これも愛。あれも愛。それは愛?

TV録画が溜まってしまった。倍速で見ては消去する。 1 番組ずつ消去した後に 録画可能時間の合計が ぐ~んと増えるとすっきりする。緩衝材のプチプチを潰すのにも似た ささやかな快感。こんなことなら録画しなきゃいいのに、と思いもするけれど、TV や新聞で番組紹介を目にすると、ついつい録画したくなる。

録画番組の中に 視聴者からの投稿があった。【 6 年前に若年性認知症を発症した夫と二人で出かけ、人混みの中で まともに歩けず手を繋いでみました。夫は独身の頃のデートと思ったのか、地下鉄のホームで電車を待っていたら、ぼそっと私に「結婚してくれる?」と言ってくれたのです。はぁ、この歳になっても もう1回聞けるなんて ドキッとして嬉しかった】とのこと。35 回目の結婚記念日を迎えられたご夫婦で、日に日に記憶が薄れていく配偶者と共に過ごされる奥様の心痛は さぞかし・・・と推察するけれど、ふとした できごとをこのように捉えられる奥様は素晴らしいなぁ・・・。(育んでこられた愛が胸に響く)

録画で「プロジェクト X 」も見た。岩手県を走る三陸鉄道東日本大震災で 9 割の路線が使えなくなってしまった。誰もが廃線を覚悟したとのこと。しかし「鉄道が消えてしまえば  地域そのものが消えてしまう」との強い危機感から、被災した人々と建設会社が力を合わせた悲願の復旧プロジェクト。ここに書き切れないほど さまざまな苦闘を経てようやく運行再開。「不屈の列車」と呼ばれる一両編成の列車が ホームに詰めかけた人々に見送られて出発した。程なくして 運転手の金野さんの目に思いもよらない光景が飛び込んできた。「おかえり三鉄」。沿線のあちこちで大漁旗などが振られ、大勢の人達から声がかかる。手作りの横断幕を自宅 2 階のベランダに掲げる人もいる。「まだ暮らしも不自由な中、精一杯の もてなしだった」と ナレーターが告げる。運転手の金野さんがこらえきれずに涙を拭う。私も一緒に涙を拭う。(画面いっぱいに愛があふれている)

 

新聞の歌壇でよくお見かけした長尾幹也さんの追悼記事が載った。記事によると、長尾さんは 勤め人の葛藤や闘病の日々を詠んだ短歌を 半世紀近く投稿されてきたとのこと。大学の夜間部に通い、中堅の広告会社に入社後は営業畑を歩まれた。中間管理職時代、部下への解雇通告や、自身の降格を詠んだ歌が注目を集めた。多系統萎縮症と診断され、近年は闘病の歌が多かった長尾さん。《妻は泣き われは視線に文字を打つ 午後の病室 蝶も鳩も来ず》

長尾さんの奥様が思い出されるのは次の歌だという。《噴水に たつ虹ほどの淡さにて 人の心に棲 (す) みたし死後は》。長尾さんが地方版で連載されていたコラムで 「時折ふと懐かしんでもらえるような思い出を 何人かの心に残し、今生を終えられれば私は満足だ」と綴っていらっしゃったとのこと。

長尾さんの言葉が心に深く深く染み入る。私もこのようにありたいと願うけれど、まだまだ足下にも及ばない自分が情けない。

数々の歌に共感してきた読者から、追悼の歌や言葉が 約3カ月経った今も新聞社に届き続けているとのこと。(紡がれた言葉を通して繋がる愛)

 

★母の友人によると、「孫息子の浪人が決まった時、ありとあらゆる ことわざを駆使して慰め 励まそうとした」とのこと。受験した大学の 最後の 1 校の 合格発表の前に「もしや・・・」と案じながら お孫さんにかける言葉を探されたお祖母様の姿。そして 孫息子さんへ 駆使されたかもしれない ことわざをあれこれと脳裏に浮かべながら、私は家族の思いの温かさを感じる。(ここにも愛)

