義父の行く道。やがて自分も行く道

義父からの電話着信が、今日は19 回あった。用件はいつも同じ「いつ迎えに来る?」。私が手の離せない時には、娘の小焼けが電話に出る。電話を切って15 分も経たない内にまたかかってくることもある。「いつ迎えに来る?」 

小焼けは、ほんの少し前にも 同じ電話が かかってきたことなど 口には出さず「おじいちゃん、あのねぇ・・・」と日々の出来事を話す。義父が機嫌良く「それじゃ、またなぁ」と言うまで 話相手をしている。

 

義母がまだ元気だった頃、「お父さん(義父) の物忘れが進んできたみたい。ケアマネさんに相談する時のために、言動をメモしてるのよ」と言ったことがあった。その後、義母は病に倒れ「お父さんをお願いね」と皆に頼んで旅立った。さぞ心残りだったことだろう・・・と 病床の義母の姿を思い浮かべながら思う。

 

義父の症状は その後も進み続け、独り暮らしでは いよいよ危なくなり、今年の 2 月から施設にお世話になっている。義姉夫婦も一緒に 今後のことを話し合い、施設も幾つか見学した。予約はできるが、順番を待たねばならない所もあった。そんな状況の中で、2 月から入居できる施設があった。 趣味が同じ 男性入居者がいらっしゃることや、部屋の広さ・設備や、緑(樹木)の多い環境など、義父が「ここは良いなぁ」と、とても気に入った様子だったのも嬉しかったし、ここにお世話になれることも ありがたかった。見学に行った時に ちょうど空室があったタイミングなど、亡くなった義母が導いてくれたのかとさえ思えた。それらのことも記憶から消えてしまったのだろうか? 

 

義父は、以前、私が入院せねばならなくなった際、別の施設にショートステイでお世話になったことがある。そちらの記憶が入り混じり、自分は現在ショートステイをしていて、そろそろ自宅に帰る日が近いと思って「いつ迎えに来る?」と尋ねるのだろうか?

入所すぐの頃は、皆で義父の部屋を訪れては一緒に過ごすことができたけれど、新型コロナウィルスで自粛要請が出てからは 会えなくなってしまった。寂しいのだろうか?
あれこれと、義父の心情に 思いを巡らせれば、私も辛くなってくる。

義父の記憶は、遠い日へ戻ることがある。妻が亡くなったことを忘れて「お母さんはどこへ行ったかのぅ」と 探す日もあれば、私を訪ねて病院まで歩いて行った日もある。(施設にお世話になる前で、まだ自宅にいた時)

義母が亡くなって 暫く過ぎた頃、私は入院・手術をしたのだけれど、その記憶が ある日突然に 義父の中よみがえったのだろうか、病院から 私の職場へ電話がかかってきた。「お義父様が、夕暮れさんが入院しているはずとおっしゃって、今 こちらへ来られているのですが」。( 私は 2 年前に退院している)。義父の住んでいる家から病院まで、車でも 20 分はかかる。その距離を徒歩で?! 時間休をもらって 大急ぎで病院まで迎えに行く途中、義父があれだけの道のりを一生懸命歩いて、私の見舞いに来ようとしてくれた気持ちを思うと、運転しながら切なかった。

また、「今晩の月は 特別に綺麗だから、窓を開けて みんなで見てごらん」と電話をくれる日もあった。
義父の中には、妻や子ども達と共に過ごしたあの家や、日々の記憶が確実にある。帰りたいよね。あの頃に。

こんな粗忽者の私なのに、結婚して以来ずっと気にかけ 優しくしてくれて ありがとう。 そして、ごめんね、お義父さん。
そんなことを思いながら、今日の 1 日が暮れていく。

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