パーティ ピーポー (Party People)? いいえ、救急車ピーポーです

現在 闘病中の私は その日、大学病院での治療・検査などを受けた。2 回目の胃癌手術から約半年過ぎ、食事の内容・量・タイミングなども次第に分かってはきたけれど、それでも思いもかけずにダンピング症候群が現われる時がある。サンドイッチ 1 切れとドリンク少々でも、腹痛・発熱・脂汗・倦怠感などで動けなくなる時も。病院の治療や検査中にそのような状態になると、後の予約の方達にも迷惑がかかる。

そう考えて、病院から指示はなかったけれど、ダンピング症候群を起こさない為に、前夜から 当日帰宅するまでの間は、何も口にせず 自主的絶食状態だった。

長時間・長距離の外出は 極力避けて暮らしているけれど、病院となると出かけない訳にはいかない。手術した後は 今までと同じような生活をされている方達も多いと聞くのに、私はいつまでこのような ダンピング症候群との 生活が続くのだろう。栄養や水分摂取に気を配っていても、果たしてそれらが体内に取り込まれているものやら・・・。体重も 10 キロ以上減少しているし・・・と いささか憂鬱になり、気力が出ない時もある。

当日は 病院での治療・検査を終えて、無事帰宅できたのは 16 時を回っていた。取り急ぎ水分と食事を軽く取っておかなくては・・・。帰宅途中マックでハンバーガーセットをテイク アウトした。ドリンクはイチゴシェイク。冷たくて美味しい。はぁ、生き返る。

 

そして、それは 下記のように 突然、あまりに突然に始まった。

食事中に左足の甲が少し突っ張るような気がしたけれど、あまり気にせず 時々 甲をぐるぐると回したり伸ばしたりしながら 食事を終えた。

片付けを済ませ、夕食を準備する時間が来るまで ちょっと休もうとソファに座ると、今度は足の指がつった。痛みを伴って指が勝手に力いっぱい開いている。「あらまあ」と思いつつ、元に戻そうとしていると、なんと、今度は右足が・・・。

 

指のみならず、両脚の膝下から甲に続く筋肉が硬直し始めた。えっ! ふくらはぎなら こむら返りしたことがあるけれど、脚の前側? しかもかなり痛い。「こういう時の応急処置は?」と スマホで検索しようと検索ワードを打ち込んでいる内に、今度は左手の親指が ぐにゃりと変な方向に曲がった。その後は次々と右手の親指、左手の他の指、右手の残りの指・・・と 私の意思などまるで無視するかのように、好き勝手な方向に曲がる。「なんじゃこれー!! 指って  5 本がバラバラに こんな角度に曲がるの?」と心の中で叫びながら見つめる。

 

「写真に撮っておいて 後でブログやツイッターに載せようかな?」という思いも一瞬よぎる。ブログを始めてから 投稿数は月に数回と少ないけれどツイッターも加えると 2018 年 6 月からなので)今月で約 4 年になる。「もしかすると、私も自分のピンチすら記事にしようとするブロガー魂が 身に付いてきたのかな? これって進歩? それとも沼にはまりつつある?」なんて思ったりもする。

でも、そんな呑気な思いはすぐに吹っ飛んだ。痛い! 痛い! 痛い! 指のみならず、かなりの力が両腕・両脚に加わり始めて激痛となり 襲ってくる。

こうなると 検索しようにも、両指が変な方向にバラバラに向いて突っ張ったままなので、もうスマホが持てない。自分の体に何か起きているのか、不安が増す。娘の小焼けはまだ帰宅していない。家には私ひとり。おろおろとするばかり。

 

そして遂には 筋肉が けいれん・硬直して、立ち上がったまま一歩も進めなくなった。息も絶え絶えになる。痛みがピークに達した時、「もうダメだ。自力では何ともできない。救急車をお願いしよう」と思った。スマホをテーブルの上に置き、変な方向に曲がった指で痛みに耐えつつ 119 を押す。番号が 3 つで助かった。

電話はすぐに繋がり、こちらの状況を伝える。スピーカーフォンを通して相手の方が落ち着いて対応してくださることが、焦り切っている私に安心感を与える。通話中に痛みが更に激しくなり「助けて!」と思わず悲鳴のように口走ってしまう。ところが、救急車は全て出払っているので、近隣に要請をするとのこと。待つしか無い。ひたすら待つ。

病院から帰宅後は 室内着に着替えてしまっていて、人前に出るには格好悪いけど、激痛の為、そんなこと言ってる余裕もない。健康保険証等も要るだろうけれど、動けないからバッグを取りにも行けない。もうこのままの状態で救急車に乗ろう と諦める。

 

そんな中、不思議なことに 痛みが すぅーと引く時がある。あれ? もう大丈夫なのかな? 救急車に「このまま様子をみます」とお断りの電話をしようか? とさえ思える。でも、暫くすると、また息もできないような筋肉硬直と激痛が襲ってくる。ダメだ。やっぱり救急車を待とう。

暫くして、電話がかかってきた。かなり遠方からの救急車がこちらに向かってくれているとのこと。本当にありがたく「これでやっと助かる」と心の中で安堵する。

 

痛みの波があって、僅かに痛みが引いている時には「やはり着替えて見苦しくないようにしよう。持参するものも 今の内に用意しておこう」という気になる。しかし、着替えている途中で また けいれんと痛みが襲って来る。こうなると再び身動きできなくなる。うわっ、こんなあられもない格好、救急隊員の方に見られてしまう。しかもタダで(お~ぃ。お金を貰って見せるんかぃ?)どうしよう?!

