幼かった母の大切な本

仕事がようやく ひと山越えて ほっとしていたのに、気が付けば、また次の山を登り始めている。「この繰り返しがあと何年続く?」と指折り数え (暗算できんのかぃぃ)、そして驚く。「こんなに~?」 いえいえ、志なかばで逝かねばならなかった人の無念を思うと、そんなことを言っては申し訳ない。

 

そんな訳で、またインターネットを楽しむこともなく過ぎる日々。一日 1 時間半までと健気に( !?)決めたのに、それも消化しないまま、繋げられなかった時間がたまっていく。 

そうだ、いいこと考えた!(という時は大抵、ろくでもないことを考えている)。「ネットに繋がなかった時間を次回に合算して使えるっていうのはどう? スマホの繰り越しみたいにね」「いいねぇ、いいねぇ 」(自分で提案し 自分で決を採るので、反対はゼロ)

 

また、TV録画の方も観ることなく溜まる一方だけど、昨晩 その内のひとつを観た。『レ・ミゼラブル』。 おお! 懐かしい。

実家の書棚に、子ども向けの本があった。少年少女世界文学全集の中の『ああ、無情』。表紙が分厚くて 中の紙もざらざらと厚かった。なぜこんな古い本が?と不思議に思って、尋ねた記憶がある。すると母は「これは、思い出がある本だから、大切にとってあるのよ」と答えた。

 

母の話によると、自分の母親 (現在は施設にお世話になっている、私の祖母) がまだ若かった頃、大病を患って手術をし 入院も長きにわたったらしい。父親 (私の祖父) は、娘が寂しくないようにと思ったのか、少年少女世界文学全集を買ってくれたとのこと。

小学入学前だった母は、平仮名は読めたが カタカナはまだ読めなかった。それで、父親がカタカナの傍に平仮名を振ってくれたとのこと。母は「私ね、1回見たら、そのカタカナの読み方を覚えられたのよ。思えば、記憶力はあの頃がピークだったのかもねぇ」 と笑う。

当時の、幼い母は「こんなに、同じ文字『じゃんばるじゃん』『こぜっと』『じゃべーる』などと書いてくれなくても、分かるのにな」と思ったらしい。けれども、子ども心に、「忙しいお父さんが、全部のページに平仮名を書いてくれたことは、すごく大変だったろうなぁ」と思い、「こんなにいっぱい書いてくれなくてもよかったのに」などと口に出すことはしなかったとのこと。

母は成長するにつれて、父親の優しさと愛情をしみじみと感じるようになったという。若くして亡くなったこともあり、一緒に過ごした期間は短い。それ故に この本がなおさら 大切に思えるらしい。

 

TVの番組欄で『レ・ミゼラブル』の文字を見つけ、実家の書棚にあった古い本と、母の話を思い出した。録画予約すると同時に、TV放送が始まることをLINEで知らせた。思いもかけず 映像として再会する『レ・ミゼラブル』。現在の母はどんな思いで観ただろうか・・・。

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