手術台の上で泣き叫んだ お方

今まで何度も入院・手術をしてきた経験からすると、4 人部屋の各ベッドはカーテンでぐるりと囲まれ、同室の方達が看護師さんやドクターと会話される声が聞こえる以外には 患者同士は顔を合わせることも殆どなかった。

ここ数年間は コロナ禍で仕方ないにしても、遥か昔、母が入院していた頃は 6 人部屋でもカーテンは開けっぱなしで和気藹々と会話が弾んでいたように記憶している。病院とはいえ、換言すれば、お互い、病を抱えている身だからこそ? 個人の空間を大切にしたい時代になっているのだろうか?

 

ところが、今回は入室すると、病室備え付けの洗面台 (4人共有) の前に たまたまいらした方にお会いした。お向かいのベッドの方のようだ。私が「今日からお世話になります夕暮れです。よろしくお願いします」とご挨拶をすると、私の母と同じくらいの年齢のその方 ( Tさん) は にこにこと挨拶を返してくださった。

私の病気の経過などについて尋ねられた後、ご自分の手術のこと、お孫さんのこと、お仕事のこと、バーボン・ウィスキーが大好きなこと(かっこいい 70 代だなぁ。お酒が飲めない私にはバーボン・ウィスキーなんて 夢のような世界だ)・・・など話してくださった。

お話を聞きながら、忙しく働いてこられた日々の中にも、人が好きで友人も多く、家族も愛してこられた姿が想像できる。それなのに、突然 病気が分かり「手術しなければ半年の命です」と告げられた時の驚き。T さんの心情に自分を重ねて切ない。

Tさんは更に続けられる。「『まだ死にたくないから手術します』と言ったけど、いざ手術室に入ったら怖くなっちゃって『先生、私、やっぱり手術やめます! 死んでもいいから家に帰ります!』と手術台の上で 起き上がろうと 頭と肩を浮かせて叫んだのよ。そしたら、先生が無言でそっと両肩を押し戻されたの」

・・・うんうん、お気持ち お察しします・・・。

「それでね、私、どうしたと思う?」と T さん。手術を間近に控えている私は他人事とは思えず、気になって「どうされました?」と尋ねる。T さん曰く「泣いたのよ、私。しゃくりあげながら大声で・・・。でもねぇ、目が覚めたら手術終わっちゃってたわ」と豪快に笑われる。

そこまで話すと、Tさんは「どれ、ちょっとひと休み」と言われて、ご自分のベッドに戻られた。

 

夕方になって T さんの主治医の先生が来られたようだ。カーテン越しに会話が聞こえる。どうやら、術後の経過と今後の治療方針について説明をされているようだ。

ひとしきり話された後に主治医の先生が「何か分からないこと、聞きたいことがありますか?」とおっしゃる。すると T さんは「このテレビの音がさっきから聞こえなくなって、どうしたらいいか分からないです」と応えられた。私は向かいのベッドで「聞くとこ、そこ?」と のけぞりそうになり、心の中でツッコミをいれる。

生真面目そうなドクターは 倒れ込みもせず「テレビの音が聞こえませんか? イヤホンですかねぇ。見てみましょう」と言われ、しばらくして「分かりました。リモコンの ここのボタンを押したら聞こえますよ」と仰った。

お二人の会話に なんだか ほのぼのとする。

 

私はこれまでの数回の手術で「内臓」が「無いぞう~」状態だけれど、今回の胃の摘出は 今後の生活に支障が出そうで気が重い手術だ。それでもこうして T さんと知り合えて良かったなぁ、元気が出るなぁと思った。( 70 代でバーボン・ウィスキーがお好きな 自称「大酒飲み」で豪快そうな女性なのに、そこはかとなく愛らしくて、憧れちゃう人生の先輩にまたお一人出会えました)

 

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ただいま!です  桜に間に合いました

★訪れてくださった皆様へ

入院中 いろいろありまして、退院が延び延びになってしまいましたが、昨日ようやく帰宅できました。ただいま!です。

再入院・手術にあたり、皆様からお寄せいただいた温かい励ましのコメントを嬉しくありがたく拝読致しました。かけてくださった ひと言ひと言が心に響き、それらはエネルギーとなり心身を守ってくれる思いがしました。

手術後に集中治療室で しんどさと闘っている折には、いただいた数々の言葉を思い浮かべ、力としました。本当にありがとうございました。

 

「何か起きてます?(その 1 ~その 5 )」にいただいたコメントは、勝手ながら非公開設定にさせて頂いておりまして、お一人ずつにお礼も申し上げられないままで、心苦しく申し訳なく思っております。

これからはまた、ゆっくりとではありますが、皆様のブログにもお邪魔させていただくのを楽しみにしています。

 

退院日の迎えには、実家の母が運転する車に 春休み中の娘 小焼けも乗って来ました。帰宅途中で車をとめて少しだけお花見をしました、一昨年に祖母が旅立ってからは、もう 4 世代のお花見にはならないのが寂しいですが、それでもこうしてまた桜を眺めることができる幸せを改めて感じました。

帰宅してみると、玄関前の ビオラやパンジーが大きな鉢から溢れんばかりに咲いていました。春の柔らかな風に揺られながら、まるで「おかえり」「おかえり」と迎えてくれているようでした。入院前は まだ肌寒い中、小さく縮こまっていたのに、 丹精込めて育ててくれた小焼けと 自然の恵みに感謝です。

2 か月後 (前回の手術の時は 2 週間だったのに) 病理検査の結果が出て、ステージによっては抗がん剤治療の開始となるようですが、それまでは猶予の期間として、日々の生活をゆっくりと過ごそうと思っています。

 

今日はひとまず、戻りましたのご挨拶とお礼まで。お心遣いありがとうございました。

 

 

★新しい治療法について情報をくださった方へ。(ブログに伺って お礼とご報告を、とも思いましたが、長くなりますので、ここに書かせていただくことをお許しください)

