『神』から『罪作りな女』へ?

昨日、娘 (小焼け) の幼稚園時代からの友達の Mちゃんに スーパーで ばったり出会った。

Mちゃんのお父さんもお母さんも、最近は 仕事が一段と忙しくなられたので Mちゃんが夕食やお弁当を作っているのだそうだ。Mちゃんはカッコいいなぁ。勉強に部活に料理・・・。大活躍だ。 

「家まで送って行くわよ」と言うと「ううん、だいじょうぶ。夕暮れおばちゃんの帰りが遅くなるよ」と言う。「大雨だし、乗って行って。」と更に誘うと「ありがとう~」と助手席へ。 

車の中で、高校生活について 楽しげに 話してくれた後で、「そういえば、小焼けちゃんが『神』と呼ばれていたのに『罪作りな女』に変化したのを 夕暮れおばちゃん知ってる?」と尋ねる。「ううん。どちらも初耳よ」と言うと、次のように語ってくれた。

 

中間テストの物理の結果は、なんと小焼けがクラスでトップだったとのこと、それで、「こんな複雑な問題が解けるなんて『神』だ」と皆に言われるようになったとか。ほ~。私は神を産んだ? 畏れ多いことでございます。

 

それから数日後の昼休み、男の子が三人で話をしている傍を通りかかったMちゃんの耳に「小焼けちゃん」という言葉が聞こえたとか。それで、「えっ、なになに? 私の仲良しの小焼けちゃん?」とMちゃんは立ち止まり、話の輪に加わったとのこと。(人懐っこくて、面倒見の良い M ちゃんは、幼稚園時代から ずっと 男子からも女子からも人気がある) 

話の中で、A君 ( 小焼け達とは別の中学校出身 ) が「俺、小焼けちゃん推し」と言ったらしい。すると、小焼け達と幼稚園から一緒の B 君が「そう言えば、C 君(別の高校に進学)に この前会ったら、『僕、小焼けちゃんと毎日 LINE してるんだよ。グループ LINE じゃなくて、個別 LINE 』と言ってた。」と報告する。「そう告げる時の C 君は『君らより一歩リードしてるだろ?』的な雰囲気だった」と B 君は付け加えたそうだ。

 

C君と小焼けが 毎日 個別 LINEしてる という話を知らなかったMちゃんが、放課後、小焼けに尋ねると、「ああ、C 君ね。おはよう~、おやすみ~の LINE が来るよ。C 君は中学までは家族と共有のパソコンやタブレットだったけど、高校に入学してから自分専用のスマホを買ってもらったんだって。それで、私を相手に LINE の練習をしてるんだと思ってた。」と、のんびりとした口調で答えたらしい。

Mちゃんは「小焼けちゃんったら・・・気が付かなさ過ぎ~」とあっけにとられたと言う。それ以後、小焼けは 仲間内では『神』から『罪作りな女』へと変化したそうだ。

 

 Mちゃんを送り届けて 帰宅すると、体調不良で初めて学校を休んだ小焼けが「お母さん、これ見て」とスマホを差し出す。LINE には何やら難しげなことがびっしり書き込まれたノートが映っている。スワイプすると次々に現われるページ。

同じクラスで隣の席になった男の子が、お見舞いの言葉と共に、今日の授業のノートを全科目送ってくれたとのこと。綺麗な文字で、とても分かりやすくまとめられた各ページ。『ここポイント』と囲みで色分けして書かれている箇所もある。

 

「なんて親切な人だ。ありがと! それにしても、このノートはすごいねぇ。彼は将来 仕事のできる男になるに違いない」と 小焼けは まるで会社の人事担当者のような口調で感心している。

友情に感謝しつつ、さっきのMちゃんの言葉が脳裏をかすめる母であった。 

 

 ※上記のことは、電話で実家の両親に話して終わりにするつもりでしたが、母が「ブログに書いておいてよ。そしたら、繰り返し読めるから。コロナ禍も1年以上続いて いささか気持ちが塞ぐ時には、小焼けちゃんの元気な様子を読みたいわよ」と言うのです。

内輪で すれば良いだけの こんな話。皆様のお目汚しで恐縮です。

 

 

面倒見がよくて 情報通の M ちゃんの入試直前の様子です ↓ 

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「読解力なさ過ぎ~」と笑われた 小焼けが ここにもいます ↓ 

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瞳の中に 炎がメラメラと燃え上がっている?

