15の春というけれど

娘 (小焼け) の友達、Mちゃん、Kちゃん、T ちゃんが昨日から泊まりがけで遊びに来ていた。夕食は小焼けを入れて4人で作るのだと言う。「おばちゃん達の分も たっぷり作るからね」との言葉が嬉しい。みんな幼稚園からの仲良し。Mちゃんは幼稚園のお迎え(お母さんがお仕事なので、お迎えはおばあちゃん)が少し遅くなると、不安そうに私の手をしっかり握っていたのに、みんな大きくなったねぇ・・・としみじみ。

 

予め 4 人でメニューを相談したらしく、食材も準備して来て 作業も実に手際が良い。きゃきゃと明るい声で会話しながら、できあがったのは、カレー、アボカドとエビと生ハムのサラダ、フルーツヨーグルト、更におみやげのスイーツ付き。美味しかった。ごちそうさま。

 

夕食の前後は、リビングのテーブルで 4 人で勉強をしていた。課題がたくさん出ていて、入学式の時に持参しなくてはならないのだそうだ。授業の進みがとても速いとは聞いていた。先輩のお母さんが、「入学後、初めての授業に備えて 息子が 10 ページくらい予習していったのに、先生が『この辺りは簡単なので、さっと流して、11 ページからします』と言われたそうで、まさに『マーフィーの法則』ね」と笑いながら話されたことがあった。そっか、合格したらしたで、その後も大変なのねぇ。 

「これ、むずい」「う~ん」「こうやって解いてみたら、どうかなぁ?」など という会話の間に「でも、私達もう合格したんだし・・・」「だよねっ」という言葉が合の手のように入る。同じように勉強をしていても、中学生の時は「入試に受かるだろうか?」という不安と共にいたのだろう。その不安から解放されて、問題を解くこと自体を楽しんでいるのが伝わってくる。

 

寝る前にスマホで、洋服やスニーカーを検索し、4人で「あ~、これ、可愛い!」「ほんとだぁ」などとも言っている。私なんぞは「スニーカーは運動しやすかったら それで良いんじゃない? 色はだいたい白だし・・・」と思うけれど、機能性に加え、 底の厚味やデザインの微妙な違いがあるらしい。 ほ~。そんなものかしらねぇ。昭和生まれは付いていけない。

 

翌日(日曜日)、朝食を済ませると、T ちゃんが持参したヘアーアイロンとコテを取り出す。ヘアーアイロンで整えた後、コテで 髪の毛の先の方に くるんとカールをつけるのだそうだ。ほ~。おしゃれ。「貸して」「私もしてみたい」と他の3人が言い、同じようにチャレンジしている。朝からひとしきり賑やかな時間を過ごした後、他の友達と待ち合わせしているとのことで、4 人で元気に出かけて行った。

 

帰宅した小焼けによると、男女合計 12 人が集まり、運動公園の中を走り回り(鬼ごっこ?!)、その後は桜の名所に散策に出かけ、更には ボウリングに行き・・・という流れだったらしい。コロナ禍と受験で 我慢に我慢を重ねていたのが心身共に解き放たれたようだ。 (「もっと はじけたかったけど、これでも気を遣って、カラオケには行かなかったし、ちゃんとマスクをして、会話も向かい合っては しないようにしたよ」とのこと)

桜を眺めながら、K ちゃんが突然宣言したらしい。「私ねぇ、高校に入ったら、きらきら女子路線に変更して、彼を作ろうと思うんだ」。それを聞いた男子が「無理じゃね?! みんな幼稚園から一緒で、K ちゃんの姐御キャラは知れ渡ってるし」と突っ込みを入れると 「あんた達を『彼』にしようなんて思ってないよ~。他の中学校から来た人とか、上級生の人 限定」と K ちゃんも負けずに応える。

すると、「自分の言いたいことや したいことを我慢して、別のキャラになって彼を作っても、楽しくないし疲れが溜まるよ」と誰かが言い、結局 K ちゃんは今まで通りのキャラで行くことにしたらしい。(みんなから頼りにされる頑張り屋さん & 心の しなやかさを兼ね備えた K ちゃんが、私も大好きよ)

 

一緒に遊んだ友達の中には、入試で実力が発揮できなくて 涙を呑んだ男の子もいたとのこと(結果を聞いて、みんな驚いた)。けれど、今までと何も変わらず、元気に会話していて「さすが S 君。格好いい」。合格発表の場で、自分の受験番号が無かった時の彼の気持ちを思うと 切ないけれど、S君は どこにいても伸びやかに彼の良さを発揮できる。 

そういえば、合格発表のニュースを  録画した中に、自分の番号を見つけて友達と抱き合って喜ぶ人達の間で、ボードをじっと見つめた後に すっとその場を離れた人が映っていた。大抵は T V 局側で編集してカットするのだろうけれど、人混みの中 ほんの短い時間の映り込みだったので、そのまま放送されてしまったのだろうか・・・。

 

『 15 歳の春』は 喜びも 切なさも 運んでくる。

「もし私がコロナで高校受験ができなくなった時は、また来年受けるしかないねぇ」と小焼けがのんびり言ったけれど、後で聞くと、私の祖母が曾孫の小焼けに話したことがあったらしい。「小焼けちゃん、ひいおばあちゃんの歳まで生きるとするとね、人生の1 年って ほんの 90 分の 1 にしか すぎないんだから、どうってことないのよ。『あれ? こっちで良かったのかなぁ?』って思うことがあったら、別の道に進んでみればいいんだからね」。

祖母の症状を考えると、この話をしたのは、小焼けが幼稚園児か小学低学年の頃だろう。まだ理解できるかどうかわからない年齢の曾孫に、祖母は折りにふれ こうして語りかけ、また その言葉が 幼い小焼けの心に残っていたのかも知れない と思うと嬉しい。

 

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