咳をしても一人

夜 一息つける時間に「ブログを書こうかな?」と思いつつ、 1 日の疲れが押し寄せて「今晩はひとまず寝よう」となる。結果として 前回から かなりの時が空いてしまうという このテイタラク。そのせいで、いざ書こうとすると記憶が曖昧で、「う~ん、なんだっけかな?」となる。どなたのお役にも立たない私のグダグダ備忘録。困ったもんです。

 

★久しぶりに実家に立ち寄ると、庭の金木犀の香りが甘く優しく包み込んでくれる。遥か昔に 祖母が植えたという金木犀。祖母の姿はもうここ地上にはないけれど、この木はずっと命を保って、季節が巡り来る度にこうして香りを楽しませてくれる。

近所を散歩する。四季折々の花々を綺麗に手入れされていたお宅の傍を通ると、ひっそりとして人の気配がない。母に尋ねると「奥さんが施設に入られた」とのこと。歳月の流れが切ない。

 

★三ヶ月に一度、歯科にメンテナンスに通っている。今回は小さな虫歯があるとのことで、治療して貰う。歯を削る時のグイーンという音は嫌だ。身を固くして耐える。突然 先生が「あっ!」と小さく叫ばれたら(えっ! 手が滑ったの?)もっと嫌だ、と思ったけれど、そんなこともなく無事終了。めでたい。

 

★暑い、暑いと言い続けていたのに、朝夕はさすがに涼しくなって 夜も更ける頃には一枚羽織るほど。ベッドシーツや掛け布団カバーをフカフカ モフモフのものに交換する。娘 (小焼け) が遠方に行ってしまったので、自分用だけの交換はすぐに完了する。ちょっと寂しい。

 

★アイスクリームが冷凍庫の中をかなり占領している。小焼けが夏休みに帰省するのに合わせて、いろいろな種類のものを買っておいたのに、部活や自動車教習所通いが忙しいからと、こちらには数日しかいなくて こんなに余ってしまった。ひとつ食べる。さぶっ。(もっと寒くなった時期に 暖房をアツアツにつけた部屋で食べると美味しいかも)

 

★カボチャを切ろうとして、指まで切ってしまった。傷は全然たいしたことはない。出血もすぐに止まるだろう。救急テープも自分で貼れる。でも、家族がいる時は「あっ、切った!」と言うと「わっ、大丈夫?」と飛んできて バンドエイドを貼ってくれた。

そういえば、「ねぇ、○○ 割る△△はいくら?」と声をかけると、すぐに誰かが「◇◇」と応えてくれた(電卓はすぐ側にあるし、自分で計算くらいはできるけれど)。また 家電の調子が悪い時は「壊れた~」と言うと 取扱説明書の必要な箇所を読み聞かせしてくれた(自分で調べるのって面倒だもの)。「こうして家族に甘えた暮らしが好きだったんだ…。私」と思い至る。

 

★以前、突然 手の指が ぐにゃりと変な方向へ勝手に曲がり、それから反対の手の指、脚へと激痛と共に移動して行ったことがある。な、なに? これ? 怖い! ドクターに相談すると、持病からきているものらしい。命に関わりはしないと言われ薬を貰ったけれど、治まるまでの激痛が耐えがたい。

先日、入浴中に脚がこんな状態になった。立ち上がろうとしても 痛みで膝を立てることすらできない。もう一方の脚を軸にしてみようとしたけれど、両脚ともダメだ。腕の力だけでは 到底無理。え~!このまま、いつまで? 湯船に入ったままで身動きできない。家族がいれば、大声で呼べば来てくれるだろうし、いつまでも浴室から出てこなければ不審に思って様子を見にきてくれるだろう。一人暮らしっていろんなところに恐怖が潜んでいる。

 

★「咳をしても一人」と詠んだ俳人は尾崎放哉だったかな? なんだかこの言葉が身にしみる今日この頃。

良寛和尚のように「鉄鉢に明日の米あり夕涼み」と 人生を達観することもできない。私は明日のお米どころか、一ヶ月後のお米も心配よ。

エッセイストの大平一枝さんは かねてより「自分をなだめる方法を知っている人は強い」とおっしゃっているが、10月16日のNHKあさイチ」に出演されていた。40代の一人暮らしの女性の様子が流れた後の 大平さんの言葉が胸に響いた。『自分を手当するおにぎり』…なるほど、なるほど。「今日も自分で作ったもので自分を養えた」「自愛」「自分を手当する」…。なるほど、なるほど。明日は 私も炊きたてアツアツご飯でおにぎりを作ろう。具は何にしようかな? ううん、塩だけのシンプルなのも美味しいなぁ…。

