「行ってきます」と出かけたのに・・・

衝撃的なニュース速報が駆け巡った翌日、朝刊を眺めながら娘 (小焼け) が言う。「安倍さんも 昨日の朝『行ってきます』と家を出たのに、『ただいま』と言って帰って来ることはなかったんだね」。一面トップには 演説する元首相の写真が載っている。「そうね、小焼けの お父さんと同じだ」と私は応える。

 

娘は「人は皆が皆、天寿を全うして旅立てるわけではない」ということを 幼くして知ってしまった。幼いながら独立心が強く、なんでも自分一人でやってみたがるタイプだったのに、帰宅すると私の姿が見えるリビングにいることが増えた。といっても、私の傍にいて べたべたと甘える風でもなく、今までと同じように、その日のできごとを話したり、勉強したり、遊んだりしているだけだったけれど。

それは中学生になっても続いた。 ↓ (詳しくはこちらです)

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

私は「夫の その日」のことを ブログでもツイッターでも 語らなかったけれど、随分時が流れた後に 一度だけ思いを書いたことがあった。 ↓

【その夜、ベッドの中で ふっと思った。『小焼けがリビングにずっといるのは、家族の気配が感じられる所に居たいからだろうか?(年齢的には、家族の存在が時にはうっとおしく、自分の部屋に ひとりで居たい頃ではないかと思うけれど )。 人は誰もが、ひいおばあちゃんのように、天寿を全うして安らかに旅立てる訳ではなく、事故や災害で命を絶たれることもあり、予想だにしなかった別れが、ある日突然やってくると、幼くして体験してしまったことが、心の奥底にあるのだろうか? そう思うと 不憫で愛おしい】

 

安倍晋三氏のお母さん (洋子さん、94歳) は息子が銃撃を受けたことを知って、声をあげて泣かれたとのこと。大切な息子に まさか このような形で先立たれるとは 想像されたこともなかっただろう。なんと残酷で理不尽な突然の別れ。胸中察してあまりある。

私の夫の両親も同じであった。周りの者が 掛ける言葉も見つからないほどの 憔悴ぶりだった。私達の場合、深い悲しみの上に 激しい憤りを呼び起こしたものは 加害者側の態度であった。当時はまだドライブレコーダーも普及しておらず、当事者の証言を元に作成された「記録」(後に現場検証で覆されたけれど)。死人に口なしとばかりに、自分の身を守ろう・少しでも罪を軽くしようとする不誠実な態度に、義母は泣き、義父は怒りを抑えきれなかった。 私とて同じ。心の中で 或いは夢の中で 何度 加害者の胸ぐらを掴み、罵詈雑言を浴びせたことか・・・。これから まだまだ たくさんあっただろう人生の喜びや楽しみを一瞬にして奪い去られた夫の無念を思うと あまりに切なく悔しかった。

 

ひとりの命の灯火が消えるということ。それはある人からは「息子 (娘) 」を奪い、ある人からは「夫 (妻) 」を奪い、ある人からは「父親  (母親) 」を、またある人からは「兄弟姉妹」、ある人からは「友人」を奪うということ。

「天寿を全うして安らかに」と誰もが願えども、叶わぬことの多さを思う。