縄文時代と令和時代の 夕焼け

2019年7月9日

娘が唐突に言う。「私、縄文時代に生まれれば良かったな」。
私は応える。「うん。気候も穏やかで、生活技術も高かったらしいから、暮らしやすいかもね」。

 

娘:「ううん、歴史がちょっとしかないから、覚える範囲が少ないよ」。
私の心の中の声: 『そっちかぃぃぃ?』

(そもそも、縄文時代には学校もない、テストもない、回覧板もこない)

 

『さては、社会の点数が思うように伸びなかったのだな』と推測できたが、ようやく定期テストが終わって のんびりしているのだから、それは言わないでおこうと思った。

慈母である。

 

娘は更に続ける。「だいたいさ、日本史を分けると、お母さんは1000年代生まれだけど、私なんか2000年代の生まれよ。覚えなくちゃいけない歴史の範囲が広すぎ!」

はぁ? なんで、歴史を1000年単位でくくる? 八つ当たりにも程があるでしょうよ。
そのくくりでいくと、私は源義経豊臣秀吉徳川家康板垣退助・・・ と同じカテゴリーに入るじゃない?!

 

ふと空を眺めると、梅雨の晴れ間の夕焼けがあった。
「綺麗!」「いいね」と二人で暫し眺める。
そして思った。

縄文時代の人達も作業の手を休めて、こうして美しい夕焼けを眺めたのかなぁ?』