う~む

夢の中で泣いたことを覚えている朝。ベッドの中にて ぼんやりした頭で考える。「あの少年は誰だったのだろう?」「私達はどこへ向かおうとしていたのだろう?」

夢の中で 少年は小さな声で言った。「家の物に全部 差し押さえの紙が貼られて もう触ることもできなくなったんだよ」。私は「そっか・・・」と答えて少年の手を握る。この事態になっては最早、小学生の彼には為す術もないだろう。家族でもない私とて同じこと。私達は手を繋ぎ、行き先も定めないまま ゆっくりと歩くしかなかった。

 

『夢は潜在意識の表れ』と言われてはいるけれど【潜在意識とは、過去の経験などによって無意識のうちに蓄積された価値観、習慣、思い込みから形成された、自覚されていない意識である (Weblio辞書)】とあるように、本人にすら解らないものなのだから、今朝 見た夢を分析するのはやめよう。

と言いつつも、何となく自分でもわかることもある。あの見覚えのない少年は特定の誰かではなく、今まで関わってきた人達の象徴化されたもの? 手を差し伸べたいと思っても叶わぬことの方が多かった。仕事の場合は、法の壁 (規定) に阻まれることもあったし、自分の力量不足もあった。

 

仕事といえば・・・父が深夜に倒れたことがあった。持ち帰りの仕事をしていた場所が 自宅だったことが不幸中の幸いで、物音に気付いた母が救急車を呼び、事なきを得た。

父に声をかけながら励ます母に向かって、父は「まだしなくてはならないことがあるから、救急車を呼ぶのを もうちょっと待ってくれ」と言ったらしい。「命と引き換えにできるような仕事は無いのよ」と母は言ったけれど、父は「私がしておかないと、仕事が回らないから」と言い張る。責任感の強い父らしい言葉だと思いつつも、母は父がこのまま死んでしまうのではないかと恐れおののいた、と後に私に話した

 

病院で診て貰った結果は「過労」であった。母は「お父さん、こんなになるまで働かないで・・・」と言って泣いた。父は入院中も仕事のことを気に掛け、落ち着かない様子だった。『このまま職場に復帰したら、今度こそ本当に過労死してしまう』と母は案じ 退職を勧めた。父は自分が去った後の職場のことを案じていたけれど、結果として、母の懇願にも似た勧めに従い 退職した。

 

時は流れ、何かの折りに、父は「あの頃は『自分でなければ・・・』と思い込んでいたけど、自分じゃなくても仕事って回っていくもんだな」と話した。父の退職を機に、母は仕事面では個人事業主として独立して家計を支えた。母とは職種が違って専門外だった父も 次第に頼もしい片腕になった。

 

母は現在の私にも言う。「仕事が好きなのはわかるけど、私達にとっての『娘』や 小焼けにとっての『母親』は夕暮れしかいないのよ。仕事の替わりは他の誰かさんでも できるけどね」

病理検査の結果、「手術をして一件落着」とならなかった私も悩む。退院後すぐに職場復帰された方達もいらっしゃると聞いていたのに、私だけ なんでやねん。これからも通院・治療が続くことを思えば、職場の同僚にも負担をかけるようになり 申し訳なさでいっぱいになる。けれども、心残りの仕事もある。「もう少しもう少し・・・」という思いとの狭間で揺れ動く。

 

 

謎なり

(実家にての話が まだまだ続きます)★リビングの片隅に立て掛けてあった黒いケースを、娘 (小焼け) が見つけた。「これ、なぁに? 開けてもいい?」と言いながら、祖父母の返事も待たずに もう開けている。「ギターにしては大きいし、チェロにしては小さいケースだと思ったけど、これ、サイレント  チェロ?」と早速取り出して眺めている。

「おじいちゃんが 買ったのよ」と (私の) 母が言う。「あらまあ、どうして?」と尋ねると、父が「ネットを見ていてポチった」と答える。(お父さん、あのねぇ、購入手段じゃなくて、理由を聞きたかったのよ) 「ねっ、お父さんたら、相談も無しに 突然こんな行動をすることがあるよね」と母が笑っている

 

父は学生時代にチェロを弾いていた。社会人になっても暫くの間は、(バイオリンを弾く母と一緒に) マチュア オーケストラに所属していたらしい。けれども仕事が忙しくなり、転勤もあったりで 次第に弾くことから遠ざかり、チェロも後輩に譲ってしまったとのこと。

時は流れ・・・退職した現在、「またチェロを弾いてみようかと ふと思った」と父は言う。「感覚を取り戻すにはかなりの練習がいるから、周囲への音を気にせず 何時でも弾きたい時に弾けるのはサイレント チェロだ」と閃いたらしい。(あくまで練習用なので、技術がある程度になったら、音色の良い木製のチェロを購入するとのこと)

 

父はここ数年の間に 記憶力が衰えてきているようだ。判断力も弱くなったのだろうか ( 母が言うには) 運転中に交差点に差し掛かると、こちらは青なのに停車しそうになったこともあったらしい。それで、長距離は母が運転するし、近くに出かける時でも 助手席に必ず母が乗る約束なのだとか。

先日、母がスピード違反で捕まった、いえ、警察官の方からご指導を受けた後に、「これだけの反則金があれば、いったい大根が何本買えると思ってるのよ」と嘆くと(母は高額なものは大根の本数に換算して考える癖がある) 父は即座に「136 本ちょい だな」と答えて「そういう話じゃないのよ」と母の怒りを更にかきたてたらしい。このように、まだ計算の速さは衰えていないし、世界の国々のことも良く知っていて、何を尋ねても即答してくれる。

それでも、直近の記憶が危ういのを父自身も自覚し、心ひそかに案じているのかもしれない。「認知症の予防には、手指を使ったり、音楽などが有効」と知って、父なりの努力をしようとしているのだろうか。