さて、寝ます。今日も一日よく頑張りました( 1 日の終わりに自分を褒めるのが日課)。おやすみなさい

 

 

思い

(※9月3日に投稿したものに 書き加えていたら 長くなりましたので、 2 記事に分けて再投稿します)

 

浴室で目を閉じてシャンプーをしている最中、 不思議なことに 決まって脳裏に浮かんでくる人達がいる。親切で優しい人達だった。もう会うことも叶わない。今よりも もっと もっと未熟だった十代、二十代の自分の言動が ほろ苦い思いを共に連れてくる。「あんなこと言わなければ よかった」「こうすれば よかった」・・・うつむいて ゴシゴシと頭を洗いながら心の中で詫びる。私、死期が近いのかしらん?

 

小中高校では 2 学期が始まった。夏休みが終わる直前、TVのインタビューで「課題が まだ 8 個残っています」と答えていた高校生や「1日でできる自由研究 ありますか?」と 逆にレポーターに尋ねていた中学生がいた。 ん? 戸外でインタビューを受けているということは、期限ぎりぎりのカウントダウンが始まっているのに、この期に及んで、家で宿題を頑張ってはいないよね? お~い、大丈夫? かつての自分の姿に重なる。彼らは間に合ったかなぁ?

 

この時期になると、登校するのが しんどくて辛い思いをしている人達のことが心に浮かぶ。歌に出てくる南の島の王様の子ども達のように「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みで」という学校生活が送れたらいいだろうけれど、なかなかそうもいかないね。

情報端末を使い、小中高校生の精神状態を尋ねる「心の健康観察」が広がっているようだし、メディアも「ひとりで抱え込まないで。 相談できる所があります」と具体的に連絡先を知らせてもいる。 気持ちがつらい人達に届きますように・・・。

 

 思い出すことがある。 まだ私が中学生だった時、「夏休みが終わると転校生がくる」という噂が流れた。「校長室に入って行くとこを見た」とか「アイドルのように可愛い女の子だった」とか情報はあったが、一体誰が見たのか、噂の出所も わからず確かめようもなかった。

みんな ワクワクして その転校生を待った。しかし新学期が始まっても、その子は姿を見せなかった。先生に尋ねた者もいたが、明確な答えは得られなかった。

 

 1年経ち、2年経ち・・・私達は卒業式を迎えた。卒業証書授与の時にも、その子の名前が呼ばれることはなかった。学期半ばに ひっそりと転校してきて、1 日も登校することなく、ある時また ひっそりと転校して行ったのだろうか? あるいは、登校しないまま 卒業証書だけが自宅に届けられたのだろうか?

 

私達はその子のことを「幻の転校生」と呼んだ。そして 高校に進学し、いつしか 話題に上ることもなくなった。

「幻の転校生」は実在したのだろうか? もしそうであれば、私達と共に更に 30 年の歳月を重ねてきたはず。「アイドルのように可愛い女の子」と言われた彼女は、美しいおとなの女性になっているだろうか。今頃どこで、どんな暮らしをしているのだろう?

彼女が 日々の生活の中に 小さな幸せを見つけながら、心地良く過ごしていたらいいな・・・と思う。

 

 

CMに魅せられて

(※9月3日に投稿した記事に付け加えたいことがあり、長くなりましたので 前回の内容を 2 記事に分けて更新します)

 

★音楽友達の三日月さんが X に投稿されていた。大分むぎ焼酎を造っている二階堂のCM。素敵だなぁ。いつも TV 番組は録画し CMはスキップしている私は 初めて丁寧にCMを見た。ポルトガルギターマンドリンの音色、添えられる言葉が叙情溢れて美しい。言葉もこのように紡がれると 命を吹き込まれるようだ。

 

