安らかに旅立ち、パワーアップして戻って来て、私達を守ってくれているの? 

「(ひい) おばあちゃんは、最期まで (ひい) おばあちゃんらしかったね」と私達は話している。

★「今夜が峠かもしれません」と言われる危篤状態が何日も続いたので、遠方から駆けつける者達も 間に合い、「おばあちゃんには可愛がってもらったなぁ」等と言いながら、傍に寄り添って数日を過ごすことができた。(待っててくれたのよね? おばあちゃん)

その日も、ベッドの周りに集まり、それぞれが祖母の腕や背中をさすり、手を握ったりして思い出話などしていると、誰かが「あら? おばあちゃん?」と言った。えっ!と驚きつつ、呼吸を確かめると止まっていた…。まさに「眠るように」という言葉通りの安らかな最期だった。

祖母がまだ元気だった頃、私に言ったことがある。「人はね、樹と一緒よ。『生木を裂く』って言葉があるように、まだ若い樹が災害などで倒された時の切り口の痛々しいこと…。人も若くして事故や病で亡くなるって、逝く人も残された人も 辛く辛く苦しいよね。でも、寿命をまっとうした樹は枯れて自然に朽ち果てる。私もそのように逝けたら本望だわ」。 
まさに天寿を全うした大往生だった。願い通りの穏やかな最期を迎えられたね。おばあちゃん。

 

★「意識が無いように思えても、最期まで耳は聞こえている」という言葉を信じて、(祖母が旅立つ数日前に)母が祖母の耳元で言った。「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。愛情をたくさんありがとう。お陰で今の私がいます」。

・・・すると、もう誰の呼びかけにも反応することのなかった祖母が、片手で顔を覆い、嗚咽するような表情を見せた。「あっ、おばあちゃん、分かってる!」とその場にいた私達は驚き、感動すらした。「今まで面と向かっては なかなか口にできなかったけれど、最期に素直な気持ちが伝えられて良かった…」と母は ほっとした表情をみせた。

 

★祖母は、きちんと背筋を伸ばして生きてきた人で、情に厚かったけれど、自分にも厳しい反面、人にも厳しいところがあった。思春期の頃の娘 (私の母) には、そういう母親 (私の祖母) の姿を受け容れ難いこともあったという。

しかし、母は自分も家庭を持って 仕事も続けてみると、(祖母の) あの時代に、女性が男性と同等の免許・資格を持ち、肩を並べて仕事をすることが どれほどの苦労を伴ったことか、想像できるようになったという。「おばあちゃんって、すごい頑張り屋さんだったのね。私には到底真似ができないわ」と母は言う。

 

★ 私が幼い頃からずっと「亡くなったおじいちゃんが 守ってくれたね」と、折に触れ 母は私にこう言ってきた。確かに「虫の知らせ」みたいなものを感じて、難を逃れたこともあるし、「ここぞ」という時に、「おじいちゃんが守ってくれるから、だいじょうぶ」と勇気を出した記憶もある。非科学的だろうけれど、気が付けば私も、娘 (小焼け) が物心ついた頃から「ひいおじいちゃんが、いつも守ってくれてるから だいじょうぶよ」と言うようになっていた。

 

「今度は、ひいおじいちゃんと一緒に、ひいおばあちゃんも守ってくれるね」と小焼けが言う。小焼けは、幼い頃に近所のお姉さん (当時、小学生) から聞いた話を思い出したらしい。その「お姉さん」は、仏教系の幼稚園の卒園生で、僧侶でもある園長先生がお話をしてくださったそうだ。「お姉さん」の話によると「人は亡くなったら、一回 お空に行ってパワーアップした後でまたこちらへ戻ってきて、みんなを守ってくれるんだよ」「それからね、50年経ったら、本当にお空に戻っちゃって、もう守ってくれなくなるけど、その頃は私達もおとなになっているから、自分でがんばらなくちゃね」。この話は幼稚園児にもわかるように 易しく変えて 園長先生がお話されたものだろうし、幼かった「お姉さん」の聞き間違いや自分なりの解釈もあるのだろうと思う。 それでも、その話は小焼けの胸に残っていたらしい。

 

小焼けは続ける。「ひいおじいちゃんは、亡くなってもうすぐ50年でしょ? 空に戻っちゃうかもしれないけど、ひいおばあちゃんは仏様になったばかりだから、なんかさ、パワーが強い感じがするよ」。そして、昨日のエピソード、今日感じた不思議なことを話し始める。「そっか、ひいおばあちゃん、早速守ってくれているねぇ。初めての曾孫でたくさん可愛いがってくれたしね」と私は応える。

そして これから先、小焼けが何かに迷いつつ一歩を踏み出す時に「ひいおばあちゃんが守ってくれているから、きっとだいじょうぶ」と勇気を出せればいいな…と思う。私がそうであったように。

 

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