それぞれに異なる1日

9月19日にブログを開設し、まだ1か月にも満たない。

記事合計は64になるが、Twitterで呟いていたのを転記しているので、このブログに実際に書き始めたのは「ブログ開設 奮闘記」から これを含めて僅か 7 記事。

(※他の多くの方々は、読者に向けて 話しかけるように丁寧な言葉遣いで書かれていることに気付いた。そして、記事の最初や最後には「読んでくださってありがとう」とお礼を述べられる方もいらっしゃる。

「私、こんなぶっきらぼうでいいのかしら?」と反省はする。私の書いていることは 「独り言」だし・・と言い訳もする。(自分に甘い)。でも、不愉快に思われる方がいらしたら申し訳ないです。(取って付けたように「です」をつけてみる。何か変)。
結論としては「ま、いっか(いいんかぃい)」。こんなことだから、いつまで経っても人間に深みが増さないのでしょう)。

 

余談はさておき、他の方達の記事を読ませていただくのが楽しみ。

まずは、「新着記事」や「こんなブログもあります」の欄からランダムに・・・。
「この方の 他の記事もゆっくり読ませて欲しいな」と思うことも多い。「読者になる」に登録して、時間のある時に読ませていただいている。

(※読後に「スター」を押して時間が経つと、その内の数個が消えたり消えなかったりする謎は未だに解けません。失礼があればお許しください)。

 

日本中・世界中から届く記事の数々。
記事の内容は、情報・心に残った風景の描写や写真・心情・過去との対話・・・等、多岐にわたる。
等しく1日24時間でも、それぞれ異なる1日があるのだと改めて思う。

 

記事一覧を目で追っていると、電車の中から眺めた たくさんの高層マンションの明かりと、「この明かりの ひとつ ひとつに人がいて、いろんな1日の過ごし方があったのだろうなぁ」と感じたことを思い出す。
ブログも窓の明かりも 似ているように感じられる。 それぞれ異なる1日。

 

台風の被害に遭われた方達に思いを馳せる。
86歳のご夫婦。奥さんは かろうじてベッドの上に立てたが、脚の悪いご主人はそれができなかった。
水が迫り来る。遂に、奥さんの首の辺りにまで達したとのこと。

ご主人が力尽きて泥水の中に沈みゆく間際、奥さんに伝えた最期の言葉…「長いこと世話になったな」。

目の前で、長年連れ添った夫の姿が見えなくなっていく。奥さんの無念さ。
このような形で、人生の最期を迎えねばならなかったご主人の無念さ。
ご夫婦の胸の内、察してあまりある。
私は込み上げるものを抑えきれなかった。

 

大切な人との 突然の別れ。 残された人達の深い悲しみ。 失った家屋・職場。 先の見えない不安と辛さ。

私の中の二人のおじさんも言葉を失う。「それがなんぼのもんじゃい」も「てやんでぃ」も、自分自身を鼓舞する時に使う言葉であって、絶望の渦中にある人達にかける言葉ではない。
こんなにも辛い思いをされる方達の1日もある。