知恵と工夫を友として(『アンパンマンのマーチ』風味)

退院してからというもの、私の頭の中は常に「食べること」でいっぱいになっている。まあ、元々、手術に関係なく「食べ物」が脳の半分を占めていたような気もするけれど、それに「真剣さ」が加わったように思える。

というのも、一度耳にした言葉が頭から離れないのだ。その言葉は ある日 たまたま TV から聞こえてきた。「胃癌の術後生存率はⅠ期なら 95 % と言われています。生存率が 95 %ということは、癌そのものが原因で亡くなる人は 5 %のように思えますが、実は更に 20 %の人が癌の再発ではなく、栄養失調で亡くなっているのです」という内容だったと記憶している。

「癌は再発していないのに、栄養失調で亡くなる」という インパクトのある言葉が 妙に脳裏に残ってしまった。

 

調べてみると、【主治医からは「癌の転移・再発は見つからない」と繰り返し言われているが、体重がどんどん減り、体力もなくなって動けなくなった患者さん。病院に運び込まれた時には栄養失調で極度の貧血状態であった】との記述もある。「胃癌の手術後は痩せる」「体力が落ちる」とよく聞くので、次第 次第に栄養失調になっていることに 患者本人も家族も気付きにくいのかもしれない。

そのような訳で、食べることを「真剣に」考える日々となった。退院の時に 栄養士さんから日々の食事についてのプリントをいただき、栄養指導も受けた。帰宅後には、胃を切った人のための本を 2 冊買った。その内の1冊は レシピが 300 種類も載っており「退院後すぐから1か月の食事」「退院後1か月から3か月の食事」「退院後3か月からの食事」と細やかで、更には日々の生活の注意点なども書かれている。もう1冊は作り置きできるものや 市販のものを上手に取り入れて手早くできるレシピ。どちらも具体的で分かりやすい。

 

胃に負担のかからない料理を作り、食事は少量ずつ、5 回~6 回に分けて食べる。それでもダンピング症候群(倦怠感、冷や汗というよりは脂汗、動悸、息苦しさ、めまい、腹痛、吐き気など)が現われる時がある。これが結構辛い。ダンピング症候群には前期と後期があり(大学入試か?!)、食後 30 分以内が「前期」、食後 2~3 時間後が「後期」と呼ばれるらしい。後期が現われるかもしれない不安があると 外出もおちおちできない。こんなことが続くと、いっそ何も食べない方が楽だとさえ思える。空腹感は常にゼロなので、数日間食べなくても平気そう。いやいや、それではダメ。意識して きちんと食事を摂らないと栄養失調になる、と自分に活を入れる。

 

「一口につき 30 回噛むように」とも言われている。30 回! 真面目 (? !) な性格ゆえ、律儀に 30 回噛む。顎の筋肉が鍛えられて、最近 小顔になったように思える。「気のせいかも?」と思い、洗面台の大きな鏡の前に行き、顔の角度を変えて右から眺めたり、左から眺めたりする。意味もなく微笑んでみたりもする。結論・・・気のせいであった。

 

厄介なことに、脳が美味しかった食べ物のこと  (味や香りなど) を記憶しているようだ。それなのに、もうほとんど無くなってしまった胃には ほんの僅かしか入らない。脳と胃がせめぎ合いをする。ダンピング症状を減すためにも、現状を認識するように 脳を納得させるしかない。

私の中の「てやんでぃ おじさん」と「それがなんぼのもんじゃい  おじさん」が顔を出す。「胃を切ったくらい、なんぼのもんじゃい」 「てやんでぃ、これしきのこと」 「無い袖は振れぬ。無い胃袋には入らぬ」 「ないものねだりはしない」などと叱咤激励する。 その内「よそ は よそ、うち は うち」と いささか場違いなものまで飛び出す。(これは、子どもが「みんなが持ってるから僕も欲しい」という時に 親が言うセリフよね? 子どもの言う「みんな」は大抵2人か3人だけど)

 

↓ 私の中の「てやんでぃ おじさん」と「それがなんぼのもんじゃい おじさん」はこちらです

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そう言えば、2 回目の手術・入院が間近に迫った頃、実家の両親が料亭に連れて行ってくれた。そう頻繁にではないけれど、家族の人生の節目のお祝い事の時には皆で訪れる、落ち着いた雰囲気の料亭。器といい お料理といい、それはそれは見事に美しく、美味しい。長年培われてきたプロの技が光る。幸せな気分になる。

「夕暮れは、本当に嬉しそうに 美味しそうに食事をするねぇ」と母が笑いながら言う。ふと見ると涙ぐんでいる。この食いしん坊の娘が 手術の後はもうコース料理は口にできなくなる・・・と不憫に思ったのだろうか。ごめんね、母さん、心配ばかりかけて。そして、ありがとう。

 

