人生を少し共有させてもらって、思うこと

twitterやブログに 皆様が綴られたことに ほっこりしたり、しみじみ感じたり、うふふと笑えたり、「こういう捉え方・考え方もあるのね」と気付けたりできるのが とても楽しい。 私も 人生の坂を半分?くらいは登ったとはいえ、自分の経験してきたことは ほんの僅か。 あとは他の方達の人生を借りて、喜び・悲しみ・和み・辛さ・楽しさ・頑張り・・・などを共有させてもらっている。 その方達とまるで同じ体験をすることはできないけれど、なるべく心の翼(想像力)を広げて「想い」を汲み取れるといいなぁと思いつつ読む。

 

今回は このHatenaBlogから。(ご本人のお許しをいただき、書き抜きさせていただきます)

【頬に涙は伝ってはいないのですが 全身で泣いていた人を見た映像が 今でもくっきり残っています】という書き出しで始まる あおまぐろ(id: vidro-man)さんの ブログを読んだのが3日前。胸に響いた。

 

【全身で泣いていた人】とは、あおまぐろさんの お母様の主治医だったお医者様。
最初にお母様の癌を見つけ、執刀され、その後 2 年数ヶ月、お母様が亡くなられるまでの主治医だった、癌のスペシャリストの先生とのこと。

いよいよ・・・という状態を迎え 緩和ケアに移る時に、お母様は 「もう先生には会えないのですか?」と泣かれたとのこと。お母様がどれほど信頼を寄せられていたかが伝わってくる。 

それから、最期の時を迎えられ、【看護師さんの案内で普段乗ることのないエレベーターから、棺を乗せて一階に降り・・・病院のドアを出て駐車場に向かいました。 振り返ると、出口の明かりに照らされて 先生は全身で泣いてくれていました。そう見えました】。

 

(プロとして 良い意味で)感情を表に出されることがなかったという先生ゆえに、【全身で泣いてくれているように見えた】先生の姿は、あおまぐろさんの心に より響くものがあったのだろう。 私の胸も熱くなる。

明け方の午前4時、外はまだ真っ暗。 薄暗い明かりだけが照らす病院の出口に 立ちつくして 見送ってくださる先生の姿が、私の脳裏にも浮かんでくる。 そして先生の心中に去来するものを思う・・・。 どれだけの想いで、棺とあおまぐろさんを見送られたことか・・・。

 

医療技術の進歩は 日進月歩だと言われても、まだ助けられない命もある。 
それでも、このような医師に出会えたことが、残された人々の心に 救いと温かい思いを残してくれるのだろう。

命と向き合う方々の 努力と辛さと尊さ 。 頭が下がる。

 

※ 私の実家の母は、父親 (私の祖父) をはじめ、身内の闘病生活に長く関わってきています。 無念の思いで見送った者もいます。感謝の念と共に思い出すお医者様も。 母から聞いた話と あおまぐろさんのお話が重なって、あれこれ思いが巡った ここ数日間でした。

 

※ 記事を投稿した後に思ったことです。(12月15日)
お言葉に甘えて、あおまぐろさんの記事を一部、こちらに書かせていただいたものの、やはり あおまぐろさんご自身がお書きになったものでないと、行間の想いが伝わらないような気がしました。(主治医の先生が「見送りたいから、必ず出棺のときに呼んでほしい」と看護師さんに おっしゃって 待っていてくださったことなど、書き切れないこともありました)。私が中途半端に書いてしまって、あおまぐろさんには申し訳ないことをしたと思っています。
ここに改めて あおまぐろさんの記事を  ↓  貼らせていただきます。

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