無礼者で ごめんなさい

 6 月に旅立った祖母の義母(私からみれば、曾祖母にあたる)は、私が生まれる前に亡くなっているが、信心深い人だったと聞いている。曾祖母は三十代の若さで夫と死別し、女手ひとつで二人の息子と 二人の娘を育てあげたのに、息子の一人は戦死、もう一人は病気で亡くしている。そんな辛さを経験しながらも、80 代後半で亡くなるまでずっと穏やかな雰囲気を身にまとい、仏様や人様への感謝の気持ちをよく口にしていたという。

実家の母が「(ひぃおばあちゃんの 元々の人柄に加え)、信仰心がそうさせていたのかしらね」と言ったことがある。 曾祖母は、いつもお寺様にお参りして、帰って来ると「ご住職様から 今日も良いお話が聞けたよ」と、孫である私の母に話してくれたとのこと。まだ幼かった母は 法話の意味することは理解できなかったけれど、祖母の 笑顔を印象深く覚えているという。

『幸せも不幸せも捉え方ひとつ』という言葉があるけれど、曾祖母は そうして信仰心と共に 心の平安を保ちながら 生きたのかもしれない。

 

 6 月に旅立った私の祖母(上記の曾祖母の嫁にあたる)の 49日の法要・初盆・納骨式を済ませた。

私は無宗教だけれど、祖母のことは大好きだったから、仏教のしきたりに則って、曾祖父母 (両親)や祖父 (夫)の待つ極楽浄土へと送ってあげたい気持ちは充分にあった。けれど、眼を閉じてじっとお経を聴いていると『音程も心地良い抑揚があり、リズミカルで、声の張りもあって、素晴らしいなぁ。このお坊様はきっとカラオケもお上手に違いない』などと、不謹慎なことが脳裏に浮かぶ。

 

ご住職の読経が終わった後に お経本を手渡され、次はご住職と共に 私達も経文を音読するように勧められる。お経には『49日用』や『初盆用』があるらしい。ご住職に遅れないよう一生懸命にお経本の行を目で追い、声に出して唱える。経文の書かれた下の欄に、意味らしきものが書かれている。『49日と初盆のお経の違いは何かしら?』と気にかかり、ついついそちらに気が散る。仏教用語を知らないので、読んでも理解できない。『う~ん、むずい、これどういうこと?』なんて思っていると、肝心のお経がどこまで進んだか分からなくなり、焦る。

お坊様と共に無心にお経を唱えて、祖母が安らかであるようにと祈りを込めたいのに、あちらこちらへと気が散り、ごそごそしてしまう己の心が恥ずかしい。おばあちゃん、ごめん!

 

読経後のご住職のお話は、49 日や初盆に関するものであった。ゆっくりとした口調で、私達の顔を順に見つめながら、まるで体験談のように語られる。『ここに あの信心深い曾祖母がいたら、頷きながら 心の中に全部そのまま素直に染み入ったことだろうなぁ』と思う。でもでも、この不届き者の私は、家に帰ったら あまり心に入っていなくて、大事な結末に至ってはすっかり忘れてしまっていた。

娘の小焼けに「ねぇ、覚えてる?」と尋ねると、「えっとね、餓鬼地獄に落ちたあの人は、インドのお坊さんに奉仕をしたら極楽に行けたらしいよ(娘もまた、大雑把なような・・・)」と言う。「ふ~ん、そうなんだぁ」と応えながら、『ご住職のお話の中のあの人は、いったいどうして地獄に落ちたのだっけ?』と謎が深まる。

そして、『こんなことをすると地獄に落ちるという、掟があるのかもしれないけど、生きている間には、やむなくそうせざるを得なかった諸事情もあるだろうに、そのあたりは思いやってもらえないのかしらね?』等と また雑念が湧く。せっかくお話をしてくださったご住職に失礼極まりなく、申し訳なく思う。

 

学生時代に『キリスト教学』が必修科目であった。定期試験には 聖書の何章かが指定され、設問に対して 解答は記号で選ぶようなものはなく、全て記述式であった。それで、試験範囲の章を繰り返し読んで 内容を理解しようとするのだけれど、「う~ん。ホンマか?」などと、不謹慎な思いや雑念ばかりが頭をよぎり、困り果てたものだった。宗教は科学等と並べて考えるものではないのは、頭では分かっているのだけれど。 

 

卒業してから数十年経ったというのに、今度は仏教の入り口 辺りで つまずいている。

「お経の最中にも 気が散ってたの? そんなことばかりしてると、バチが当たるかもよ」と小焼けが 歌うがごとく言う。 え~?! バチが当たるのイヤだな。当たるのなら せめて『買ったばかりの お気に入りの靴を履いて外出したら、雨が降り出した』という程度でおさめてもらえないかしら? 神様、仏様、ごめんなさい。

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