実家の両親によると『新型コロナワクチン接種のお知らせ』は届いたものの、接種日の予約はなかなか取れなかったらしい。

それぞれに持病を抱えている両親は、副反応がどのように現われるのか心配したと言う。接種後に 痛み・発熱・倦怠感が等があっても、殆どの人は 数日で治まるらしい ことは 経験者の談から理解はしていても、自分と同じ病気を持つ人達にはどういう症状が出るのかまでは分からない。

亡くなられた方達に持病があったことがニュースで伝えられるけれど、結論としては「ワクチン接種との関連性は不明」とのことだし、主治医の先生も そこまでの情報はお持ちではない。 

しかし、コロナに感染して重症化するリスクと、接種に伴うリスクを比べて、両親は「やはり接種しておこう」と決めたとのこと。副反応が思いのほか強く出た場合を考慮して、父と母は接種日をずらして予約をし、父の方が一足早く 第 1 回目を受けた、とLINEが届いた。

 

両親と顔を見ながら会話できるように準備して 電話を繋ぐ。

「で、どう? 副反応は?」と尋ねると、母が「お父さんの瞳の中に、炎がメラメラと燃え上がっている感じよ」と答える。「えっ、どういう意味なの?」と更に尋ねる私に、母の説明は次のようなものだった。 

「お父さんが接種する会場に 私も付き添って行ったのよ。接種後のアナフィラキシー ショックは、接種場所ですぐに対応できる体勢は整っているから安心なんだけど、帰宅途中で何かあったら心配だからね。車の運転は私がして帰ることにしたの。

接種後に『具合はどう?』と尋ねると、お父さんは『なんともない。大丈夫だ』と答えていたのに、何回か尋ねる内に『少々は痛いけど、こんなもんだろう』に変わっていくのよ。痛みが強くなっていくみたい。で、翌朝に お父さんが言うの。

 

父:『昨晩は暑かったなぁ。布団から足を出して寝たけど、それでもまだ暑かったらしく、目が覚めたら掛け布団をすっかり はねのけていたよ』。

母:『それって、熱が出てたのよ。お父さんったら 大丈夫なの? 熱を計ってみる?』

父:『いや、今はなんともない。計らなくてもいい』

母:「体中の痛みはどう? 強くなった?』

父:「ま、痛くないこともない』← 父は元々我慢強いので、父がこういう時は「かなり」痛いはず。

 

母は続ける。「お父さんって、どうして『熱が出た』とか『体が痛くてたまらん』って言わないのかしらね。なんかねぇ、コロナに対抗心を燃やして、『負けるもんか』って闘っている感じがするんだけど。」

 ああ、これが、さっきの母の言葉『お父さんの瞳の中に、炎がメラメラと燃え上がっている感じよ』に繋がるのね。痛みや熱に めっぽう弱い母からみると、父のこの様子はコロナに闘いを挑んでいるように映ったのかしら?

 

母と電話を交替して、父が笑いながら言う。「母さんが、数時間おきに『どう?(痛みが強くなった?)』とか『どう?(熱が あがった?)』って聞くんだよ。で、大昔の小学生の頃のことを思い出した。」 

父の話によると、小学生時代に学校で集団接種があったらしい。保健室か講堂に校医先生と看護師さんが来られ、児童達は一列に並んで順番を待つ。済んだ子は待っている子の横を通って教室へ帰る。その済んだ子に尋ねる子がいる。「ねえ、痛い?」「どのくらい痛い?」「泣きそう?」。 

