孤独? 孤独でない?

家の中の細々したものを片付けながら、録りためた TV 録画を早回しで見る。 

あらら、ドラマの主人公が声高く叫んでいる。インターネットを利用し、SNSで繋がっている人達のことを批判しているようだ。私は片付けの手を止め、録画のスピードを元の速さに戻して、もう一度主人公の言葉に耳を傾ける。ストーリーの展開からすると、辛辣な内容は 全てが主人公の本心ではないにしても、彼女が言っていることには一理あるように思える。

だけど、だけど・・・「そんなに語気を荒げて怒んなくてもいいじゃない・・・」と、ブログ・SNSユーザーの一員である私の心が気弱に反論する。気弱にしか反論できないのは、どうしてかしら?

 

そういえば、以前に読んだ文章が、消化しきれないまま心に残っている。

【真夜中、携帯で話しながら通り過ぎてゆく声を見送りながら、彼もしくは彼女は孤独なのか、孤独でないのか、判らなくなる】随想集『人生のレシピ』 神崎繁さん (古代ギリシャ哲学研究者 )

 

時は真夜中。道を歩きながらでも話ができるし、SNSで何か語れば すぐに誰かが応えてくれる。そんな便利さが逆に人の寂しさを増幅させるのだろうか?  見方を変えれば・・・深夜に呼びかけても受け容れてくれる「友達」がいるということ? それすらも錯覚?

 

ドラマの主人公の言葉と、神崎さんの言葉をオーバーラップさせながら、彼もしくは彼女は ( 或いは私も?) 孤独なのか、孤独でないのか、判らなくなる。

 

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