一生

GWも今日でおしまい。 ステイホームだったけれど、一番の楽しみは「アラームをかけずに、自然に目が覚めるまで  ( 心置きなく 目が腐るまで) 眠る」というものでした。

ところが、平日の出勤日の起床時間と同じ時刻に 目が覚めるんです。 真面目か !  それとも歳か?  なんだか損した思いがするのは、気のせいでしょうか?

 

ミャンマーのクーデター発生から 3 ヵ月が経った。混乱の収束の見通しも立っていないそうだ。抗議する市民に対して軍や警察は発砲や暴行を繰り返している。最近では国軍が路上で無差別に人々を襲ったり、住民を自宅で殺すこともあるとの目撃談が出ている 4月 30日までに 759人が犠牲になり、その中には 40 人を超える子ども達も含まれているとのこと。

【民家を捜索した部隊が7歳の少女を射殺した】 【 1 歳の赤ちゃんの目にゴム弾が命中した】などの報道を見聞きし、暴力と恐怖に怯える子ども達に思いを馳せる。この世に生を受けて、わずか数年で奪われた命。これがこの子達の「一生」だなんて、あまりに酷い。 

折しも、悲惨な現実を詠まれた方が 新聞の歌壇にいらした。【なんといふ一生 (ひとよ) であるか 抱かれてミャンマーの兵に撃たれし幼 (をさな)】 荻原葉月さん

 

★GW中はステイホームで 録りためた録画を見る。それらの中に、NHK【事件の涙。たどりついたバス停で~ある女性ホームレスの死】(5月1日) があった。

東京 (渋谷) の幹線道路の脇、大勢の人が利用し深夜でも明かりがともるバス停で、路上生活をしていた大林三佐子さん(64歳)が撲殺されたとのこと。事件の半年ほど前に仕事を失い、バス停で寝泊まりするようになられたらしい。所持金はわずか 8 円。

コロナ禍でおきたこの事件に波紋が広がり、『彼女は私だ。他人事とは思えない。明日は我が身』等々、ネット上には事件から半年以上も経った今でも、大林さんに自らの境遇を重ねる人達の声が溢れていて、その多くは 困難な状況に追い詰められた女性達・・・とナレーションは続く。

「なぜ、一人の女性の死をきっかけに多くの女性達が声をあげ始めたのか」とナレーターは問いかける。SNSに投稿した女性の一人は「私だったのかもしれない。社会に殺されたんだろうなって思う」と語る。

事件から 2 か月あまり経った頃、大林さんを追悼する集会が開かれ、渋谷の路上には 170人を超える人達が行進しながら「事件は決して他人事ではない」と訴えた。

TV画面を見ながら 切ない。さまざまな思いが次から次へと湧き起こるけれど、言葉にならない。若い頃の大林さんの愛くるしい笑顔の写真が映し出される。アナウンサーや声優志望で 劇団にも所属し、社交的で明るい女性だったとのこと。彼女の人生を想う。

 

ミャンマーの幼い子ども達と 大林さんのことを考えていると、昨年 旅立った祖母の顔が頭をよぎる。祖母の人生にも いろいろ苦労はあったと聞いてはいるけれど、最期は身内に囲まれ、手を握られ、語りかけられ、曾孫の弾くバイオリンの音に送られてこの世の息が絶えた。天寿を全うできることは ごく僅かなのではないかと思えてくる。

事故・事件・病気などで、生木を裂かれるように命の灯火を消されることの無念さに想いが行く。

 

ひと言で「一生」といってしまうことに  ためらいが出る

 

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