お支払いは現金で? カードで? それとも・・・

手術の数日前、改めて術式の詳しい説明を受けた時に「時間はどのくらいかかりますか?」とお尋ねすると、先生は「普通は 5 時間~ 6 時間ですが、夕暮れさんの場合はもっと長く 8 時間くらいになるかも知れません」とおっしゃる。「8 時間!」と思わず繰り返すと、先生は「朝から晩まで…」と独り言のように言われた。心なしか 先生の目は遠くを見つめられているように思えた。いつも穏やかで落ち着いた口調の先生から出た言葉と様子に、私はギャップ萌えしそうだった。

「そうですね、8 時間といえば会社員が出社して退社するまでの時間ですものね。でも会社員は途中で昼食や休憩がとれるのに、執刀医の先生方は休むこと無く 8 時間ですからお疲れのことでしょう」と言うと「もっと長い手術もありますし、私達は慣れていますから」とのこと。プロって凄い。頼もしい。頭が下がる。

 

いよいよ手術日となった。入院中の私の担当看護師さんは就職して 3 年目の男性看護師さん。何ごとにも一生懸命で初々しく優しい人だ。彼が手術室まで車椅子を押して連れて行ってくださった。手術室が近づくと、ちょっとドキドキしてくる。「何だか怖くなってきましたよ」と言うと、「怖いですよね」と相槌が返ってくる。そんな会話を繰り返している内に手術室に到着。

ウィーンと自動ドアが開くと、あら びっくり。この病院では以前にも何回か大きな手術を受けたことがあるけれど、手術室が がらりと様変わりしている。部屋数も増えているようだ。無駄のない無機質な感じがスタイリッシュにすら思える。さっきまでは怖がっていたのに、持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がり、「あちらの方はどうなっているのかしら?」等と首を回しながら思う。さすがに「ねぇねぇ、遠回りして行きません?」とも言えないのが残念だ。

 

手術室の手前に準備室があり、ここで麻酔・心電図・血圧計・パルスオキシメーターなど準備されるようだ。幅が狭く、高さの高いベッドに横たわる。『 T さんが泣き叫んだとおっしゃったのは多分こういう準備室ね』と思う。看護師の彼とはここでお別れ。娘の小焼けよりは少し年上の、まるで息子のような若いけれど頼もしい彼の姿が見えなくなると急に心細くなる。 T さんのように泣きたくなったけれど、涙が出ない。ドライアイかしら?

 

事前に「手術室(準備室)ではお好きな音楽を流すこともできますよ。どんなジャンルがお好みですか?」と問われ、「バイオリンの音色が好きです」と答えたけれど、「ジャンル」と言われれば、大まかに「クラシック」とか「ジャズ」とか言えば良かったかなぁ。バイオリン限定の音楽を準備されるのは大変かも・・・と今更ながら気付いた。ところが・・・なんと、バイオリンの曲が流れている。わぁ、ありがとうございます! ただ、音が小さくて曲名までは思い描けない。『このフレーズは? う~ん、なんだっけ?』などと考えている内に麻酔が効いたらしく眠ってしまったようだ。あっけなく手術は幕を開けた。

 

そして・・・目が覚めたら、もう集中治療室にいた。

ああ、ちゃんと意識が回復した。良かった。長時間の麻酔は「もしや そのまま目が覚めないのではないかしら?」という漠然とした不安を連れてくる。時間を尋ねると夕方をとっくに回っているらしかった。執刀医の先生がベッドサイドに来られて説明をしてくださる。全摘かもと言われていたけれど、何とか 1/4 は残してくださったようだ。より長く難しい手術になったでしょうに、感謝の言葉も見つからない。

先生が立ち去られた後、目だけキョロキョロと動かして見ると、集中治療室も新しくなっている。一人の空間がとても広い。看護師さんに「他にも患者さんはいらっしゃるのですか?」とお尋ねすると「今日は17名いらっしゃいます」とのこと。他の方達のベッドは視野に入って来ない。看護師さん以外の声も聞こえない。どういう作りになっているのかなぁ・・・。私のいるベッドは三方が壁に囲まれ、足元がロール カーテンになっていて、途中まで降りている。看護師さん達はそこをくぐって入って来られる。

今までと同じように、集中治療室の夜は長く辛い。スマホも本も持ち込みができないので、ひたすら時間が経過するのを待つ。身動きはできないけれど、頭の中は自由だ。楽しかったこと、思わず大笑いしたこと、入院・手術に際してツイッターやブログ友達から かけてもらった言葉の数々など思い出してみる。心がほっこりとする。その隙間を縫うように失敗談が現われる。私はどんだけ恥ずかしい人生を送ってきたのか・・・。

 

翌日はもう一般病室に戻った。同室の T さんが ご自分のベッドのカーテンを開けて「がんばったね」と労ってくださった。前回の手術 (昨年秋) よりは身体に付けられている管が多い。腹部から出ているチューブを辿ってみるとその先には目盛りのついた四角いタンクがあった。この中に腹水を溜めて術後の出血がないか確認するとのこと。外から中の液体が見える。色は褐色。腹水ってこんな色なの? 後で先生に確認すると、出血していればもっと真っ赤になるらしい。へぇ~。初めての体験は驚くことが多い。

もうひとつのチューブは背中に繋がっているようだ。袋に入っているけれど、横腹に近い所にあるので 中は見える。こちらは風船を膨らませたような形をしている。痛み止めの麻薬とのこと。 えっ、麻薬?! 強烈な痛み止めになっているようだ。この麻薬は数日しか使えないとのことで、風船のような形をしていたものが次第に小さくなり、すっかりしぼむとすぐに取り外されてしまった。

 

