日々の暮らしの中で

二十四節気のひとつである『白露』。今年は 9月 7日だったらしい。子どもの頃に、『朝の光を受けて、白く輝く露』のことを こう呼ぶのだと知った。そして、草の葉の上で朝日に輝く露 を想像して「綺麗な言葉と情景だなぁ」と感じたことを、この時期になると ふっと思い出す。

「『白露』が過ぎれば、今度は ツバメが去るのよ。」とも聞いた。祖母の生家(今はもう面影が無くなってしまったけれど)の軒下には 毎年ツバメが巣を作っていたとのこと。

今年も春先にやって来て夏を過ごしたツバメ達が、子育てを終えて 暖かい南方へと渡って行く日も間近だろう。コロナ禍もなんのその、「県境を越えてはダメ」というルールもなく数千キロにも及ぶ旅。途中で「疲れたから道の駅で一休み。お土産も買いたいね」とか、「たまには贅沢して豪華な温泉付きホテルにしましょう」ということもなく、目的地まで不眠不休・飲まず食わずの過酷な旅。「がんばれ、がんばれ、また来年ね・・・」と、私は会ったこともないツバメ達にエールを送る。

 

ふと、「数千キロ、数万キロの距離を迷わずに渡って行けて、翌年はまた同じ所に帰って来られるのは なぜ?」という疑問が湧いた。すぐに検索。子ども向けのサイトがあった。分かり易くて好きだ。

解説によると、【鳥は、太陽や星座の位置を頼りにしたり、地球の磁気を使っている】とのこと。【体内に方位磁針を持っているので方向がわかる】らしい。【そのようにして、ある程度の所まで行ったら、今度は地形の記憶を頼りに飛び、最後は目で確認して目的地に辿り着いていると考えられる。匂いや仲間の泣き声も頼りにしていることもある】 ←『「ふしぎ」を見に行こう』 (川上和人さん)

ほぉ~、そうなんだぁ。すごいねぇ。 ひたすら感心する。 カーナビが「700メートル先の信号を左折です」と言っているのに、300メートル先の信号を左折して道に迷う私とは大違いだわね。なんという素晴らしい渡り鳥達。

 

大きなスケールで移動する渡り鳥達と違って、私達人間は 思うようには動けない状態が もう 2 年も続いている。外出する際の忘れ物チェックに マスクが当然のように加わった。

はぁ~、ふぅ~。 時々大きく溜息をついてみる。「溜息をつくと幸せが逃げるのよ」と、頑張り屋さんだった祖母は言っていたけれど、おばあちゃん、私はそんなに頑張れないのよ。  ひぃ、ひぃ、ふぅ~(出産か?)

 

こんな日々でも、季節は静かに移ろっている。

数十年前に出合ったレイチェル・カーソンの言葉に、【地球の美しさを神秘と感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。】とあった。( 著書『センス・オブ・ワンダー』)

当時 深く感銘を受け、「平凡な生活の中にあっても このようにして日々を過ごしていこう」と思った。しかし、時の経過と共に 生活も変化し、心身ともに疲れ果ててしまうような精一杯の日々も増えた。それでも、なにかをきっかけに湧き上がってくるのがレイチェル・カーソンのこの言葉。

遠縁の『 Y おばちゃん』が 何かの折りに 言った言葉を聞いた時もそうだった。彼女の息子(私は『 T お兄ちゃん』と呼んでいる)は難病をもって誕生し、すぐに産婦人科から大きな病院の小児外科へと移り、一度も自宅に帰らないまま、ICU (集中治療室)と一般病室を行き来して歳月が流れたとのこと。

『 Y おばちゃん』は、「この子は生まれてからずっと、窓枠で切り取られた四角い空しか知らずにいる」と切なくなることもあったらしい。ところが ある日、病室の窓を開けると 心地良い風が吹き込んできて『 T お兄ちゃん』の髪を揺らした。すると赤ちゃんだった『 T お兄ちゃん』は嬉しそうにニコニコと笑ったという。その笑顔を見て、「どんな状態にあっても 幸せを感じることができる」と『 Y おばちゃん』は思ったとのこと。

『 Y おばちゃん』と『 T お兄ちゃん』です  

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

それから時は流れ、私もブログや twitter の片隅に参加させてもらうようになると、数え切れないほどの『センス・オブ・ワンダー』に出合うようになった。庭の花々・近所で見つけた草花や風景に足を止め 写真を撮り、 味わい深い言葉を添えてブログに載せられる方達がいらっしゃる。瑞々しい感性に憧れる。 拝見するたびに ほっこりと心が和む。

自然界のみならず、毎日の食卓の写真を載せられる方達もいらっしゃる。添えられたレシピやユーモラスな言葉と共に、作られる方の温かさが伝わってくる。また、家族への思いを率直に綴られる方達もいらっしゃる。うんうんと共感したり、切なくなったり、胸が熱くなったりもする。

自然も人も みんな みんな『センス・オブ・ワンダー』。

コロナ禍も長きに渡り、この先どうなるのだろう・・・という不安もある 現在だけど、どんな状況にあっても、自分の五感を研ぎ澄ませていれば、語りかけてくるものがある。それらをキャッチする感性を錆びさせずに暮らしていこうと思う。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210912181625j:plain

 

新学期を迎えたものの・・・

★夏休みにどこにも行けなかったので せめてちょっと贅沢を・・・と、5 等級のお肉を買ってきた。普段は「野菜・肉・野菜」のリズムが「肉・肉・野菜」になる。めでたい。

新学期なのに娘 (小焼け) の高校は分散登校になり、試験も延期になった。「こんなことなら、焦って試験勉強しなくてもよかったな」・・・って、後悔するとこ 違うでしょ?