再び チェロを弾き始めようとした動機の、奥深い所にあるものについては 私は知る由もない。「謎なり」ではあるけれど、歳を重ねながら生きるということ (心情) に思いを馳せると 切なくもある。

 

  ↑ 父がセットで購入していたものはこんな感じです。YAMAHAのページからお借りしました。(付属品セット内容:オーディオケーブル、ステレオヘッドフォン、胸当て、弓、専用ソフトケース、松脂など)

 

★「謎なり、だよ」と小焼けが言う。何ごとかと聞いてみると、部活の A 先輩 (女子) の話らしい。

小焼けには 仲良くしている E 君がいる。中学時代に「E 先輩に告られたんだけど、まだ付き合ってもいないのに、速攻で振られた」とぼやいた小焼け。スマホ画面を見た 幼稚園時代から仲良しの Mちゃんに「これって、振られたんじゃなくて、『付き合って』と言われてるのよ。小焼けちゃんたら、読解力なさすぎ~」と笑われたエピソードがある。 

 ↓ E先輩との中学時代の思い出はここですyugure-suifuyou.hatenablog.com

 

中学生なので 付き合うといっても、自転車通学の E 先輩と バス通学の小焼けは、停留所1個分だけ 二人でお喋りしながら歩いて帰る程度だったけれど、そのひとときが良い思い出として残っているらしい。高校は E 先輩がいる学校を受験し、部活もまた同じになって楽しげに過ごしているようだ。

E 先輩の同級生に A さんがいる。E 君と A さんは高校入学後に 部活を通して 初めて知り合ったとのこと。ところがその 1 年後に、中学時代から E 君と仲良しだった 小焼けが入学し、同じ部活に入った。春に 2年生になった小焼けは 先日、A さんから「私、これまで 小焼けちゃんに失礼な態度をとってごめんね。今では私は小焼けちゃんのこと一番推しだからね」と言われて面食らったとのこと。Aさんとは学年も違うし 部活以外で顔を合わせることもない。彼女の言う「失礼な態度」をとられたらしいこと に 小焼けは気が付いていなくて、ただ 無口であまり会話をしない人だと思っていたらしい。

「なんで、急にあんなこと言われたんだろうねぇ。謎なり」と言いながら、初物のスイカを頬張っている。アオハルなり。

 

 

母は言った「私ね、お父さんと別れようかと・・・」。 またですかぃぃ?

(実家にて)警察署からの間違い電話の後、母の話はまだまだ続く。

「私ねぇ、お父さんと別れようかと思っちゃったわよ」。母は時々こういうことを言う。 最初の内こそ「えええ! 何を唐突に!?」と慌てもしたが、回が重なると こちらも「またなの? 今度は誰を好きになったの?」と余裕がある。

母がこんなに伸びやかに楽しげに暮らしているのも、父あってのことだ・・・と私達は思っている。そんな父と何十年も連れ添ってきたのに、別れるって、どういうこと?? 母が初めて「別れ話」を口にした時、驚きつつもよくよく聞いてみると、何のことはなかった。母は大河ドラマや朝ドラの主人公に きゅんきゅん して「もし この人にプロポーズされたら、私、お父さんと別れるわ。お父さんには悪いけどねぇ」と 100%ありえない妄想を語っているのだ。

母の心情は分からなくもない。脚本家が考え抜いた台詞を 男性主人公に語らせているのだし、整った顔立ちの 演技力のある俳優さんが演じるのだから、魅了されるのも仕方がないかも。(「役者さん」のファンというよりは、「役柄の人物」が好きらしい )

 

詳しい話はこちらです ↓

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

ところが今回は「そういうんじゃないのよ~。一瞬、本気でそう思ったんだから」と言う。 「えっ、どうしたの?」と私は ちょっと姿勢を正す。

母が言うには・・・、高速道路を母の運転する車で走っていた時のこと。走行車線が渋滞気味 ( 先頭を走る車がやたら遅い ) だったので、「追い越し車線に出て、列を抜けたら走行車線に戻ろう」と助手席の父が言った。連なっている車の列が長く 追い越すのも大変そうだと思った 母は「このまま走行車線でいいわ」と言ったのだけど、「ちょっとだけスピードを上げれば追い越せるよ」との 父のひと言に従い、追い越し車線に出て グイーンとアクセルを踏み、列を追い越した後 走行車線に戻った。

すると、バックミラーに映る白い車が赤色灯をクルクルと回し始め、追い越しざまに助手席の人が窓から手を出して停止の合図。覆面パトカーだ。母は「捕まっちゃった! ゴールド免許だったのに・・・」とがっくりきたらしい。

 

覆面パトカーの警察官は丁寧な物腰で にこやかに「運転手さん、免許証を持ってこちら ( 覆面パトカー) に乗ってください」と誘われた。(警察官の方達がこんなに柔らかな態度を取られるのは、スピード違反で止められた人達の殆どが不機嫌で、中には自分のことは棚に上げて くってかかる人もいるからなのだろうか? それらの悪態をも 柳に風と受け流しながら職務を全うなさる警察官の皆様、気苦労がおありのことでしょう。お疲れ様です)

 

警察官の方は尋ねられたそうだ。「私たち、すぐ後を走っていたのですが、急に追い越し車線に出られてスピードをあげられましたね。どうかされましたか?」。 母は「でしょ? でしょ?  私、ちゃんと制限速度を守って、というより、渋滞気味だったので かなり遅いスピードで走っていましたよね?」と急に味方を得たような気になったらしい。 調子に乗って「助手席の夫がですねぇ・・・」と言っている内に 次第に怒りも込み上げてきて、「夫の言うことなんか、聞かなきゃ良かったです。ゴールド免許だったのに・・・。あんな夫、別れようかしら?」とまで口走ったらしい。

