パーティ ピーポー (Party People)? いいえ、救急車ピーポーです

現在 闘病中の私は その日、大学病院での治療・検査などを受けた。2 回目の胃癌手術から約半年過ぎ、食事の内容・量・タイミングなども次第に分かってはきたけれど、それでも思いもかけずにダンピング症候群が現われる時がある。サンドイッチ 1 切れとドリンク少々でも、腹痛・発熱・脂汗・倦怠感などで動けなくなる時も。病院の治療や検査中にそのような状態になると、後の予約の方達にも迷惑がかかる。

そう考えて、病院から指示はなかったけれど、ダンピング症候群を起こさない為に、前夜から 当日帰宅するまでの間は、何も口にせず 自主的絶食状態だった。

長時間・長距離の外出は 極力避けて暮らしているけれど、病院となると出かけない訳にはいかない。手術した後は 今までと同じような生活をされている方達も多いと聞くのに、私はいつまでこのような ダンピング症候群との 生活が続くのだろう。栄養や水分摂取に気を配っていても、果たしてそれらが体内に取り込まれているものやら・・・。体重も 10 キロ以上減少しているし・・・と いささか憂鬱になり、気力が出ない時もある。

当日は 病院での治療・検査を終えて、無事帰宅できたのは 16 時を回っていた。取り急ぎ水分と食事を軽く取っておかなくては・・・。帰宅途中マックでハンバーガーセットをテイク アウトした。ドリンクはイチゴシェイク。冷たくて美味しい。はぁ、生き返る。

 

そして、それは 下記のように 突然、あまりに突然に始まった。

食事中に左足の甲が少し突っ張るような気がしたけれど、あまり気にせず 時々 甲をぐるぐると回したり伸ばしたりしながら 食事を終えた。

片付けを済ませ、夕食を準備する時間が来るまで ちょっと休もうとソファに座ると、今度は足の指がつった。痛みを伴って指が勝手に力いっぱい開いている。「あらまあ」と思いつつ、元に戻そうとしていると、なんと、今度は右足が・・・。

 

指のみならず、両脚の膝下から甲に続く筋肉が硬直し始めた。えっ! ふくらはぎなら こむら返りしたことがあるけれど、脚の前側? しかもかなり痛い。「こういう時の応急処置は?」と スマホで検索しようと検索ワードを打ち込んでいる内に、今度は左手の親指が ぐにゃりと変な方向に曲がった。その後は次々と右手の親指、左手の他の指、右手の残りの指・・・と 私の意思などまるで無視するかのように、好き勝手な方向に曲がる。「なんじゃこれー!! 指って  5 本がバラバラに こんな角度に曲がるの?」と心の中で叫びながら見つめる。

 

「写真に撮っておいて 後でブログやツイッターに載せようかな?」という思いも一瞬よぎる。ブログを始めてから 投稿数は月に数回と少ないけれどツイッターも加えると 2018 年 6 月からなので)今月で約 4 年になる。「もしかすると、私も自分のピンチすら記事にしようとするブロガー魂が 身に付いてきたのかな? これって進歩? それとも沼にはまりつつある?」なんて思ったりもする。

でも、そんな呑気な思いはすぐに吹っ飛んだ。痛い! 痛い! 痛い! 指のみならず、かなりの力が両腕・両脚に加わり始めて激痛となり 襲ってくる。

こうなると 検索しようにも、両指が変な方向にバラバラに向いて突っ張ったままなので、もうスマホが持てない。自分の体に何か起きているのか、不安が増す。娘の小焼けはまだ帰宅していない。家には私ひとり。おろおろとするばかり。

 

そして遂には 筋肉が けいれん・硬直して、立ち上がったまま一歩も進めなくなった。息も絶え絶えになる。痛みがピークに達した時、「もうダメだ。自力では何ともできない。救急車をお願いしよう」と思った。スマホをテーブルの上に置き、変な方向に曲がった指で痛みに耐えつつ 119 を押す。番号が 3 つで助かった。

電話はすぐに繋がり、こちらの状況を伝える。スピーカーフォンを通して相手の方が落ち着いて対応してくださることが、焦り切っている私に安心感を与える。通話中に痛みが更に激しくなり「助けて!」と思わず悲鳴のように口走ってしまう。ところが、救急車は全て出払っているので、近隣に要請をするとのこと。待つしか無い。ひたすら待つ。

病院から帰宅後は 室内着に着替えてしまっていて、人前に出るには格好悪いけど、激痛の為、そんなこと言ってる余裕もない。健康保険証等も要るだろうけれど、動けないからバッグを取りにも行けない。もうこのままの状態で救急車に乗ろう と諦める。

 

そんな中、不思議なことに 痛みが すぅーと引く時がある。あれ? もう大丈夫なのかな? 救急車に「このまま様子をみます」とお断りの電話をしようか? とさえ思える。でも、暫くすると、また息もできないような筋肉硬直と激痛が襲ってくる。ダメだ。やっぱり救急車を待とう。

暫くして、電話がかかってきた。かなり遠方からの救急車がこちらに向かってくれているとのこと。本当にありがたく「これでやっと助かる」と心の中で安堵する。

 

痛みの波があって、僅かに痛みが引いている時には「やはり着替えて見苦しくないようにしよう。持参するものも 今の内に用意しておこう」という気になる。しかし、着替えている途中で また けいれんと痛みが襲って来る。こうなると再び身動きできなくなる。うわっ、こんなあられもない格好、救急隊員の方に見られてしまう。しかもタダで(お~ぃ。お金を貰って見せるんかぃ?)どうしよう?!