退院後の ある日、新聞を見ていた娘 (小焼け) が「ねぇ お母さん、これ良いんじゃない?」と呼ぶ。載っていたのはカトラリーバサミ。商品紹介文によると「自分で好きなサイズにカットして食事ができる」 「座った状態で食器に入っている料理を切りやすいように上から鋏が入れられる」 「独特の角度に曲げられているので 持ちやすくて切りやすい」「刃先が浮き上がっているので、テーブルの上に置いていても清潔」「オールステンレスで分解して洗うことができる」「小ぶりで軽く、持ち運べるようにケース付き」などとある。

おおおお! いいねぇ、いいねぇ。調理する前に 食材を食べやすい大きさに手早く切るのに便利そうだし、あまり細かくすると料理の美味しさを損なうものは、できあがった後に 一口大に綺麗に切ることもできるね。

「これ、母の日のプレゼントにするね」と小焼け。「嬉しいけど、値段が普通のカトラリーバサミの 5 倍くらいするみたいよ」と言うと、「いいの。お年玉貯金があるから。これからのお母さんは 知恵と工夫を友として暮らしていかなくちゃ」と『アンパンマンの マーチ』の歌詞のようなことを言う小焼け。太っ腹で慈愛に満ちている。誰に似たのかしら? 私? 

 

「ありがとうね」と言いながら、私の心は江戸時代に飛んで行く。入り口の障子が破れて 冷たい風が吹き込む おんぼろ長屋。「おっかさん、お粥ができたよ」と健気な娘。「いつも苦労をかけてすまないねぇ」と寝たきりのおっかさんの私。まだ年端もいかない娘が不憫だ。・・・ここで我に返る。手術前に 料亭で美味しいものをたらふく食べさせて貰ったじゃないの。なんだ この妄想は。ふふふ、ま、ええ。頭の中は自由よ。

 

「胃がなくなれば胃酸も出ないということで、つまりは食物中の細菌や微生物の繁殖を防げたり、殺菌作用がなくなるということです。今までは何ともなかったものも、術後は食あたりする可能性もあるので、鮮度に気を付けてください」と書かれたものもある。

食材や料理をなるべく新鮮な状態で保存するにはどうしたら良いかと考え、探してみると真空容器があった。商品説明によると「腐敗の原因となる酸素をシャットアウトし、料理のおいしさや鮮度が長持ち。使い方は簡単、真空にするにはこのボタンを押すだけ! 自動ストップ機能付で、誰でも簡単に真空保存ができます」とある。密閉袋に入れて冷蔵保存しておくよりは、容器内の空気を抜いて真空状態で保存する方が より新鮮なまま長く保存できるのね。なるほど。

幾つかの真空容器を比較検討し、真空状態をしっかり作れて 使い勝手も良さそうなものを購入してみる。四角の大きな容器と ひとまわり小さな容器が各2個、丸くて深い容器が3個の合計7点セットに 真空にする器具が1個。早速使ってみると なかなか良い。数日経っても 野菜は新鮮でシャキッとしているし、イチゴも瑞々しい(ヘタも青々としている)

 

『小焼けがプレゼントしてくれたカトラリーバサミと この真空容器があれば、外食しても食べきれなかったものは持って帰れるかな ? そうなれば諦めていた外食もまたできるようになるかも』と思ったけれど、それは客としてマナー違反だろう。許可を求めたところで、たぶん「食中毒が心配なのでご遠慮ください」と言われる可能性大なり。でも 行きつけ (顔なじみ) の個人経営のお店なら 訳を言ってお願いすれば大丈夫かなぁ・・・。少し希望がわいてくる。持って帰れないとしても、綺麗にカットして、同席の家族に食べて貰うことはできる。購入に際してネット検索をしてみると、『スイーツでも 切り口が綺麗なので、インスタ映えする』とのコメントもあった。私はインスタは してないけれど そういう使い方もあるのねぇ。

 

世界に目を向ければ、理不尽で酷い状況が続いており、日本にも悲しい事件・事故の報道がある。それなのに、いかに効率良く栄養と水分を摂るかを 四六時中考えて暮らしていては申し訳ない思いもする 今日この頃の私。

 

★ 末尾になりましたが・・・DMやコメント(非公開)で、ご家族やお友達の経験談をお話してくださった皆様へ。

ご親切に ありがとうございました。「この経験が夕暮れさんに当てはまるものかどうかも分からず、軽々しくは言えないし、かえって無神経なことをするようになるのではないかしら・・・」と案じてくださり、長い間、送るのをためらわれていたとのこと。そこまでの お心遣いをいただいて感謝の気持ちでいっぱいです。

術後は大変な思いをなさった お身内や知人の方達が、年月の経過と共に QOL が向上されているご様子に 私も元気をたくさんいただきました。「日にち薬」を信じて一歩一歩進んで行こうと思います。お気持ち、温かく心に響きました。心よりお礼申し上げます。