警察官の方は慌てて「まぁ、そうおっしゃらずに」と取りなしてはくださったが、見逃したり 点数や反則金が少なめになるはずもなく・・・。それでも、事務手続きが済んで覆面パトを降りる時に「ご主人と別れないであげてください」ともう一度頼まれたそうだ。(警察官の方、優しいなぁ)

母だって頭では分かっているのだろう。「誰がなんと言おうと、一旦ハンドルを握ったら全て運転手の責任」ってことは。でも、「お父さんがあんなことさえ言わなければ・・・」と八つ当たりをしている。ゴールド免許がなくなるのも (それに伴って 任意保険料があがり、更には免許更新時の料金や講習時間が増えるのも) 残念だったのだろう。父は「だから、父さんが運転しようかと・・・」と言いかけて、母の方をちらりと見て口ごもった。(お父さん、今言うと火に油を注ぐわ。辛抱してねぇ)

 

母はそれだけ話したら気が済んだらしく、後はケロッとして、「『運転手さん』って呼びかけられるのは新鮮な響きね」と言う。仕事も既婚・独身も関係なく一人の人としての呼び名のように思えるらしい。『○さんの奥さん』『○ちゃんのお母さん』『○ちゃんのおばあちゃん』でもなく、独立した『運転手』さん。大きな事故に至らなくて何よりでした。

 

「で、ごめんなさいは?」と 女子高生は尋ねた

先日 久し振りに実家を訪れ リビングで談笑している時、突然 父のスマホが鳴った。

父はちらりと画面を見た後、知らんぷりしている。「お父さん、電話に出ないの?」と尋ねると、「友達や親戚は登録してあるから名前が表示される。こんな知らん番号には出ん」と答える。暫くすると切れた。その後に留守電が入ったという通知が届いたが、父は相変わらず 気に留める風もない。

 

後期高齢者 (父) を含む 二人暮らしの情報はどこかで漏れているのだろう。これまでも 怪しげな電話は自宅電話にもよくかかってきたらしく、父は用心しているのだろう。 

昔は 子ども達の元気な声で溢れていたこの界隈も、今では住民達が自ら「年金通り」と呼ぶほど 高齢者のみの世帯が増えた。 この状況を案じてか、交番のお巡りさんが定期的に回覧板で注意喚起もしてくださるとのこと。 それによると、『詐欺に遭わないための 1 番良い方法は電話に出ないこと』らしい。最初に聞いた時はギャグかと思ったけれど、やましいことをする人は証拠が残るのを嫌がるから、留守電が応答すれば メッセージを残さずにすぐに切るというのも一理ある。なるほど。(お勧め通り、実家の電話はいつも留守電になっている)

 

「今更だけど、スマホは ホントに良いよ」と両親が口々に話す。用事がある人は、父・母のそれぞれのスマホにかけてくるので、呼びに行く手間もないし、登録していれば発信者が誰かも分かるし、高齢者特典で全国どこにかけても通話無料だし、ネットのギガ数も使い切れないほどあるし・・・と携帯会社の回し者かと思うほど スマホの便利さを強調する二人。(確かに もう自宅電話は必要ないかもねぇ)

 

そう話しながら、母は さっき父のスマホに表示された番号を 自分のスマホで検索している。「放っておいたらいい」と父は言うけど、母は好奇心が強い。『この人は誰? 詐欺の人? それとも本当に大事な用がある人?』の いずれなのかを知りたいらしい。今までの経験によると、番号検索した結果は「詐欺電話」というのが 1 番多かったとのこと。

 

「あらぁ、これ、警察の電話番号だわ」と母が言う。しかも新幹線で何時間もかかるような遠方の警察署。「お父さん、何かした?」と母は尋ねる。「いや、何も。 母さんこそ、どんな悪事を働いた?」と父。 そう言いつつも 二人は「自分は何か悪いことをしたかなぁ。どれがバレた?」と記憶の糸をたぐっているに違いない。大きな犯罪には手を染めないけれど、警察からの電話となると『ちょっとだけ』何かをしたかもしれないと思ってしまう小心者で善良な(多分)  小市民だ。(もしも 4630 万円がウチに間違って振り込まれたのなら すぐに返金するから 町役場の人もあんなに苦労しなくて良かったのにね)

 

留守電も入っているのに、父は「聞かなくていいよ」と言う。けれど、母は「警察からなら、何か大事な用事かも知れないよ」と気になる様子。

電話をかけてこられた警察署の 隣の県には たまたま 父の兄夫婦 ( 70 代後半) が住んでいることもあり、「もしや・・・」という想像に拍車をかける。「こちらの ささやかな?悪事が見つかった」というよりは、「身内 (父の兄夫婦) が大事故を起こした、或いは、認知症で遠出をして保護された」とか「落とし物」とか「クレジットカードが不正に使われた」等ではないかと心配になったりもする。実家の両親が住んでいる場所からは遠方過ぎるので、テレビドラマのような「捜査に協力して欲しい」とか「犯罪の被疑者なので出頭要請」という可能性は低いだろう。

 

母に催促されて 渋々、父が留守電を聞く。「『折り返し電話ください』だって。名前も言ってるが聞き取れん」「それだけ?」と私達。留守電を皆で聴き直してみたけれど、父が言うように かけてきた人 (警察官?) の声が小さくて名前が聞き取れない。「そうだ!この警察署を管轄する県警本部の番号を調べて、問い合わせてみようよ」と母。心配というよりは真相を知りたい方が勝って うずうずしている様だ。

県警本部に電話をかけ 事情を述べると、「その番号は間違いなくこちらの県の警察署の番号です。すっきりされたいでしょうから 安心して折り返しの電話をかけてみてください」とのこと。

 

ここまで来ると 父も観念して さきほどスマホに表示された警察署の番号に電話する。スピーカーモードにして 皆で息を潜めて聞く。「あなたのお名前と携帯番号は?」「いつ頃、その電話はかかりましたか?」「留守電に残した警察官の名前は?」等と尋ねられる。「ちょっとお待ちください」とその都度、何度か待たされ、結局「誰がかけたんでしょうね? 何だったんでしょうね?」とこちらに尋ねられる始末。 そう仰られても・・・こちらは知らんて。元々そちらがかけて来られたのですもん。聞きながら 一同、次第に疲れて面倒臭くなってくる。

 

で、警察署の結論は・・・「間違い電話だったんでしょう」って。お~い。間違い電話だったんか~い? その前の 県警本部の人は「すっきりされたいでしょうから」と言われたけれど、もやもやさせたのは どっちやねん?

