証明できない「何か」

恩師 T 先生のご葬儀は 「家族葬」で営まれたとのこと。

以前、家族葬について 新聞の特集記事を読んだことがある。

「本当に身近な者だけで、故人をゆっくり見送れたことが良かった」という意見があった。 その反面、「家族のみの 葬儀であったため、参列できなかった人達が『せめてお線香だけでも』と後日、次々と自宅を訪問し、遺族はその対応に疲れ果てた」 という体験談もあった。

この  ご遺族の体験談が心に残っており、T 先生のご自宅に伺ってお参りさせていただくのは遠慮することにした。高校生の頃には気付けなかったことも、歳を重ねるにつれ理解でき、ありがたく思うこともある。それを生前の T 先生に直接お伝えできなかったことを悔やみつつ・・・。

 

遙か昔、夫と私は結婚するにあたり、新居を構えることになった。
夫の勤務先は 家賃を一定金額までは負担してくれて、それを上回る場合は 差額分を自己負担すればよかった。

不動産屋さんで物件を探していると、間取りのゆったりした一戸建て住宅が 驚くほど格安のお値段で賃貸されるとあった。 

こんなお宅が、私達でも手が届くような金額で借りられるとは・・・という問いに、不動産屋さんはちょっと声を潜めて言われた。

「このお宅の持ち主は、高齢になられたご夫婦だったのですが、お一人が病気で亡くなられると、もうお一人も後を追うように亡くなられたそうです。仲の良いご夫婦だったのですね」


そこまで言うと、不動産屋さんは また声を普通の大きさに戻して続けた。
「お子さんは 二人いらっしゃるのですが、もう独立されて 別々の場所に ご自宅を持たれているので、こちらのご実家に戻られるおつもりはないそうです。このお宅は7年間そのまま空き家だったので、傷んでいるところはリフォームして、どなたかにお貸しできれば・・・とのことです」

 

後で二人きりになったとき、夫が言った。「後を追うように・・・ってとこ、もしかして告知義務が必要ってことかなぁ?」。
私も そんな気がしていた。しかし、具体的なことを聞くと、そのお宅には住めないような気もして、敢えてスルーしていた。

う~ん、あの環境の良さ・広い庭付きの一戸建て住宅・私達にも手が届くお家賃・・・等を考えると、不動産屋さんが声を潜めて語られたことは詮索せず、気にしないでおこうという結論に達した。

 

契約後に、大家さん(「二人のお子さん」の内のお一人)にお目にかかった。
立ち居振る舞いの美しい、でも、さっぱりとされて親しみやすい、50代くらいの素敵な女性だった。まだ若かった私達は 憧れに近い思いを抱いた。

 

娘の小焼けは、そのお借りしている家で生まれた。

生後 数か月もすると、ガラガラの優しい音であやされたり、ベビーベッドの上でくるくる回るメリーオルゴール モビールを見ると、よく笑うようになった。


ところがその頃から、不思議なことが何度も起こった。
誰もいない壁の方を向いて、娘が にこにこ、にこにこ、手足をばたばたさせて嬉しそうに笑うのだ。
夫が ぼそりと言った。「何か見えてるのかなぁ? 赤ちゃんにだけ見える何かが」。

 

私は不思議と怖くはなかった。そして思った。
「ここに暮らしていらした、亡くなられたご夫妻だろうか? 7年もの間ずっと空き家だったのに 私達が住み始め、 小焼けも生まれて賑やかになり 喜んでくださっているのだろうか」と。
あの大家さんのご両親なら、きっと素敵なご夫妻だったのだろう。

 

それからまた数年経ち、夫が転勤になり 私達はその家を離れた。

物心ついた娘に 「小焼けが まだ赤ちゃんだった時に、不思議なことがあったのよ」と話したことがある。
すると娘は歌うがごとく答えた。「ああ、覚えてる。知らない優しそうなお爺さんとお婆さんだったよ。にこにこ してた」。

 

うむむ。生後間もない頃の記憶が残っているものだろうか?(※後で調べると、「3歳になる迄は、赤ちゃんだった頃の記憶が残っている」という説もあった)。

それとも、私が娘に話すより以前に、周りのおとな達がそんな思い出話をしているのを聞いて、赤ちゃんだった自分がそういう人達を見たような気になっていたのだろうか? 

医学者や科学者には一笑に付される話かもしれない。しかし、「立証できない何か」というものは 「絶対に存在しない」とも言い切れないだろう。

 

そういえば、宇宙飛行士が地球に帰還してから、宗教の道に進んだという話を耳にしたことがある。 宇宙で「人間を超えた何か(の存在)」を感じるということは 想像できる。

 

実家の母は「亡くなった父(私の祖父)が守ってくれたに違いないわ」と時々 言う。「大惨事になるはずのところを、免れたことが何度もある」のだそうだ。 

 

そう考えていくと、T 先生は 私が直接伝えたかった感謝の気持ちを、実はもう分かってくださっているのではないかと思える。先生の穏やかな笑顔と共に「夕暮れさんの思いは届いているよ」という声が聞こえるような気がする。

 

医学・科学・  IT  等々、 身の周りのあれやこれやが、これだけ進歩した現代でも、「証明できない何か」があるよね と 思いたい夜。