更に知りたくなって検索すると、二階堂酒造HPの「CM」というカテゴリーの中に「CM.  Library」があり、過去に放送されたCM(1987年から今年に至るまで)が、撮影された場所(私も訪れたことがある九州の風景。懐かしい)や 映像に添えられた言葉が載っていた。

30年以上もの間ずっと同じ監督さん (清水和郎さん、現在70代 ) が手がけられていて、ファンクラブまで存在するらしい。2021年には 二階堂のCMにまつわるドキュメンタリー映画『ここで生まれて ここにいる』も制作されている。すごいなぁ。検索の手が止まらない。クリック、クリック・・・。

音楽は「マリオネット」という男性二人組(湯淺 隆さんと吉田 剛士さん)。Wikipediaによると【日本のポルトガルギターマンドリンによるアコースティック・オリジナルインストゥルメンタルを中心とした二人組音楽グループ】とある。「ポルトガル ギターってファドにも使われる楽器かしら?」と更に知りたくなって またまた検索。ワクワクする。楽しい。

 

☆ ↓ 2023年「夜の向こうへ」篇

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【街をほのかに照らし、

いつしか、

風と共に消えていく。

 

果たせない約束と、

悲しみの抜け殻を乗せて。

 

月はいつも、

ポケットの中で輝いていました。

 

(あの人も、同じ夢を見ているだろうか。)

むぎ100パーセント

大分むぎ焼酎 二階堂

 

 

☆ ↓ 2015年「孤独の風」篇

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【なぜこの道を歩いてきたのか・・・

 

目を閉じて、見つめる。

立ち止まったまま、遠くへ旅立つ。

 

誰かのためではなく、

自分のためでもなく

 

何かひとつ、

あなたの心に残したい。

 

(完成もなければ、

後悔もない。

ただ、描き続ける。)

むぎ100パーセント

大分むぎ焼酎 二階堂

↑  CMに人物がはっきりと映っているのは、この「孤独の風」だけで、この方は当時 90 歳の実在の画家さんとのこと。CMで流れている音楽を全曲聴きたくなってYouTubeを検索すと、あった! ↓

 

 

★ ↓「孤独の風」の全曲

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こうして 今まで知らなかった世界を訪れることはとても楽しい。今回の X の三日月さんもそうだけれど、はてなブログを通して初めて知ることも多い。皆様が読まれた本、観られた映画、訪れられた場所、作られた料理、手芸品、美味しそうなカフェやレストランのご紹介・・・。いずれ私も試みようと「お楽しみノート」へ記録する。

また、日常の中で感じられたことや、心の内を綴られる「想い」には 共感したり、はっと気付かされたり、考え込んだり、思いを馳せたり・・・。

(小焼け) が遠方に行ってしまって寂しいでしょう?と案じてくれる人もいるけれど、こうしてひとりで機嫌良く楽しく過ごしています。皆々様ありがとう!

 

 

「で、それが何?」って話なんですけど

早いもので、7月ももう半ば。耐えがたい猛暑かと思うと、河川が氾濫しそうな程の豪雨に見舞われる。いずれにしても 外出をなるべく控えて家にじっとしている。ちっちゃい ちっちゃいエピソードが頭をよぎる。「で、それが何?」とセルフ  ツッコミを入れながら書き留めておこうかな?

 

★リビングのエアコンが突然作動しなくなった。昨日までは快適に動いていたのに、急になんで~? 見ると本体の「タイマーランプ」がオレンジ色に点滅している。リモコンボタンにうっかり触ってしまったかな?と、タイマー設定を確認するが直らない。取説をネット検索すると「本体のタイマーランプが 3 回点滅を繰り返すようなら修理が必要」とあった。室内外基板の故障らしい。部品はまだあるみたいだけれど、出張費も入れると結構なお値段だし、今回修理できても別の箇所が壊れる可能性もある。もう買い換えを検討した方が良さそう。