 

そうこうしながら、何度かの痛みが引いた時に、何とか着替えも済ませ、保険証や病歴を書いたものなども用意できた。救急車が到着した時、ストレッチャーを用意されているようだったけれど、その時には痛みが弱くなっていた。

筋肉の硬直が無い時は ケロリとしてしまう。遠方を大急ぎで来てくださった隊員の方達に申し訳ない思いすらする。「ご本人の意識はしっかりされています。ご自分で救急車に歩いて乗れそうです」と どこかに連絡をされている。現在の様子を見られて、「こんな程度で救急車呼ばないでくださいよ」と心の中で思われているかも・・・と余計に身が縮む思いがする。ところが、救急車に乗ったとたんに、また両脚がつった。痛い!!!狭いベッドに横たわりながら、「一刻も早く病院へ連れて行ってください!」と叫ぶ。もうなりふり構っていられない痛みだ。

 

救急隊員の方はまず熱と血圧を測られる。これをしないと出発できないようだ。コロナの心配も加わっているのかも。3 人いらっしゃる隊員の方達はどなたも優しく穏やかだ。「痛いですね。苦しいですね。でも私達はどうすることもできないんですよ。すみませんね。病院に着くまで我慢してくださいね」とおっしゃる。「はい」と答えるしかない私。

ところが、肝心の受け入れ先の病院が見つからない。コロナの方達が瀕死の状態でも、受け入れ病院がなくて何時間も救急車の中で待機という話が脳裏を横切る。

私が 2 回目の胃癌の手術をした大学病院の他に、他の手術を受けた かかりつけの病院があることを伝えると「そちらに電話してみましょうか ?」と かけてくださる。現在どんな症状なのか伝えられた後に、持病なども尋ねられる。私は病歴が多いので、今までの手術なども含めて一覧表を作っている。A 4 の紙いっぱいになるほどの病歴と手術歴。その表を見ながら、救急隊員の方が 電話相手の病院に話される。「以前からまとめておいて良かった」と思った。この痛みの中、過去の病気のあれこれなんて、正確に告げることはできない。

 

長い電話が終わり、かかりつけの病院で引き受けて貰えることになった。はぁ、やっとだ。「さあ、出発できます」と隊員の方も ほっとされたご様子。途中でも「曲がりますよ。ちょっと揺れます」とか「痛むでしょうが、もう少しですからね」と絶えず声をかけてくださる。心強くありがたい。

『走行中の救急車のサイレンは、ドップラー効果で 通り過ぎると音程が変わるけれど、私は今 乗ってるんだからずっと同じ音程だなぁ・・・』等と、痛みに悶えながらでも余計なことを思ったりもする。

 

やっと病院に着いて救急室へ。カーテンで仕切られただけの広い部屋には、かなりの方達がいらっしゃる気配がする。こんなに急病人が・・・。医療スタッフの方達もさぞお疲れのことだろう。頭がさがる。

ドクターや看護師さんがいろいろ質問なさる。胃癌手術の後遺症対策の為とはいえ、前夜から当日の夕方まで絶食していたことなどから察して「脱水症状を起こしている可能性が高いですね」とおっしゃる。「えっ! 脱水症状ってこんなに激しい筋肉硬直が起きるのですか?」と驚く。もっと年上の方達が かかられるイメージがあったので 看護師さんに尋ねると「10 代の人達でも起こりますよ」とのこと。そうなんですね。私のような両腕・両脚が硬直する症状が出ることも珍しくはないそうだ。知らなんだ。

点滴 500 ㎖ が入り始める。両脚の筋肉が硬直したままで痛いと告げると、二人の看護師さんが それぞれの脚を ぎゅ、ぎゅと押される。「ううぅ、とても痛いです!」と訴えても、「痛いでしょ?」と返事をされるが 手は止められない。さすがプロだ。そのお陰で痛みが我慢できるところまで和らいだ。両膝を立てた状態で「動かしちゃダメですよ。また痛みが出ますから。腰をちょっと浮かし気味にすると 足に力が入って、より楽になりますよ」とのこと。ふむふむ。勉強になる。

点滴が終わるまでの間に、ベッドの上で急いで小焼けに連絡をする。途中で膝を伸ばしたり、ベッドを起こして座った状態にし、体の角度を変えても硬直が起きないのを確認した後に ようやく帰宅できた。

 

水分摂取に気を付ければ これでもう大丈夫と安堵していたら、翌日から筋肉痛が出た。考えてみれば、私の意思に関係なく 体が容赦なく凄い力で引っ張り回すのだから、そりゃ、筋肉痛も出るよね。(自分でストレッチするのなら、痛みの出る手前のところで終えるのに)。それにしても、あらゆる所が痛いけれど、原因のわからないままの激痛と違って筋肉痛と分かっているので不安感はない。太もも、ふくらはぎ、肩、胸・・・、あれ~ こんな所にも力が入っていたの?と思うような箇所もある。これほどのすごい力を入れてストレッチ運動したのなら、筋肉が引き締まって ほっそりしたかもしれないと思い、ふくらはぎと太もものサイズを測ってみる。ふむ。結論:以前に測ったことがなかったので比較しようがなかった。

 

今まで、いろいろ病気や手術をしてきて、痛みや辛さには慣れていると思っていたのに、このような息もできないような激痛は初めてだった気がする。痛みがなくなると またいつもの私に戻り、「『パーティ・ピーポー(Party People)』という言葉があったけれど、私の場合は『救急車ピーポー』だわね・・・、なんて思ったりもする。

救急隊員の方達・ドクター・看護師さん、本当にお世話になりました。深く感謝です。ありがとうございました。