 

教えていただくまで、私はこの新しい術式のことを知りませんでした。医学の進歩はめざましく、もうそのようなことまでできるようになっているのですね。

この度セカンドオピニオンを受けた先生が執刀もしてくださることに決まっていましたので、早速相談しました。新しい術式での手術ができる病院は全国でもまだ限られているようですが、なんと、私が手術する病院も手がけているとのことでした。

けれども、私の場合にはもうリンパも取らなければならない状態にきているため、その術式では癌細胞が取り切れず、転移のリスクが大きいとのことでした。残念な思いもしましたが、丁寧に説明してくださり、納得できました。

 

私の場合にはこのような結果となりましたが、今後もし 身内や友人が同じ病気で手術するようなことになれば「こういう術式もあるらしいよ」と伝えたいと思います。術後も今までと変わらぬ生活が送れるなんて夢のようですものね。

「いろいろな情報を判断して手術に臨まれようとしているかと思います。そのような時に、余計なご負担をかけてしまうかもしれないのですが・・・」 「多方面のいろんな人からあれが良いこれが良いと、いろんな情報が入ってきて混乱することが多い状況にきっとおられるだろうなと思っていたので、送るのを迷いましたが・・・」との言葉も添えてくださって、お心遣いをありがたく思うと共に、新しい術式の情報をくださったこと、心より感謝しております。

 

退院はしたものの、日々の生活が元通りにはならないと焦って「手術しなければ良かった」とか、後でこのような術式があったと知って、「こちらにして貰えば良かった」と悔やんだかもしれませんが、予め知っていて、私の場合にはできない術式であったと納得できれば、現状を受け容れて進むことができるように思います。本当に ありがとうございました。

 

★ブログ、ツイッター退会のお知らせをくださったNさんへ(連絡手段がありませんので、こちらに書かせてくださいね)

入院中はツイッターもブログもログインできない状態でしたので、昨日帰宅して初めてブログのコメントを拝読しました。ツイッターのDMも開いてみましたが、既に退会なさった後で、全て消えておりました。もしその前にDMをくださっていたのなら拝読できないまま、お返事も叶わず申し訳ありません。(ブログの方は、先日頂いていたコメントは表示されました)

 

Nさんの瑞々しい感性に学ぶことも多く、時にはユーモラスに綴られ、時には「なるほど」と新たな発見をさせていただける N さんのブログやツイッターが大好きでした。

おっしゃるとおり、言葉の世界ですが、不思議なもので、言葉と同時に心も交わしているのだなぁと私もしみじみと感じました。

会えなくなって寂しさでいっぱいですが、Nさんらしい豊かで素敵な日々をこれからもお過ごしのことでしょうし、私も見習ってセンス・オブ・ワンダーを磨いていきたいと思います。ありがとうございました。

 

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何が起きてます?(その5)& ご挨拶

退院して 2 週間後に外来受診をした。経過報告と検査だと思って気楽に行った。手術後 2 か月間は食品の制限があり、口にできるものが少なかった。はぁ、食いしん坊なのに辛い。体に良いとされている繊維たっぷりの野菜さえも 胃の傷には悪いとのこと。スイーツと揚げ物のない生活は体重をかなり減らした。身も心も パサパサになりそうだった。それでも頑張ったのよ 私。褒めて ! 

手術日から数えてまだ 2 か月は経たないけれど、この日の検査で内部の傷がかなり癒えていたら、生クリームたっぷりのスイーツ、肉類 (特にステーキ)、コーヒー、カレーなども少しなら許可になるかな?・・・と楽しみだった。うふふ。うふふ。

 

ところが・・・主治医の先生が「夕暮れさん、気をしっかり持って聞いてください」と前置きをなさる。えっ! どういうこと? 予想外の展開に言葉が出てこない。

今までも 私がオヤジギャグを言うと「お気を確かに」と娘の小焼けに たしなめられたことは何度もある。けれども「気をしっかり持って・・・」はニュアンスがちょっと違う。

先生は、私の戸惑いを察しられたかのように、ゆっくりと「前回の手術で摘出したものの 病理検査の結果が出まして・・・。結論を先に言いますと、癌がもっと深くにまだあるようです」と仰る。 はい? なんですって?? この前の手術の時には「胃に関しては、早期発見だからすぐに対処すれば大丈夫」と言われたのに・・・。こうなるともう その後の先生の説明が耳に入ってこない。

そういえば・・・、法廷で裁判官が死刑判決を言い渡す時には、犯した罪の重さを被告にしっかり認識させる為に なぜその判決に至ったのかという説明を先にし、「死刑」という言葉は一番最後に口にされると聞いたことがある。結論を先に聞いてしまうと、被告は頭の中が真っ白になり、その後に述べられる言葉が伝わらないから らしい。なるほど、こういうことなのね、と妙に納得する。

 

先生は更に、手術の内容(胃を2/3摘出)等を説明され、「手術日をいつにしましょうか?」という相談に入られる。前回の手術の時には言い出せなかった「セカンドオピニオン」という言葉が 咄嗟に口をついて出た。自分でも びっくりする。先生は少し驚かれた(ように見えた)後、笑顔で「そうですね。ご自分の納得のいくようにされた方が良いですね。ご希望の病院へ持参する書類等をすぐに用意しましょう」と言ってくださる。

入院中にあんなによくしてくださった先生に 申し訳ない思いがするけれど、胃をそんなに切除しなくても済む他の方法はないものかと、素人ながらに思いもする。

 

後日、かなり遠くなるけれど 別の大学病院でセカンドオピニオンを受けた。30 分~1 時間という時間制限の中、質問したいことを前もって準備して臨む。それでもすぐに終了するのではないかという不安もあったけれど、胃癌専門の準教授が丁寧に説明してくださって、1 時間ぎりぎりまでかかった。こちらの病院では「(不運にも 癌のできている場所が悪いので) 胃の下から 4/5 切除、或いは全摘出」とのこと。(切る範囲が増えとるやないかぁ~)

