断捨離と絵本

実家に帰ると、母が「断捨離を始めたのよ」と 言う。
誰もが皆 いずれ行く道とはいえ、まだ元気で仕事もしている母が、そういう心境になったのかと思うと、娘としては少し寂しい。(「断捨離」という言葉も こういう意味で使うと寂しいなぁ)。

 

お洒落な母のクローゼットには、長い間  溢れんばかりの洋服があった。
「痩せたら着られる」と思うのは  もうやめて、「心がときめくか、ときめかないか」を判断基準にして処分したとのこと。 「どれも ときめいちゃって、決めるのに苦労したわ」と母は笑う。

 

以前から、「もう着ない洋服は思い切って処分したら?」と提案しても、母は「気に入ってるし、思い出があるし、痩せたら着られるわよ。生地は良いから、デザインを変えれば夕暮れ(私)や小焼け(私の娘)が着られるでしょう?」と譲らなかった。

「よく思い切ったねぇ」と私は言いつつ、母の思いっ切りのよさに、「何か病気が分かって、それを隠しているのではないかしら?」と逆に心配になる。
それとなく探りを入れてみるが、そういうことでもないらしいと分かり、ほっとする。

 

母は続ける。「問題は思い出の品々よ。どうしようか迷っているものがあるから、見てくれる?」。

それらの中に、絵本『いない いない ばぁ』があった。
これは私が 「とても可愛い(←ここ、大事)赤ちゃん」だった頃、大好きだったという絵本。(この絵本のことは、折に触れ 聞かされてはいたが・・・)。

 

絵本の内容はシンプルなもので、見開きの右ページには『にゃあ にゃあが、いない いない・・・』と書かれ、左ページにはネコちゃんが顔を隠している絵がある。
ページをめくると、『ばぁ』という文字と、そのネコちゃんが顔を覆っていた手を大きく広げて『ばぁ』をしている絵。
その後は、「くまちゃん」「ネズミさん」「こんこんぎつねさん」達が同じように、『いない いない ばぁ』を繰り返す。

 

遙か昔から現在に至るまで、周りのおとな達から「いない  いないばぁ」をされると、どの赤ちゃんも きゃっきゃっと笑う。不思議だが微笑ましい。

母が言うには、私は特に大喜びしたらしい。絵本であっても、その喜びようは大層なものだったらしく、ページをめくると『ばぁ』が待ってるのを覚えて、大笑いしながらページがめくられるのを待っていたとのこと。(あの頃から「オチ」が好きだった?) 

しかも、大口を開けっぱなしで笑うものだから よだれが たら~と垂れていたらしい。

若かった母は、そんな私の仕草を眺めるのが幸せだったと言う。
そして、この絵本を見ると 当時のことを 鮮明に思い出すのだそうだ。

 

「かさばるものでもないし、思い出の品は 無理して処分しなくてもいいんじゃないの?」と 私は応える。
「将来、本だけが残される日が来たら、娘の私がその後どうするか決める、ということでいい?」と 続けると、母は納得して手元に置くことに決めた。

 

「とても可愛い(まだ言うか!?) 赤ちゃん」だった私と、「若さに溢れていた自分」を懐かしむように話をする母。 

「今日の母の姿と笑顔を 私は忘れないだろう」と思った。

時が流れ、今度は私が断捨離を決意する日がきても、心にとどまった 母の笑顔を思い出し、私もこの絵本を手放すことはできないのだろう。

                      

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いない いない ばあ
文:松谷 みよ子さん
絵:瀬川 康男さん
出版社:童心社