哀しいような、愛おしいような・・・

★祖母が旅立ってからというもの、母は時折、嘆きのLINEをくれる。 「話には聞いていたけれど、家族が亡くなった後って、こんなに手続きがいろいろあるのね。おばあちゃんのことを偲ぶ時間もないわ」。

お通夜・葬儀に続き、お寺様・お世話になった方達や施設へのご挨拶、年金・健康保険証・銀行関連の手続き(出生から亡くなるまでの連続した戸籍謄本・医師による死亡診断書など何通も準備しなくてはならないらしい)、墓石に新たに祖母の名を刻んでもらう依頼、仏壇関連のあれこれ、49日の法要・初盆の準備、土地家屋の登記名義変更・・・等々。

相続や手続きに関しては、葬儀社や銀行から 相談にのってもらえる所を紹介され、何をどうしたらいいのか困っていた母達は早速 予約をしたらしい。担当の方に家に来てもらったけれど、相談が無料なのは 1 回のみで、後は「40万円以上+実費 (印紙代など)」とか。専門家の手に委ねるということは そういうことなのだろう。

そこで、両親は 何とかできそうな銀行関連や役所の手続きは自分達ですることにして、土地家屋の登記だけは依頼しようと思ったとのこと。けれども、インターネットで調べた父が「自分でもできそうな気がする。提出書類は複雑そうだけれど、期限があるわけでもないので、ぼちぼちとやってみよう」と言い出したらしい。そうよね。登記名義人変更は、自分でする人も少なくはないとも聞くし、最近は物忘れが心配な父だけれど 思考力はまだ大丈夫との自負にも繋がるかも知れない。私達もできる限りの手伝いはすることにした。 

それにしても、祖母は 株だの証券などとは無縁の生活だったし、預貯金もシンプル。「その代わりに、心にたくさんのものを残してくれたわ」と母は言う。遺産相続でもめることもないから 分割協議書等も必要ではないとのこと。それでも、上記のような多くの手続きに振り回される。「何千万、何億もの財産を残された方達は、さぞ大変でしょうねぇ」と、人様のことまで心配している。

それから、母は突然ぽつんと付け加える。「こんなに忙しくて疲れ果てて、心の中はぽっかり穴があいたような寂しさを抱えていても、食事時になるとお腹が すくのよねぇ。我ながら 可笑しいやら情けないやら・・・何だか あきれちゃうわ」。 ううん、お母さん。『しっかり食べてエネルギーを蓄えておかなくちゃダメよ』と、体がエールのサインを送ってくれるのよ。生きようとする力を持つ母に 安堵すると共に、愛おしくもある。

 

★母が心身共に一番辛かったのは、祖母が次第に食事を受け付けなくなり、主治医の先生から「今すぐという訳ではないですが・・・」と言われ始めた頃のように思える。

「いずれ訪れる日に備えて、葬儀会社とおおまかな段取りなどの相談しておいた方が・・・」ということになった。その際に叔母が言った。「夕暮れちゃんも一緒に行ってあげて。お父さんやお母さんだけだと、葬儀に関する話は 心がしんどくなるからね」。

叔母の助言は正しかった。葬儀担当の方は丁寧に説明してくださるのだけれど、パンフレットを次々にめくりながら、「祭壇やお棺はどのタイプに?」(えっ、彫刻が施してある棺は 100万円以上!?)   両親が迷っていると 「あちらに向かわれる時に、しっかりしたタイプのお棺だと安定致しますけれど・・・」と さりげなく勧められる。(『でも、でも、お棺って、火葬場で燃えちゃうのよね?』と、俗人で 無宗教の私には雑念が湧き出てくる。おばあちゃん、ごめん!)。

「お棺の上にも別注文で お花を飾られますか?」 「お母様 (おばあさま) のお顔周りにもお花は いかがですか?」 「お骨壺は、最近では お墓の中でも水はけの良いものがありますよ」(そういう材質のものは 今までの祖父の時代のものよりも、お値段的には 一桁多くなるらしい)。 「お母様 (おばあさま) の幼い頃から 時代順に写真をお預かりできれば、それでDVDを作り、ご葬儀の時に流せますよ」(写真を今からかき集める時間・心の余裕が母にあるかしら?) 「お旅立ちの時のお召し物も、生地の違いなど様々な種類がありまして、襟元に女性らしい刺繍がほどこしてあるものもございますが」・・・。

 

父は「おばあちゃんには お世話になったからね」と言い、できる限りのことをして送り出したい意向のようだったが、祖母は常々言っていた。「私の兄弟も 友達もみんな先に逝ってしまったし、私のことは 家族だけが見送ってくれたらそれでいいからね。それにあまりに派手な葬儀はどうも性分に合わないわ」。( 結論としては、旅立ちの着物は祖母好みのお洒落なものにし、お骨を収める壺は (お墓の中でも水はけの良い素材で)祖母の好きだった花が描かれているものにした。その他諸々は身の丈に合ったものに落ち着いたけれど、これでいいよね? おばあちゃん)

パンフレットを見ながら次々に決めていかねばならない慌ただしさの中で、母は具合が悪くなり、呼吸困難に陥った。自分を慈しんでくれた母親との別れが、確実にひたひたと身近に迫ってくるのを実感したのだろう。大切な人との別れは かくも辛く切ない・・・。

 

★この時期になると思い出すことがある。

一昨年、新聞の歌壇に次のような一首が載っていた。詠み人の了承を得ていないので、そのまま書き写すことはできないけれど、 七夕の短冊に幼い文字で 「となりの おばさんが ひっこしますように」と書いてあった という内容。 

やっと文字が書ける年齢の子なら、欲しい物や願いごとも たくさんあるでしょうに、 それらよりも優先順位の高い「となりのおばさん」ってどんな人だろう、と私は思いを巡らした。 

祖母の時代には、悪いことをすれば、 自分の子も よその子もみな同じように 大声で叱ってくれる おじさん (或いは、お爺さんや おばさん (お婆さん) 達も多かったらしい。
子ども心には 怖くて口うるさく思えても、 自分がおとなになってみると  そうやって 世の中のマナーやルールを教えてもらったのだと 気付いたのだろう。

上記の短歌にあった「となりのおばさん」が、そんな人であったのなら、 短冊に願いを書いた幼子も、いずれ理解して感謝する日がくるだろう。 

けれども、こんなご時世……。TVが取材にくるほどの「騒音おばさん」や 耐え難い「ゴミ屋敷おばさん」や「クレーマーおばさん」だったら、 この子の願いを叶えてあげたいような気にもなった。

 

さて、今年も『幼稚園児達が 七夕飾りをしました』というニュースが流れた。コロナ禍に関する願いが新たに加わっていた。

それでも、幼い子の「願い」は可愛い。 あんなこと、こんなこと。 眺めるこちら側も思わず笑みがこぼれる。 これからの人生に可能性をたくさん持った子達の願い。 叶うといいね。

そして思い出す。一昨年「となりの おばさんが ひっこしますように」と幼い文字で書かれた短冊。あの子は何がそんなに辛かったのだろう? あの子の願いは叶ったかしら?

 

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