 

そうこうしながら、何度かの痛みが引いた時に、何とか着替えも済ませ、保険証や病歴を書いたものなども用意できた。救急車が到着した時、ストレッチャーを用意されているようだったけれど、その時には痛みが弱くなっていた。

筋肉の硬直が無い時は ケロリとしてしまう。遠方を大急ぎで来てくださった隊員の方達に申し訳ない思いすらする。「ご本人の意識はしっかりされています。ご自分で救急車に歩いて乗れそうです」と どこかに連絡をされている。現在の様子を見られて、「こんな程度で救急車呼ばないでくださいよ」と心の中で思われているかも・・・と余計に身が縮む思いがする。ところが、救急車に乗ったとたんに、また両脚がつった。痛い!!!狭いベッドに横たわりながら、「一刻も早く病院へ連れて行ってください!」と叫ぶ。もうなりふり構っていられない痛みだ。

 

救急隊員の方はまず熱と血圧を測られる。これをしないと出発できないようだ。コロナの心配も加わっているのかも。3 人いらっしゃる隊員の方達はどなたも優しく穏やかだ。「痛いですね。苦しいですね。でも私達はどうすることもできないんですよ。すみませんね。病院に着くまで我慢してくださいね」とおっしゃる。「はい」と答えるしかない私。

ところが、肝心の受け入れ先の病院が見つからない。コロナの方達が瀕死の状態でも、受け入れ病院がなくて何時間も救急車の中で待機という話が脳裏を横切る。

私が 2 回目の胃癌の手術をした大学病院の他に、他の手術を受けた かかりつけの病院があることを伝えると「そちらに電話してみましょうか ?」と かけてくださる。現在どんな症状なのか伝えられた後に、持病なども尋ねられる。私は病歴が多いので、今までの手術なども含めて一覧表を作っている。A 4 の紙いっぱいになるほどの病歴と手術歴。その表を見ながら、救急隊員の方が 電話相手の病院に話される。「以前からまとめておいて良かった」と思った。この痛みの中、過去の病気のあれこれなんて、正確に告げることはできない。

 

長い電話が終わり、かかりつけの病院で引き受けて貰えることになった。はぁ、やっとだ。「さあ、出発できます」と隊員の方も ほっとされたご様子。途中でも「曲がりますよ。ちょっと揺れます」とか「痛むでしょうが、もう少しですからね」と絶えず声をかけてくださる。心強くありがたい。

『走行中の救急車のサイレンは、ドップラー効果で 通り過ぎると音程が変わるけれど、私は今 乗ってるんだからずっと同じ音程だなぁ・・・』等と、痛みに悶えながらでも余計なことを思ったりもする。

 

やっと病院に着いて救急室へ。カーテンで仕切られただけの広い部屋には、かなりの方達がいらっしゃる気配がする。こんなに急病人が・・・。医療スタッフの方達もさぞお疲れのことだろう。頭がさがる。

ドクターや看護師さんがいろいろ質問なさる。胃癌手術の後遺症対策の為とはいえ、前夜から当日の夕方まで絶食していたことなどから察して「脱水症状を起こしている可能性が高いですね」とおっしゃる。「えっ! 脱水症状ってこんなに激しい筋肉硬直が起きるのですか?」と驚く。もっと年上の方達が かかられるイメージがあったので 看護師さんに尋ねると「10 代の人達でも起こりますよ」とのこと。そうなんですね。私のような両腕・両脚が硬直する症状が出ることも珍しくはないそうだ。知らなんだ。

点滴 500 ㎖ が入り始める。両脚の筋肉が硬直したままで痛いと告げると、二人の看護師さんが それぞれの脚を ぎゅ、ぎゅと押される。「ううぅ、とても痛いです!」と訴えても、「痛いでしょ?」と返事をされるが 手は止められない。さすがプロだ。そのお陰で痛みが我慢できるところまで和らいだ。両膝を立てた状態で「動かしちゃダメですよ。また痛みが出ますから。腰をちょっと浮かし気味にすると 足に力が入って、より楽になりますよ」とのこと。ふむふむ。勉強になる。

点滴が終わるまでの間に、ベッドの上で急いで小焼けに連絡をする。途中で膝を伸ばしたり、ベッドを起こして座った状態にし、体の角度を変えても硬直が起きないのを確認した後に ようやく帰宅できた。

 

水分摂取に気を付ければ これでもう大丈夫と安堵していたら、翌日から筋肉痛が出た。考えてみれば、私の意思に関係なく 体が容赦なく凄い力で引っ張り回すのだから、そりゃ、筋肉痛も出るよね。(自分でストレッチするのなら、痛みの出る手前のところで終えるのに)。それにしても、あらゆる所が痛いけれど、原因のわからないままの激痛と違って筋肉痛と分かっているので不安感はない。太もも、ふくらはぎ、肩、胸・・・、あれ~ こんな所にも力が入っていたの?と思うような箇所もある。これほどのすごい力を入れてストレッチ運動したのなら、筋肉が引き締まって ほっそりしたかもしれないと思い、ふくらはぎと太もものサイズを測ってみる。ふむ。結論:以前に測ったことがなかったので比較しようがなかった。

