2019年4月6日

祖母のお世話になっている施設には見事な桜の樹が何本もある。
祖母・母・私・娘で、大正から平成までの4世代でお花見。

 

祖母の車いすをゆっくりと押しながら、みんなで「綺麗ね」と繰り返す。
私の娘は、桜と曾祖母をスマホで撮影し、アプリで加工して「ほら、こんなに可愛くなった ひいおばあちゃん」と見せている。

 

私は「来年もこうして揃って、桜を楽しめるかしら?」と心密かに思い、少し寂しさがよぎる。
祖母は、青空を背景にした桜を目でゆっくりと追っている。
「桜、きれいね」と話しかけると、うなずいて 「きれい」と応える。

 

最近は、祖母の語彙数もめっきり減った。

ひ孫の顔も、孫である私のこともわからなくなる時がある。


それでも、娘である私の母のことだけは、わかるらしい。
母が訪れると、「仕事で無理しないように」「体に気をつけるように」と祖母は必ず声をかけるとのこと。
わからないことが次第に増えても、 最後まで残る「母親の心」。

 

桜を共に眺めながら、娘としての母の胸に去来するものを、私は想う