先生は仰る。「こんなに切らなくても、癌の部分だけ ちょこっと えぐり取る とか、下から 4/5 ではなくて 上から 1/5 切ったら良いじゃないか、と思われるでしょうね?」。うんうん、そうなんですよ、と私は心の中で呟く。きっと先生は数え切れないほど同じ質問を受けて来られたのだろう。

なぜそういう手術になるのか という説明を受けて納得し、こちらの大学病院で手術をしていただくことになった。病院から頂いた資料を、帰宅してからじっくり読む。手術に関すること、術後に起こりうること、長く悩まされるかもしれない後遺症等々。多くの方達の経験を元に書かれているので、全てが私に当てはまる訳ではないのは分かるけれど、「もし・・・」「~だったら」と不安がわき起こる。

 

昨年、あと少しで 長年の病院通いも終了すると思った矢先に、新たに別の箇所で見つかった癌。その時は さすがにショックで気持ちを立て直すのに時間がかかった。病気や事故などで思いもかけないことが自分の身に降りかかった時、人は次のような段階を踏んで次第に受け入れていくらしい。

『ショックを受け、自分自身に何が起きたか理解できない → 現実に目を背けて、認めたくない → 落ち込んだり、行き場のない怒りがこみあげる → 負けずに生きる努力をしようと思い始める  → ポジティブに捉えて、受容し前へ進んで行こうとする』

その時は、自分の心がまさにこの通りに辿っていくのを感じて、この段階を見つけられた学者(Dr.?) さんは すごいなぁ・・・と思った。

 

ところが・・・今回は なんだか違う。最初の段階の「ショック」や「認めたくない気持ち」「行き場のない怒り」までは同じなのだけれど、最後の段階の「ポジティブに捉えて、前へ進んでいこうという気持ち」になったかと思うと、あらぁ・・・、また最初の段階に戻るのだ。「なんでやねん?」とか「バカタレ(乱暴でごめんなさい。誰か特定の人に向かって言っている訳ではありません)」とか。かなり心が揺れる。

 

心を なんとか最後の段階に落ち着かせようと試みる。建築家の安藤忠雄さんは、癌で 胆のう、胆管、十二指腸、膵臓脾臓を摘出され、ご本人いわく「 5 臓なしの体」になって 8 年とのこと。「それでも私は不思議と元気です・・・ 5 臓がないなら、ないように生きる」と話されている。田辺聖子さんの『気張らんと まあぼちぼちいきまひょ』って言葉も良いなぁと思ってみる。

「そういえば・・・、『どうしてずっと犬のままなの?』と問いかけられたスヌーピーが『配られたカードで勝負するっきゃないのさ・・・それがどういう意味であれ』と犬小屋の屋根に仰向けに寝っ転がって 言ってたなぁ」と思い出す。この言葉にはいろいろな解釈があって、否定的な意見もあるようだけれど、私は「自分の持っているカードを上手に丁寧に使いこなしていこう」と捉えようと思ったりもする。

それなのに、また気持ちが元に戻り、これらの段階をぐるぐると回る。同じような手術をされた方が多いことも知っている。もっとしんどい状態の中で闘っていらっしゃる方達のことも知っている。どうして今回、私は最後の段階に辿り着き ポジティブに捉えて進めないのかなぁ・・・。

 

前回の手術をしてもらった規模の大きい病院の他に、開業医の先生にもお世話になっている。入院・手術のことを伝えると、薬を最大日数まで処方してくださった。処方箋を持って調剤薬局に行くと、顔なじみの薬剤師さんが驚かれた。事情を話すと みるみる内に涙ぐまれ「夕暮れさん、まだお若いのにね。胃の殆どを失われるなんて・・・。日常生活や後遺症で 大変なこともあるでしょうし」とおっしゃる。お仕事柄 様々なことを知っておられて 案じてくださっているのだろう。優しいお人だ。

私は「これ以上 転移して手遅れになる方が心配なので、しっかり切除して貰うことにします。後遺症も 人それぞれでしょうから 手術してみないと分かりませんしね。ずっと苦しまれる方もいらっしゃれば、すぐに仕事に復帰してお元気な方もいらっしゃるようですし・・・」と応える。いつの間にか、慰める側に回っている。

たまたま自分が口にした言葉に「それもそうだ」という思いに至る。癌が別の部分に更に転移する前に、危なそうな所は全部とってもらっておかなくちゃ。

今年から優先順位第一位は「死なないこと」にしよう。元々、何かあっても「命に別状なければそれで良し。ま、ええ」と思う のんき者であった。手術後は、死なないようにぼちぼちと楽しく暮らしていこう。

 

音楽友達のあずきさんが『島より』という曲を弾き語りされていた。あずきさんの 穏やかで澄んだ歌声と歌詞から おとなの切ない恋の世界が広がってくる。

『"島より”とだけしか明かさぬ文(ふみ)は それゆえ明かすでしょう 心の綾を』というフレーズが心に響く。インターネットを介して知り会えた方達のことを思い浮かべる。”島より”としか明かさぬ文のように、お名前も住んでいらっしゃる場所も存じ上げないけれど、綴られる言葉からその方の ”心の綾” 、シルエット (生き方・考え方など) が浮かびあがる。それぞれに抱えておられるものも伝わってくる。頑張っていらっしゃるのだなぁ・・・と頭が下がる。

そして、私の拙いブログや twitter に DM やコメントをくださる心優しい方達。今回の病気に関しては頂いたコメント非公開設定にして申し訳なく思うけれど、たくさんの温かい言葉に深く感謝する。改めて拝読しながら、込められた皆様の思いに何度も うるうるする。

 