 

今まで、いろいろ病気や手術をしてきて、痛みや辛さには慣れていると思っていたのに、このような息もできないような激痛は初めてだった気がする。痛みがなくなると またいつもの私に戻り、「『パーティ・ピーポー(Party People)』という言葉があったけれど、私の場合は『救急車ピーポー』だわね・・・、なんて思ったりもする。

救急隊員の方達・ドクター・看護師さん、本当にお世話になりました。深く感謝です。ありがとうございました。

 

     

 

 

戸惑う女と魔性の女

(小焼け) の夏休みが終わった。部活、夏期講習、大学のオープンキャンパスお盆で祖父母宅へ・・・などに加え、友達の誘いに応じて 海や夏祭りへと出かけて行った夏休みだった。

小焼けにしては初めての 1 対 1 のデートもあった。幼稚園時代から一緒の友人達と男女問わず ずっと仲良くしていて、今までは グループLINEで誰かが呼びかけると、参加したい人はその都度 自由に参加するという感じで、小焼けも男の子達と出かけることは何度もあった。

小焼けにしてみれば、それで充分楽しかったようだけれど、高校生になってカップルになった人達から「小焼けちゃんも そろそろ特定の彼を作ったら?  他の中学校出身の人だけど、私のクラスに相性の良さそうな人がいるよ」とのことで紹介されたらしい。

 

7 月に紹介されて顔を合わせた後は、試験や部活でお互い忙しくて、スマホでのDM交換がメインだったらしいが「なんか意気投合しちゃって 楽しいんだけど」と言っていた。紹介してくれたカップルがまるで仲人のように「まだDMの段階?今度は電話で話してみたら?」と勧めてくれて電話で話すことが増えたらしい。「そしたらね、話が弾んじゃって、この前なんか気が付いたら 3 時間も経ってた」とも言っていた。ほ~、友達との会話は 学校や部活で直接会って話すことが殆どで ( LINEは用件のみ 手短に済ませ)、電話 (ましてや長電話) なんてめったにしない小焼けにしては珍しいねぇ。よほどウマが合うのかな? 聞くところによると 穏やかな人で話題が豊富で興味の対象も似ているのだとか。

そんなこんなで、「夏休みになったら、二人で出かけよう」と初デートの運びとなったらしい。「何、着ていこうかなぁ? お母さん、これとこれではどっちが良い?」と私に散々相談した挙句、「おばあちゃんにも聞いてみよう。( おばあちゃんはお洒落でセンスが良い)」と Webカメラを繋いで私の母にも相談していた。どんだけ気合い入ってますねん?

 

いそいそと出かけた当日、おばあちゃんが電話してきて「小焼けちゃん、もう帰って来た? どんな感じだったのかしらね? 良いお父さんになりそうなタイプだったらいいねぇ」等と言う。まだ帰っていなかったけれど、初デートで「この人、良いお父さんになるかしら?」なんて考える 16 歳はおらんやろ~。

帰宅した小焼け。「彼と出かけてどうだった?って、おばあちゃんもきっと聞きたがると思うけど、同じ話をお母さんと おばあちゃん・おじいちゃんの それぞれにするのも手間なので、今からおばあちゃんに電話するから、お母さんも傍にいて スピーカーで話を一緒に聞いててよ」と言う。ふむ。合理的だ。

 

小焼けは続ける。「一緒にいると『この人、みんなから愛情をいっぱい受けて すくすくと育った人なんだろうなぁ』と思える優しい雰囲気が 電話の時より一層 伝わってきたよ。それでねぇ、『(今までDMや電話でたくさん話をしてきて)小焼けちゃんの こんなとこが好きだ』から始まって、私の良い所を褒めてくれるのよ。それも長々といっぱい。で、最後に『彼・彼女として付き合って』と告られた。早くない?」と戸惑っている。

 

おばあちゃんは嬉しそうに言う。「まあ、なんてありがたいこと。小焼けちゃんのことを そんな風に良くみてくれて・・・。穏やかで温かい人が一番よ。それに彼はアウトドアが好きとも聞いていたから、サバイバルの知恵をたくさん持っているに違いないよ。もし不測の事態 (災害など) に遭っても、安全な場所で火をおこして 飯ごうで ご飯を炊いたりできるんじゃない? 寒空の下では冷えたおにぎりより、炊きたてのあつあつご飯の方が断然 美味しいよ。飯ごうの底がちょっとお焦げでね。はぁ、いいわぁ」

「おばあちゃんったら、話が飛躍し過ぎよ~。なんで突然災害に襲われるイメージが湧くのよ」とそばでツッコミを入れながら、炊きたてご飯の湯気と ちょっとお焦げの美味しそうな香りが 私の脳内をよぎる。

 

小焼けは「彼を そんなことに利用しようと思っちゃ いけないしょ?」と言いながら、「思いやりがあって 楽しくて とっても良い人ってことは よ~く分かる。でもねぇ、私、彼と手繋いだりとか考えられないんだけど・・・。なんかさぁ。気が重くなっちゃった。今度映画を観に行く約束をしたけど、その時に『やっぱ友達に戻りましょう』と言おうと思う」と続ける。