 

それまで静かに成り行きを見守っていた 小焼けが ボソッと言った。「で、警察の人は『ごめんなさい』って言ったっけ?」。 「そういえば、謝らなかったなぁ」と父。こんなに皆で振り回されたのにね。 (野次馬半分だけど) 

思えば、小焼けは幼児の頃から ひいおばあちゃんに、「ごめんなさい」と「ありがとう」を叩き込まれていたのだった。恐るべし『三つ子の魂百まで』なり。

 

知恵と工夫を友として(『アンパンマンのマーチ』風味)

退院してからというもの、私の頭の中は常に「食べること」でいっぱいになっている。まあ、元々、手術に関係なく「食べ物」が脳の半分を占めていたような気もするけれど、それに「真剣さ」が加わったように思える。

というのも、一度耳にした言葉が頭から離れないのだ。その言葉は ある日 たまたま TV から聞こえてきた。「胃癌の術後生存率はⅠ期なら 95 % と言われています。生存率が 95 %ということは、癌そのものが原因で亡くなる人は 5 %のように思えますが、実は更に 20 %の人が癌の再発ではなく、栄養失調で亡くなっているのです」という内容だったと記憶している。

「癌は再発していないのに、栄養失調で亡くなる」という インパクトのある言葉が 妙に脳裏に残ってしまった。

 

調べてみると、【主治医からは「癌の転移・再発は見つからない」と繰り返し言われているが、体重がどんどん減り、体力もなくなって動けなくなった患者さん。病院に運び込まれた時には栄養失調で極度の貧血状態であった】との記述もある。「胃癌の手術後は痩せる」「体力が落ちる」とよく聞くので、次第 次第に栄養失調になっていることに 患者本人も家族も気付きにくいのかもしれない。

そのような訳で、食べることを「真剣に」考える日々となった。退院の時に 栄養士さんから日々の食事についてのプリントをいただき、栄養指導も受けた。帰宅後には、胃を切った人のための本を 2 冊買った。その内の1冊は レシピが 300 種類も載っており「退院後すぐから1か月の食事」「退院後1か月から3か月の食事」「退院後3か月からの食事」と細やかで、更には日々の生活の注意点なども書かれている。もう1冊は作り置きできるものや 市販のものを上手に取り入れて手早くできるレシピ。どちらも具体的で分かりやすい。

 

胃に負担のかからない料理を作り、食事は少量ずつ、5 回~6 回に分けて食べる。それでもダンピング症候群(倦怠感、冷や汗というよりは脂汗、動悸、息苦しさ、めまい、腹痛、吐き気など)が現われる時がある。これが結構辛い。ダンピング症候群には前期と後期があり(大学入試か?!)、食後 30 分以内が「前期」、食後 2~3 時間後が「後期」と呼ばれるらしい。後期が現われるかもしれない不安があると 外出もおちおちできない。こんなことが続くと、いっそ何も食べない方が楽だとさえ思える。空腹感は常にゼロなので、数日間食べなくても平気そう。いやいや、それではダメ。意識して きちんと食事を摂らないと栄養失調になる、と自分に活を入れる。

 

「一口につき 30 回噛むように」とも言われている。30 回! 真面目 (? !) な性格ゆえ、律儀に 30 回噛む。顎の筋肉が鍛えられて、最近 小顔になったように思える。「気のせいかも?」と思い、洗面台の大きな鏡の前に行き、顔の角度を変えて右から眺めたり、左から眺めたりする。意味もなく微笑んでみたりもする。結論・・・気のせいであった。

 

厄介なことに、脳が美味しかった食べ物のこと  (味や香りなど) を記憶しているようだ。それなのに、もうほとんど無くなってしまった胃には ほんの僅かしか入らない。脳と胃がせめぎ合いをする。ダンピング症状を減すためにも、現状を認識するように 脳を納得させるしかない。

私の中の「てやんでぃ おじさん」と「それがなんぼのもんじゃい  おじさん」が顔を出す。「胃を切ったくらい、なんぼのもんじゃい」 「てやんでぃ、これしきのこと」 「無い袖は振れぬ。無い胃袋には入らぬ」 「ないものねだりはしない」などと叱咤激励する。 その内「よそ は よそ、うち は うち」と いささか場違いなものまで飛び出す。(これは、子どもが「みんなが持ってるから僕も欲しい」という時に 親が言うセリフよね? 子どもの言う「みんな」は大抵2人か3人だけど)

 

↓ 私の中の「てやんでぃ おじさん」と「それがなんぼのもんじゃい おじさん」はこちらです

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そう言えば、2 回目の手術・入院が間近に迫った頃、実家の両親が料亭に連れて行ってくれた。そう頻繁にではないけれど、家族の人生の節目のお祝い事の時には皆で訪れる、落ち着いた雰囲気の料亭。器といい お料理といい、それはそれは見事に美しく、美味しい。長年培われてきたプロの技が光る。幸せな気分になる。