 ↓  あずきさんの『島より』です。ご本人に了承を得てご紹介します。


www.youtube.com

 

 ↓ 同じく あずきさん弾き語りの『India Goose』。以前、あずきさんが「友達が仕事で独立した時にこの曲を贈ったのよ。この曲を歌う時は、エールを送る想いで歌うの」とおっしゃったことがある。「私、この歌、好きなんです。ブログに載せても良いですか?」とお尋ねすると、すぐに  YouTube にアップしてくださった。たくさんのありがとうを あずきさんに ♪

曲のタイトルになっているインド雁は、検索するとモンゴル高原で子育てを終え、冬が近づくと 暖かいインドへと旅立つ』とのこと。ということは、乱気流が渦巻く中、命がけで上昇気流に乗ってヒマラヤ山脈を越えるのね? すごっ。歌詞に沿ってその様をイメージしてみる。強い羽を持つ鳥たちは、冬が来る前に既に山脈を越えて行っている。残された薄い羽を持つ小さな小さな鳥達が雪風にあおられ、編隊を組み直しながら頑張って進もうとしている姿が目に浮かぶ。偉いなぁ・・・。強いなぁ・・・。

『さみしい心  先頭を飛んで♪  弱い心  中にかばって♪  信じる心  一番後ろから 歌いながら飛ぶよ♪』・・・。

あずきさんの歌声が温かく心に染み入る。スポーツの応援に見られるような 大声で送られるエールよりも、あずきさんの優しく静かに語りかけるようなエールの方が 私にとっては いつまでも長続きするエネルギーになる気がする。 ん? これも持続可能なエネルギー? 「太陽光」「風力」「地熱」・・・の他に、私の辞書には「音楽の力」も付け加えよう。

 

↓ あずきさんの『India Goose』です


www.youtube.com

 

☆ だらだらとした長文を最後までお読みくださった皆様、ありがとうございました。上記のような訳で、先月ようやく「ただいま」を言えたばかりなのに、もう暫くすると 私 また、ひとっ風呂浴びて・・・あっ、違った・・・ひとっ腹 切って参ります。

入院中は、上げ膳据え膳(点滴が主だけど)だし、時間もたっぷりあるので 本は読み放題 だし ( 今回は多目に持参しよう )音楽も聴き放題 ( ツイキャスの録音 & YouTube )。更には (その4) で書いたような出会いもあるかしら?( 今度はどんな方達かな?) 等と捉えて、行ってきます!

 

カナラズ モドッテクルカラ マッテテネ

 

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何が起きてます?(その4)

★訪れてくださった皆様へ

ご無沙汰のご挨拶だけ・・・と思っていましたのに、ブログでは「その1」~「その4」と続いてしまいました。 おどろおどろしい話で始まり、ネガティブなことをぼそぼそと綴るに至っています。それにもかかわらず、スターマーク・DM、或いは「コメント欄」や「ブックマーク」にメッセージをお寄せくださった皆様に 恐縮しつつも感謝の気持ちでいっぱいです。

今回の「何が起きています?」に頂いたコメントは大変勝手ながら「その1」から今回まで非表示に戻させていただきました。(あくまで「非表示」であって「削除」ではありませんので、私にはいつでも拝読でき、その都度、エネルギーをいただいています)。※ブックマークの方は、未だにシステムが分からず、申し訳ありませんが このままにさせていただいています)

お一人ずつにお礼を述べることも叶わず、このような形で失礼とは思いますが、お許しください。皆様のコメントから溢れる温かいお気持ち、心に染み入りました。本当にありがとうございました。

 

さて、ここからは、いつもの「タメグチ備忘録ブログ」に戻ります。病院という非日常の中でも、心に残る人々に出会うことができました。↓

★スタッフステーションの隣の部屋で二日目を迎えた夕方、向かいのベッドが急に賑やかになった。手術を終えてこちらに来られた方だろうか? 大声で「ワタクシは急いで家に帰らなくてはいけませんのよ。お洗濯物も取り入れなくてはならないし、夕食の準備もありますし・・・」などと叫ばれている。看護師さんが「○○さん、ここは病院で・・・」と説明されるけれど 納得がいかないご様子で同じことを繰り返される。

その都度来られるスタッフの方が同じ説明をし 去られて暫くすると、また大声で「どなたか いらっしゃいません? どうぞ早く帰してください!どなたか お願いですから!」と叫ばれたかと思うと、今度は「××ちゃん、ごめんなさいね。本当にごめんなさい。許してね」と、あらん限りの声を振り絞って慟哭なさる。

手術後の せん妄なのか、場所が変わって(施設から緊急搬送されて来られたようだ)ご自分の状況が理解できずに、パニックになっていらっしゃるのか・・・。

私に分かることは、この方には 今 とても辛い世界が見えているということ。お腹の底から絞り出すような叫び声・泣き声を聞きながら、私も切ない。

 

それにしても、この方の言葉遣いは丁寧で美しい。人は 長い間に積み重ねて来たことの根本は揺るがないのだろうか。

ん? そう考えると、私は将来どうなるの? うけないオヤジギャグを連発して 顰蹙をかうかも・・・。想像すると恥ずかしくなって、ちょっと照れる。

ずっと以前、友人のMちゃんが ぼそっと言ったことを思い出す。「ねぇ、夕暮れちゃん、将来認知症になったと仮定して、人によって いろんなパターンがあるじゃない? 物欲が強く出る人とか、徘徊しちゃう人とか・・・。私の場合、胸をはだけて『あらぁ、いい男ねぇ』なんて言い出したらどうしよう?」。

Mちゃんは、私達の仲間内では珍しく情熱的で、恋に関しても自分の気持ちに真っ正直に向き合って生きて来た人だ。ふむ。Mちゃん、もしそうなったら、私がちゃんと はだけた服を元に戻してあげるから。オヤジギャグを言いながら・・・(その頃は私も認知症になっている)