「え~!どうして~?  今までに聞いた話を総合しても こんな良い人 なかなかいないよ。早まってすぐに断っちゃダメよ。おばあちゃんは 手繋ぐくらい なんともないんだけど ( 魔性の女か ? !  )」とおばあちゃんも粘る。

「おいおい、小焼けちゃんの恋の行方は、小焼けちゃん自身が決めるだろうから、みんなしてワイワイ言わなくても、本人に任せておけばいいんじゃないか?」とおじいちゃんが横から口を挟む。そして続ける。「で?」(←結局は おじいちゃんも話の続きを待っている)

「善い人だからこそ、早めに言っておかないと」と小焼け。今までしてきたように男友達とは グループで話したり 遊びに行ったりする方が気楽で良いのかなぁ。 1 対 1で出かけたことがなかったので戸惑っているだけかな。それに「彼・彼女」になっても別に手を繋がなくてもいいと思うのだけど。

 

ふむ。私は考える。おばあちゃんは小焼けの明るい将来を 早く見たいのだろうか。70 歳の坂を登り始めた自分と夫、闘病が続く小焼けの母親 (夕暮れ)。私達 3人に何かがあれば、ひとりっ子の小焼けは独りぼっちになってしまう。(幾ら仲の良い友人達がいても、年月が経てばそれぞれの生活もあり、学生時代のようにはいかなくなるだろう)。そう思えば『良いお父さんになりそうな彼』と温かい家庭を築く小焼けを想像して 安心したいのかも。

 

私は今まで『将来 小焼けがどんな人を愛しても、結婚しても しなくても、どんな仕事についてどこに住もうと、どれもみな小焼けの人生だから 小焼けが自分で納得のいくように生きていけばいい』と思っていた (つもりだった)。ましてや、娘の恋バナに口を挟む気など毛頭なかった(はずだった)。でも、母の言葉を聞いて『やはり家庭を持って子どもに恵まれて過ごす娘の姿を想像して、安心してこの世から旅立ちたい』と 心の奥底では望んでもいるのだろうか、とも思った。親のエゴ? 

病を得なければ(平均寿命まで健康で生きられるとすれば)、どんなに離れて暮らしていても、小焼けが窮地に立った時には 相談相手くらいにはなれるだろうし、こんなこと考えもしなかったかも知れないのに、弱気になっているのかなぁ、いかんなぁ、私・・・と反省もする。

 

『結婚して子どもを育てることが幸せとは限らないし、いろんな生き方があって当然。小焼けの人生は 小焼け自身が切り拓いていくもの』との思いがあるのも事実だし、(初デートの彼とは 高校時代の思い出で終わるかもしれないけれど)『これから先、どこかで良い出逢いがあればいいなぁ』と願う気持ちがあるのも事実だ ということを改めて知った日だった。

 

 

なんとかして詐欺を未然に防ごうと頑張ったんですよ、私

銀行に行った。数台ある ATM には先客があるけれど、どなたも ATMでの操作は短時間で、すぐに順番が回って来る。私のお隣には もう既に、電話をしながら ATM の操作をなさる高齢の女性がいらっしゃる。こういう状況を目の当たりにするのは初めてだ。「ATM → 電話 → 振り込め詐欺」という図式が浮かぶ。

気にかかって、私は自分の ATM を操作しながら 耳はお隣の女性の声を聞き逃すまいと頑張る。高齢の方が 数回に渡り 合計数千万円も騙し取られたというニュースが脳裏をかすめる。ATMでは 振り込める金額は 銀行やその人の設定金額によって異なるらしいので 一度に そこまでの大きな金額にはならないかもしれないけれど  (後で調べたら、身体認証だと 1000 万円未満で振り込めるらしい。怖っ)それでも長い年月をかけてコツコツと積み立ててこられたと思える預金を一瞬で失うなんて あまりに辛すぎる。何としても防がなくては・・・。

 

私自身の ATM での作業はすぐに済んでしまうはずだ。『自分の用事が済んだら、いつまでも ATM の前にいる訳にはいかない。かといって、突然お隣の女性に話しかけるのも気がひける。困ったな、どうしたらいいだろう?』と焦る。

 

すると、なんということか、幸か不幸か? 私の ATM の画面に見慣れない「お知らせ」が現われた。ん?なになに?「通帳の磁気が弱くなっていて、この通帳は 読みが取れないが、キャッシュカードがあれば、引き続きこの ATM で磁気を回復することができる」という意味のことが書いてある。こんなのは初めて。でも、この操作をしていれば もう暫くお隣の女性の様子を見守ることができる。なんだか ほっとする。

 

銀行の窓口は既に閉まっている時間だけれど、ATM 専用入り口からは 時折 人が入って来られる。ATM はまだ数台あるので、お隣の女性と私が 2 台使用していても、列ができるほどのことはないのが ありがたい。電話をされている高齢の女性を気にとめる風もなく、空いている  ATMにさっと行かれる方もいらっしゃれば、おや?という風に目を留められる方もいらっしゃる。