「尋ねる子は、相手の痛みを心配しているというよりは、自分の番がもうすぐ来る恐怖心から尋ねていたのだろう。まだ小学生だもの。今回の母さんの様子を見ていて、その子のことを思い出したよ。母さんの場合は 勿論、父さんのことをすごく心配してくれてたのも分かるけどね」

 

そっか、痛みと熱にめっぽう弱いお母さんらしいねぇ。母の予約日は来月。痛みに耐えて がんばれ~。

3週間後に 2 回目の接種を受けるお父さんも、コロナに闘争心?を燃やし過ぎず、熱や痛みが出たら 解熱鎮痛剤で楽になってね。

 

↓ 子ども時代の父の接種風景  想像図

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↓ 注射に怯える 子ども時代の母  想像図

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↓ コロナには効果がない注射をする人

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↓ 医療従事者の皆様、お疲れさまです。ありがとうございます

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言葉と仕草から学ぶ

帰宅した娘 (小焼け ) が話し始める。「今日ねぇ・・・」。

小焼けは、集団生活をするようになった ( 幼稚園に入った ) のを皮切りに、家族と一緒ではない時に自分一人で見聞きしたことを 家に帰ってから話してくれるようになった。それらは、友達や先生とのエピソードであったり、身の回りの自然界のことだったりで、目を輝かせて『大発見』を教えてくれた。

幼児の目線を通して見えたものは、私達には新鮮で、夫 と共に ( 時には電話で、小焼けの祖父母も )「へぇ~、そうなんだぁ」と相槌を打ちながら聞き入った。

 

小学校・中学校と 学年が進むに連れ、私達が知らなかった ( 或いは、忘れていた ) 世界の範囲は更に広がっていった。理科の分野( 不思議なことがいっぱい )が多かったけれど、社会・国語・技術家庭の時もあれば、外国のことなどもあった。知らなかったことを知ったり、調べたり、考えたりするのって わくわくして楽しいね。

 

高校生になった現在も、相変わらず「今日ねぇ・・・」と話してくれる時がある。先日の小焼けの話は次のようなものだった。

小焼けがいつもの駅から電車に乗った時、それほど混んではいなかったけれど(テレワークや休校の影響?)座席は既に埋まっていた。すると、目の前に座っていた女性が「鞄を持ちましょう」と声をかけてくださった。 

その時 小焼けは、中学生の時 授業で『電車の中で座席を譲られた時の対応』について、新聞記事を元に 意見交換をしたことを 咄嗟に思い出したらしい。

 

座席を譲られる立場として考えれば・・・、高齢にみえる方でも「私はまだ席を譲られる年齢ではない」と不愉快に思われる方や、「運動のために立っている」方もいらっしゃれば、「体力がないので座りたい」と思われている方もいらっしゃって、まさに十人十色だろう。

 譲る立場で考えれば・・・、「どうぞ」と席を立ったのに、相手の方が「結構です」と言われると 席が空いたままになり、ちょっと気まずい雰囲気になる。また、勇気を出して声をかけたことを後悔して「今度から 席を譲るのは止めよう」と思ってしまうかもしれない。

「学生 ( 若者 ) だって、疲れ切っている日もあるし、体調が悪い時もある。そんな時に 高齢の方が 目の前に立って『若いんだから、席を譲るのは当然』という態度をされると 辛い。だから、席を譲るのがしんどい時は、申し訳ないとは思うけど眠った振り ( 目の前の人に気が付かない 振り) をする」等の意見が出たらしい。

 

それらを思い出して、小焼けは「せっかく声をかけてくださったのだから、お願いしよう( 親切に甘えよう )」と思ったとか。それで、「ありがとうございます!」と言い、二つ持っていた鞄の内、軽い方を差し出すと「もう一つも どうぞ」と言ってくださったので、恐縮しつつも 二つともお願いした。

すると、その女性が「中に壊れ物は入っていませんか?」と更に尋ねてくださり、その静かで自然な口調と、預かった鞄を二つ 膝の上に乗せ 両手を回して丁寧に持ってくださった様子に、小焼けは 心打たれたのだと言う。