 

★授業は、クラスの半数がオンラインで、残りの半数は 登校して教室で受ける。オンラインと登校は 1 日交替。オンライン授業に備えて 各自にタブレット端末が配布された。「キーボードとタブレットが別になってる優れもので、使い勝手が良い」と小焼けが言う。

「オンライン授業だと 通学時間が必要ないので、朝は 1 時間半も余裕ができるけど、ひとりぼっちの授業は寂しいよ。オンライン授業がない科目はプリントが送られてきて、それを黙々と解く。これが夕方まで続く。はぁ、しんど。登校すれば、体育や音楽の授業があるのは嬉しいけど、部活は全員が揃わないから自主練習ばかりだし・・・」とも付け加える。

クラスには、中学時代から PC を自分で作っていた「匠」と呼ばれる J 君がいる。彼は高校から配布されたタブレットを自分好みに変えようとしたらしい。「危なかった~」と言うので、小焼けが「どうしたん?」と尋ねると、「このタブレットは貰ったんじゃなくて、卒業の時に返すんだった。自分がした あんなこと、こんなことが教育委員会にバレるとこだった。危なっ!」と答える。 「そうなんだぁ、で、何をしようとしてたの?」と更に尋ねると「ふふふ」と笑って教えてくれなかったとのこと。(この J 君は、4 月の部活入部勧誘の時に 写真部の人達に「怪しい写真も撮りますか?」と尋ねて顰蹙をかったらしい)

 

★オンライン授業は、出席点呼の時には 生徒側もカメラをオンにするとのこと。小焼けは言う。「画面に現われた友達はみんなマスクをしてて、私、驚いちゃったよ。『お~い、君達は寝起きの すっぴんを見られたくない女優達なの?』とツッコみたくなった。家では一人だからマスクは要らないと思うんだけどねぇ。仕方ないから私もマスクをしたけど、無駄に息苦しかったよ」。

そういえば・・・小焼け達は入学の時からマスク姿なので、別の中学出身の人達同士は マスクをはずした顔を見たことがないのだ。もしかして、本人達は自覚していないかもしれないけれど、マスクを外すことが不安になっているのかしら? それならそれで別の意味で心配になる。

 

★授業が始まると、ホワイトボードに書かれた先生の文字がオンラインの生徒にも見えることになっている。ある科目の先生は 画面を切り替えるのを忘れられたらしい。

オンラインの生後達が「先生、ホワイトボードが映っていません」と口々にマイクで叫んだり、文字を打ち込んだりしたらしいけれど、生徒側の音声を消音にされていたので 先生には届かず、結局その日の授業は、生徒側のタブレット画面には バーチャル背景の青空が美しく輝いているだけだったとのこと。(翌日 登校した時に 同じ箇所の授業を受けた)

 

★私がブログと twitter を楽しみに拝読している方達の中には、小学校の先生もいらっしゃる。昨日のツイートに【学級担任ひとりに「教室にいる子どもたちの相手」と「オンラインでつながっている子どもたちの相手」を同時にさせるっていうこの悪魔的な流れを誰かとめてください φ(..)】とあった。

頷きながら読み進めつつ、全教科を担当なさる小学校の先生のご心痛はいかばかりかとお察しする。

折しも先日のニュースで、小学校の授業の様子が流れていた。教室にいる児童達の他に、先生のパソコン画面には オンラインの児童達の顔がずらりと映っている。先生は「あっ、間違ったとこ押しちゃった」と言われつつ、それぞれの児童達に声をかけたり・・・と大変そうだった。

ニュースに出ていた小学校の場合は、登校するかオンラインかは選べるし、昼食のみ登校して食べることも可能とのこと。給食当番は児童がしていたけれど、コロナ禍になってからは先生方が配膳・後片付けなどを全部なさるとのこと。それに加えて、絶え間ない消毒や換気など、想像するだけで しんどい。

 

先生方のみならず、医療従事者の皆様の疲弊も限界を通り越していることだろう。ワクチンが開発されて 希望の灯が ともったと思ったら、次々と現われる変異株。未だにワクチン接種の予約だけでも混乱の極み。収束は遥か遠い。コロナが憎い。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210903212008j:plain

 

 

三途の川に鳴り響く『情熱大陸』

「まだコロナが収らないので、親戚や夕暮れ達に声をかけるのも憚られるから、おばあちゃんのお盆は お寺様と私達 (実家の両親) でお迎えするね」と早い時期に母からの LINE が届いていた。 

お盆にお参りできなかったことが心にかかり、せめて思い出話をして祖母を偲びたいと思った。カメラとネットを繋いで実家の両親と語り合う。祖母のエピソードが 尽きることなく出てくることに驚きつつ、「いろいろなことがあったけれど、こうして祖母は自分の人生を生ききって 天寿を全うしたのだなぁ」と改めて思う。

 

「おばあちゃんは、無事に三途の川を渡れたかしらねぇ」と母が言う。・・・ ああ、そうだった。・・・祖母のこの世の息が絶える時のことを思い出す。かねてより、祖母は曾孫である小焼けに 言っていた。「ひいおばあちゃんがこの世にさよならをする時は、小焼けちゃんがバイオリンを弾いて送ってね」。

 

