う~む

夢の中で泣いたことを覚えている朝。ベッドの中にて ぼんやりした頭で考える。「あの少年は誰だったのだろう?」「私達はどこへ向かおうとしていたのだろう?」

夢の中で 少年は小さな声で言った。「家の物に全部 差し押さえの紙が貼られて もう触ることもできなくなったんだよ」。私は「そっか・・・」と答えて少年の手を握る。この事態になっては最早、小学生の彼には為す術もないだろう。家族でもない私とて同じこと。私達は手を繋ぎ、行き先も定めないまま ゆっくりと歩くしかなかった。

 

『夢は潜在意識の表れ』と言われてはいるけれど【潜在意識とは、過去の経験などによって無意識のうちに蓄積された価値観、習慣、思い込みから形成された、自覚されていない意識である (Weblio辞書)】とあるように、本人にすら解らないものなのだから、今朝 見た夢を分析するのはやめよう。

と言いつつも、何となく自分でもわかることもある。あの見覚えのない少年は特定の誰かではなく、今まで関わってきた人達の象徴化されたもの? 手を差し伸べたいと思っても叶わぬことの方が多かった。仕事の場合は、法の壁 (規定) に阻まれることもあったし、自分の力量不足もあった。

 

仕事といえば・・・父が深夜に倒れたことがあった。持ち帰りの仕事をしていた場所が 自宅だったことが不幸中の幸いで、物音に気付いた母が救急車を呼び、事なきを得た。

父に声をかけながら励ます母に向かって、父は「まだしなくてはならないことがあるから、救急車を呼ぶのを もうちょっと待ってくれ」と言ったらしい。「命と引き換えにできるような仕事は無いのよ」と母は言ったけれど、父は「私がしておかないと、仕事が回らないから」と言い張る。責任感の強い父らしい言葉だと思いつつも、母は父がこのまま死んでしまうのではないかと恐れおののいた、と後に私に話した

 

病院で診て貰った結果は「過労」であった。母は「お父さん、こんなになるまで働かないで・・・」と言って泣いた。父は入院中も仕事のことを気に掛け、落ち着かない様子だった。『このまま職場に復帰したら、今度こそ本当に過労死してしまう』と母は案じ 退職を勧めた。父は自分が去った後の職場のことを案じていたけれど、結果として、母の懇願にも似た勧めに従い 退職した。

 

時は流れ、何かの折りに、父は「あの頃は『自分でなければ・・・』と思い込んでいたけど、自分じゃなくても仕事って回っていくもんだな」と話した。父の退職を機に、母は仕事面では個人事業主として独立して家計を支えた。母とは職種が違って専門外だった父も 次第に頼もしい片腕になった。

 

母は現在の私にも言う。「仕事が好きなのはわかるけど、私達にとっての『娘』や 小焼けにとっての『母親』は夕暮れしかいないのよ。仕事の替わりは他の誰かさんでも できるけどね」

病理検査の結果、「手術をして一件落着」とならなかった私も悩む。退院後すぐに職場復帰された方達もいらっしゃると聞いていたのに、私だけ なんでやねん。これからも通院・治療が続くことを思えば、職場の同僚にも負担をかけるようになり 申し訳なさでいっぱいになる。けれども、心残りの仕事もある。「もう少しもう少し・・・」という思いとの狭間で揺れ動く。