 

はだけた・・・といえば、小焼けが 友達と出かけて帰ってきた日、私に尋ねたことがあった。「(あの二人の言動は) どういう意味だったんだろうね?」。何のことかと詳しく聞いてみると次のようなことだった。

小焼けのスニーカーの紐がほどけそうになったので 直そうとしていると、一緒にいた R  君がいきなり小焼けの前に背中を向けて立ったのだとか。すると S 君が、「なるほどね。俺はそういうことが咄嗟にできないから、いろんな女の子に振られるのか?」と言ったそうだ。

オミクロン株が こんなに猛威を振るうようになる前の、夏休みの暑い日。小焼けはその日、胸元がふんわりとした洋服を着て出かけて行った。私はひらめく。あ~、この洋服のせいだ。靴紐を結び直そうと 体をかがめた時に ブラウスの中が見えたのかも。それを R 君がさりげなく他の人の視線を遮るように 前に立ってくれたのだろう。小焼けは「ふ~ん。ってことは、少なくとも R 君と S 君には見えちゃったのかぁ、私の胸の谷間。ま、見えたところで、Aカップブラではそう大した破壊力もなかろう」と のんびりと言う。さほど気にしている風もない。そりゃそうだ。幼稚園から一緒なのだから、もっと恥ずかしいこと(トイレに間に合わなかった等)もお互い知っている。

※ この R 君は、幼稚園時代に親子劇場があった時、お芝居の途中で 客席から「ドアを開けちゃダメだよぉ。オオカミさんが入って来るよ!!」と大声で叫んだことがある。その声につられて あちこちから「開けちゃダメ!」「オオカミさんだよ~」の可愛い声が上がり、舞台上の俳優さんは、ドアの前で どうしたものかと 開けるのをためらわれたのだった。正義の味方の R 君は高校生になって、ますます頼もしく成長しているのねぇ。

 

(横道に逸れました。入院中の話に戻ります)

ようやく容体も落ち着き 一般病棟に移る途中、エレベーターホールの椅子に腰かけた お爺さんを見かけた。膝を激しく上下させておられる。年齢を感じさせない力強く 素早い動き。踵が床に打ち付けられる音もする。

看護師さんが声をかけられる。「 Y さん、どうされました?」。Y さんはゆっくりと答えられる。「さっきから心臓の動きがおかしくてな、元に戻るように心臓を応援しとる」。

看護師さんは明るい声で「貧乏ゆすりして 自力で 心臓を動かそうとされてるの~? 夕暮れさんを病室まで送ったらすぐに戻ってくるから、ちょっと待っててくださいねぇ」とおっしゃる。Y さんは素直に「うん」とお返事される。

Y さんは元々ユーモラスな方なのか、年齢に伴う症状がそうさせるのか分からないけれど、看護師さんと Y さんの間に 柔らかな空気が流れて、私は ほっこりとする。Y さんは この後、ちゃんと診て貰われて呼吸が楽になられたことだろう。

 

★移った一般病室では、同室は たまたま高齢の方ばかりだった。食事は介助スタッフがお一人ずつに付かれているようだ。耳が遠い方達なので、大声での会話が飛び交う。 威勢の良い 早朝の魚河岸のようで 私も元気が出る。

その中のお一人はもうすぐ退院らしく、リハビリで歩行練習もなさっているようだ。定期的に理学療法士さん (男性) が 病室を訪れられる。歩行訓練の前に、ベッド上で体をほぐされるようだ。その時の会話も 大声なので自然と耳に入ってくる。

理学療法士さんのお人柄・会話の運び方が素晴らしいことに感心する (見習いたい)。患者 ( T さん) が話されたことについて、「そうなんですねぇ」と相槌を打たれた後に、ひとつ質問を付け加えられる。すると、T さんは更にその質問について話される。お二人の会話がゆったりと穏やかに進む。T さんの歩んでこられた時代から察しても ご苦労が多かったようだ。書物には残らないけれど、こうして市井の片隅で ひたむきに生きてこられた方達がいらっしゃる。お一人お一人にドラマがある。胸が熱くなる。(私もがんばって生き抜こう)

カーテンがあるので、病室ではお二人の姿を見たことがなかったけれど、一度だけ 廊下でリハビリの途中をお見かけした。ゆっくりと歩かれる とても小柄な T さんと、寄り添って進まれる背の高い理学療法士さん。『大家さんとぼく』のような ほのぼのとしたお二人だった。

 

(出会った方達のお話は まだまだありますが、書き切れないので 機会があれば いずれまた)

入院して ふつふつと湧き上がってきたものは、医療に従事される方達への感謝の気持ち。急性期病院だけあって重症患者も多く、しょっちゅうナースコールが響く中、テキパキと しかも明るく対応なさる。命を預かる職場のハードさに「使命感」「プロの心意気」などという言葉で語っては申し訳ない思いになる。加えて、コロナ禍も長きに渡り、ハードさにも一段と拍車がかかっていることだろう。改めて頭がさがる。

 

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何が起きてます?(その3)

ベッド上で、身動きもままならない状態で迎えた夜は長かった。

「これからどうなるのだろう?」という思いが拭いきれない。不安に苛まれると 思考はネガティブな方向へと向かっていく。

スタッフ ステーションからカーテン越しの灯りが漏れる。隣のベッドの方は、しょっちゅうナースコールをされている。お辛そうだ。対応される看護師さんの声や足音が耳に入る。「どうなさいました?痛みますか?」という声が優しい。夜は看護師さんの人数が少なくなり、それでも しなくてはならない用事は多そうなのに、医療に携わられる方達に頭がさがる。

 

私のベッドの三方はぐるりとカーテンで囲まれていて、一人の空間の中にいる。そして気が付くと、自分の人生を遡っていた。『何か成し遂げたことがあったかなぁ』と考えても、何もかもが中途半端。幼い頃からいろんなことを試みては失敗した。歳を重ねても、恥の多い人生だった。情けないなぁ。