ふと、「10 年の長期保証に入っているので、保証期間内ならすべて無料だったはず」と思い当たる。(無料で修理できるなら ひとまず 使えるまでは使おう)。保証書を調べると、あ~、微妙に保証期間ぎりぎり。でも 私は知っていた。保証開始は購入した日ではなく、家に取り付けた日になることを。購入日から 取り付け工事日まで数日待った記憶がある。ふふふ。セーフかも。お店に電話して確認する。担当の方がカスタマー情報をチェックした後に申し訳なさそうに告げる。「お客様の保証期間は 3 日前に切れています」。「え~!!ホントですか?」と私は問う。「いえ、ウソです。明日までが保証期間内です」と担当の方が言ってくれないかな?と期待したけれど、そんなことはなかった。「保証期間が切れた途端に故障するんですよね」と優しく慰めてくださるが、臨時の高額出費のことが私の頭を駆け巡るドルマークの札に羽が生えてバタバタと飛んで行くイメージ)。切ない。しかし、エアコン無しで 酷暑は乗り越えられないだろう。新しいのを購入した。取り付け工事に来られるまでの 4 日間が猛暑日で辛かった。死ぬかと思った。工事の方達が正義の味方 ヒーローに思えた。

 

★TVの街頭インタビュー、「梅雨時期は洗濯物の室内干しが大変」という話で、年配の女性が質問に答えていた。「我が家には干す所がないんですよ」。すると若い男性レポーターがアドバイスをする。「突っ張り棒を活用されてはどうでしょう?便利ですよ」。女性が にこやかに言う。「それがねぇ、突っ張り棒が使えないんですよ」。レポーターは「簡単ですよ、部屋の壁と壁に渡すようにすれば良いだけですから」と親切に教える。申し訳なさそうに女性が告げる。「ごめんなさい。ウチ、どの部屋も広すぎて・・・突っ張り棒の長さが足りないの。生意気言ってごめんなさいねぇ」。・・・・・・レポーターが返事に詰まった。彼の「そんなにデッカイ家なんか~い?!」という心の声が聞こえそうだった。部屋に突っ張り棒を渡さなくても、彼女のお宅には性能のよい乾燥機がありそうだ。物腰の柔らかいエレガントな女性が本当に申し訳なさそうに答える姿が愛らしかった。

 

★母から「タウン誌にこんなのが載ってた」と LINEで写真が送られてきた。よく目立つ文字で大きく《産科始めました》とある。下の小さな説明文によると、今まで婦人科のみだった病院が、この度 新たに医師を迎えて 産科もスタートすることとなった、とのこと。それは良かった。地域の人達にとっては ありがたいね。

で、何気に隣の記事を見ると、同じく よく目立つ文字で大きく《冷やし中華始めました》とある。これって、偶然? タウン誌の広告は、枠のサイズで掲載料が異なるらしいので、たまたま同じ大きさのお知らせが二つ並んだだけかもしれないけれど。産科も冷やし中華もどちらも始まって、まずはめでたい。

 

★用事をしつつ、つけっぱなしにしていたテレビが ニュースの時間になったらしい。「娘が『首を拾った』と言ったのです」。 はい? なんですと? 日常生活の中で いったいどうすれば 落ちてる首に遭遇できるの?  小学生が学校帰りに「10 円拾った」と家族に言うのとは 次元が違うでしょう? 私のツッコミをよそに アナウンサーは淡々と原稿を読む(さすがプロだ)。昨年の札幌のあの事件の裁判で、被告の父親が証言している内容のようだった。「こんなことが、現実に起こりうるの?」と戦慄する事件だけれど、私の頭の中では不謹慎にも《首を拾った》《10 円拾った》が交互にリフレインする。

 

★外は雨。雨音を聞きながら、免許証の裏を眺める。「移植のための臓器提供もできなくなったなぁ」。度重なる手術で摘出してしまったり、不具合があるから、私の死後は もう どなたかのお役に立てそうにない。内臓が無いぞう~。残るはこの美貌だけ・・・山本リンダか?!)。わぁ、あちこちから座布団が飛んできた。冗談ですってば~。座布団投げないで!

ああ、もうダメ。いったい私は何を書き残したいの?「で、それが何?」って話ばかり。もう寝ます。おやすみなさい。

 

 

嬉しい驚き。ブログ記事が曲に!

