「平凡な日々」「何気ない日常」

「休日には どこに行こう? 何しよう?」と 家族と相談したり、楽しみに出かけたりしていた「平凡な日常」が、最近では随分と遠く思える。


桜の便りが届く。「今年は ひいおばあちゃんと お花見に行けないね」と娘が言う。 昨年の今頃に ツイッターに書いた (その後 はてなブログに転記した) 時には、1 年後にまさか こんな状態になろうとは 予想だにしなかった。  ↓ 

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祖母がお世話になっている施設から『コロナウィルスに関してのお願い』が届き、感染予防のために、私達も祖母に会いに行けなくなって 2 か月目に入った。 職員さん達は入所者との『濃厚接触』無しには ケアもできない。それ故、職員さんお一人ひとりが、どれだけ心身を擦り減らしながら、毎日奮闘されていることか…察して余りある。

 

平凡な日々といえば、思い出したことがある。
ある日、母が言った。「昨晩、お風呂でうなり声がしてね、私は『お父さんがお風呂で倒れた!』と思って、大慌てで浴室のドアを開けて『お父さん!』と叫んだのよ」。

すると、湯船にのんびりと浸かっていた父は きょとんとして「えっ、何ごと?」と言ったとか。父の方は、キッチン (か別の場所) が大変なことになり、母が大慌てで知らせに来たのかと思ったらしい。

「お父さん!大丈夫なの? なんともないの?」と尋ねる母。
「うん?? 気持ち良く、歌っていたんだけど.・・・」と父。
「えー、あれって歌なの? お父さんが倒れて唸っているのかと思って焦った!」
「まったくもう・・・失敬な・・・」

補足:父は 馴れ親しんだ曲なら それなりに歌えるのだが、その日は新曲 (難曲) をマスターした (と本人は言っていた) が、歌詞を忘れたので途中からハミング?していたらしい。

 

そんな話をした後で母が言った。「こんな他愛も無い会話をして 日々を紡いでいくのよね。そして いつの日にか、どちらかが一人になった時、『あの何気ない日常が 幸せだったんだなぁ』と しみじみと思うのかしらねぇ」

 

「何気ない日常」「平凡な日々」の ありがたさ。

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