 

それから、娘の小焼けのことを思う。もし私に何かあれば、あっという間に両親のいない子 になってしまう。それでも、今年の春には高校2年生。あと少しで高校を卒業して、進学や就職で一人暮らしを始める人も多い年齢になる。小焼けにはその時期が少し早く訪れるだけだ。幸いなことに、料理も好きだし家事も一通りのことはこなす。不憫だけれど、小焼けなら なんとかやっていけるだろう、と自分に言い聞かせる。

 

長い間、病院と縁の切れない時期を過ごしてきて、ひとつ良かったことは「万一」に備えることができること。義父、義姉、実家の両親、娘、友人、お世話になった方達にも伝えておきたいことは記してある。面と向かっては気恥ずかしくて言葉にできないことも、文字を介してなら伝えられる。

それから、残していく娘が将来 就職して自立できるまでの期間、贅沢はできなくても経済的にはなんとか暮らせるように準備もしてある。困ったことがあれば、支援制度や相談窓口があることも 具体的に記してある。

 

私の実家の父は物忘れが増えたし、母も持病があるけれど、精神面でも小焼けの力になってくれるだろう。(親より先に旅立つ不幸に胸が痛む)

小焼けには、幼稚園時代から仲良くしてくれている友達もいる。心優しく頼もしい男の子達や しっかり者の女の子達。将来 小焼けが判断に迷う事があれば、知恵を貸してくれるだろう。

 

それでも・・・小焼けが成長していく姿をもっと見たかったなぁ。大学に進み、就職をし、どんな人達と新たに出会うのだろう?

どんな人を好きになるのだろう?  どんな仕事に就くのだろう? 幼い頃からの夢は叶うのだろうか?  ・・・結婚しても しなくても、子どもに恵まれてもそうでなくても、どんな場所に住もうとも、みんな小焼けの人生。笑顔でいられれば良いと願う。

夫と共に歳を重ねていきたかったなぁ。どんなお爺さんになっただろう?義父のように額が広くなった? それとも白髪?  夫は もっともっと生きたかっただろうな・・・事故や災害で 突然 命を絶たれた人達の無念を思う。

ああ、だめだ。こんなことばかり考えていたら、心がむなしく淀んで行く。

 

人は必ず死ぬ。たとえ天寿を全うできたとしても、心を残しながら旅立つのだろうか。「あの世」とやらに行った時のことを考えてみよう。そこにはご先祖様達が ずらりといて、「夕暮れちゃん」と笑顔で迎えてくれるのだろうか。

写真でしか知らない曾祖母にも会ってみたい。仏間の写真の優しい笑顔には 子ども心にも 惹かれるものがあった。一昨年 旅立った祖母の義母(姑)にあたる人だ。祖母が「ひいおばあちゃんは苦労も多かったのに、慈愛に満ちた人だったよ」と語ったことがあった。『あちらの世界に行ったら、ひいおばあちゃんに会って話をしてみたいなぁ』と思った。

 

あちらの世界で会えたら、曾祖母の一生について話を聞きたい。どんな風に人生を歩んで来たのだろう。それから その後には 現代の話をしてあげよう。「令和では、自動運転の車の実用化も目前だったし、インターネットで世界中の人達と顔を見ながら話せたのよ」と教えてあげよう。明治生まれの曾祖母は眼を丸くして驚くかもしれない。

すると、もっと前の時代のご先祖様が「私の時代は、枝の先に文をくくりつけて、おずおずと恋文を渡したものだったよ」と言うかも。で、別のご先祖様が横から「俺の時代は飛脚だった」と口を挟むと、「いや、ワシの時代はホラ貝を吹いた」と割って入る人や、「私の時代は狼煙を上げたんだよ」等という人もいて、情報伝達の手段や恋人への想いの伝え方について 話に花が咲くかも。

それから・・・もうこの世では会えなくなった懐かしいあの人、この人にも会いたいなぁ。積もる話がたくさんある。

 

そんなことを考えていたら、夜が明けた。明るい日射しの中では またいつもの陽気でのんきな私に戻る。

『退院してすっかり元気になったら、何食べよう?』と 想像する(一番先に考えるのがそれ?)。フレンチのコース料理や懐石料理。プロの腕 (技) が光る美味しいもの。いいねぇ、いいねぇ。がんばって早く元気になろう。

 

そうして・・・その後、なんや かんやとありながらも、ようやく退院できた日、「小焼けが そろそろ帰ってくるはず・・・」と 2 階の窓から外を眺めていると、曲がり角に姿が現われた。ゆるやかな坂道を全速力で駆けのぼって来る。

その様子を見ながら、この子の母親でまだいられることの嬉しさが じんわりと込み上げてきた。

 

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何が起きてます? (その2)

麻酔から目覚めたら、先程ストレッチャーに乗せられて出ていった病室ではなく、別の場所にいた。「ここはどこだろう?」とぼんやりした頭で辺りを見回すと、ベッドの頭側が壁ではなくて、透明ガラスになっていた。透明ガラスのあちら側はスタッフ (ナース) ステーションらしい。カーテンが引かれているが、このカーテンはあちら側からのみ開くようだ。スタッフステーションは、夜中でも看護師さんがいらっしゃるし、明かりがずっと灯っていて心強い気がする。

 

それから、私の体には いろんなコードやチューブが繋がれていることに気付く。あらら、いつの間に? 前々日に手術が済んだ時はこんな重装備ではなかった。『検査結果が思わしくなかったのかなぁ?』と不安になりつつも、持ち前の好奇心がまたもや頭をもたげる。どんなものが繋がっているのか探ってみよう。

 

