18歳の感性

新しい年を迎えて早々に伝えられた悲惨なニュース。2 週間を過ぎても復旧の目処も立たない状態で 1日 1日を過ごされている方達。先の見えない不安と恐怖の中、寒さが追い打ちをかける。思いを馳せるしかできない自分の無力さが悲しくなる。

そんな中、被災地の受験生の様子がニュースで流れた。インタビューを受けている人達は言う。「大変だけど、今まで頑張ってきたのだから、負けずに精一杯 力を出し切ります。」 目標に向かって一生懸命頑張ってきたのに、最後の追い込みも思うように できない状況にあって、自分に言い聞かせるように語る受験生。その姿を頼もしく思いながら、積み重ねてきた努力が花開くようにと祈るばかりだった。

 

大学入学共通テストの前日、学校は休みだった。突然、娘 (小焼け) が言う。「ねぇ、お母さん、私、感性が鈍いのかなぁ。自分が分からなくなったよ。」 はい? この期に及んで何ですと?

よくよく聞いてみると次のような経緯らしい。クラスの仲の良い友達からLINEが届いたのだけれど、動画が貼ってあり「感動した!」と、ひと言 添えてあったとのこと。彼 (仮に P 君とする) と小焼けは気が合うようで、将来の夢など話していて とても楽しいのだと言っていた。それなのに 今回はどうした? 

小焼けは P 君から送られてきた動画を私にも見せてくれた。見終わって「ん?ん?」と私も混乱する。それどころか、心がざらざらするような心地悪ささえ湧いてくる。小焼けはつぶやく。「この動画のどこの部分に P 君は感動したのかなぁ? 私は、これは社会保障制度が機能していないという風刺だと感じたんだけど。個人の犠牲の上に成り立つような、自己責任社会ではいけないんじゃないの?」

あれっ? 私が感じたのと同じことを 娘が言っている。我が家は どちらかというと おちゃらけた家族で、しょーもない冗談を言って突っ込みを入れて・・・という暮らしをしている。それでも何かのきっかけで、「こういうのどう思う?」という話はするので、無意識とはいえ、私は自分の考え方を小焼けに押しつけてしまっていたのかなぁ。

「で、小焼けは P 君にどのように返信したの?」と尋ねると、「せっかく感動しているのに水をさす訳にもいかないから、LINEで会話をする中で P 君の感動のポイントを探して『つまり、こういうことかな?』と恐る恐る尋ねてみたら『そーゆこと!』と返事がきたよ。でも、私にはそう思えなくて もやもやするんだけど、私の感性が鈍いのかなぁ」と言う。う~ん。感じ方って正解・不正解ってものでもないしねぇ。

 

P君はウチにも遊びに来たことがあるけれど、話していて楽しくなる素敵な男の子だった。小焼け情報によると、このたびの共通テストの結果も第一志望大学の合格ラインに達しているらしい。すごいねぇ。

「いろんな考え方があるのだから、自分とは異なる見方・考え方に触れるのも良い刺激になるんじゃない?」と言うと、小焼けは「う~ん。感動って感覚だから、それを説明されないと分からないほどかけ離れるのも、どうかなぁ?」

まだお互い高校生。将来この頃を振り返って18歳の感性が懐かしくなる時がくるかも。

二人の結論:「大学入学共通テストの前日に私達、何やってんだか」