生蜂蜜を勧められても、文房具店に行っても

先日 美容院に行った時に、生蜂蜜を勧められた。ハンガリー産で非加熱・無添加とのこと。加熱されたものと比べて栄養面や効能などの違いがどれほどあるかを、新人の美容師さんが 熱心に説明され、「試食もどうぞ」とスプーン一杯分 差し出される。想像していたよりも さらっとしていて 甘過ぎず 美味しい。

「ん? 美容室でどうして生蜂蜜?」と思いもしたけれど、『食事も摂れなくなっている祖母も、この生蜂蜜なら口にできるかもしれない』と脳裏に浮かぶ。そして次の瞬間に気付く。『ああ、もうおばあちゃんはいない・・・』

 

毎年 9 月の声を聞くと、『敬老の日に何を贈ろうかな』と思う。寄せ書きをする素敵なカードを探したり、喜んでくれそうなプレゼントを、あれこれと皆で探すのが楽しみ。もういろんなことがわからなくなっていた祖母だったけれど、綺麗にラッピングされたプレゼントを受け取ると、目をくりくりとする ( ← 驚いた時や 嬉しい時の 祖母の癖 ) ように、笑ってくれた。

今年も文房具店でカードを探そうとして、「ああ、おばあちゃんは、もういないのだった・・・」とまた気付く。

 

お医者様が「今晩が峠かもしれませんね」と私達にそっと告げられても、祖母はそれから数日間、お別れをしたい者が全員揃うまで頑張って待っていてくれた(ように思える ) ので、いよいよ この世の息が絶える時にも 私達は皆 傍にいることができた。コロナ禍で、窓越しにしか会えなかった時期が長かったのが心残りではあるけれど、 危篤状態になってからは、施設の職員さん達のお心遣いで、他の方達とは別の入り口から 祖母の部屋に入り、話しかけたり 手を握ることもできた。葬儀も 49 日の法要も済ませた。今では、「おばあちゃん、安らかな旅立ちだったね」と話したりもしている。

 

それなのに、なにかある毎にこうして『あ、これ、おばあちゃんに』と咄嗟に思ってしまう。改めて寂しさがこみあげる。ひとつの命の ともしび が消えるということは、こういうことなのだろう。 

f:id:Yugure_Suifuyou:20200925214822j:plain