「どうされました?」とこの女性に声をかけてくださればいいなぁ、と他力本願の私が顔を出し 心の中で願うけれど、どなたもすぐに空いている ATM の前に行き ご自分の作業に入られる。こういう時にためらわずに声をかけられる方はどんな人? う~ん、やはり社交的な中年の女性かな? ん? 中年の女性?・・・私か? でも、こう見えて実は 結構 内気で人見知りなんですよ。まじ。

 

私が画面に従って操作をしている間も、お隣では「はい? 今、そこまでしましたよ。次は? はい? あら? もう一度最初からしてみます」等とおっしゃっている。大丈夫かなぁ? 通帳の 磁気を回復させるという操作は思ったよりもずっと早くに完了してしまった。困ったな。どうしよう? 気にかかってこのまま帰る訳にはいかない。

 

そうだ! いったん 車に戻って、この銀行の 長いお付き合いのある営業の女性の携帯に電話をしよう。ATM のある場所から窓口に続く通路にはシャッターが降りているけれど、同じ銀行内にいらっしゃる可能性が高い。銀行員さんから声をかけてもらったら、あの高齢の女性も事情を話しやすいだろう。なんて良いアイディア♪ と自分で自分を褒める。こうして未然に防げたらこんなに嬉しいことはない。

 

ぐずぐずしている間に、あの女性が送金ボタンを ぽちっと押してしまわれたら取り返しの つかないことになる。私は駐車場に停めてある自分の車へと小走りで向かう。

その僅かな時間の間に、「そういえば、新聞の地方版に、振り込め詐欺を未然に防いだ銀行員やコンビニの店員さんが、感謝状を貰ったとの記事が写真入りで載っていたなぁ。テレビのローカルニュースでも見かけたことがある。

ということは、今日のこのケースも 一番先に気付いて銀行員さんに知らせた私も   もしかしたら写真入りで載せられる? 恥ずかしい。できればご遠慮したい。でもどうしても、と請われたらその際には、マスクはしたままでいいのかな? それとも外してくださいと言われるかな? 最近 メイクもろくにしていないので、ちゃんとできるかな? いやいや、私は感謝状を貰って ローカルテレビや新聞の地方版に出たい訳ではない。あくまで犯罪を未然に防ぎたいだけ」・・・なんてことが、いつもは ゆるい頭の中を素早く駆け巡る。

 

自分の車に到着し、営業の銀行員さんの携帯番号を スマホの電話帳で探す。あった!

発信しようとした まさにその時、はっと ひらめく。高齢の女性が手にされていた電話機にはコードが付いていた!  つまり、ご自分のスマホではなくて、ATM の傍に設置されている連絡用の電話を使われていた。

・・・ということは、あの女性が話されていたお相手は 銀行のヘルプの方ということになる? ああ、良かった。振り込め詐欺ではなく、ATM の操作そのものを尋ねていらしたのね。

安堵すると共に、一瞬とはいえ、感謝状を手に持って微笑む自分の姿を想像したことに照れる。そして、こんな恥ずかしいこと、誰にも言わんとこ・・・と思った。

 

 

                   

 

思いと祈り

★新聞に 白寿の方の言葉が載っていました。

【目的ができたと白寿の祖母の言う プーチンの死をみるまで生きると】神戸市 米谷 茂さん

99歳にしてこの心意気。凜となさって素晴らしい。そして 人生の大先輩にこうまで言わしめるプーチンが憎い。

 

★原爆慰霊祭とお祖父様のことを綴られたpokuchanさんの思いが胸を打ちました。

8月6日は語らないけど - チェロとお昼寝 (o-chancello.net)

pokuchanさんのお祖父様のように、深い怒りと悲しみを一生持ち続けて 亡くなられた方達に 手を合わせながら思いを馳せました。

 

のんち (id:nonchi1010)さんのお母様の 忘れがたい辛い思いです。

ひもじいことは、哀しいこと。 - のんちのポケットに入れたい大切なもの (hatenablog.com)

「あの光景は死ぬまで忘れへん」とおっしゃるお母様の言葉。時が解決することは決してない辛い思いをなさったことに 心が痛みます。

 

a-doll さんご自身の戦争体験記です

子供の頃戦争があった 2 - a-dollのブログ (hatenablog.com)

幾度となく鳴り響く空襲警報。軍隊のようになっていく学校。幼い a-dollさんはどれほど怖く辛かったことでしょう。

 

私の母も 祖母から聞いた話を語っていました。

写真でしか 私は顔を知らない曾祖母は、徴兵された息子が いよいよ日本を離れ 戦地に行く前、数日の帰宅が許された時、「上級兵に 毎日ひどい仕打ちを受けるから、部隊に戻りたくない」と号泣しながら家の柱にしがみつくのを、母親である自分も泣きながら「行かねばならないんだよ」と諭して送り出したとのこと。遺骨も何も帰って来なかったけれど、南の島で食べるものもなく 餓死したのだと、後に曾祖母は聞かされたらしい。

物静かな曾祖母が、自分の命が尽きるまで その日のことを思い出しては語り、涙を拭っていた姿を、私の母も忘れることはないと言う。

「上級兵に酷い目に遭わされる」とはどういうことなのか、敵兵と闘う前に 同じ日本兵同士が?  戦争によって何が起こるのか、幼すぎてよく理解できなかった母は、随分 後になって『人間の條件』(五味川純平)を読んで ようやく少し理解できたような気がする、と言ったことがある。人を鬼に変える戦争がここにもあった。