実家の古いアルバムには、祖母が若い頃にバイオリンを奏でている写真があり、それを見つけた 3 歳の小焼けが「ひいおばあちゃんみたいに、私も弾きたい」と言い出して、バイオリンの手ほどきを祖母から受け始めたのだった。レッスンを始めてはみたものの、祖母の指導には なかなか厳しいものがあって、小焼けは時折 泣きながら かんしゃくを起こした。「ひいおばあちゃんの言ってることは分かるけど、小焼けの指と腕が言うことをきかないの。そんな風に動かないの!」。

それを見ていた夫がそっと呟いた。「ピアノにすれば良かったかなぁ・・・」。「うん? どうして? 小焼けはバイオリンを習いたいと自分から言ったのよ」と私が問うと、「小焼けは、今にもバイオリンを ぶん投げそうな形相をしてるよ。ピアノなら さすがにぶん投げられないだろ?」 

そんな時期もあったけれど、幸いにもバイオリンを壊すこともなく、サイズも 1/4、1/2 、 3/4 を経て フルサイズになる頃には、「ひいおばあちゃんセンセも バイオリンも大好き」と言うようになった。

 

時は流れ・・・昨年の春、祖母の主治医の先生から「ここ 1 週間の内かもしれません」と告げられて、小焼けは 曾祖母にリクエストされていた曲を 家で演奏し録音をした。それを私が施設の祖母の部屋に持参し 耳元で聴かせていると、職員さんが「曾孫の小焼けちゃんが、実際にベッドの傍で弾いてあげられると喜ばれるのではないでしょうか」と言ってくださった。ユニットの個室だったとはいえ、近くの部屋の方達に ご迷惑ではないかしら?と案じ 恐縮しつつも、祖母の最期の願いを叶えたくもあり、お言葉に甘えることにした。

 「いよいよ、今日あたりかも・・・」という日、祖母に縁ある者達も 最期のお別れをしたくて集まっていた。( コロナ禍で面会制限が始まっていた時期だったけれど、別の入り口から入室させてくださった施設の方々に感謝です)。小焼けがベッドのそばで弾き始めると・・・、なんと! 祖母がベッドの柵を持って起き上がろうとした。人は最期まで耳は聞こえると言われていたので「奏でる音が祖母に届きますように」と 願ってはいたけれど、まさか、旅立とうとしている祖母 本人がそのような仕草をみせるとは・・・。 (起き上がってちゃんと聴きたかったの? おばあちゃん)。人の持つ力に驚くと共に、不思議というよりは何か言葉にできないものさえ感じた。

 

「ひいおばあちゃんが この世にさよならする時に ベッドのそばで弾いて欲しい」と頼まれていた曲は、小焼けが曾祖母に練習をみて貰っていた頃の教則本にあった『愛の挨拶(エルガー)』『モルダウスメタナ)』から始まり、『ラ・フォリア(コレッリ』、『シャコンヌ ト短調(ヴィターリ)』等へと続いていた。小焼けが、哀愁をおびた『アヴェ・マリアカッチーニ)』を静かに弾き始めた時には、その場に居合わせた誰もが 祖母との別れがもうすぐ訪れることを思い、共に過ごした日々を思い描きながら涙した。

 

↓ 『アヴェ・マリア (カッチーニ) 』 ヴァイオリニスト 高松あいさんの演奏をお借りしました


www.youtube.com

 

 

 わっ! 突然 何の前触れもなく 曲調ががらりと変わった。『情熱大陸』だ! 

曲名通り 情熱的な素敵な名曲ではあるけれど、「ど、どうした小焼け?!」。昭和のコント番組なら 一同 ドタッと倒れ込むところだ。尋ねながら小焼けを見ると、眼に涙をいっぱいためて、「これ以上弾くと涙が溢れる。ひいおばあちゃんを元気いっぱいに送ってあげたい」と答える。『情熱大陸』は人気のある曲で、小焼けも暗譜で弾けるようになっていたのは知っていたけれど、この場で聴くことになるとは・・・。

 

「穏やかに旅立とうとしていた ひいおばあちゃんが、三途の川の渡し船を飛び降りて、走って戻って来そうだねぇ」と誰かが言う。「戻って来てくれるなら、それも嬉しいけどね」と別の者が応える。最終的には「賑やかで楽しいことが大好きだった ひいおばあちゃんが一番喜んでいるかもよ」ということになり、『情熱大陸』をリピートして祖母を見送ったのだった。

 

↓ 情熱大陸』 同じく 高松あいさんの演奏をお借りしました


www.youtube.com

 

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210813232012j:plain

 

連続する「なんて日だ!」

★先日、PCを開いたら画面が変になっていた。デスクトップに置いてあるWord や Excelの見慣れたアイコンが消えて、代わりに真っ白なアイコンになっている。どちらがWord で どちらがExcelなのか 区別がつかない。試しにその 1 つをクリックしてみると、ガン!という音と共にエラーメッセージが現われ「見当たりません」という意味のことが書かれている。保存しておいたものも呼び出せない。 

twitter は「今までと違う動作でログインされました」とエラーメッセージが出て、パスワードを替えるようにとか、ロボットではないことを認証してください、とのこと。(今までと違う動作で・・・ってどういう意味? いつもと同じことをしているのに)

更にはフリーメールには「第三者による不正ログインの可能性があります」と出て、こちらもログインできなくなっている。三者ってだぁれ? やめてくれる~?

はてなブログは「時間をおいて再度お試しください」と出て、同じくログインできない。

 

なんで~?! 昨晩までは何ごともなかったのに・・・。

思い当たることといえば、前日 PC の電源を落とす前に、windows の更新通知 (私は手動更新に設定して、自分の都合の良い時に更新している) が来ていたので、更新した。その際の不具合?