「夕暮れは、本当に嬉しそうに 美味しそうに食事をするねぇ」と母が笑いながら言う。ふと見ると涙ぐんでいる。この食いしん坊の娘が 手術の後はもうコース料理は口にできなくなる・・・と不憫に思ったのだろうか。ごめんね、母さん、心配ばかりかけて。そして、ありがとう。

 

退院後の ある日、新聞を見ていた娘 (小焼け) が「ねぇ お母さん、これ良いんじゃない?」と呼ぶ。載っていたのはカトラリーバサミ。商品紹介文によると「自分で好きなサイズにカットして食事ができる」 「座った状態で食器に入っている料理を切りやすいように上から鋏が入れられる」 「独特の角度に曲げられているので 持ちやすくて切りやすい」「刃先が浮き上がっているので、テーブルの上に置いていても清潔」「オールステンレスで分解して洗うことができる」「小ぶりで軽く、持ち運べるようにケース付き」などとある。

おおおお! いいねぇ、いいねぇ。調理する前に 食材を食べやすい大きさに手早く切るのに便利そうだし、あまり細かくすると料理の美味しさを損なうものは、できあがった後に 一口大に綺麗に切ることもできるね。

「これ、母の日のプレゼントにするね」と小焼け。「嬉しいけど、値段が普通のカトラリーバサミの 5 倍くらいするみたいよ」と言うと、「いいの。お年玉貯金があるから。これからのお母さんは 知恵と工夫を友として暮らしていかなくちゃ」と『アンパンマンの マーチ』の歌詞のようなことを言う小焼け。太っ腹で慈愛に満ちている。誰に似たのかしら? 私? 

 

「ありがとうね」と言いながら、私の心は江戸時代に飛んで行く。入り口の障子が破れて 冷たい風が吹き込む おんぼろ長屋。「おっかさん、お粥ができたよ」と健気な娘。「いつも苦労をかけてすまないねぇ」と寝たきりのおっかさんの私。まだ年端もいかない娘が不憫だ。・・・ここで我に返る。手術前に 料亭で美味しいものをたらふく食べさせて貰ったじゃないの。なんだ この妄想は。ふふふ、ま、ええ。頭の中は自由よ。

 

「胃がなくなれば胃酸も出ないということで、つまりは食物中の細菌や微生物の繁殖を防げたり、殺菌作用がなくなるということです。今までは何ともなかったものも、術後は食あたりする可能性もあるので、鮮度に気を付けてください」と書かれたものもある。

食材や料理をなるべく新鮮な状態で保存するにはどうしたら良いかと考え、探してみると真空容器があった。商品説明によると「腐敗の原因となる酸素をシャットアウトし、料理のおいしさや鮮度が長持ち。使い方は簡単、真空にするにはこのボタンを押すだけ! 自動ストップ機能付で、誰でも簡単に真空保存ができます」とある。密閉袋に入れて冷蔵保存しておくよりは、容器内の空気を抜いて真空状態で保存する方が より新鮮なまま長く保存できるのね。なるほど。

幾つかの真空容器を比較検討し、真空状態をしっかり作れて 使い勝手も良さそうなものを購入してみる。四角の大きな容器と ひとまわり小さな容器が各2個、丸くて深い容器が3個の合計7点セットに 真空にする器具が1個。早速使ってみると なかなか良い。数日経っても 野菜は新鮮でシャキッとしているし、イチゴも瑞々しい(ヘタも青々としている)

 

『小焼けがプレゼントしてくれたカトラリーバサミと この真空容器があれば、外食しても食べきれなかったものは持って帰れるかな ? そうなれば諦めていた外食もまたできるようになるかも』と思ったけれど、それは客としてマナー違反だろう。許可を求めたところで、たぶん「食中毒が心配なのでご遠慮ください」と言われる可能性大なり。でも 行きつけ (顔なじみ) の個人経営のお店なら 訳を言ってお願いすれば大丈夫かなぁ・・・。少し希望がわいてくる。持って帰れないとしても、綺麗にカットして、同席の家族に食べて貰うことはできる。購入に際してネット検索をしてみると、『スイーツでも 切り口が綺麗なので、インスタ映えする』とのコメントもあった。私はインスタは してないけれど そういう使い方もあるのねぇ。

 

世界に目を向ければ、理不尽で酷い状況が続いており、日本にも悲しい事件・事故の報道がある。それなのに、いかに効率良く栄養と水分を摂るかを 四六時中考えて暮らしていては申し訳ない思いもする 今日この頃の私。

 

★ 末尾になりましたが・・・DMやコメント(非公開)で、ご家族やお友達の経験談をお話してくださった皆様へ。

ご親切に ありがとうございました。「この経験が夕暮れさんに当てはまるものかどうかも分からず、軽々しくは言えないし、かえって無神経なことをするようになるのではないかしら・・・」と案じてくださり、長い間、送るのをためらわれていたとのこと。そこまでの お心遣いをいただいて感謝の気持ちでいっぱいです。

術後は大変な思いをなさった お身内や知人の方達が、年月の経過と共に QOL が向上されているご様子に 私も元気をたくさんいただきました。「日にち薬」を信じて一歩一歩進んで行こうと思います。お気持ち、温かく心に響きました。心よりお礼申し上げます。

 

 

素直な瞳が眩しかった日

郵便局へ行った。用事を済ませて帰る時、目の前の歩行者専用道路に通行人がいなければ、駐車場出口を左折すればすぐに大通り (車道) に出られる。出口で左右の確認をしていると、旗を持った女性の姿が見えた。その後ろをランドセルを背負った子ども達が続いている。小学校に入学したばかりの人達のようだ。小さな身体に大きなランドセル姿が微笑ましい。通学に慣れるまでは、地区ごとに決められた場所 (そこで保護者が待っている?) まで先生が引率なさるのだろう。

 