 

小焼けは更に続ける。「 9 年間バス通学をしていて、小学生の頃は 席を譲ってもらったら 相手の人の荷物を持つことはあったけど、『この人は 壊れては困るものを 鞄の中に入れているかも・・』とは思いもしなかったよ」。

相手のことに思いが及ぶ素敵な『おとな』の人の言葉だと 小焼けは感じ、電車を降りてから「中に壊れ物は入っていませんか?」と心の中で呟いてみたのだと言う。

 

バス通学の様子です ↓ 

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 ※ コロナ禍で 他の人との会話や接触も極力避けたい時なのに、ご親切にありがとうございました。子どもが親と一緒に過ごす時間は僅かなもので、あとは さまざまな場所で 本人が出会った方達に教えていただくことばかりです。こうしてまたひとつ、娘の中に大切なものを加えていただきました。(小焼けの母より)

 

※ 追記:小焼けの呟き

「心の中で呟いた」という言葉で思い浮かんだことがある。幼くてまだお子様ランチを注文していた頃、レストランで 突然「小焼けはね、もう大きくなったから、お子様ランチじゃないのが食べたい」と言い出したので、私達と同じものを注文してみた。すると、運ばれてきた料理をゆっくりと味わいながら「おとなって、こんな美味しいものを食べていたのか・・・」と ぼそっとつぶやいた。

 

幼い子達が 無残に命を絶たれたニュースを見聞きすると、この小焼けの言葉を思い出し、「世の中には美味しいものがたくさんあるのに、この子達はミルクの味しか知らずに(或いは それすら知らずに)命の灯火を消されてしまった」とやりきれない思いがするのです。

 

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一生 (その2) 思いを寄せて

 最近、家の中を やたら うろうろと無駄な動きをしています。動線が長くなり、しかも、もつれています。その理由は簡単。4月28日に書いたことのひとつ「部屋の模様替え」をしたからなのです。

確かに部屋を見渡せば いささか新鮮で、気分転換になっている気もするけれど、どうも使い勝手が悪いんです。そりゃそうでしょう。使い易いようにと長い間かけて少しずつ配置を変えてきて、この間まで心地良く収っていたものを、GWだからと張り切って がらりと変えてしまったのですから。

あ~あ、家具や細々としたものは動かさずに、カーテンとラグ・カーペットを春らしいものに変えただけで終われば良かったな。 私の頑張った 1 日を返して。

 

★前回 (5月5日)、大林三佐子さんへの思いを書いてはみたのですが、実は TV 録画を観ながら湧き上がるものを どう表現したらいいのか纏めることができずに、もやもやと心に留めたままになっていたものの方が多かったのです。 不完全燃焼感が残るけれど、それは私の文章力のなさ故のことなので、諦めかけていました。

 ところが・・・私が いつもブログ更新を楽しみに待っているブロガーさんのお一人、 なお (id:beautifulcrown7)  さんが 時を同じくして記事になさっているのを拝読し、「おおお!」 と感動しました。きちんと文章になさっています。すごい。それに、熊谷晋一郎さんのお話も 私にとっては目から鱗状態で、なるほどと頷きながら拝読しました。

ご紹介 ( ブログでは「言及」?) させていただきたいと思いましたが、なおさんは かねてより 広い視点で「性」や「自己責任」について 掘り下げて考えていらっしゃって、それらは「ジェンダー」や「福祉」などにも繋がっているのです。

それ故に、なおさんが連携させて熟考なさっていることの一部分だけを 私のブログにご紹介させていただくのは失礼かと躊躇していました。でも やはり諦めきれず 先日思い切ってお願いしたところ、快く了承してくださったので ご紹介します。

(なおさんの記事を通して 改めて考える機会をいただきました。たくさんの 感謝を なおさんに)

 

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「自己責任」とか「自助」は、自分にとってはもはや呪いの言葉だ。

この傾向が行き過ぎていることで、今この国ではどんどん人が死んでいるじゃないかと思わずにはいられないのだ。

 