PCが使えないので、スマホで対策を探して、書いてあることを次々に試してみる。自分でも思いつくまま あちこちを触ってしまうので、かえって状態が悪くなっているような気もする。そうこうしている内に Word とExcel は使えるようになった。デスクトップのアイコンは相変わらず白紙状態だけど、使えればひとまず 良しとしよう。

 

しかし、Word と Excel 以外は まだ どれもダメ。twitterはてなブログも 数回に 1 回はログインできる。「今回はどうかな?」とスリリングだ。 家族は のんびりと言う。「ログアウトしなければ、ずっとログインのままなんじゃない?」。 う~む。それでも PC の電源を落とすとログアウトするんじゃないの? しないのかなぁ? しかも、ログインしたまま・・・って、セキュリティは大丈夫なの?

 

そんなこんなで、検索しては試してみる日々。遂に twitterで嘆いてしまった。

 

 もう疲れ果てて 独り言を呟いたのだけど、なんと! ご自分の体験に基づいたアドバイスのDMをくださった方達がいらした。驚きつつ 深く感謝する。中には「どなたか解決策を教えてもらえませんか?」とのメッセージを添えて リツイートしてくださった方も・・・。(@ kakadaisyouさん、ご親切にありがとうございました)。また別の方からは「私は PC のことは 解らないのでお手伝いできないけど、早く直るようにと祈ってます」との DMも。皆様の優しさにうるうるしながら、頂いたアドバイスを元に頑張ること数日。(皆様、本当にありがとうございました。お陰様で大抵のものは元通りになりました)。それにしても、折角の 4 連休だったのにな・・・。

「なんて日だ!」× 4 日

 

★車を運転中、狭い道で対向車が来たので道を譲った。対向車が通過後、戻ろうとハンドルを切ったら、ドン!と大きな物音がした。降りてみると、運転席からは見えない位置に大きな石があった。バンパーがぼっこり凹んでいる。「ウソでしょ?」と思わず声が出る。「はい、ウソです」とバンパーが喋って、凹みがポコンと元に戻ればいいな・・と思ったが、そんなことはあるはずもない。

「なんて日だ!」

 

★両手に荷物を抱えて歩いていると、突然ぐらっと来て、一瞬 目の前が真っ暗になり、あろうことか、道路が立ち上がって壁のように私の体にぶつかってきた・・・ように思えた。実際には、私が手をつくこともできず 無防備に顔面から道路に倒れ込んだだけなのだけど・・・。その道には水が溜らないように 40 ㎝ 四方の窪みがあり、そこに足をとられたらしい。ヒールの高い靴を履いていたのも災いしたかも。 

あっ!と思った時に、咄嗟に目をつぶったらしく ( 目をつぶるよりは 手をつけ~! )   一瞬真っ暗になったように思え、すぐに目を開けた時には もう 顔は地面 数センチの所まで行っており、アスファルトが壁のように迫って来たように見えたのだろう。

真夏で気温が 32℃の時、アスファルト道路は 55℃とのこと。更に気温があがると 70℃を超える場合もあるらしい。その熱々フライパンのようなアスファルト(しかも小石が混ざってざらざらしている)が 私の とても綺麗な(←意見には個人差があります by  NHK顔を強打する。痛い!! 

 

帰宅して鏡を見ると、右上の額に見たこともないような大きな たんこぶ。目の下は剣山で引っ掻いたような擦り傷で、血が流れている。右目はぼんやりとしか見えなくなっている。焦点が合わずにチカチカする。コンタクトレンズが衝撃で飛び出たらしく右頬にくっついていた)。

 わぁ、すごい形相。これ、どこかで見たことがある。・・・あっ、四谷怪談の お岩さんだ。人々はその姿を「怖い」とか「不気味」とか言うけれど、 お岩さんは「薬」と言われ、実は「毒」を盛られた気の毒な身の上の人だ。あの毒はトリカブトだったという説があったなぁ。トリカブトって毒矢にも使われたらしい。

痛みと闘いながらも、いつもの癖で頭の中が とっ散らかって飛んで行く。

 

「お岩さんの心配より、今は自分の心配をしなくちゃ」と我に返り、応急処置を検索する。あいにくと家族は出払っている。誰かがいるとすぐさま対応してくれるのに、一人ってこんな時に困るなぁ。たんこぶと 瞼の腫れで、目もよく見えないのに・・・。

 頭と顔を強打した場合は、たんこぶを氷で冷やして 病院に行った方が良いと書いてある。 ところで何科? 外科かと思ったら、脳神経外科なのね。ほ~、勉強になる。

 

脳神経外科では  CT とレントゲンを撮ってもらった。血管が切れて内部に血液が溢れているが 頭蓋骨は大丈夫とのこと。「頭はぼんやりしていませんか」などと質問されるけれど、普段から ぼんやりしているので返事に迷う。

帰宅して、たんこぶを氷で冷やしながら 家族が帰って来るのを待つ。「驚くだろうなぁ・・」とちょっと わくわくするのはなぜ?