前回(6月26日)の私の記事に、なんと!丁稚くんが曲をつけて、あずきさんとお二人で歌ってくださいました。

花江ちゃんと丁稚くんのエピソードを元に「人それぞれの日常があって、時には切なかったり辛かったりすることもあるけれど、同じ 1 日なら 楽しい方向へ転換して過ごせたら良いなぁ」という思いを書きたかったのです。

それ故、最後の文章は「ここからは余談だし、ちょっと恥ずかしいので書くのをためらったけれど」と前置きをせねばならないような、おめでたい自分の話でして・・・。そんな独り言の駄文にもかかわらず、丁稚くんが温かい眼差しで汲み取ってくださって、曲にまでしてくださいました。文字に命が吹き込まれて、生き生きと楽しげに動き出した思いがして感動しました。

 

あずきさんと丁稚くんには、音楽カテゴリーで出会いました。お目にかかったことはなく(インターネットを介し)音楽という共通の楽しみを持ったお友達として仲良くしていただいています。 優しく懐の深いお人柄や人生観などが 折に触れ伝わってきて、私の憧れのお二人です。遡ってみるともう 6 年も経っています。ハタチだった私は 26 歳になりました(おぃ)。

丁稚くんも あずきさんもお仕事はもとより、ご多忙な日々をお過ごしですし、あずきさんは最近体調を崩されていました。そんな中でこうして作り上げてくださった、お二人の温かいお気持ちに感謝しつつ、ご紹介させていただきます

 

youtu.be

 

 

だってその方が楽しいじゃない?

本日のNHK朝ドラ「虎に翼」。家裁の広報月間の一環でラジオに出ることになった主人公の寅子。「ねぇ、何を着て行くの?」と尋ねられ「特に何も考えてなかった。ラジオは声だけでしょう?」と答える寅子に「だめよ~。特別な日は着飾らなくちゃ~。だってその方が楽しいじゃない?」と女学校からの親友であり義姉でもある花江ちゃんは繕い物をしながら歌うがごとく言う。「そうね」と相槌を打つ寅子と共に、私もハタと膝を打つ(江戸時代のご隠居さんか?)。そうだ、その通り。「人にどう見られるか、見られたいか」じゃなくて、「自分が楽しい」。これよ、これ! あの時代の辛いことや気苦労が多い日々の中でも こうして花江ちゃんは生きてきたのだ。これからもきっとそうだろう。楽しさや幸せは人が与えてくれるものじゃなくて、自分が生み出すもの。

 

と、同時に「丁稚くん(←ここまでがアカウント名)」さんのことが心に浮かぶ。プロのイラストレーターであり、漫画家であり、ミュージシャンでもある「丁稚くん」はお母様(よしこさん)の介護もなさっている。記憶が定かではない日もおありの よしこさん。「丁稚くん」はお顔をメイクし、ジョーカーの格好をして よしこさんの部屋を訪れられる。ある日は「ご機嫌ジョーカー」、ある日は「戸惑いジョーカー」、またある日は「悲しみジョーカー」と テーマ毎にメイクも変わる手の込みよう。さすがだ。「元気か~い? 僕が誰だか わかるかい?」。問いかけに、よしこさんは とても良い笑顔で頷かれる日もあれば、怪訝な顔をなさる日もある。長い期間に わたって単身で介護なさる「丁稚くん」の心の内に思いを馳せつつも、こうしてお母様に関わられる姿に、「丁稚くん」ってすごいなぁと感嘆し頭が下がる。

 

↓ 「丁稚くん」のある日です。エックスより

Xユーザーの丁稚(でっち)くん-detchkunさん: 「本日のご機嫌ジョーカーよしこさんに逢いにゆく https://t.co/7GbkFm7jRX」 / X

 

↓ よしこさんと丁稚くんのある日です

yugure-suifuyou.hatenablog.com

(ここからは余談だし、ちょっと恥ずかしいので書くのをためらったけれど・・・)私は寝る前に楽しかったことを思い起こして眠りにつくことにしている。代わり映えしない日常にも ささやかな楽しみや幸せがあることに感謝。ついでに自分を褒める。例え失敗したことでも「よく頑張ったよ~」と褒める。人前で自分を褒めることは さすがに躊躇するが、心の中 (脳内?) で展開している限りは 誰も困らせは しないだろう。(ブログは備忘録のつもりで書いているので、結果として 褒めている時があるかも? お目汚しでごめんなさい)。人様から褒められる程のものではないけれど、気力と体力を振り絞ったことは自分が一番よく知っている。そんな時「偉かったねぇ。すごいじゃない?」と褒めそやす。おだてられた豚の私は木に登りっぱなし。地面から見上げる空よりは、そよぐ風を感じながら 木の上から眺める空の方が心地良い。たぶん。