先日も昨年11月に早朝のバス停のベンチで「邪魔だ」と殴られて亡くなってしまった大林三佐子さんの事件が大きく取り沙汰されていた。聞いていて、とても平常心ではいられなかった。全く他人事ではなく、ほんの少しのさじ加減で誰もがこの状況に陥る可能性がある今の厳しい自己責任の世の中が心から怖いと思った。

なぜ彼女が… ホームレスの死が問いかけるもの 東京・渋谷のバス停で事件|NHK事件記者取材note

 

自立って、本当に「人に頼らず自力でなんとかする」ということを指すのだろうか? 私が思い出したのは、熊谷晋一郎さんの話。

何にも依存せずに生きている人なんて誰もいなくて、誰もがさまざまなものに依存して生きている。そのことを本人が自覚していないだけだ。

自立とは、必要な複数のサービスやケアを十分受けることができていて、それらに少しずつ依存できていることで、かえって何にも依存していないように感じられる状態のことを指すのだ、という話。

 

依存しているように見える人とは、依存先を少ししか持っていない人のことだ、と熊谷さんは言う。選択肢がほとんどないために、ひとつの依存先に全面的に依存することになる。時にそれは相手にとって受け止めきれない依存度になり、問題化してしまう。

自立とは、多くの人が無理ない範囲で少しずつ関わっている状態。そしてそれは分野に応じて互いに頼る側頼られる側がスイッチしたりもする。

現状が実現できているとはもちろん言い難いけれど、その思想の方がずっと豊かだなと私は思う。がんばりがいがある。 

踏まれた足とは ② - 続・みずうみ

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なおさんは更に福祉についても述べられています ↓ ___________________________________________________________ 

福祉分野に関する知識を持たないので、自分や知人の体験から想像して書くことしかできないが、少なくとも自分自身はこれまで40年以上生きてきて、公的機関に困難を訴えて良かったと思えた経験は思い出せない。

後ろ盾もなく、女で、喋り方も申請作業も下手な自分は、相談しなければ良かったと無力感や怒りを感じながら諦めるという結末になることが多く、やがて相談すること自体を無意味と思うようになっていったと思う。

 

福祉に限らず、公的制度を利用するには、書類の申請スキルや、有力な紹介者や、介在してくれるプロの存在や、誰の目にも明らかな緊急性のある状況、対応しなければ担当者の責任が問われるといった要素がなければ、なかなか難しくて、結局徒労に終わることも少なくないと思う。

また、結婚してだんなさんが交渉役になった時の役所や学校の対応のスムースさが全然違うのを隣で見てびっくりして、自分は女だと侮られていたことを知り、やるせない気持ちになったこともある。

 

この国の福祉は、受けやすいもの、受けにくいものあるが基本的に申請主義で「生活保護を受けさせないための水際作戦」というような言葉があるとおり、国は本音ではできるだけ福祉を提供せずに済ませたいのだし、こども食堂は公的機関ではなく、やむにやまれず立ち上がった民間の人々が運営する場所だ。

先日も、役所に相談に訪れた人に、受け取ることのできる公的な福祉制度をあえて教えずに「民間NPOのどこそこに行ってください」と役所が他人事のようにどんどん困難者を回してくる、自分たちをまるで下請け機関のように思っている、と民間団体の方が苦言を呈していた。

踏まれた足とは ③ - 続・みずうみ

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私も役所の窓口で見聞きしたことがあります。高齢の女性が、「息子が事故で大怪我をしたので 健康保険証がいる」と泣きながら言われていました。窓口の方は「今まで未払いの健康保険料を支払っていただければ、保険証はお渡しできるのですが」と困ったように言われ、この問答が幾度か繰り返されていました。

勿論、窓口の方の一存で「分かりました。今回は特別に健康保険証をお渡ししましょう」という訳にはいかないのは理解できます。それでは、誰にどう訴えればいいの? 結局は「上の人」で、「上の人」は「更に上の人」へ。 こうして最後に行き着く先は「国 ( 政府 )」。健康保険料を払いたくても払えない状況の人達をどうすればいいの?ってことになるのではないでしょうか。