 

それにしても、氷をコンビニのビニール袋に入れて直に患部に当てると気持ちは良いが、冷たすぎる。タオルでくるむと全然冷たくなくて効果がなさそう。しかも氷が次第に溶けて 隙間から漏れ出し 患部が びちゃびちゃ になって来る。そうだ、保冷剤の方がいいかも・・・。「スィーツを買って帰る時に付けて貰った保冷剤が ちょうど良い大きさだ」と思い出す。 

保冷剤を 2 個並べてラップで包み、IKEAで買ったジッパーが 2 列になった密閉度の高い袋に入れる。( IKEA の密閉袋は さまざまなサイズがあり、しかもカラフルで可愛い模様もついている。小物の整理にも便利だし、 好きだ)   今回は葉書大のサイズの袋を選ぶ。

おお! これは大きさも冷たさも ちょうど良い。たんこぶの上にぴったりと収る。しかも 2 つ入っているのでちょっとずらせば、目の上も冷やせる。この期に及んでも創意工夫する 私。 真面目か。 

「何て日だ!」と呟きながら寝る。

 

★翌日、たんこぶは 触ると痛みが走るが、だいぶ目立たなくなっていた。その代わり前日よりは、目の周りが黒ずんできたし、擦り傷は まだ浸出液が染み出ているし、瞼は腫れて目の上に覆い被さっている。痛々しい顔面。家族は「まだ傷む?」と尋ねながら気の毒そうに眺める。そして、いつになく優しい。 アイスクリームだのスイカだの、手作りのフルーツジュースだの、私が望むものは何でも用意してくれる。この状態、なんか好きかも(おぃ)

 

(小焼け) がネット検索して「傷んだ組織を修復するにはナッツが良いらしいよ」とナッツを買ってきて、ヨーグルト & 蜂蜜入りのフルーツジュースを作って一緒に持ってきてくれた。ナッツの詰め合わせは、アーモンド, ピーナッツ、くるみ、 カシューナッツ,  マカデミアナッツ、ブラジルナッツ・・・とバラエティに富んでいて美味しい。TVを眺めながら口に運んでいると、ごりっ!という音が脳天に響き、口の中に痛みが走った。なんと! ピスタチオが殻のまま入っていて、気付かずに殻ごと噛んでしまったらしい。見ると前歯が少し欠けていて、押すと歯が ぐらぐらする。

「わぁ、びっくりした。だいじょうぶ?」と 小焼けが心配そうに覗き込む。そして、欠けた箇所はたいしたことがないと分かると安心したらしい。額にたんこぶを作り、目の周りを黒くして、頬に赤く生々しい擦り傷のある母親が、今度は前歯を欠かして目の前にいる。・・・安心した途端に笑いがこみあげてきたらしい。笑ってはいけないとは思うのだろうけれど、それでも こらえきれずに 唇を噛みしめ、肩を小刻みに震わせながら我慢をしている。

「いいのよ~笑っても。これだけ災難続きって めったにないし、ウケるよねぇ」と言いながら、私も げらげら笑う。みなで笑いのツボに はまる。こうなるともう 破れかぶれですわ。

今日も今日とて、「なんて日だ!」

 

★明日 (月曜日) は再度、脳神経外科に行かねばならない。このブログをご覧になったお方で、上記のような形相の女性を見かけられたら「夕暮れさん?」と声をかけてみてくださいな。「はい、私です」と正直にお返事しますので。

もし、人違いだった場合は・・・声をかけられた女性は「えっ! こんな名前の人、実在しないでしょう?」と 驚かれ、ドクターは あなたに新たな検査を受けるように勧められるかもしれません。脳神経外科ですもん。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210801224710j:plain

   

祖母の免許返納

報道によると、【池袋暴走事故で、検察側は車を運転していた飯塚被告 (90歳) 禁錮 7年を求刑し、弁護側は無罪を求めて結審した。判決は 9 月 2 日】とのこと。

論告に先立ち、遺族の松永さんが意見陳述をされた。松永さんはこの日の陳述に向け、昨年末から仕事を終えて帰宅した後、深夜までパソコンに向かわれたという。「意見陳述の原稿は 1 行書いたら涙が止まらなくなり、パソコンを閉じることを繰り返す、苦しい時間でした」と声を詰まらせながら語られたとのこと。

 心が張り裂けそうな思いで書かれた全文(A 4 判 11ページ)を読んだ。奥様の真菜さんとの出会いから始まり、結婚、莉子ちゃんの誕生と名前の由来、穏やかで幸せな日々・・・そして事故の知らせ、被告への憤り、ご自分の心情へと続き、松永さんの胸中察するに余りある。私はあまりの辛さに何度も中断しながら読み終えた。

 

昨年旅立った私の祖母のことを思い出す。大正生まれの祖母は、人様が「そろそろ免許返納を・・・」と考え始める年齢になって、家族の誰にも言わずにこっそりと免許を取得した。「車の免許を取ろうと思う」と言えば、「えっ!その歳で? 危ないわよ。今までだって行きたい所があれば どこへでも私達が乗せて行ってるでしょう?これからもそうするから」と反対されるのは分かっていたから黙っていたのだと想像できるが、それでも、頑張って取得できた嬉しさのあまり、皆に見せたくなったのだろう。「ねえ、これ見て」と免許証を差し出された時の家族の驚き・・・。

 

祖母は 同じ世代の女性達の中にあってはまだ珍しく、男性と肩を並べて仕事をしてきた。当時は「女性だから」と差別されることも多く、悔しい思いもたくさんしたと耳にしたこともある。定年まで勤め上げた後、「これからは、今までできなかったこと ( 趣味・ボランティアなど) をする」と言い、私達家族も「うんうん、これからは自分の楽しみを優先してね」と応援した。 

元々 祖母の行動力には目を見張るものがあったけれど、新しく始めた分野にもそれらは発揮された。そして、祖母は思ったのだろう。「車があれば もっと広範囲に動けるのに」・・・。当時は実家の両親をはじめ、身内はまだ学生だったり 仕事をしており、平日の祖母の望み通りの時間帯に 車に乗せて出かけることはできなかった。

 