 

★pokuchanさん、のんちさん、a-dollさん、ご了承も得ないまま 記事のご紹介をさせていただき申し訳ありません。 皆様の綴られた言葉を噛みしめ、思いを馳せながら、切なくて悲しくて無念でなりませんでした。戦争を体験された方達 お一人お一人が、癒されることのない辛い思いを抱えて 一生を過ごされることに 胸が締め付けられる思いが致します。そして戦争への怒りがふつふつと湧きあがってきます。

 

 

『六月の子守唄』と 母親あれこれ。(追記:「よしこさん」登場です)

★死刑囚の母
7月27日の新聞、一面トップの見出しに『秋葉原殺傷 死刑を執行』とあった。その横に 同じく太字で 執行された人の名前がある。「ああ、ここにも・・・」という思いが浮かぶ。
以前にもこんな思いをしたことがあった。『 6人の死刑囚の刑が執行』というニュースが流れた時だった。(2018 年7月は ひと月にオウム真理教の 13人の刑が執行された)

『六月の子守唄』のメロディと歌詞が浮かぶ。生まれたばかりの我が子に「大きくおなり、優しくおなり」と語りかける母の想い。良き人生を送れるようにとの祈りをこめて付けた名前の下に「死刑囚」の文字がある。
こんな日が来ることを、母親は想像だにしなかったことだろう。

↓ 以前、あずきさんが 弾き語りをなさっているのを聴いて、ブログに貼らせて欲しいとお願いした『六月の子守歌』です。優しいまなざしで我が子を見つめるお母さんのイラストを丁稚くんが描いてくださいました。お忙しい中、こんなに素敵に仕上げてくださったお二人に 心より感謝します。

youtu.be

 

★家柄と良妻賢母の呪縛に囚われた母
朝ドラで「育った環境が違うし、仕事と家庭の両立はできない」と母親に結婚を反対される息子(和彦)が言う。「(恋人の) 暢子は夢があり、やりがいのある仕事もしている。僕は暢子の生き方を肯定しているし、結婚してもそのままの暢子でいてほしい。暢子の人生はキラキラ輝いて充実している」
すると 鈴木保奈美さん演じる和彦の母が言う。「(専業主婦の) 私の人生はつまらないのね? 母さんの人生は否定するのね?」
その後、自宅でお手伝いさんを相手に嘆く母親。「愛情をかけて世話をして自分の命より大切だと尽くしても おとなになるとコロッと忘れられて・・・母親なんて 虚しい人生ね」

母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ 
母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ
(しか) し その声は、どうなるのだらう?
たしかにその声は、海越えてゆくだらう?

暗い海を、船もゐる夜の海を
そして、その声を聴届けるのは誰だらう?  
     中原中也「子守唄よ」

時代背景を考えると、和彦の母親の世代の女性は 結婚すれば家庭に入り「良妻賢母」であることを求められたのかもしれない。更に彼女は「家柄」や「学歴」に囚われる育てられ方もしたのだろう。現代なら「やだー、こんなお母さん」と言われるタイプではあるけれど、(自分の命より大事だと育てた) 息子にそこまで厭われる母親の気持ち。う~む。

 

★特性を持った子の母
スーパーで、突然火のついたような泣き声が聞こえた。私は あまりの大きさに驚き 何ごとが起こったのかと 声のする方を見る。小学校低学年くらいの男の子が、お母さんの押すショッピングカートを押し戻しながら泣いている。喉がつぶれるのではないかと心配になるほど声を張り上げて泣いている。傍には 4 年生くらいのお兄ちゃんもいて、困ったような顔をして黙って立っている。お母さんは小さな声で何か話しかけていらっしゃる。

泣いている男の子の様子は、私の友人の子と特性が似ている。この子には この子なりの世界があり、何かしらの思いがあって 今 こういう状況になっているのだろう。お母さんには周りの視線が痛いだろう・・・と案じながらも、私にはどうすることもできなかった。

 

★「あれは何だったの?」と問いたい母
そういえば、娘 (小焼け) がまだ 2 歳にならない頃、ショッピングモールに出かけ、買い物を済ませて帰ろうとすると、床にゴロンと大の字になってしまったことがあった。通路は広いとはいえ、通行の妨げになる。何よりも床の上に寝転ぶなんて・・・。まだ帰りたくないという意思表示なのかもしれないけれど、駄々をこねている風でもない。ただ、床の上に大の字。
こんなことは初めてで、まだ20代半ばだった母親の私は慌てふためき、言い聞かせ、なんとか抱き起こそうとするけれど、頑として動こうとしない小焼け。通りがかりの人達の「あらら」と言いたげな視線も気になって焦るばかり。
そこに中年の女性が 小焼けに「床の上はひんやりして気持ちいいの? きっと気持ちいいんだろうねぇ~」と笑顔で話しかけ、そのまま立ち去って行かれた。すると、小焼けは ぴょこんと起き上がり、そんなことは無かったかのように、私と手を繋いで「さあ、帰ろう」という仕草を示した。なんじゃー これ。
もう少し成長した後、「あの時、起き上がろうと思ったのはなぜ?」と尋ねたことがあったけれど、「覚えてる訳な~い」で片付けられた。