 

★娘 (小焼け) は大学で新しい友達もでき、部活にも地域のボランティアにも楽しく過ごしているようだと前回の記事に書いた直後に ホームシックにかかったとのこと。のんびりしていて、少々のことには動じないタイプだと思っていたので、意外な展開。GWに帰省しようと早々に新幹線のチケットを購入し、お守りのようにそれを眺めながら頑張った、と言っていた。

幼稚園時代から仲良しの T 君が、小焼けの大学と近い大学に合格したので、「大学生になっても会おうね」と 高校卒業前に 約束していた。そして  4 月中旬に 待ち合わせて、お互いの大学のことなど話しながら 食事をしたとのこと。「ホームシックにかかっちゃったよ」と小焼けが言うと、T 君は「俺、今まで家族から暑苦しいほど(暑苦しいんか~いw)の愛情を注いで育てて貰って、家族のことが大好きなのに、ホームシックにかからない自分がショックだよ」と言ったとのこと。なるほど、T 君らしいなぁ。持つべきものは心優しい幼馴染み。(ここにも 友情という名の愛)

 T 君の記事はここです ↓

yugure-suifuyou.hatenablog.com

GWに帰省した小焼けは、高校時代の先生や友人達に会いに出かけたり、「お母さん手作りのあれが食べたい、これが食べたい」とリクエストをしたり。よく食べ、良く喋り、よく眠って元気に帰って行った。初めてのバイトも始まり、昨日楽しそうに報告してきた。もう大丈夫かな。

 

★先日、駅の入り口で うずくまって泣いている背広姿の若者を見かけた。その場所は 屋根はあるけれど、降り込む強い雨で、真新しそうな背広も 頭髪も かなり濡れている。私は、こんな姿で 人目もはばからず 泣いている人を目の当たりにしたことがなかった。新入社員だろうか? 仕事や人間関係がうまくいかなくて 心がぽっきり折れてしまったのだろうか? 余程のことがあったのだろう。改札口に向かう人、出てくる人もそれなりにいたけれど、彼に気付かないのか、気付いても関わりたくないのか、見て見ぬふりをするのも思いやり と思うのか、足を止める人は誰もいなかった。

このような状態の 自分だけの悲しみの世界の中にいる 若者に、見知らぬおばさん (私) が声をかければ 戸惑わせたり 余計に悲しませてしまうような気もして、はて?どうしたものかと、私は歩幅をゆっくりと進めながら決めかねていた。せめて自販機で温かい飲み物を買ってきて渡そうか?とも思う。いやいや、それすら迷惑だろうか? 歌手のさだまさしさん (つらい鬱を経験されたことがあるとのこと) の言葉が脳裏をよぎる。『せめて せめて明日までは生きよう』。それから、最近読んだ「シッタカブッタ」の言葉も浮かぶ。『オタクと言われて いじめられたが その記憶力と個性を活かして おとなになってから才能を発揮することがある。長い人生には居心地のいい〈年齢〉と〈時代〉があるようだ』。目の前の彼にとって〈今〉ではないかもしれないけれど、居心地のいい〈年齢〉や〈時代〉が きっと来ますように・・・。後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎつつ、彼の心を宥めてくれる何か (音楽など 彼の好きなもの) や 人の存在があることを祈った。(これは同じ時代を生きる者の愛?おせっかいな愛?)

「ブッタとシッタカブッタ」はご存じの方も多いと思いますが、30年前に発刊、200万部を超えるベストセラーですね。シリーズ 9 冊目となる最新作「いのちのオマケ」上下巻が 12 年ぶりに刊行されました。その中に「他者と自分を比べるのではなくて、昨日の自分と今をくらべなさい」と言われて「昨日・・・、何してたっけな・・・」と考え込むシーンがでてきます。比べようにも 昨日のことが思い出せない・・・。我が事のようでウケつつも、身につまされました