「後は飲み薬の痛み止めがありますから、痛かったら遠慮無く言ってくださいね」と看護師さんに言われた。「はい、今のところ大丈夫です」と答えたものの、時間の経過と共に、痛みが強くなってきた。飲み薬を貰ったけれど効かない。なんとまあ痛いじゃ ありませんか。 

「どのような痛みですか?」と問われ「傷口そのものは痛くはないのですが、腹部全体が象に踏まれているような圧迫される痛みがあります」と答える。(象に踏まれたこともないのに、他に表現を思いつかなかった後で聞くところによると、このような痛みが現われる人はあまりいないらしい)。 術後には殆ど痛みがなくて、「こんなに快適でいいの?」と戸惑う程だったのは、麻薬が効いていただけなのか・・・。恐るべし麻薬。 「ヤクをくれー! ヤクを!」と叫びたくなる。

 

そんな日々の中にあって、持参した あずきさんや丁稚くんの弾き語り、ライブ録音、小焼けの弾くバイオリンの音色、毎日届く家族LINE、ツイッターやブログのお友達にかけていただいた数々の言葉が心を和らげ、エネルギーを送ってくれた。

ブログもツイッターもログインができなくて、コメントを書いたり いいねスターは押せなかったけれど、お友達のブログは拝読できた。ご自分のブログの中で「そこから空は見えていますか? 見えていればいいですね」と語りかけてくださった方がいらした。ご家族が入院された折りに「術後 随分経ってから窓際のベッドに移された時にはとても嬉しかった。たとえ切り取られた空であっても」とのこと。

更には「気晴らしにしてほしくて。春はこんな感じです」と美しい花々や愛らしい小鳥の写真を添えてくださっていた。嬉しい驚きと共に、温かいお気持ちに胸がいっぱいになる。

「はい!私は明るい窓際のベッドにいて、大きな窓から空が見えます!」と思わず心の中でお返事をし、それからというもの、朝 目が覚めると「今日の空はまだまだ寒そうですよ」とか「今日は春らしい色の空になりそうですよ」と、心の中でご挨拶するのが習慣になった。

 

退院が延期になるようなことも あれこれ起こったけれど、次第に痛みも和らぎ、身体に付いていた点滴や管も全て取れた時の開放感。食事が一度にとれないことの大変さを除けば、スタスタと歩けることのありがたさ。ベッドの中でどちらを向いて寝ても大丈夫。 本も読み放題。 音楽も聴き放題。いいねぇ、いいねぇ。

 

そうなると、またいろんなことが脳裏に浮かぶ。昔、実家の父が「地下鉄はどこから入れたのでしょうね?」というお笑いネタを言っていたことを思い出し、『そういえば、私の切除した胃はどこから出されたの?』という疑問が湧いてきた。

腹腔鏡による手術のお陰で、1 ㎝にも満たない傷は幾つかはある。ここからは出せないよねぇ? 口から? でも、全身麻酔をすると自力での呼吸ができなくなる為、金属製の器械を口の中に入れ、人工呼吸器をつけているはず。その呼吸器を外して、胃を取り出すことはできないよね?

後日、先生にお尋ねすると、「おへその下を少し大きめに切ってそこから出しましたよ」とのこと。ああ、それで腹部に大きくて厚いガーゼが貼られていたのね。口の中から胃が出てくる様子を想像して怖くなった自分の あんぽんたんさに照れる。そして、『このことは誰にも言わんとこ・・・』と思った。

 

退院も間近になる頃には、もうすっかり元気になった。術後すぐは電動ベッドの力を借りて、かなりの角度を付けてからでないと、自力ではベッドから起き上がれなかったけれど、もうベッドはフラットのまま すぐに起き上がれる。嬉しい。それにしても、病院のこのベッドはなかなかの優れもので、細かな角度がつけられる。

そういえば、あずきさんが『傾斜』という歌を弾き語りされていたことがあった。『傾斜 10 度の坂道を腰の曲がった老婆が少しずつ登って行く』という歌詞で始まっていた。『日々の生活の中で、傾斜 10 度を体感することはないなぁ』と思い、このベッドで試してみようと思った。リモコンのスイッチを 10 度になるまで押す。おお! これが 10 度。ベッドから降りて横から眺めて見る。予想よりは角度がある。

そして、これが長い坂道となると かなりしんどいのかも・・・。そう思うと登ってみたくなる。でも、病院のベッドの角度を 10 度にしてそこを登る実験をするには、私はおとなに なり過ぎてしまった。よろめいてベッドから転がり落ちたらあまりに恥ずかしい。登ってみたかったけれど、ぐっと我慢をする。おとなってつまんないね。

 

いよいよ退院の日、会計窓口で支払いが済めば帰宅の途につける。家族は病棟には入れないので、1 階で実家の母が待っていた。駐車場に停めた車の中には 春休み中の娘の小焼けが待っているとのこと。

会計窓口の方が計算書を手渡しながら、「お支払いはすぐ横の器械でお願いします。現金なら隣の○○番窓口でも支払えます」と言われる。入院費の明細に目をやると、はい? たくさんの数字が並んでいる。我が家の家計簿では とんとお目にかかったことがない桁数だ。心の中で「いち、じゅう、ひゃく・・・」と数えてみる。7 桁もある。ここから健康保険で負担して貰える金額を引いたものが別の欄に書かれているので、実際に支払う金額の桁数はかなり減っている。

「お支払いはカードでいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」とのこと。 その後に「木の葉でもいいですか?」と問いたかったけれど、我慢した。

 

帰宅途中に車を停めて、桜を眺めた。「あと何回、こうして皆で桜が見られるかしらねぇ」と まだ元気だった頃の祖母がぽつんと言ったことがあった。桜は季節が巡り来るたびに、命を数えるような気がするのは何故だろう。

 

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