子ども時代

2018年12月23日

「サンタは生まれ落ちたそのときから 白いひげのおじいさんだったから、 子ども時代の思い出がない」という詩があって、 「子ども時代がないということは、 ぶらんこに乗った思い出がないということ. 初恋の女の子の写真がないということ」と続いていたように思う。

 

うろ覚えで書くことは作者に失礼と思い、自宅の書棚やインターネットで探してみたが、原文が見つからなかった。 なぜ急に この詩のことを思い出したのかと考えてみると、児童相談所が建設されることに異議を唱えている人達の報道を見聞きしたからかもしれない。

 

その地域の一部の子ども達の誇りは「父親の乗っている車の種類」や「着ている洋服のブランド名」や「いつも食べるお寿司の値段」なのだとか。  

えっ! この子達は、大多数の子ども達が経験しているような「友達と一緒に過ごす子ども時代(その頃したことを、おとなになって思い出すと、ちょっと恥ずかしかったり、誇らしかったりするのだけれど)」を過ごせているのかなぁ・・・と寂しい気持ちになりながら テレビ画面を眺めたのだった。

 

と同時に、建設予定の児童相談所に 母親と一緒に訪れる子ども達にも思いを馳せる。 いろんな子ども達がいる。
どの子もおとなになった時、「友と過ごした子ども時代」を、笑顔と共に振り返ることができればいいのだけれど…。(祈)

 

「誕生日の記者会見」をテレビで見ながら、娘が ぼそっと言う。
「この方は子ども時代に『大きくなったら○○屋さんになる』という夢を持たれなかったんだね。 生まれた時から自分の進む道が決められていたんだ。」

おもちゃ屋さんになる ←好きなだけおもちゃで遊べる
ケーキ屋さんになる ←好きなだけ食べられる
などと言っていた 幼稚園時代の自分を思い出した様子。

 

中学生になった今では、さすがに仕事はそう甘くはないと わかったらしいが、それでも「自分の努力次第で、職業の選択肢は広がっていくのだと思っていた」と娘は続ける。
それすら叶わぬ方達もいらっしゃるのだと、今更ながら認識したらしい。

 

食後のデザートを もぐもぐと頬張っている 娘の呑気な顔を眺めながら、 「私ね、将来 仕事はするかもしれないけど、結婚はしないで、ずっとこの家にいるよ」って宣言するのは やめてほしいと願う母であった。