描いてくださいました。 ↓

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今回は ③→②→①にも繋げてみたかったのですが、「③写真を元に  ②印象を綴り  ①俳句を作る」ということは、私には とてもできませんでした (泣)。 でも、いつの日にか・・・(祈)

★結論・・・道のりは 果てしなく遠い。

 

 

逆引き辞典、俳句版

前回(11月30日) 「のんびりした距離感」を投稿した後、音楽友達のDさんがtwitterにコメントをくださった。 ブログに載せることを快諾してくださった上に 「名前も出してOKだし、今後自分に関することは許可なく勝手に書いてもいいですよ」との優しいお言葉。なんて懐の深い・・・。Dさんを思わず拝む。なむ~。

( Dさんのコメント ↓ )

【俳句そのものを載せず、そこに込められた想いだけを載せるなんて、イケズやわぁ。
でもそれが、一体どんな素敵な句なんだろうと想像させてくれますね。
いや、これは元の句は果たしてどんなものか、という高度な謎解き、挑戦状なのか。】

 

俳句の作者である私の友人が、今後どこかに投稿することがあるなら、「未発表」にしておかなくては・・・という単純な思いだったけれど、あっ、なるほど・・・。言われてみればイケズだったかもねぇ。 ごめん!

 

Dさんの発想は「ルビンの壺」のように、いつも私に「別の角度からの見え方」に気付かせてくれる。新鮮でとても楽しい。

俳句の鑑賞文から、元の句を想像するなんて、「逆引き辞典」みたいで面白いじゃありませんか。

 

そして、鑑賞文から逆に想像した 俳句を、早速 Dさんが作ってくださった。

おおおおお! Dさんの俳句からも色彩・音・動き・皮膚感覚・情景など が伝わってくる。 そして私は、「この時の作者の心情は?」等とあれこれ想像する。 

いいなぁ、こういうの・・・。楽しい。いくらでも機嫌良く 飽きず遊べる。

 


更に今朝、「色紙風の字に絵を足してみたものがあるので、ネタになりそうなら出してくださいませ。」というメッセージと共に色紙が届いた。 ↓

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おおおおお!と、またまた驚く。味のある文字、小さな雀たちの動くさま、手前の霜・遠方の山頂の雪から伝わる冷気・・・。描かれた絵と文字に見惚れる。

平家物語ならさしずめ【沖には平家舷を叩いて感じたり 陸には源氏箙を叩いて響めきけり】だ。 例えが変だが「私は感動した」と言いたいのだ。 

 

鑑賞文から俳句を詠み、それを更に絵にできるDさんの感性と才能に憧れる。
そして、「美味しいお漬物があれば、ご飯3杯はいけます!」という自分の才能?を思い起こし、ちょっと照れる・・・。

 

 

俳句といえば…、夫の母は俳句にゆかりのある地の生まれで、幼い頃から50年以上に渡り ずっと親しんできたと聞いている。

亡くなった後にたくさんの俳句が残されていた。それらは長年連れ添った夫、姉妹、息子 (私の夫)、娘 (夫の姉)、小焼けを含む孫達、嫁 (夕暮れ)、姻戚、友人・・・ひとりずつに宛てたものであった。

それらは、病院のベッドの 手の届く位置にいつも置かれていた手帳に書かれており (最後の辺りは文字も判読しづらかった)、それを義姉が 美しい短冊に清書して 全員に渡してくれた。

病床で痛みと闘いながら、したためられた俳句と添え書き (お礼の言葉・自分が亡き後の願いごと等)。どんな想いで綴られたかと思うと切なく、こみあげるものがあり、ありがたくもある。


こんな至らぬ嫁をいつも「夕暮れちゃん」と呼んで可愛がってくれた 義母が伝えたかったことを私はきちんと くみ取れているだろうか・・・。

折に触れ 読み返し、「少しずつでも義母の心に近付けているだろうか」と、自分に問いたい。

 

 

のんびりした距離感の心地よさ

遠く離れて暮らす友から ひょっこり メールが届いた。俳句が 3句 添えられている。 17文字を介して伝わる 彼女の日々の想い。

「ブログに書いてもいい?」と尋ねると、「いいよぉ~」と朝ドラ風味の返信。彼女が推敲を重ねた句は 彼女自身のものだから、私がそのまま載せるのは申し訳ない思いがする。それで、句に込められた想いを(私の感じたものも含めて)書かせてもらうことにする。

 

★ 1句目。
【 霜の降りた 底冷えのする朝。 まだ日が差し込んでいない薄暗がりの中、自宅を出て職場に向かう。 既に刈り込まれた田んぼにも、霜が まだらに降りている。
(その田んぼの中には) 取りこぼしの米粒をついばむために、チュンチュンと鳴きながら動き回る雀たちがいる。 そんな小さな体で 寒いでしょうに・・・。 お日様、早く 陽を差して・・・。 こんなに小さな雀たちも 頑張って生きているのだから、私も 今日を精一杯 がんばろう 】。

 

★次の1句。 【 高速道路の側道(高速道路に沿って走っている下道。山手の道)を ゆっくり走行していると、山々の中に  あでやかな紅(赤色)・オレンジ色・黄色に色づいた葉をつけた木々が、緑色の木々の間から見えた。そのさまは、まるで競いあっているような、あるいは、騒いでるようであった 】。

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   ↑ 写真はフリー素材からお借りしたものです。句とは イメージが異なりますが…)

 