かくして、祖母は 反対されないように 黙って自動車教習所に通い始め、免許を取得し、自分専用の新車を購入した。「おばあちゃん、運転に慣れるまでは、私たちが交替で助手席に乗って、危ない場面とかを その都度 教えるからね」と言うと、祖母は「お願いね」と喜んだ。実際に助手席に乗ってみると、安全運転過ぎて車の流れに乗れない不安もあったが、少しずつ慣れることを期待した。私達は次第に、祖母の積極性と頑張りに対して 応援する思いになっていった。

祖母には友人が多く、 学生時代からの長い付き合いの人達や、趣味仲間にも恵まれていた。免許取得後は 行事がある毎に車を運転し、皆さんから「助かるわ」と喜ばれたり、一緒に 遠方の美術館巡りをしたりして 生き生きと楽しそうだった。

  

数年経った頃、突然 警察から実家に電話があった。「お宅の おばあ様が人身事故を起こされたのを、ご家族はご存じでしょうか?」。 電話を受けた私の母は 驚き慌てふためきつつ 電話口の警察官から詳しい話を聞いた。そして すぐさま、怪我をされた方のお宅へ 私の父と共にお詫びに伺った。

 人身事故の内容は次のようなものだった。自転車に乗った高齢の男性が、信号のない道路を横断されようとして、祖母の運転する車とその男性の自転車が接触したとのこと。男性は自転車もろとも倒れ、足を痛められて入院 ( 数日間 )。祖母は毎日のようにお見舞いに伺ったらしいが、祖母の年齢のこともあり、家族にも知らせておいた方が良いだろう・・・とのことで、警察から電話が かかったらしい。後日、現場に行ってみると、中央分離帯には樹木が茂っていて見通しが悪い場所ではあったけれど、それは言い訳にはならない。車のハンドルを握った人間の責任の大きさを改めて感じる。

 

いつも明るくておしゃべりな祖母が、その事故に関しては家族に何も話さなかったことが、更にショックだったと 私の 母は言う。「もしかしたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない恐怖が 心に湧きあがった」と母は続ける。 

そういえば、普通乗用車に乗っていた祖母がある日、軽自動車に替えたことがあった。免許取得して数年後のことだった。今までの祖母なら、新たに購入する車の性能や車種について 家族に相談するはずなのに、この時も黙って購入していた。

駐車場の新しい車を見て驚き「今までの車はどうしたの?」と尋ねると「小型車の方が小回りがきくから、大きい車は引き取ってもらったのよ」と答えたので、その時は 言葉のままを受け入れたけれど、もしかしたら、自損事故で車を大きく破損していたのだろうか? そう思い始めると、日々の祖母の言動に「あら?」と思うことが増えていたようにも感じられた、と母は振り返る。一緒に暮らしていると ささやかな変化の積み重ねに気付き難いのだろうか?

 

考えれば考えるほど、母は更に心配になり、「これからは かつて そうであったように また私達が乗せるから、もう自分で車を運転するのはやめてくれないかしら?」と言った。そう言われるのは予測していただろう(だからこそ 家族に事故のことなどを話さなかった)祖母は渋った。

今まで自分の行きたい所へ自由に行けていたのに、それができなくなるのが寂しい祖母の気持ちも 充分 理解できる。私達とて ハンドルを握る者は誰しも 事故の危険とは隣り合わせ。それでも、年齢からくる身体能力の衰えを考えると、祖母の方が事故率の可能性は高い。人様に大怪我をさせたり、命を奪うようなことになれば・・・と想像すると、母は どんなに祖母が渋っても 免許返納は譲れなかったと言う。 

 

父も一緒に祖母を説得すること数日。 祖母はひとまず警察署に相談に行くことには納得したとのこと。「夕暮れ、一緒に行ってくれない? 娘婿にあたる お父さんよりは 孫の夕暮れの方が良いかも」と頼まれ、私も同行する。前もって相談の電話をしておいたので、すぐに別室に通される。担当してくださる警察官は 50 代くらいの方。噛んで含めるように丁寧に、高齢者の事故例やその後のこと、免許返納した際の優遇措置や、この地域ならではの取り組みなども話してくださる。 

警察官の方は、話が一段落つく毎に「分かって貰えましたかね? ご家族も心配されていますから、免許返納ということを考えてもらえますか?」と尋ねられる。祖母は しばらく沈黙して「でも・・・」と言いかけて口ごもる。 母と私が続ける。「おばあちゃん、この前のことだって、車が接触した所が自転車じゃなくて、相手の方の頭だったりしたら、取り返しがつかないことになったかもしれないのよ。それに 今後、もし事故の相手が 曾孫の 小焼けくらいの年齢の人だったら、これから先の、可能性がたくさんある長い人生を摘み取ることになるのよ」。次第に自分の言葉が、祖母にとっては きつく辛いものになるのは自覚しつつも、なんとか 返納を納得して欲しかった。

 

そんな問答を繰り返している内に「これだけ言っても・・・」と母が涙を拭い始めた。人前で泣かない母が 涙を拭っている。それを目にした私も泣けてくる。警察官の方が「娘さんや、お孫さんがこんなに心配されているのに、分かってもらえんかなぁ。ウチのお袋が・・と思うと、私まで泣きそうになる」とおっしゃる。がっしりした体格の強面 ( ごめんなさい ) のベテラン警察官の目にも涙。

 

ぽつりと祖母が言った。「免許、返します」.

