認知症と介護

2018年8月14日

朗読を介して、認知症と診断された方達からの言葉を聞いた。
「介護離職」とか「介護うつ」とか、ともすれば、「介護する側」に立った記事などを目にすることが多い中、「認知症を患っている側」である方達の言葉は胸に染みた。

Aさんの穏やかな語りを通して、 「底のない穴へ落ちていくような不安」が どれほどのものかと想像する。


私は、今はまだ「介護する側」なのだけれど、 「その人がどのように生きたか」とは関係なく 現われるという認知症。 いずれ自分も行く道。

 

私が生まれる前に亡くなった曾祖母のことを、一緒に暮らした 嫁(私の祖母)から聞いたことがある。
物静かで我慢強い人だったが、戦死した息子達の話をしながら涙をこぼすこともあったという。 長寿は喜ばしいが、その分、悲しみも深くなっていく。 晩年は認知症を患っていたらしい。

ある日、その曾祖母が「息子達が帰ってきて、にぎやかに、たくさん話をしたよ」と、とても嬉しそうだったとのこと。 その話を聞いた時、私はまだ学生で、 「長く続いた悲しみが薄れるのなら、認知症も悪くないのかなぁ」なんて思ったりもした。

 

年月が過ぎ、今度は(曾祖母を介護をした嫁であった)私の祖母が認知症になった。
仕事をしている母と共に 私も祖母の介護の日々が始まったが、 若い頃の私が思ったような甘いものではなかった。

明るい性格の母の心身に 次第に疲れが蓄積していった。

案じてくれる人達の後押しもあって、2年前に祖母を施設にお願いすることになった。

 

認知症の親や配偶者を 自宅介護で看取ったという話を耳にすると、どれほど大変だったろうと思いを馳せる。 と同時に、疲れ切った家族に介護をされる認知症の人も「何か」を感じて辛いのではないかと思うようになった。 認知症を患っていても、感じる心はあるとAさんの朗読で知ったから。

 

介護する側も される側も 辛すぎない為には、どうしたらいいのだろう?

使える介護サービスは使い、専門家のアドバイスも受け、同じように介護をしている人達とも交流し、心身共に より良い方向へ進む道を探そう。

頭ではそう思ってはいるものの、心の部分に複雑な思いが残る。

これからも考え続けていかなくてはならない。