 

★「デイサービス? 絶対行きません。あんたが行けばいいしょ?」と息子に言う母(追記:8月3日)

上記の『6月の子守唄』のイラストを描いてくださった丁稚くんは、本職では英語教材のイラストを描かれたり、『ハムレット』を出版される方なのですが、作詞・作曲・弾き語りもなさいます。本日の twitterでお母様 (よしこさん) のことを歌われていました。

私達は かねてより、 歌に出てくるようなできごとを 丁稚くんライブで耳にしたことがありました。丁稚くんが弾き語りをされていると 階下から「ご近所迷惑でしょ? やめなさい」という声が聞こえることもあり、リスナーの私達は「あ~あ、丁稚くんったら、お母さんに叱られちゃった」と言いながら、ライブの度に はらはらドキドキ わくわく (ごめん!) したものでした。

丁稚くんは、日々のお母様の様子をこうして飄々と歌にされていますが、日々の介護は大変なこともおありだろうと推察しています。介護のために関東からご実家に戻られたことや、ライブ中にお母様から叱られた時の丁稚くんのお返事がとっても優しくて、温かいお人柄が伝わってきます。

楽しくて やがてほろりとくる丁稚くんの歌『よしこさん』をご紹介させていただきます。↓

https://soundcloud.com/hikaru-takahashi-2/f8ilcyvjcqeu

 

★娘の志望校より、オタッキーな男子の方に興味を引かれる母
時は流れ、小焼けは高校生になった。夏休み前に個別進路相談があった。担任の先生は 明るくさっぱりとされていて 話しやすい。資料と小焼け本人の希望 & 成績を元に「志望大学は国立はここで、私立はここですね?」という確認をされる。その後「小焼けさん、1 学期の席は両サイドをオタッキーな (先生は「個性豊かな」という良い意味で使われているようだ)男子二人に挟まれて気の毒に思っていましたが 心配無用でした。どちらとも仲良く過ごされていました」とおっしゃる。

先生が笑顔で言われた「オタッキーな男子二人に挟まれて・・」の話ってなぁに? 以前に小焼け本人からちょっと聞いたような気もする。
帰宅してからもう一度小焼けに確認する。「左隣の A 君はね、自分の得意な科目には天才かと言われるほど活躍するんだけど、その他の科目の時は寝てて、授業中に当たると私に「何て答えればいい?」と毎回聞くのよ。それで、私は A 君がいつ当たってもいいように、一生懸命授業を聞かねばならないんだわ」と言う。「集中して授業を聞けば、結局は小焼けの身についているでしょうよ」と言うと「人の分まで疲れるよ」だって。う~む。

「で、右隣の B 君は?」と尋ねると「クラスの人とあまり話さない静かな人で 誤解されやすいけど、悪い人じゃないよ。1 年の時に (限定公開にしてる) SNS の DM に突然友達申請がきた(ああ、以前にそんなこと言っていたような)。その頃はまだ知らない人だったけど、同じ学校だし、ま、いっかーと思って承認した。でもねぇ、話題が固いし文章も長いんだわ。私、部活も忙しいし。それで、返信を短くしたり、時々はスタンプ 1 個だけにしたりして、フエードアウトしようとしたけど、B 君ったら気が付いてくれなかった。そしたら、2 年で同じ組になって、席も隣になった。クラスでは 人前で 話しかけられることはないんだけど、相変わらず DMは来て、この前なんか「安倍元総理の銃撃についてどう思う?」って。おい。それにねぇ、自転車置き場の B君の自転車が 私の方にだんだん近づいて来るんだけど・・・。最近じゃ、すぐ隣まで迫ってきた」・・・う~む(母 思案中)

 

 

とりとめのない会話

★「大発見だ」と帰宅した娘 (小焼け) が言う。部活の始まる前に 友達が電話しているのが聞こえたらしい。「おばあちゃんと孫って、あんなに甘く優しく会話するものなの? まるでアニメに出てくる二人みたいな雰囲気だったよ。電話の後で スマホの写真見せて貰ったけど、テレビや映画で見かける優しそうな 『おばあちゃん おばあちゃんした おばあちゃん』 だった」

小焼けは更に続ける。「ウチのおばあちゃんは やたら元気で、おばあちゃんってこと 忘れそうだ」。その後、祖母 (私の母) に LINEして 「今日の大発見」を知らせる小焼け。「じゃあさ、私達も『甘~く 優しく会話する 孫とおばあちゃん』しようよ~」と返信がきた。「そりゃ無理じゃ」という文字の入った 可愛いスタンプ 1 個送信する孫。

せっかく 大発見したらしいのに、それを生かしきれてなくない?