点滴チューブはさすがにすぐに分かる。 鼻には酸素投与のためのチューブ。これは低酸素血症回避のため?(知らんけど)。それから、指先にはめられているものはパルスオキシメータ? 血中酸素濃度や脈拍数を計るものよね?(知らんけど)。『他のものは、何だろう?』と病衣の中を覗いて見ると、カラフルなコードがある。コードの先をそっと辿ってみるとペタンと丸いものに繋がっている。これは心電図かな? それから、「この太いチューブはどこに繋がっているの?」と探っていると、突然、ウィーンという音と共に腕が圧迫された。痛い。もしや、これ、血圧計?誰も傍にいないのに定期的に自動で作動するらしい。優れものだ。(もちろん夜中でもお構いなしにウィーンとくる。残業手当もないのに働きものだわね)

これらのデータが全て 自動でスタッフステーションに送られるのだろう。安心な気もするけれど、寝返りも思うようにできない窮屈さがある。(ちょっとした拍子にチューブが抜けてしまいそうで心配)

 

転移が見つかった時、別の大学病院でセカンドオピニオンを受けようかと思いもしたけれど、転移そのものは どこで検査しても多分同じ結果だろう。それでも手術は別の方法を提案されたかもしれないとも思う。ただ、長くお世話になっている病院に「他の大学病院の意見も聞きたいです」とはなかなか言い出せなかったし、手術日程等があれよあれよという間に決まってしまった。う~ん。今更ながら、の話だけれど。

 

夕方、主治医の先生が来られた。「検査して止血もしっかりしましたし、点滴で鉄分の補給もしています。手術の時にかなり出血したので、それが胃の中に残っていて、あがってきたのでしょう」と、いつもの大らかな先生に戻られていた。状態が分かっていささか安心しつつも、他の方達もこんなに出血するのかなぁ・・・とも思う。

先生が去られた後に、不自由な体を もぞもぞと動かしながら、枕元に置いていたスマホを取り出し、キーワードを入れて検索する。私のような状態に陥ることは「ごくまれに」とか「4パーセント」とか、中には「0.06パーセント」というのもある。病院によって手術数も異なるので一概に比較はできないけれど、よくあることでもなさそうだ。

 

「私、失敗しないので」のドクターXのセリフと顔が浮かぶ。『それはドラマの中だけなのだなぁ』と、心密かに思う。いえ、執刀してくださった現在の主治医の先生がどうこうという訳ではなく、以前お世話になった主治医の先生が「別の大学病院を紹介します」とおっしゃったくらいだから、難しい手術だったのかもしれない。

それにしても、吐血した時の、先生やスタッフの皆さんの慌てぶりが、私の脳裏に焼き付いて離れない。本当にもう大丈夫? これから私、どうなるのだろう?

 

『あったら嫌だ こんなこと』というテーマで書かれていたものを思い出す。

その中のひとつに『手術中に執刀医が「あっ!」と叫んだ』というのがあった。私は麻酔で眠っていたから分からないけれど、もしドクターが手術中に「あっ!」と叫んでいたら、患者はたまりませんぜぃ、と思った。

そして、これから更に数日後、私はもう一度 大出血をしたのだった。元々 性格は血の気の薄い ぼんやりした人間なのに、更に体内の血液がなくなる・・・。「その3」に続く(かも)

 

※ 主治医の先生は、休日も「気になるから」と病室を訪れてくださったり、私の容体が悪くなったと知らせが入れば、帰宅途中にもかかわらず、また戻って来てくださった。今回のことではないけれど、手を尽くしても現代の医学の及ばないことは まだまだあるし、医療ミスで裁判になる例も耳にする。命を預かる仕事の過酷さを思い、頭が下がる。

文中に、主治医の先生に失礼な表現が出てきます。こんな恩知らずな夕暮れのことを嫌いになっても、医学・医療の道は嫌いにならないでください。

 

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何が起きてます?(その1)

★訪れてくださった皆様へ。

4か月ぶりのブログ更新となりました。松の内も過ぎ 遅ればせながらですが本年もよろしくお願い致します。

記事更新がないにもかかわらず、訪問してくださった方、過去記事を遡って読んでくださった方、案じてDMをくださった方・・・温かいお気持ちありがとうございました。

ずっと入院していた訳ではないのですが、SNSを繋ぐ気力と体力がなかなか回復せず、今日に至りました。すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様のブログにもこれから時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりと楽しみに訪問させていただきます。

闘病日記はブログには書いておりませんが、実は私、かねてより病院とはなかなか縁が切れない生活をしております。今回も一週間から10日くらいで治療・退院できる予定でしたし、元々ブログは月に2 記事くらいしか書いていませんでしたので、皆様にお知らせもせずに軽い気持ちで入院しました。

ところが・・・。(ここから先は、いつも通りの独り言ブログになります。おどろおどろしい表現もありますので、お食事前の方や、気の弱いお方はここまでにしてくださいませ)

 

★「夕暮れさん、残念ながら癌の転移が見られます。こちらは早急に治療を開始しましょう」と主治医の先生がおっしゃる。「えっ!」と心の中で叫びつつ、頭の中が真っ白になる。ようやくこれまでの状態が落ち着いてきて「もうこれで大丈夫」という矢先の転移宣告。

「本当ですか?」と問い返したところで、ドクターが「あはっ、冗談ですよ。転移もなく順調です」と答えられるはずもなく、現実を受け容れるしかないのだと、ぼんやりと思う。

それから後は あれよあれよという間に、手術日が決まり、手術・入院に伴うあれこれの説明が進む。コロナ禍で入院中の面会は家族もできず、手術日のみ 1人だけ連絡のつく場所で待機して、途中で何かあって別の手術に切り替える時の同意書(本人は麻酔で眠っているので)を書いて欲しいとのこと。

 

この病院はこの辺りでは一番規模の大きい病院なのだけれど、主治医の先生は 2,3年で替わられる。今回の先生は明るくていつも笑顔で、「何か質問はありませんか?なんでも聞いてください」などと言ってもくださる。手術に際しても「リスクは一応伝えることになっているので伝えますが、僕の経験上、まずそういうことはないです。」とも おっしゃる。

以前の主治医の先生は「もしも、これから転移があるようなら、うちの病院では手術は難しいので、別の大学病院を紹介します」とおっしゃった。そのことを伝えると、今回の主治医の先生は「だいじょうぶですよ。僕が執刀しますから」とおっしゃる。こういうタイプのドクターには、直感的に不安が伴う。(先生、ごめんなさい!)