 

免許を取得してから 7 年後のことだった。祖母の生きた時代は戦争もあり、自分の夫とは 40 代の若さで死別し、辛い思いも抱えながら娘 ( 私の母 ) を育てあげ、仕事も頑張り、ようやく自分の時間を楽しめていたのに・・・と思うと可哀相に思えて 切なくもなる。それでも、その後の祖母の様子 ( 認知症の進み具合 ) を見ると、「あの時 免許を返納していて良かった」と安堵したりもする。

 

歳を重ねて行くことは寂しくもある。 私達もいずれ行く道。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210717160541j:plain

 

前世で 悪い男に酷い目に遭わされた?

大雨が続いている。ニュースによると、関東・東海地方の太平洋側では、昨晩から記録的な大雨となり、気象庁は河川の氾濫や土砂災害などに厳重な注意を呼びかけているとのこと。大きな被害が出ないことを祈るばかり。

 

そういえば、かねて住んでいた場所で 洪水が起こった。新婚時代(小焼けが生まれる前)から借りている家だったが、この辺り一帯が大雨に弱いということを知らなかった。初めての体験。

夫は仕事で帰れず、お隣さん達が「早めに避難しましょう」と誘ってくださっていた。時折 外を見ると雨は激しいけれど、庭にはまだ水が溜っていなかった。両親が「実家に避難するように」と言い、車で迎えに来てくれることになっていたので、当時1 歳にならない娘(小焼け)と二人で家の中で待っていた。

 

携帯電話が鳴る。通話口の向こう側で母が慌てている。「すぐ近くまでは来ているんだけど、夕暮れの家に続く道路に水が溢れて通れなくなってるのよ。消防車も立ち往生してる。私がいる ここまでは水が来ていないから、夕暮れの家の近辺だけだと思う。歩いて来られる?」

「えー!」と驚き、大急ぎで外を眺めると 既に 車のドア (下の部分を超えた辺り)まで水位が上がっている。大変! いつの間に!?

 

必要な荷物は準備できている。大慌てで 小焼けを抱っこして家を出る。普段は気が付かなかったけれど、緩やかに土地が低くなっている場所があるらしく、途中から更に水かさが増し、うわっ、太もも まで浸かる。「モデルの冨永愛さんや、女優の菜々緒さんほどの脚の長さがあれば良かったな」と初めて思った。

道路端は 蓋のない溝があるはずだから、落ちてしまわないように注意して進む。気は焦るが 水に足を取られ、ゆっくりとしか進めないのがもどかしい。

 

突然、曲がり角から消防士さんの姿が現われた。折しも 立ち往生していた消防車の人に、母が「娘と孫がこちらに向かって歩いて来ているんです」と助けを求めたらしい。傍まで来られた消防士さんは「大丈夫ですか」と声をかけてくださり、小焼けをひょいと抱っこしてくださった。 

小焼けは人見知りが始まり、パパと じぃじ以外の男の人を見ると大泣きをする時期だった。「うわっ、泣くわ。大泣きするわ」と身構えていると・・・あら? 泣かない・・・。幼いなりに状況がわかるのだろうか。泣くどころか、消防士さんにしがみつくようにさえしている。災害時の消防士さんや自衛隊の方達は 格段に 頼もしい。姿が見えただけで安堵する。恋に落ちそうになる (先日終了した TV「リコカツ」の主人公の気持ちがよ~く分かる)。

いえいえ、こんな不謹慎なことを言ってはダメ。以前にドキュメンタリーで見たのだけど、あの方達の日頃の鍛錬には凄まじいものがあった。森の中を流れる川の 遥か上に渡したロープにぶら下がって進んだり、目が眩みそうな高さの建物の壁面をぐいぐいと上られていた。そして、災害時の救助ともなると、二次災害によるご自分の命の危険と隣り合わせの中をプロとして頑張られる。ただただ頭がさがる。私たちを心身ともに守ってくださって ありがとうございます。 

後で知ったのだが、大雨は広範囲に降っていても、洪水状態になるのは私たちが住んでいた地域だけのようだった。その後、夫の転勤に伴い転居したので、このような体験をすることはなくなったけれど、大雨のニュースを見ると あの時のことを思い出す。

 

「人見知り」といえば・・・、小焼けの人見知りは 何故か「男の人限定」であった。同じ男性でも、パパと じぃじだけは例外だったので、法事で親戚が集まった時に「俺は子どもに好かれるタイプからだいじょうぶ」と言い出す者がいた。

法要も食事も済み、お寺様もお帰りになった後、久し振りに会った者達で 話に花が咲いている状況。法要の席で泣いて迷惑をかけないように、小焼けは別室で小学生の従姉妹達が遊び相手をしてくれていたし、その後 眠ってしまったので、男性陣の誰にもまだ会っていなかった。

「よっし、それでは、小焼けちゃんが昼寝から起きたら、誰なら泣いて、誰なら泣かないか試してみよう」ということになった。 

小焼けが昼寝から起きるのを待ち構えて、襖を 1 枚だけ閉め 全体が見渡せない場所で、私は小焼けを抱っこして待つ。まずは 自称「子どもに好かれるタイプ」の従兄(30代後半)が自信たっぷりに襖からそっと顔を出す。

うぎゃ~!!! 大泣きしながら 私に しがみつく。

f:id:Yugure_Suifuyou:20210703164954j:plain

 

「▲▲(従兄の名前)早く隠れろ。小焼けちゃんが可哀相じゃ」と声が飛ぶ。顔が見えなくなると小焼けはピタリと泣きやむ。泣くのは顔が見えている 1 秒間だけ。「じゃあ、今度は俺」と次の一人が顔を出す。

うぎゃ~!!! しゃくり上げながら、あらん限りの大声で泣く。「あ~泣かせた。小焼けちゃん、ごめん」という声と共に 襖の陰に引っ込む。 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210703164954j:plain

 

普段は物静かな叔父まで参加している。優しい笑顔で「ばぁ~」と言いながら 襖からちょこっと覗く。

うぎゃ~!!! 顔をくしゃ くしゃにして 大泣き。

f:id:Yugure_Suifuyou:20210703164954j:plain

結局、全員失敗。挙句の果てに「小焼けちゃんは、前世で悪い男に酷い目に遭ったに違いない」という 何の根拠もない結論で幕を閉じた。 一人につき 1 秒間だけ大泣きしながら、小焼けは「なんで こんな状態?」と混乱したかも。  小焼け、ホントに ごめん! 

