素直な瞳が眩しかった日

郵便局へ行った。用事を済ませて帰る時、目の前の歩行者専用道路に通行人がいなければ、駐車場出口を左折すればすぐに大通り (車道) に出られる。出口で左右の確認をしていると、旗を持った女性の姿が見えた。その後ろをランドセルを背負った子ども達が続いている。小学校に入学したばかりの人達のようだ。小さな身体に大きなランドセル姿が微笑ましい。通学に慣れるまでは、地区ごとに決められた場所 (そこで保護者が待っている?) まで先生が引率なさるのだろう。

 

私の車が停まっているのに気付いた子が、さっと手を上げてお辞儀をしてくれる。次の子も同じように手を上げてお辞儀・・・。挙げた手がまっすぐに伸びている。初々しいなぁ。私も一人ずつにお辞儀を返す。中には手を振ってくれる子もいて、私も手を振り返しながら、自然と笑みがこぼれる。可愛い! 道路の渡り方など、先生や 親御さんや 交通教室で警察官の方から教わったのかな?  車を見ると ちゃんと手を上げて通行しているのね。一生懸命さが伝わってくる。

 

それにしても、このグループは人数が多い。10 人は遥かに越えているようだ。一人一人の仕草が何とも愛らしい。確かに愛らしいんだけれど、おばちゃんはね、今、術後のダンピング症状が出て苦しいんですわ。さっきから急に腹痛と脂汗と吐き気が襲ってきて、一刻も早く帰宅したいの。立ち止まって挨拶してくれるのも嬉しいけれど、小走りに通過してくれるともっと嬉しいよ。

そして、反省する。身体が健やかであれば、心にも ゆとりがあって こんなこと思わないだろうし、せっかくの子ども達の気持ちをそのまま嬉しく受け取れるだろう。(← あくまで私個人のことです。健康を損なわれていても 心が健やかな方はたくさんいらっしゃるでしょう) ダンピング症状が出ないように日々頑張ってはいるけれど、まだまだかも。小学 1 年生の素直な瞳が眩しかった。

 

『病院のルームメイトだった T さんや R さんは、退院後どのように過ごされているかしら?』と思う。

Tさんは抗がん剤治療が辛いとおっしゃっていた。「抗がん剤治療って一口に言っても、いろんなパターンがあって、私の場合は髪の毛は全く抜けなかったけど、手足のしびれがひどくてね、手にしている感覚が無いから 食器を何枚割ったか数え切れないほどなのよ」とも言われていた。「大酒呑みの私がもうバーボンはやめて、代わりにお菓子を食べるようになったしね。お菓子代がすごくかかる」と笑いながら付け加えられた。T さんも頑張っていらっしゃることだろう。

 

(時間を遡って、ここから入院中の話に戻ります)。 もう一人のルームメイトの R さんも明るく会話をなさる方で、すぐに親しくなった。R   さんは 持参されたシルクの華やかなパジャマとガウンを身にまとわれたお洒落なお方でもあった。入院中は レンタルの病衣だと洗濯の心配もなくて重宝なので、殆どの人がレンタル パジャマだ。その中にあって、R さんのお姿は際立っていた。体調が優れない時は 着慣れたものが 1 番落ち着くから、R さんにしてみればシルクが普段から着慣れたものだったのだろう。

 

手術後 数日すると、日中は R さんのベッドから、カチャカチャという 静かだけれどスピーディでリズミカルにキーボードを打つ音が聞こえ始めた。これまでも ずっと頑張って仕事をしてこられたのだろう。入院中もお疲れさまです。職場で溌剌と過ごされている様子が目に浮かぶ。

こんなカッコいい R さんなのに、夜になるとあらまぁ、ジェット機が飛び立つような爆音のイビキをかかれる。私は R さんの昼間とのギャップに萌えそうになる。

R さんはご自分のことをご存じのようで「私、大イビキをかいていません? ご迷惑かけていません?」とマスク越しに小さな声で心配そうに尋ねられる。その様子が愛らしい。善いお人だ。「いいえ、全然。私もぐっすり眠っていますし、どうぞお気遣いなく」と私は答える。「はい、やっかましくて たまりませんぜぃ」とは言わない。イビキは 眠っている当のご本人が 努力で止めることはできないもの。「本人が努力しても 叶わないこと・どうしようもないことを責めてはいけません」と亡くなった祖母が言っていた。

 

夜になると ( R さんのイビキで)「はぁ、眠れないねぇ」と独り言を呟いたり、トイレに行ったり、冷蔵庫を開けて飲み物を飲まれているご様子だった T さんは金曜日に退院なさった。残りのベッドは 月曜までは新たに入院される方がいないので 空いている。R さんと二人きりになった夜、私は眠るのを諦めて音楽を聴く。数百曲は入っているから朝までだって大丈夫。あずきさんの子守歌は何度聴いても優しく包み込まれる。丁稚くんのオリジナル曲は楽しい上に言葉のセンスがきらりと光る。ドボルザークの 8 番は元気が出る。三日月さんのインストは繊細で美しい。音楽はいいね。

 

そうだ、ベッドの頭上のライトをつけて、音楽を聴きながら本も読もう。お向かいのベッドの T さんは退院されたので カーテン越しに漏れる明かりの眩しさには気を遣わなくても良いよね? イビキが聞こえている間は R さんは眠ってらっしゃるということだから、大丈夫よね?と自分に言い聞かせる。

突然、R さんのイビキが止まる。あら?私の明かりで起こしちゃった? それとも無呼吸?と逆に心配になる。暫くしてイビキが再開すると、「あっ、ちゃんと呼吸されてる」と ほっとする。

完全に寝そびれた。(ま、ええ。私は明日も入院中の身、急いでしなくちゃいけない仕事もない)。本も一区切りついたところで、冷蔵庫にヤクルトを入れていたのを思い出す。そういえば、昼食についていたビスケットも食べきれずにおいてあった。

深夜の 3 時。ベッドに腰かけ、薄暗くしたライトの下で 背中を丸めて ビスケットをかじり、ヤクルトを飲む。俯瞰すると、私の姿の方が恐ろしげだ。

 

入院生活も過ぎてみれば、どれもこれも懐かしい思い出話になる。

そういえば・・・実家の母が、「『シルクなのにお値段が手頃』と思って買ったら、それはシルクサテンで、取り扱いが面倒だった」とこぼしていたのを思い出す。今でも R さんのことが好きだけど、R さんのパジャマとガウンが、『限りなくシルクに近いポリエステル』だったら、もっと好きになるよ・・・と思った。