何が書きたかったのやら

★ 今月始めの新聞に 心に残る記事があった。北海道の中学生が コロナを心配して、宮城県の祖母に電話をかけると「津波に比べたら屁でもないよ。濡れでないし、寒ぐないもの。どうなっかわがんないごとに人はビビるんだっちゃ。起きで食って寝る。あどはなんもいらんべし」と祖母の元気な声がした、という内容だった。2011 年の東日本大震災で辛い体験をされた方なればこその言葉だと思った。切なくもあり、逞しくもあり、心に染みた。 

ところが、記事からわずか一週間後に、10 年前の余震とされる大きな地震が 東北地方を再び襲った。落下物が散乱して足の踏み場もない中で、TV のインタビューに応じて「災害対策もして、店も新しくして、やっと歩き出せたと思っていたのに・・・」と力なく話される男性の姿があった。心中察するに余りある。あの新聞記事のおばあさんは どうされているだろう。

 

★ 先日までの流れ

職場の B さんがコロナ検査で陽性となった  → B さんの友人の D さんを経て、私の隣のデスクの C さんも陽性? → 私も感染または自宅待機? → 娘の小焼けも感染または自宅待機? → 小焼けは目前に迫っている第二志望の高校が受験できない → 残る第一志望の高校がもし不合格なら? → 本人いわく「来年頑張るしかないねぇ (高校浪人になる)」→「高校浪人は珍しいから、お母さん、ブログに書けるよ。一年間も続けられるよ」 

(詳しくはここです) ↓ 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

★その後~本日までの流れ

D さんも C さんも感染していなかった → 小焼けは第二志望の高校を無事 受験できた → 合格通知が届いた → 『高校浪人ブログ』は幻に終わった → 第一志望の高校受験、合格発表はまだ → 続く

 

タモリさんがストーリーテラーをつとめる TV 番組があったことを思い出す。人生の岐路に立った時、「もしもあの時 別の道に進んでいたら、自分の人生はどうなっていただろう?」と主人公が思いを巡らせ、分岐点まで戻って別の道を進む話。主人公が何人かいて それぞれの話があったけれど、どの人も 別の道を選択しても結局は・・・という結末だったように記憶している。 小焼けはどの道を進むのだろう。

 

私はどうだったかしら?と振り返ってみる。些細な迷いを除けば、高校までは 大きな岐路に立つこともなく過ごしたように思う。大学受験の時に 進みたい科の選択に迷った。あの時 別の進路を選んでいたら、生涯の師や友となった人達にも、夫にも出会うこともなく、その後、小焼けが生まれることもなかった。職業も現在のものとは異なったはず。その代わりに、別のどんな出逢いがあり、どんな経験をしたのだろう?  

そして、祖父母のことを思う。昨年の6月に旅立った祖母は、苦労を抱えながらも頑張り抜いた人だった。私の記憶の中にある祖母の人生を辿りながら「もしも あの時、祖母が別の選択をしていたら・・・」と考える。そうなると、今の私も、私の母も存在しないわけで・・・。更に遡って、祖父母より遥か以前のご先祖様達が 別の選択をしていたとすると・・・。

 

人は 幾つもの分岐点で 選択を繰り返しながら、自分の人生を全うする。どんなに紆余曲折あっても、この世の息が絶える時「ああ、面白かった」と言えれば 「万事良し」かしら? これからも立ち止まっては迷いつつ、進んで行くしかない。 (あら? 何が書きたかったのか、分からなくなってきた。もっと別のことを書きたかったような気もする。う~ん) 混乱しつつも ひとまず「よっし、明日も頑張る(つもり)」と決意。

ところで・・・明日は何を食べよう?(こんなことだから、いつまで経っても 人間に深みが増さないのでしょう)

 

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