 

噴水にたつ虹ほどの淡さにて・・・

長尾幹也さん(高校3年生の時に新聞の歌壇に初掲載されて以来、 50年に渡って 勤め人の葛藤や闘病の日々を短歌に詠まれ、今年 1 月28日に66歳で逝去なさった)の歌の一つが このところ ずっと私の心の片隅にある。

《噴水に たつ虹ほどの淡さにて 人の心に棲 (す) みたし死後は》

長尾さんご自身が綴られた言葉(新聞の地方版に連載されていたコラムの中で)「時折ふと懐かしんでもらえるような思い出を 何人かの心に残し、今生を終えられれば私は満足だ」も浮かんでくる。病や死と向き合う中での 長尾さんの静謐な心境が伝わってきて心打たれる。

 

私自身も思いもかけなかった病を得てからというもの、死が急に身近なものになった。生きとし生けるもの全ての行く先「死」は いずれ我が身にも訪れることは理解していても、それまでは 感覚的にはまだまだ遠い先のことだった。「天寿を全うする」とか「平均寿命」など関係なしにやってくる可能性だってある・・・こんな当たり前のことを改めて認識する。

「私はまだ死ねない。せめて、実家の両親を見送り(親より先に旅立つ不幸はしたくない)、(小焼け)が自立するのを見届けるまでは 断じて死ねない」とあがきもする。

 

長尾さんの歌に出合ってからというもの、「死後の私は 誰かにふと懐かしんでもらえるだろうか?」と思ってもみる。日頃の自分の言動を思い起こせば、静かに懐かしんでもらえるというよりは、思い出が笑いと共に浮かび上がるような気もする。どんだけ 粗忽者やねん。恥ずかしい。

ううん、笑われるだけならまだ良い。「自分が無意識に誰かを傷つけ ざらざらとした不快な思いを残しているのでは?」と思うと怖くもある。ごめんなさい。軽率で思慮が浅いばかりに 結果としてどなたかを傷つけたかもしれないけれど、意図して そうしたかったことは決してないのです。多分。・・・と、姿も見えない特定もできない誰かさんに謝ってみたりもする。

長尾さんの言葉、「時折ふと懐かしんでもらえるような思い出を 何人かの心に残し、今生を終えられれば私は満足だ」を反芻してみる。それにしても〈噴水に たつ虹ほどの淡さにて〉とは なんて長尾さんらしい繊細で謙虚で優しい表現だろう。感嘆する。

 

そして今度は逆に「自分の心の中に棲んでいて、時折ふと懐かしく浮かんでくる人達」のことに思いを馳せる。 次から次へと浮かんでくるあの方、この方。かけて貰った言葉が糧となり、優しさにも支えられた。中には数度しかお目にかかっていないのに、深く心に染み入る言葉をくださった方もいらっしゃる。今となっては もうこの世では言葉を交わすことができなくなってしまった人達も浮かんでくる。一人ひとりの仕草や語り口がよみがえる。いろんなことがあったけれど、こうして懐かしく思い出せる人達と関われたことは幸せだ。

実際の出会いの他に、書籍を通しての出合い、インターネットを介して (音楽やブログやエックスで) の繋がりもあった。今はブログをお休みされているあの方はどうしていらっしゃるかなぁ?と思いながら、過去記事を辿ってみたりする。自然や人に向けられる優しい眼差しが温かいものを運んでくれる。またお目にかかれればいいなぁと心待ちする。突然の病に倒れられた方が、時を経て再開された時の安堵と嬉しさもある。お帰りなさい。ご無理をなさらずにね、とPCのこちら側から呟く。訪問してみると「Blog not found」と表示されるブログもあり 寂しさがこみ上げてくる。いろいろご事情がおありでしょうけれど、どうぞお元気で過ごされていますように。

 

最初は、長尾さんから始まったことが、こうして話があちらこちらへと飛んでしまう。今日もまとまらない記事だった。