 しかし、私は知っていた。以前、カフェで お店の若い男性が注文を取りに来た時には泣かなかったことを・・・。彼は惚れ惚れするような正真正銘のイケメンであった。法事の席では言えなかったけどねぇ。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210703170907j:plain

 

動物も、人間も思うようには生きられない

TV をつけると、サバンナの風景の中を動物が2頭走っていた。 速っ!! 画面左から現われて、すぐに右端まで行ってしまった。「あっ、見えなくなる」と思う間もなく 画面が切り替わり、 左側から さっきの2頭が現われる。さすがプロのカメラマンだ。対象を逃さず追い続ける。

 

(小焼け)の運動会を思い出し「我が家の素人カメラマンとは違うなぁ・・・」とプロの技に感心する。プログラムの 娘が出場する種目にラインマーカーで印を付け、「あっ、あそこに小焼けがいるよ~。前から 3 列目の左端」などと私が言い、夫が「おっ、いたいた」と ビデオを構えて待つ。これが種目毎に何度か繰り返される。

そして帰宅後、皆でビデオを観ると・・・、あれっ?! 小焼けはどこ? 最初のシーンだけは映っていたけど、速い動きにカメラが追い付いて行けてない。リレーは もとより、騎馬戦、ダンスなど どれもこれもだ。

望遠レンズだから一旦 見失うと探すのが大変。焦るのでカメラは地面や空や他の子の後ろ姿など、次々に映し込む。見ている内に酔いそうになる。

 

そんなことを思い出している内に、TV 画面はサバンナで暮らす動物の親子に変わり、他の動物に食べられてしまわないように、どう逃げるかを親が子に徹底的に教え込んでいる。命のかかった教育だ。

「ここで生き抜くのは 大変だなぁ。」としみじみと思う。自分が食べられないように逃げる。と同時に、自分の餌となる他の動物を追う。まさに命がけのチェイス。「夕方になるとお惣菜や お肉が半額よ」なんていう暮らしは ここにはない。

 

「動物園で暮らすのと どちらが幸せだろう?」と ふと思う。動物園で生まれ育った動物達は野生の暮らしを知らず、飼育員さんに大切に育てられ、餌も定期的に得られる。 でも柵がある。人間が大勢やってきて「可愛い!」なんて言いながら写真を撮ったり、覗き込んだりする。柵の中でストレスにならないのかなぁ?

 

音楽友達の あずきさんが YouTube に『真夜中の動物園』をアップされている。あずきさんの 優しく包み込まれるような歌声と、イラストレータ丁稚くんの素晴らしいアニメが相まって、味わい深い世界が広がっている。

【 ♪ 動物園では、柵も壁も 闇と同じものになった真夜中、今ではもう無い草原の はるか彼方から 滅びた群れが 連なって、やって来る ♪ ・・・ 動物園では人知れず 逢いたい相手が逢いに来る 逢えない相手が逢いに来る ♪ 】

遥か昔、人間によって連れて来られなければ、子々孫々まで広大なサバンナを駆け回っていたのだろうか。

あずきさんが 丁稚くんのページで おっしゃっている。【人は けっして一人では生きてはいけないように、動物たちも仲間に会いたいでしょうね。 切ない歌ですネ】 

 

あずきさん (歌) と丁稚くん (アニメ )による『真夜中の動物園』です ↓


www.youtube.com

 

「動物は思うようには生きられないけれど、人間だって思うようには生きられないなぁ」という思いも浮かび、更に心が飛んで行く。

倉本聰さん脚本の『やすらぎの刻(とき)~道』を以前 録画で見ていた。舞台は昭和初期の養蚕農村。貧しさゆえに人買いに連れられて行く ( 満州の女郎屋に身売りされるという) 幼い少女(おりんちゃん)がいる。戦争に行きたくない意志表示として自ら命を絶つ青年(三平さん)、届いた召集令状を破り捨て 森の中に一人消える青年(鉄平さん)もいる。(鉄平さんは 50 年の時を経て姿を現すが、彼の人生は一体なんだったのだろうと思うと やるせない)。戦争と貧しさによって命を失った大勢の人達。夢を打ち砕かれ、恋も成し遂げられないまま逝った青年や女性達。

「人間も思うようには生きられない」・・・。そんな言葉では到底済まないけれど。

 

 『やすらぎの刻~道』のシーンで流れていた曲『離郷の歌』を あずきさんにお願いして歌っていただきました。↓ たくさんのありがとうを あずきさんに ♪

www.youtube.com

 

ナミビアの景色』MeGeMさんの作品をお借りしました ↓ 

f:id:Yugure_Suifuyou:20210611223311j:plain   

 

ケニアの夕日』フォトレモンさんの作品をお借りしました ↓

f:id:Yugure_Suifuyou:20210611223606j:plain