私の車が停まっているのに気付いた子が、さっと手を上げてお辞儀をしてくれる。次の子も同じように手を上げてお辞儀・・・。挙げた手がまっすぐに伸びている。初々しいなぁ。私も一人ずつにお辞儀を返す。中には手を振ってくれる子もいて、私も手を振り返しながら、自然と笑みがこぼれる。可愛い! 道路の渡り方など、先生や 親御さんや 交通教室で警察官の方から教わったのかな?  車を見ると ちゃんと手を上げて通行しているのね。一生懸命さが伝わってくる。

 

それにしても、このグループは人数が多い。10 人は遥かに越えているようだ。一人一人の仕草が何とも愛らしい。確かに愛らしいんだけれど、おばちゃんはね、今、術後のダンピング症状が出て苦しいんですわ。さっきから急に腹痛と脂汗と吐き気が襲ってきて、一刻も早く帰宅したいの。立ち止まって挨拶してくれるのも嬉しいけれど、小走りに通過してくれるともっと嬉しいよ。

そして、反省する。身体が健やかであれば、心にも ゆとりがあって こんなこと思わないだろうし、せっかくの子ども達の気持ちをそのまま嬉しく受け取れるだろう。(← あくまで私個人のことです。健康を損なわれていても 心が健やかな方はたくさんいらっしゃるでしょう) ダンピング症状が出ないように日々頑張ってはいるけれど、まだまだかも。小学 1 年生の素直な瞳が眩しかった。

 

『病院のルームメイトだった T さんや R さんは、退院後どのように過ごされているかしら?』と思う。

Tさんは抗がん剤治療が辛いとおっしゃっていた。「抗がん剤治療って一口に言っても、いろんなパターンがあって、私の場合は髪の毛は全く抜けなかったけど、手足のしびれがひどくてね、手にしている感覚が無いから 食器を何枚割ったか数え切れないほどなのよ」とも言われていた。「大酒呑みの私がもうバーボンはやめて、代わりにお菓子を食べるようになったしね。お菓子代がすごくかかる」と笑いながら付け加えられた。T さんも頑張っていらっしゃることだろう。

 

(時間を遡って、ここから入院中の話に戻ります)。 もう一人のルームメイトの R さんも明るく会話をなさる方で、すぐに親しくなった。R   さんは 持参されたシルクの華やかなパジャマとガウンを身にまとわれたお洒落なお方でもあった。入院中は レンタルの病衣だと洗濯の心配もなくて重宝なので、殆どの人がレンタル パジャマだ。その中にあって、R さんのお姿は際立っていた。体調が優れない時は 着慣れたものが 1 番落ち着くから、R さんにしてみればシルクが普段から着慣れたものだったのだろう。

 

手術後 数日すると、日中は R さんのベッドから、カチャカチャという 静かだけれどスピーディでリズミカルにキーボードを打つ音が聞こえ始めた。これまでも ずっと頑張って仕事をしてこられたのだろう。入院中もお疲れさまです。職場で溌剌と過ごされている様子が目に浮かぶ。

こんなカッコいい R さんなのに、夜になるとあらまぁ、ジェット機が飛び立つような爆音のイビキをかかれる。私は R さんの昼間とのギャップに萌えそうになる。

R さんはご自分のことをご存じのようで「私、大イビキをかいていません? ご迷惑かけていません?」とマスク越しに小さな声で心配そうに尋ねられる。その様子が愛らしい。善いお人だ。「いいえ、全然。私もぐっすり眠っていますし、どうぞお気遣いなく」と私は答える。「はい、やっかましくて たまりませんぜぃ」とは言わない。イビキは 眠っている当のご本人が 努力で止めることはできないもの。「本人が努力しても 叶わないこと・どうしようもないことを責めてはいけません」と亡くなった祖母が言っていた。

 

夜になると ( R さんのイビキで)「はぁ、眠れないねぇ」と独り言を呟いたり、トイレに行ったり、冷蔵庫を開けて飲み物を飲まれているご様子だった T さんは金曜日に退院なさった。残りのベッドは 月曜までは新たに入院される方がいないので 空いている。R さんと二人きりになった夜、私は眠るのを諦めて音楽を聴く。数百曲は入っているから朝までだって大丈夫。あずきさんの子守歌は何度聴いても優しく包み込まれる。丁稚くんのオリジナル曲は楽しい上に言葉のセンスがきらりと光る。ドボルザークの 8 番は元気が出る。三日月さんのインストは繊細で美しい。音楽はいいね。

 

そうだ、ベッドの頭上のライトをつけて、音楽を聴きながら本も読もう。お向かいのベッドの T さんは退院されたので カーテン越しに漏れる明かりの眩しさには気を遣わなくても良いよね? イビキが聞こえている間は R さんは眠ってらっしゃるということだから、大丈夫よね?と自分に言い聞かせる。

突然、R さんのイビキが止まる。あら?私の明かりで起こしちゃった? それとも無呼吸?と逆に心配になる。暫くしてイビキが再開すると、「あっ、ちゃんと呼吸されてる」と ほっとする。

完全に寝そびれた。(ま、ええ。私は明日も入院中の身、急いでしなくちゃいけない仕事もない)。本も一区切りついたところで、冷蔵庫にヤクルトを入れていたのを思い出す。そういえば、昼食についていたビスケットも食べきれずにおいてあった。

深夜の 3 時。ベッドに腰かけ、薄暗くしたライトの下で 背中を丸めて ビスケットをかじり、ヤクルトを飲む。俯瞰すると、私の姿の方が恐ろしげだ。

 

入院生活も過ぎてみれば、どれもこれも懐かしい思い出話になる。

そういえば・・・実家の母が、「『シルクなのにお値段が手頃』と思って買ったら、それはシルクサテンで、取り扱いが面倒だった」とこぼしていたのを思い出す。今でも R さんのことが好きだけど、R さんのパジャマとガウンが、『限りなくシルクに近いポリエステル』だったら、もっと好きになるよ・・・と思った。