 

★夕食の時、唐突に「私ねぇ、大学生になったら どんなバイトするか決めたよ」と小焼けが言う。大学生のお兄さん・お姉さんがいる友達に尋ねたらしい。「塾の先生や家庭教師がメインらしいけど、その他に、中学・高校の部活で初めてバイオリンを手にした人達から『基礎からのレッスンと、学校行事やコンサートで弾く曲を重点的にみて欲しい』という依頼もあるらしいよ。でねぇ、考えたんだけど、それプラス『お母さん達の相談にのる』っていうサービス付きはどう?」と言う。

「塾の先生や 家庭教師は分かる。初心者への楽器の手ほどきも まあ分かる。でも最後のは なぁに?」と問うと「だいたいねぇ、お母さん達は『ウチの子、せっかく楽器を習い始めたのに 練習嫌いで』とか『 4 歳からお稽古してるんですけど、ちっとも上達しなくて』とか愚痴を言いたかったりするじゃない? それを『うんうん、お気持ち分かります』と頷きながら話を聞いてあげるの」。・・・って、お~い、どの立場から物を言おうとしてます? なんか怪しげな人みたくなってない?「今なら壺もついてきます」なんて言い出さないでよ。

 

『食事をしながら こんな とりとめもない会話をするのも あと 1 年半かな?』と思うと寂しくもあるし、親元を離れて成長していくだろう娘の姿を見るのも楽しみな気もする。

ところで、このところずっと、私は 「ここで曲がり角を曲がろうか? それともこのまま もう少しまっすぐ進んで、その先に現われた角で曲がろうか?」と思案中。

私が更新を楽しみにしているブロガーさんのお一人  Miyukeyさんが「曲がり角」について綴っていらっしゃった(6月27日、7月19日)。 Miyukey さんが紡がれる言葉は いつも味わい深い。ゆっくり拝読しながら「さて私は?」と考える機会をいただいた。

(追記:読んでくださった方が「 IDだけでは記事に辿り着けないのですが・・・」というお問い合わせをくださったので、記事を貼らせていただきます。Miyukeyさんご本人に了承をいただかないままで宜しいのでしょうか?と案じつつ。未だにブログのマナーがよく分かっておりません。ごめんなさい)

 

↓ Miyukeyさんの6月27日の記事です

曲がり角は、神様のものじゃない 長田弘「私の好きな孤独」 - Miyukeyの気まぐれブログ (hatenablog.com)

↓ Miyukeyさんの7月19日の記事です

私の人生の曲がり角は(近況報告) - Miyukeyの気まぐれブログ (hatenablog.com)

 

 

 

「行ってきます」と出かけたのに・・・

衝撃的なニュース速報が駆け巡った翌日、朝刊を眺めながら娘 (小焼け) が言う。「安倍さんも 昨日の朝『行ってきます』と家を出たのに、『ただいま』と言って帰って来ることはなかったんだね」。一面トップには 演説する元首相の写真が載っている。「そうね、小焼けの お父さんと同じだ」と私は応える。

 

娘は「人は皆が皆、天寿を全うして旅立てるわけではない」ということを 幼くして知ってしまった。幼いながら独立心が強く、なんでも自分一人でやってみたがるタイプだったのに、帰宅すると私の姿が見えるリビングにいることが増えた。といっても、私の傍にいて べたべたと甘える風でもなく、今までと同じように、その日のできごとを話したり、勉強したり、遊んだりしているだけだったけれど。

それは中学生になっても続いた。 ↓ (詳しくはこちらです)

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

私は「夫の その日」のことを ブログでもツイッターでも 語らなかったけれど、随分時が流れた後に 一度だけ思いを書いたことがあった。 ↓

【その夜、ベッドの中で ふっと思った。『小焼けがリビングにずっといるのは、家族の気配が感じられる所に居たいからだろうか?(年齢的には、家族の存在が時にはうっとおしく、自分の部屋に ひとりで居たい頃ではないかと思うけれど )。 人は誰もが、ひいおばあちゃんのように、天寿を全うして安らかに旅立てる訳ではなく、事故や災害で命を絶たれることもあり、予想だにしなかった別れが、ある日突然やってくると、幼くして体験してしまったことが、心の奥底にあるのだろうか? そう思うと 不憫で愛おしい】

 

安倍晋三氏のお母さん (洋子さん、94歳) は息子が銃撃を受けたことを知って、声をあげて泣かれたとのこと。大切な息子に まさか このような形で先立たれるとは 想像されたこともなかっただろう。なんと残酷で理不尽な突然の別れ。胸中察してあまりある。

私の夫の両親も同じであった。周りの者が 掛ける言葉も見つからないほどの 憔悴ぶりだった。私達の場合、深い悲しみの上に 激しい憤りを呼び起こしたものは 加害者側の態度であった。当時はまだドライブレコーダーも普及しておらず、当事者の証言を元に作成された「記録」(後に現場検証で覆されたけれど)。死人に口なしとばかりに、自分の身を守ろう・少しでも罪を軽くしようとする不誠実な態度に、義母は泣き、義父は怒りを抑えきれなかった。 私とて同じ。心の中で 或いは夢の中で 何度 加害者の胸ぐらを掴み、罵詈雑言を浴びせたことか・・・。これから まだまだ たくさんあっただろう人生の喜びや楽しみを一瞬にして奪い去られた夫の無念を思うと あまりに切なく悔しかった。

 

ひとりの命の灯火が消えるということ。それはある人からは「息子 (娘) 」を奪い、ある人からは「夫 (妻) 」を奪い、ある人からは「父親  (母親) 」を、またある人からは「兄弟姉妹」、ある人からは「友人」を奪うということ。

「天寿を全うして安らかに」と誰もが願えども、叶わぬことの多さを思う。