★最後の1句。【 紅葉は終わりを迎えた。 左右に 背の高い街路樹のある車道には、 うっすらと落ち葉が積もり始めている。車が通るとその勢いで落ち葉が舞い上がる。舗道側には 車椅子の老婦人。車椅子が ゆっくりと静かに通り過ぎて行った後にも 落ち葉が はらはらと舞った。 季節はすこしずつ本格的な冬に向かっているのだなぁ】

(私の拙い文章力では、3 句に込められた 彼女の想いを伝えきれない・・・泣)

 

彼女の句には 五感を研ぎ澄ました魅力がある。 ほんの 17 文字から  色彩・音・動き・皮膚感覚・情景など が しっかり伝わってくる。 美しく、素敵で、見事だ。

 例えば、1句目。【吐く息の白さ】、【皮膚を刺すような冷気】、【既に刈り込まれた田んぼ・霜の情景】、【薄明かりの淡いグレイと霜の白、雀たちの茶色】、【チュンチュンという可愛い鳴き声と、ちょこちょこと動き回る姿】。

そこに彼女の想いと願いが加わる。【寒いでしょう?  お日様、早く顔を出してあげて】。そして 雀たちの姿から【自分も頑張ろう】という気持ちが湧き上がる。 

彼女らしい 優しさと真摯さ。(それにしても、「こんな早朝に出勤しているのねぇ。貴女は 今でも十分がんばっているよ」と、彼女に伝えたい。)


私なんぞは、「ハロウィンのお面をつけた娘に 驚かされた」と、1 行で済むことを 下のブログのように、長々書き連ねてしまう。 いつか、私にも 17文字や 31文字だけで 想いを伝えられる日が来るだろうか?   言葉も 贅肉も オヤジギャグも 全部そぎ落として すっきりと生きてみたいのだけれど…。う~ん、そんな日が来る気がしない…。) 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

彼女も含めて 遠方の友人達とは、急用でもない限り LINEも電話もすることはない。 けれども、日々の暮らしの中で ふと感じた想いを、時折 こうして共有させてくれることを とても嬉しく思う。

もう学生ではない私達には、これくらいの のんびりした距離が心地良い。

 

追記: こういう場合 ↓ 大急ぎで電話をします。 

yugure-suifuyou.hatenablog.com 

 

わたくし、観音菩薩さまになりました?

車で外出した。 いつもは カーナビの「推奨ルート」のまま行くのだが、途中からは 何度か目にしたことのある風景になった。 
「あっ、ここからの近道なら知ってる。車はめったに通らないし、時間の短縮になる」と ナビの勧めるルートに従わずに進んだ。 カーブの多い 狭い道だが、大丈夫(・・・のはずだった)。

 

近道をどんどん進んでいると はじめて 対向車がやって来た。 すれ違える程の道幅は無く、どちらかの車がバックして待避スペースで待つしかない。
私は車のトラブルが苦手だ。こちらが優先に思えても 相手にその気がなさそうなら、すぐに道を譲る。 

今回も譲ろうと思ったが、通ってきたばかりの道を思い起こすと、待避スペースまで  かなり後退する距離になる。微妙に曲がりくねっている道。 しかもバックするとなると、ゆるやかではあるが こちらは「登り道」になる。 う~む。

 

反面、対向車の待避場所は…と首を伸ばして見ると、 こちらからでも確認できる位置にある。すぐそこだし、身軽な軽自動車だし、この場合は さすがに相手方がバックしてくれるだろうと思った。

私達のいる道は確かに狭いが、テレビの「ぽつんと一軒家」のように、あと数センチで車のタイヤが道から外れ、ガードレールのない斜面を滑り落ちて下の川に転落・・・というほどのものではない。

 

対向車に目を向けると、運転席と助手席の若い女性が、 大笑いしながら(この期に及んで  ご陽気だ)二人して 両手を左右に激しく振っている。 口元から察するに「無理、むり、無理」と繰り返し言っているようだ。 車には初心者マーク。

下がりたくても 下がれないのね。 「ええよぉ~」と 朝ドラの 日本画家の口調を真似ながら、私がバックすることにする。

 

ところが、直線でない 狭い登り道をバックするのは、予想していたより難しかった。 ガードレールが付いているため転落の危険はないが、その分、車をぶつけたり(こすると)修理費がかなりの額になりそう。ドア2枚にまたがって傷が付いたら、私、泣くわ。

カーナビのバックモニターを見たり、目視で 後方の左右・前方の横など、首をせわしなく動かし 安全確認しながらノロノロとバックする。


助手席の娘が のんびりと言う。「お姉さん達、応援してるよ」。

視線を前に戻すと、対向車の二人が 今度は 両手に握りこぶしを作り、前後に揺らしながら「がんばれ~ がんばれ~」としてる。
「あっ、ありがとう! 応援してくれて」・・・(ん? なんか違わないかぃ? ま、ええ)

 

ようやく、待避場所まで辿り着き、彼女達の車が通り過ぎるのを待つ。
目と目が合う。 私は安堵して にっこり笑う。共に頑張った仲間のような気になる。

彼女達もニコッと笑った後、な、なんと、お辞儀しながら、両手を合わせた。
えっ!  私、拝まれた?  観音菩薩様になった?♪♪  こんな人? ↓ 

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                  ( ↑ イラストレーターの  マルムギさんから頂きました) 

娘の小焼けが ぼそっと言った。

「あのお姉さん、運転中なのに (拝みながら) 両手をハンドルから離してるよ」。

(明るい彼女達が無事 目的地に到着することを祈るばかり・・・)