 

 

お支払いは現金で? カードで? それとも・・・

手術の数日前、改めて術式の詳しい説明を受けた時に「時間はどのくらいかかりますか?」とお尋ねすると、先生は「普通は 5 時間~ 6 時間ですが、夕暮れさんの場合はもっと長く 8 時間くらいになるかも知れません」とおっしゃる。「8 時間!」と思わず繰り返すと、先生は「朝から晩まで…」と独り言のように言われた。心なしか 先生の目は遠くを見つめられているように思えた。いつも穏やかで落ち着いた口調の先生から出た言葉と様子に、私はギャップ萌えしそうだった。

「そうですね、8 時間といえば会社員が出社して退社するまでの時間ですものね。でも会社員は途中で昼食や休憩がとれるのに、執刀医の先生方は休むこと無く 8 時間ですからお疲れのことでしょう」と言うと「もっと長い手術もありますし、私達は慣れていますから」とのこと。プロって凄い。頼もしい。頭が下がる。

 

いよいよ手術日となった。入院中の私の担当看護師さんは就職して 3 年目の男性看護師さん。何ごとにも一生懸命で初々しく優しい人だ。彼が手術室まで車椅子を押して連れて行ってくださった。手術室が近づくと、ちょっとドキドキしてくる。「何だか怖くなってきましたよ」と言うと、「怖いですよね」と相槌が返ってくる。そんな会話を繰り返している内に手術室に到着。

ウィーンと自動ドアが開くと、あら びっくり。この病院では以前にも何回か大きな手術を受けたことがあるけれど、手術室が がらりと様変わりしている。部屋数も増えているようだ。無駄のない無機質な感じがスタイリッシュにすら思える。さっきまでは怖がっていたのに、持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がり、「あちらの方はどうなっているのかしら?」等と首を回しながら思う。さすがに「ねぇねぇ、遠回りして行きません?」とも言えないのが残念だ。

 

手術室の手前に準備室があり、ここで麻酔・心電図・血圧計・パルスオキシメーターなど準備されるようだ。幅が狭く、高さの高いベッドに横たわる。『 T さんが泣き叫んだとおっしゃったのは多分こういう準備室ね』と思う。看護師の彼とはここでお別れ。娘の小焼けよりは少し年上の、まるで息子のような若いけれど頼もしい彼の姿が見えなくなると急に心細くなる。 T さんのように泣きたくなったけれど、涙が出ない。ドライアイかしら?

 

事前に「手術室(準備室)ではお好きな音楽を流すこともできますよ。どんなジャンルがお好みですか?」と問われ、「バイオリンの音色が好きです」と答えたけれど、「ジャンル」と言われれば、大まかに「クラシック」とか「ジャズ」とか言えば良かったかなぁ。バイオリン限定の音楽を準備されるのは大変かも・・・と今更ながら気付いた。ところが・・・なんと、バイオリンの曲が流れている。わぁ、ありがとうございます! ただ、音が小さくて曲名までは思い描けない。『このフレーズは? う~ん、なんだっけ?』などと考えている内に麻酔が効いたらしく眠ってしまったようだ。あっけなく手術は幕を開けた。

 

そして・・・目が覚めたら、もう集中治療室にいた。

ああ、ちゃんと意識が回復した。良かった。長時間の麻酔は「もしや そのまま目が覚めないのではないかしら?」という漠然とした不安を連れてくる。時間を尋ねると夕方をとっくに回っているらしかった。執刀医の先生がベッドサイドに来られて説明をしてくださる。全摘かもと言われていたけれど、何とか 1/4 は残してくださったようだ。より長く難しい手術になったでしょうに、感謝の言葉も見つからない。

先生が立ち去られた後、目だけキョロキョロと動かして見ると、集中治療室も新しくなっている。一人の空間がとても広い。看護師さんに「他にも患者さんはいらっしゃるのですか?」とお尋ねすると「今日は17名いらっしゃいます」とのこと。他の方達のベッドは視野に入って来ない。看護師さん以外の声も聞こえない。どういう作りになっているのかなぁ・・・。私のいるベッドは三方が壁に囲まれ、足元がロール カーテンになっていて、途中まで降りている。看護師さん達はそこをくぐって入って来られる。

今までと同じように、集中治療室の夜は長く辛い。スマホも本も持ち込みができないので、ひたすら時間が経過するのを待つ。身動きはできないけれど、頭の中は自由だ。楽しかったこと、思わず大笑いしたこと、入院・手術に際してツイッターやブログ友達から かけてもらった言葉の数々など思い出してみる。心がほっこりとする。その隙間を縫うように失敗談が現われる。私はどんだけ恥ずかしい人生を送ってきたのか・・・。

 

翌日はもう一般病室に戻った。同室の T さんが ご自分のベッドのカーテンを開けて「がんばったね」と労ってくださった。前回の手術 (昨年秋) よりは身体に付けられている管が多い。腹部から出ているチューブを辿ってみるとその先には目盛りのついた四角いタンクがあった。この中に腹水を溜めて術後の出血がないか確認するとのこと。外から中の液体が見える。色は褐色。腹水ってこんな色なの? 後で先生に確認すると、出血していればもっと真っ赤になるらしい。へぇ~。初めての体験は驚くことが多い。

もうひとつのチューブは背中に繋がっているようだ。袋に入っているけれど、横腹に近い所にあるので 中は見える。こちらは風船を膨らませたような形をしている。痛み止めの麻薬とのこと。 えっ、麻薬?! 強烈な痛み止めになっているようだ。この麻薬は数日しか使えないとのことで、風船のような形をしていたものが次第に小さくなり、すっかりしぼむとすぐに取り外されてしまった。

 

