義父に見えている世界(その2)

昨年末、義父は「この前からお母さん (妻) の姿が見えん。ずっと探しているが ひとりで四国に帰ったかのう?」と言った。 義母はもう3回忌を済ませているというのに・・・。遠方から帰省していた義姉が機転を利かせて その場を収めてくれたが、私は義父にかける言葉を探しつつ新年を迎えた。

 

義父の話には 後で戻るとして、まずは祖母のことを・・・。

★ 私の実家の祖母は、約 10 年前から 時折ではあるが、独自の世界が見える症状が出始めていた。ある日 私に言ったことがある。「あそこに、黒いマントに黒い帽子の男の人がいて、こちらを見てるよ」。 

その日は大雨。足腰はまだ丈夫だった祖母の部屋は2階にあった。その2階の窓の外に、男の人が祖母と同じ目の高さに存在する・・・。想像すると 不思議な光景であった。

「怖いの? だいじょうぶ?」と私が問うと、祖母は「ううん、こんな大雨の中、お仕事ご苦労様だと思って・・・」と言った。

それから時は流れ、祖母の認知症は更に進み 歩行にも困難を極めるようになった。現在は施設にお世話になっている。
ある年のお正月には、遠く離れて暮らす甥や叔母達もが 祖母の部屋を訪ね、にぎやかに過ごした。 数日後、実家の母が再び祖母の元を訪れた時、職員さんが次のような話をされたそうだ。

深夜に祖母の部屋からコールが鳴るので、職員さんが急ぎ駆けつけると、「会いに来てくれた孫達が帰るから、見送りに行きたい」と言ったらしい。

職員さんに付き添われて、玄関の見える場所まで行くと、祖母は にこにこ して「忙しいのにありがとうね。気をつけて帰るのよ」と、ゆっくりと手を振りながら言ったとのこと。 その眼差しがとても穏やかで幸せそうであったと、職員さんは母に教えてくださった。

祖母が 幻の孫達を見送りに行ったのは、午前3時。 夜勤の職員さんは人数が少ないし、用事もたくさんあると思う。 それなのに 祖母の幻を共に見、寄り添って、祖母の世界に一緒に行ってくださった職員さんに 私は心から感謝する。

約 10 年前、祖母が黒いマントと黒い帽子の男の人の幻を見た時、私は「こちらの世界」に祖母を呼び戻そうとしていたのではないか。
「祖母に見えている世界」に一緒に行って、もっと別の応え方をすればよかったと、今更ながら悔やむ。どう応えればよかったのだろう・・・。あれこれと自問自答する。


★  (義父の話に戻ります)

昨年末に、義父が (もう既に他界している) 妻を探して、その場にいる皆に問いかけた時、義姉が機転を利かせて その場はいったん収まった。

その夜、私は義父にかける言葉を探しながら、そのことを twitter とブログに書いた。 書いた後に上記の祖母のエピソードが脳裏に浮かび、翌日義父が目覚めたらこう言おうと思った。
「お義母さんは、俳句のお仲間達と一緒に 吟行句会にお出かけされたのではないでしょうか? 帰られるのを もう少し待ってみましょうか?」。  

しかし、翌日、義父は妻を探していたことをすっかり忘れていた。(私が昨晩 用意した言葉は出番がなくなったけれど、義父の心から不安が消えたことに ほっとする)。義父はおせちを眺めながら「お母さんは亡くなってしまったが、夕暮れちゃんが おせちの味を引き継いでくれて嬉しいのう」と言ってくれた。 

結婚してからずっと 年末には 夫の実家で 義母に教わりながら おせちを作ったことが懐かしい。

特に義母の作る「タケノコを使った亀の飾り切り」は絶品で、私は何年経っても義母のようには作れなかった。 それでも「これは夕暮れちゃんの作った亀だなぁ」と目を細めながら食べてくれた義父の笑顔が目に浮かぶ。「もっと精進してお義母さんのような美しい飾り切りができるようにしなくては…」と改めて思った。

 

★ 祖母も義父も、私の先を歩む 人生の先輩達。
いずれ自分も行く道。
祖母や義父が、穏やかな日々を過ごせるにはどうしたらいいのか、まだまだ模索が続く。