せめて、 想いと お花を・・・

阪神・淡路大震災発生から 昨日 (1月17日) で 25 年となった。 新聞には被災された方達の当時のことや、現在の状況などが特集されている。

いつもの自分のペースで記事を読んでは申し訳ない思いがして、丹念に読む。 お一人ずつの体験談は、読めば読むほど 言葉にできない思いがこみあげてくる。 

 

「やまゆり園」事件初公判に関する記事と、被害者家族の思いも載っている。「なぜ、息子 (娘) が死ななければならなかったのか知りたい」「裁判では甲Aと呼ばずに名前を呼んで。 美帆という存在を知ってほしい」「被告の表情と言葉を見届けたい」・・・等々、ご家族の 憤り・無念さ・辛さ・・・察してあまりある。

 

無謀運転・事故・理不尽な事件などに巻き込まれて命を失った方達のことも 記憶が蘇る。

 

どの記事も切なすぎる。「年月が解決してくれる」という言葉があるが「そんなことはないのだ」と 悲しみの深さに改めて想いを馳せる。 

 

友人の話が心に浮かぶ。 Lさんは  2011 年の東日本大震災の行政応援で岩手県を訪れた。発生から 2 か月後の 5 月。 電柱はほとんど倒れ、道路から目にした建物の三階は壊滅状態で 窓の辺りには何か残骸が引っかかっていた。 ガレキが道路の両サイドに堆く積まれ、車は通れるけれど、曲がり角らしき所も みなガレキで、 右折・左折の目印もない街並みであった。

現地で支援活動を行うには、分かりやすい地図と要所要所での参考写真が必要と考え、Lさん達は写真を撮っていた。

その時 突然、吹き流しが目に入ったとのこと。 津波で天国へ旅立ってしまった お子さんの為に設置されたと思われる鯉のぼりだった。 シーンと静まり返る無人のガレキの山の中に、親子の鯉のぼりが元気に風にはためいている・・・。 

Lさん達は  この光景を写真におさめることができなかったという。 鯉のぼりが、あまりにも悲しすぎる出来事が起きた象徴のように感じられ、軽々しく写真を撮れなかったのだそうだ。 Lさんは言う。【もうすぐ9年経つけれど、災害という言葉を目にすると 鯉のぼりが頭に浮かんで、切ない】

 

Lさんの話を聞きながら、私にもその情景が目に浮かび 胸に迫り来るものがあった。 震災以前には、紛れもなく ここに 穏やかな家族の生活があった。 お子さんを亡くされたご家族が、どれほどの思いで この親子鯉のぼりを立てられたことか・・。

 

ひとつの命が失われるということは、ある人からは「配偶者 (恋人)」を奪い、ある人達からは「娘・息子 ・孫・祖父母」を奪い、ある人からは「兄弟姉妹」を奪い、ある人からは「友人」を奪い、またある人からは・・・・・・。

 

救えなかった命もあり、本来なら 失わずにすんだ命もあり...。
残された人達の 無念さ・辛さ・憤り・悲しみ・・・。

ひとつ ひとつの かけがえのない命 について考える昨今です

 

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