褒める、褒められる、あれこれ

昨日の新聞に、数学者の森毅さんの言葉が載っていた。
【学校というものの中では、教師に学ぶよりは、友人に学ぶことの方が多いはずで、その友人が同学年に限定されるなんてつまらない】(『ものぐさ数学のすすめ』から)

この言葉から、鷲田清一さんは以下のように述べられている。
【友達といえば、同級生・同期生。つまり同い年。そしてほとんどが同性。あとはみな上下関係。なんと窮屈で退屈な社会に生きているのだろうと数学者 (森毅さん) は言う。うんと年の違う、できれば異性と、友人になれたら、世界は一挙に広がるのに、もったいないこと】


私は、インターネットを通じて、たくさんの方達に出逢えた。音楽関連では、演奏の前後にお声を聞くことはあるが、ブログにいたっては まさに文字のみ。性別すらわからない方もいらっしゃる。それでも、お書きになるものから、その方の「生きる姿勢」や「人生観」などが伝わってきて、心に響く。ブログを何度も訪問している内に、勝手に「友達」感覚になってくる。 時にはその方の胸の内を察し、私も辛く寂しくなったり、嬉しくなったり、あらら、大変、と一緒に焦ったり・・・。ここでは住んでいる場所も年齢も性別も気にならない。森さんや鷲田さんの言葉を借りれば、私は 「(インターネットを通じて)世界が広がり、窮屈でもなく、退屈でもない場所にいる」のかな?とも思えて、なんだか嬉しい。


訪問しているお一人、INK (id:taishiowawa) さんが4月から新しい学校に赴任されたらしい。片道1時間半かかるけれども、【行き道は読書、帰り道はブログという習慣をつくることができそうです】と捉えられるところが INK さんらしくて 素敵。


「褒めること」「褒められること」について考えている内に、4月に入ってしまった。今日に至るまでの間、家族や友人と話している時に、体験談を聞いてみたりもした。時と場合と相手によって、受け取り方が異なってくるので、私の頭の中には「情報」ばかりが増えて、例えば「先生と生徒の場合」等と分けても、結局は、「個々の事情に即して」なのだから、自分の感じたことを述べることしかできない(それもおこがましいけれど)。

う~ん。ただ、共通して「褒められて嬉しい」と感じられるのは、自分自身の中に「頑張った」という自覚がある時だということだけは分かった。


★あおまぐろ (id:vidro-man) さんが、「あんたたち、本当によく頑張ったと (長崎弁) 」という労いの言葉に とめどなく涙が溢れたのは、ご自分達の頑張りを ご自身が一番よく知っていらしたからだろう。

あおまぐろさんは誰かに褒めて欲しかったわけではないけれど、「あなたの頑張りを、ちゃんと見ていましたよ」と伝えてくださった親戚の方の言葉が心に染み入り、報われた思いをされたのだろう。

www.chotto-siesta.com

 


★「褒められたらどうしよう?」と不安だった少年

taishiowawa.hatenablog.com

「褒められたらどうしよう。ああ褒められたくない」とドキドキしている小学生の心。この INK 少年がそう思うのは【当人からすれば、ゆっくり休んで気もちが整ったから明日からは登校する。ただそれだけのこと】で「ものすごい頑張って、明日から学校へ行く」というのではないことを、自分自身は分かっているから。ただそれだけのことなのに、大袈裟に褒められたくはない。

しかし、周りのおとなはそこまでは思いが及ばない。「私が身近にいるおとなだったら、どういう行動をとったかしら?」と考える。 やはり褒めてしまうかもしれない。 ただ、それは、「1 学期間、ほぼ学校に行かなかった子が、学校に行く」という「行為」に対してではない。この少年が「自分の意志で、動きだそう (明日から登校しよう) と決めたこと」に対して、嬉しく思うから…。褒めるというよりは「自分で決めたのね。偉いね」と伝えたいのかも。う~ん。親御さんや担任の先生とは「思い」の重さが違うから、こんな風に言えるのかしら?

 

★職場の厳しい先輩

tamacafe.hateblo.jp

思わず背筋が伸びました。たまさんの先輩は、ご自分のことも律して生きてこられたのだろうなあ・・・と頭がさがります。社会人になって、特に、仕事に関しては甘えは許されませんものね。でも、子ども時代に関してはどうなのかなぁ?とも考えました。

うちの娘は、幼い頃からなんでも自分でしたがりました。そして、出来上がると「ねえ、これ見て!」とか「ねぇ、これ聞いて!」とか言ってきました(鼻の穴がちょっぴり膨らんでいます)。そういう時は自分でも「すご~く、頑張った!」「これは良くできた!」と思っている時なので、家族全員で「おお! がんばったねぇ。すごいねぇ」と言っていました。

今回は、中学生になったことだし…と思って、記事にあったように「親の期待に応えようとして無理したり、傷ついたりしてる?」と尋ねてみると、「ぜ~んぜん」とあっさり答えました。(期待に応えようと、ちっとは無理してくれんのん?)。その後にこう付け加えました。「ねぇ、この職場の先輩って、家でも奥さんや子どもにもこうなのかなぁ? 褒めないの?」。人様のお宅はいろいろで、とやかく言うことでもありませんが。う~む。

ただ、我が家では、褒められないと伸びないタイプばかりが揃っているようです。豚もおだてりゃ木に登ると言われますが、登った木の上からの眺めは爽やかで、なかなか木から下りられません。 この景色を覚えているからこそ、また木に登りたくなって頑張るのかも知れません。(あくまで、我が家の場合です。かなり、おめでたい)

 

★私が心に留めておきたいこと

www.countryteacher.tokyo

【褒めて育てるのではなく、叱って育てるのでもなく、褒めると叱るのブレンドでもなく、アドラー流に褒めも叱りもしないわけでもなく、仮説を求め、対話し、感心することで育てる。】 ・・・自分でもずっとわからずにいたのですが、この言葉がストンと胸に落ちました。「対話し、感心すること」。これです ♪

 

www.countryteacher.tokyo

日曜日、居間のソファーにぼぉ~と 2 時間も座っている息子さん。思わず怒鳴ったお父さんに ぽろぽろと涙をこぼしながら、「僕は、日曜日にこうやっているのが一番幸せなんだよ」。 ・・・・「僕は、幸せ」という言葉に、ハッとしました。それぞれが感じる「幸せ」があるのですね。私はこの言葉をこれからも忘れずにいようと思います。

 

※あおまぐろさん、INKさん、歌う珈琲屋さん、田舎教師&都会教師さん、記事を貼らせていただきました。お断りもせずに申し訳ありません

f:id:Yugure_Suifuyou:20200409003404j:plain