愛しさと 切なさと

時間のやりくりが下手な私。それでも、眠る前のひとときだけは『自分の時間』にして、音楽を聴いたり、本・ツイッター・ブログなどを読みながら、あれやこれやと思い描く。 1 日の終わりの ささやかで贅沢な楽しみ。

 

★今回は新聞の歌壇を読み返す。日常の ひとこまが詠われているのだけれど、ご夫婦として積み重ねてこられた年月が 浮かび上がり、感銘を受ける。

 

☆【明け方に認知症病む夫の手が吾のふとんを掛けてくれるなり】 (高槻市)  竹中史子さん

選者の高野公彦さんの「評」に【病んでも優しい夫】とある。お連れ合いは認知症を病まれてしまわれたけれど、長年寄り添っていらしたご夫婦の情愛が伝わってくる。温かい。愛おしい。切ない

 

☆【終末の近づく妻を撮りをれば頬にゆび当てほほゑみ呉し】(浜松市)  松井 恵さん

選者の永田和宏さんの「評」が胸を打つ。【哀しい歌だ。遠くない別れを意識しつつ、奥様も最期の微笑みは美しかったことだろう。そのさり気ない所作にすべての感謝と愛情が籠っていた筈である】

同じく歌人であった河野裕子さん永田和宏さんの奥様)が亡くなられる前日に詠まれた句が蘇る。【手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が】 

旅立たねばならない人の「思い」。見送らねばならない人の「思い」。切ない。 

 

★上記の竹中さん・松井さん・永田さん、それぞれのご夫婦の姿に思いを馳せていると、17 年前に知り合ったご夫婦のことを思い出した。

私達が結婚して暮らし始めた家のお隣さんは、当時 70 代のご夫婦だった。気候のよい時期には 開け放った窓から、奥様がお連れ合いにかけられる声が時折 聞こえてきた。「~なさいますか?」など、『美しい言葉遣いだなぁ・・』と思いはしたけれど、23 歳で学生時代の友人と結婚した私は、夫にはずっと友人口調のままで、到底、真似ができなかった。

ある日(休日の午前中)庭で洗濯物を干していると、お隣からガチャン!!という大きな音がした。何ごとかと心配になって 音のした方に近付いてみると、低い垣根越しに お隣の奥様と目が合った。驚いた顔をされた後に 恥ずかしそうにこう言われた。「驚かせてしまったわね。私、むしゃくしゃすると、こうしてお皿を思いっきり叩きつけて割るのよ」

その言葉を聞いて 私はなんだか ほっとした。そして 50 歳も年上の女性の胸の内を思った。長年、お連れ合いを立てて 従ってこられた中にも、押さえた感情が爆発することがあって当然。お皿を叩きつけることで 心のバランスをとられているのですね。よかった・・・。現在は 80 代後半になられていると思うけれど、時々はお皿を思いっきり割りながらも、お元気に過ごされていますように(祈)

 

私が ツイッターやブログでの投稿を楽しみに拝読している方達の中のお一人に(id:CountryTeacherさんがいらっしゃる。思春期 真っ只中の二人のお嬢さんの姉妹喧嘩と、ついつい巻き込まれてしまう(id:CountryTeacher) さんと奥様の姿がユーモラスに(その時のご本人達は大変かもしれないけれど)綴られてる。

私は思う。『嫌なことは嫌と言える環境・生活は素敵だな』

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20200826201543j:plain