 

今までの手術でもそうだったけれど、万一目が覚めなかった場合を考えて 念の為、家族・娘 (小焼け)や、実家の両親に宛てて伝えておかねばならないことなどを記しておく。今回は今までより丁寧に書いておかねばならない気がしたのは何故だろう。

 

そんなこんなで、ひとまず手術が終わった直後に、「夕暮れさん」と名を呼ぶ声が聞こえて目をあけたものの、今まで何度となく経験してきた手術後の麻酔の覚め方と様子が違うことに気付く。表現するのが難しいけれど、両腕を伸ばして空(くう)を わし掴みしたいような苦しさがある。そのことを伝えようとすると呂律が回らない。驚きながら、ゆっくり言葉にしようとするのだけれど、言葉にならない。焦っている内にまた眠ってしまったらしい。次に目が覚めたら病室だった。

翌日までは絶食で、それ以降は重湯から始めて、普通食が食べられるようになれば退院とのことで、ほっとする。

 

ところが・・・翌日、「歯を磨かれますか?」と看護師さんが、水や膿盆?(ソラマメの格好をした金属製のもの)などを用意してくださった。ベッドに腰かけて歯磨きの準備をしようとしたら、急にめまいのような(倒れそうな)感じが襲ってきた。と同時に急激に胃からこみあげてくるものがあった。

 

膿盆が手元にあったので それを手にするや否や、口から真っ黒なものがドクドクドクと出てきた。豆腐を手で握りつぶしたような、形にはならないけれど液体ではないものが、とどまることなく溢れる。「なんじゃ、こりゃー!!」とふざける余裕もさすがにない。何が起こっているのか状況も掴めず、ただただ驚く。

 

膿盆が溢れそうになるのに、まだまだこみ上げてくる。急いでコールボタンを押す。看護師さんが「わぁ」と驚きつつ、もうひとつ膿盆を大急ぎで持って来てくださる。

二つ目も溢れんばかりになってようやくおさまった。吐くだけ吐いたら楽になった。昭和のドラマで、刑事が「吐けー!吐いて楽になるんだ!」と容疑者を怒鳴るシーンがあったけれど、吐くと本当に楽になるのだ(吐くものが違う)

楽になったら、今度は持ち前の好奇心が頭をもたげる。「これはなんだろう?」とじっと眺める。ゾンビが口からドロドロしたものを吐き出すアレみたいだ。少しこぼれたものが台の上に付いている。量が多いと真っ黒に見えるけれど、少量だと赤い。私はどうやら血を吐いたようだ。

おかしいなぁ・・・『美人吐くめぇ』って言うじゃない? なんで吐くの?私。美人じゃないからか?ふむ。 そもそもそれを言うなら『薄命』だわね。楽になったらなったで、オヤジギャグが脳裏に浮かぶ。困ったものだ。

 

はて、どうしたものかと、そのままベッドに腰かけていると、別の看護師さん達が走って来られた。「今、主治医の先生に連絡しました。すぐに来られます。その後、検査室に行きますから」とのこと。

「主治医の先生は この時間は外来診察の筈だけど、それを中断して駆けつけて検査?」と、何か大変なことが起こっているのだろうか?と不安になる。

 

看護師さんは「ご家族にも連絡しておきましたよ」ともおっしゃる。えっ、家族が心配するから連絡しなくても良かったのに、連絡しておかねばならないほどのことが起こってるの? と更に不安になる。

経験の長そうな看護師さんにそっと聞いてみる。「あのぅ、こういうことってよくあるのですか?」。看護師さんは一瞬言葉に詰まられた感じで、すぐにはお返事されなかった。少しして「たまにこうなる方もいらっしゃるようですが」とのこと。「・・・ようですが」ってことは、ご自分は経験されたことがないのかな?つまり、私ってレアケース?と更に不安になる。

 

そんなことを考えていたら、先生が来られて「検査に行きましょう。麻酔で眠って貰うので大丈夫ですよ」とのこと。(また麻酔?嫌だなぁ)

すぐにガラガラと音がしてストレッチャーが病室に入ってきた。「夕暮れさん、検査室に行きましょう!」との声が若々しい。スポーツマンタイプの男性看護師さんだ。ベッドから移乗するとすぐにストレッチャーが動きだす。スピード 速っ!

前々日、手術室に向かう時は女性看護師さんが「エレベーターに乗ります。ちょっとガタンとしますよ。」と声を掛けながらゆっくりと進まれた。それに比べて今回のこの速さは なぁに? そんなに急がないといけないの? ビュンビュンビュン、やたら速い。

傍には 点滴スタンドを押す看護師さんもいらっしゃるはず。みんなでそんなに大急ぎで? 私には天井しか見えないけれど、ぐんぐん進むのがわかる。時々、「ストレッチャー通ります!」とさっきの男性看護師さんが 外来の患者さん達に声をかけながら、上手に舵をとって進まれる。そんなに急がないといけない状況なの?とまたまた不安が上書きされる。

「夕暮れさんをお連れしました!」と男性看護師さんの声が響く。お元気な人だ。頼もしくすらある。

検査室には主治医の先生が手術着?に着替えられてもう待たれていた。さっき病室にいらしたのに、先生も速っ。

 

(今日はここまでです。ひとまず、ご無沙汰のご挨拶まで。「その2」はいずれまた)

 

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