「後は飲み薬の痛み止めがありますから、痛かったら遠慮無く言ってくださいね」と看護師さんに言われた。「はい、今のところ大丈夫です」と答えたものの、時間の経過と共に、痛みが強くなってきた。飲み薬を貰ったけれど効かない。なんとまあ痛いじゃ ありませんか。 

「どのような痛みですか?」と問われ「傷口そのものは痛くはないのですが、腹部全体が象に踏まれているような圧迫される痛みがあります」と答える。(象に踏まれたこともないのに、他に表現を思いつかなかった後で聞くところによると、このような痛みが現われる人はあまりいないらしい)。 術後には殆ど痛みがなくて、「こんなに快適でいいの?」と戸惑う程だったのは、麻薬が効いていただけなのか・・・。恐るべし麻薬。 「ヤクをくれー! ヤクを!」と叫びたくなる。

 

そんな日々の中にあって、持参した あずきさんや丁稚くんの弾き語り、ライブ録音、小焼けの弾くバイオリンの音色、毎日届く家族LINE、ツイッターやブログのお友達にかけていただいた数々の言葉が心を和らげ、エネルギーを送ってくれた。

ブログもツイッターもログインができなくて、コメントを書いたり いいねスターは押せなかったけれど、お友達のブログは拝読できた。ご自分のブログの中で「そこから空は見えていますか? 見えていればいいですね」と語りかけてくださった方がいらした。ご家族が入院された折りに「術後 随分経ってから窓際のベッドに移された時にはとても嬉しかった。たとえ切り取られた空であっても」とのこと。

更には「気晴らしにしてほしくて。春はこんな感じです」と美しい花々や愛らしい小鳥の写真を添えてくださっていた。嬉しい驚きと共に、温かいお気持ちに胸がいっぱいになる。

「はい!私は明るい窓際のベッドにいて、大きな窓から空が見えます!」と思わず心の中でお返事をし、それからというもの、朝 目が覚めると「今日の空はまだまだ寒そうですよ」とか「今日は春らしい色の空になりそうですよ」と、心の中でご挨拶するのが習慣になった。

 

退院が延期になるようなことも あれこれ起こったけれど、次第に痛みも和らぎ、身体に付いていた点滴や管も全て取れた時の開放感。食事が一度にとれないことの大変さを除けば、スタスタと歩けることのありがたさ。ベッドの中でどちらを向いて寝ても大丈夫。 本も読み放題。 音楽も聴き放題。いいねぇ、いいねぇ。

 

そうなると、またいろんなことが脳裏に浮かぶ。昔、実家の父が「地下鉄はどこから入れたのでしょうね?」というお笑いネタを言っていたことを思い出し、『そういえば、私の切除した胃はどこから出されたの?』という疑問が湧いてきた。

腹腔鏡による手術のお陰で、1 ㎝にも満たない傷は幾つかはある。ここからは出せないよねぇ? 口から? でも、全身麻酔をすると自力での呼吸ができなくなる為、金属製の器械を口の中に入れ、人工呼吸器をつけているはず。その呼吸器を外して、胃を取り出すことはできないよね?

後日、先生にお尋ねすると、「おへその下を少し大きめに切ってそこから出しましたよ」とのこと。ああ、それで腹部に大きくて厚いガーゼが貼られていたのね。口の中から胃が出てくる様子を想像して怖くなった自分の あんぽんたんさに照れる。そして、『このことは誰にも言わんとこ・・・』と思った。

 

退院も間近になる頃には、もうすっかり元気になった。術後すぐは電動ベッドの力を借りて、かなりの角度を付けてからでないと、自力ではベッドから起き上がれなかったけれど、もうベッドはフラットのまま すぐに起き上がれる。嬉しい。それにしても、病院のこのベッドはなかなかの優れもので、細かな角度がつけられる。

そういえば、あずきさんが『傾斜』という歌を弾き語りされていたことがあった。『傾斜 10 度の坂道を腰の曲がった老婆が少しずつ登って行く』という歌詞で始まっていた。『日々の生活の中で、傾斜 10 度を体感することはないなぁ』と思い、このベッドで試してみようと思った。リモコンのスイッチを 10 度になるまで押す。おお! これが 10 度。ベッドから降りて横から眺めて見る。予想よりは角度がある。

そして、これが長い坂道となると かなりしんどいのかも・・・。そう思うと登ってみたくなる。でも、病院のベッドの角度を 10 度にしてそこを登る実験をするには、私はおとなに なり過ぎてしまった。よろめいてベッドから転がり落ちたらあまりに恥ずかしい。登ってみたかったけれど、ぐっと我慢をする。おとなってつまんないね。

 

いよいよ退院の日、会計窓口で支払いが済めば帰宅の途につける。家族は病棟には入れないので、1 階で実家の母が待っていた。駐車場に停めた車の中には 春休み中の娘の小焼けが待っているとのこと。

会計窓口の方が計算書を手渡しながら、「お支払いはすぐ横の器械でお願いします。現金なら隣の○○番窓口でも支払えます」と言われる。入院費の明細に目をやると、はい? たくさんの数字が並んでいる。我が家の家計簿では とんとお目にかかったことがない桁数だ。心の中で「いち、じゅう、ひゃく・・・」と数えてみる。7 桁もある。ここから健康保険で負担して貰える金額を引いたものが別の欄に書かれているので、実際に支払う金額の桁数はかなり減っている。

「お支払いはカードでいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」とのこと。 その後に「木の葉でもいいですか?」と問いたかったけれど、我慢した。

 

帰宅途中に車を停めて、桜を眺めた。「あと何回、こうして皆で桜が見られるかしらねぇ」と まだ元気だった頃の祖母がぽつんと言ったことがあった。桜は季節が巡り来るたびに、命を数えるような気がするのは何故だろう。

 

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