逆引き辞典、俳句版

前回(11月30日) 「のんびりした距離感」を投稿した後、音楽友達のDさんがtwitterにコメントをくださった。 ブログに載せることを快諾してくださった上に 「名前も出してOKだし、今後自分に関することは許可なく勝手に書いてもいいですよ」との優しいお言葉。なんて懐の深い・・・。Dさんを思わず拝む。なむ~。

( Dさんのコメント ↓ )

【俳句そのものを載せず、そこに込められた想いだけを載せるなんて、イケズやわぁ。
でもそれが、一体どんな素敵な句なんだろうと想像させてくれますね。
いや、これは元の句は果たしてどんなものか、という高度な謎解き、挑戦状なのか。】

 

俳句の作者である私の友人が、今後どこかに投稿することがあるなら、「未発表」にしておかなくては・・・という単純な思いだったけれど、あっ、なるほど・・・。言われてみればイケズだったかもねぇ。 ごめん!

 

Dさんの発想は「ルビンの壺」のように、いつも私に「別の角度からの見え方」に気付かせてくれる。新鮮でとても楽しい。

俳句の鑑賞文から、元の句を想像するなんて、「逆引き辞典」みたいで面白いじゃありませんか。

 

そして、鑑賞文から逆に想像した 俳句を、早速 Dさんが作ってくださった。

おおおおお! Dさんの俳句からも色彩・音・動き・皮膚感覚・情景など が伝わってくる。 そして私は、「この時の作者の心情は?」等とあれこれ想像する。 

いいなぁ、こういうの・・・。楽しい。いくらでも機嫌良く 飽きず遊べる。

 


更に今朝、「色紙風の字に絵を足してみたものがあるので、ネタになりそうなら出してくださいませ。」というメッセージと共に色紙が届いた。 ↓

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おおおおお!と、またまた驚く。味のある文字、小さな雀たちの動くさま、手前の霜・遠方の山頂の雪から伝わる冷気・・・。描かれた絵と文字に見惚れる。

平家物語ならさしずめ【沖には平家舷を叩いて感じたり 陸には源氏箙を叩いて響めきけり】だ。 例えが変だが「私は感動した」と言いたいのだ。 

 

鑑賞文から俳句を詠み、それを更に絵にできるDさんの感性と才能に憧れる。
そして、「美味しいお漬物があれば、ご飯3杯はいけます!」という自分の才能?を思い起こし、ちょっと照れる・・・。

 

 

俳句といえば…、夫の母は俳句にゆかりのある地の生まれで、幼い頃から50年以上に渡り ずっと親しんできたと聞いている。

亡くなった後にたくさんの俳句が残されていた。それらは長年連れ添った夫、姉妹、息子 (私の夫)、娘 (夫の姉)、小焼けを含む孫達、嫁 (夕暮れ)、姻戚、友人・・・ひとりずつに宛てたものであった。

それらは、病院のベッドの 手の届く位置にいつも置かれていた手帳に書かれており (最後の辺りは文字も判読しづらかった)、それを義姉が 美しい短冊に清書して 全員に渡してくれた。

病床で痛みと闘いながら、したためられた俳句と添え書き (お礼の言葉・自分が亡き後の願いごと等)。どんな想いで綴られたかと思うと切なく、こみあげるものがあり、ありがたくもある。


こんな至らぬ嫁をいつも「夕暮れちゃん」と呼んで可愛がってくれた 義母が伝えたかったことを私はきちんと くみ取れているだろうか・・・。

折に触れ 読み返し、「少しずつでも義母の心に近付けているだろうか」と、自分に問いたい。