 

大林三佐子さんのことを 自らの境遇に重ねて、大勢の人達が声をあげ 行動を起こしていたのも頷けます。 仕事を失い、貯蓄も使い果たせば、私も含め誰もが あっという間に住む場所も失います。

大林さんが亡くなったバス停のベンチのすぐ傍に、{TOKYO 2020}とプリントされた青と白の 『東京2020オリンピック公式フラッグ』が揺れていたのを、やりきれない思いで眺めました。

 

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一生

GWも今日でおしまい。 ステイホームだったけれど、一番の楽しみは「アラームをかけずに、自然に目が覚めるまで  ( 心置きなく 目が腐るまで) 眠る」というものでした。

ところが、平日の出勤日の起床時間と同じ時刻に 目が覚めるんです。 真面目か !  それとも歳か?  なんだか損した思いがするのは、気のせいでしょうか?

 

ミャンマーのクーデター発生から 3 ヵ月が経った。混乱の収束の見通しも立っていないそうだ。抗議する市民に対して軍や警察は発砲や暴行を繰り返している。最近では国軍が路上で無差別に人々を襲ったり、住民を自宅で殺すこともあるとの目撃談が出ている 4月 30日までに 759人が犠牲になり、その中には 40 人を超える子ども達も含まれているとのこと。

【民家を捜索した部隊が7歳の少女を射殺した】 【 1 歳の赤ちゃんの目にゴム弾が命中した】などの報道を見聞きし、暴力と恐怖に怯える子ども達に思いを馳せる。この世に生を受けて、わずか数年で奪われた命。これがこの子達の「一生」だなんて、あまりに酷い。 

折しも、悲惨な現実を詠まれた方が 新聞の歌壇にいらした。【なんといふ一生 (ひとよ) であるか 抱かれてミャンマーの兵に撃たれし幼 (をさな)】 荻原葉月さん

 

★GW中はステイホームで 録りためた録画を見る。それらの中に、NHK【事件の涙。たどりついたバス停で~ある女性ホームレスの死】(5月1日) があった。

東京 (渋谷) の幹線道路の脇、大勢の人が利用し深夜でも明かりがともるバス停で、路上生活をしていた大林三佐子さん(64歳)が撲殺されたとのこと。事件の半年ほど前に仕事を失い、バス停で寝泊まりするようになられたらしい。所持金はわずか 8 円。

コロナ禍でおきたこの事件に波紋が広がり、『彼女は私だ。他人事とは思えない。明日は我が身』等々、ネット上には事件から半年以上も経った今でも、大林さんに自らの境遇を重ねる人達の声が溢れていて、その多くは 困難な状況に追い詰められた女性達・・・とナレーションは続く。

「なぜ、一人の女性の死をきっかけに多くの女性達が声をあげ始めたのか」とナレーターは問いかける。SNSに投稿した女性の一人は「私だったのかもしれない。社会に殺されたんだろうなって思う」と語る。

事件から 2 か月あまり経った頃、大林さんを追悼する集会が開かれ、渋谷の路上には 170人を超える人達が行進しながら「事件は決して他人事ではない」と訴えた。

TV画面を見ながら 切ない。さまざまな思いが次から次へと湧き起こるけれど、言葉にならない。若い頃の大林さんの愛くるしい笑顔の写真が映し出される。アナウンサーや声優志望で 劇団にも所属し、社交的で明るい女性だったとのこと。彼女の人生を想う。

 

ミャンマーの幼い子ども達と 大林さんのことを考えていると、昨年 旅立った祖母の顔が頭をよぎる。祖母の人生にも いろいろ苦労はあったと聞いてはいるけれど、最期は身内に囲まれ、手を握られ、語りかけられ、曾孫の弾くバイオリンの音に送られてこの世の息が絶えた。天寿を全うできることは ごく僅かなのではないかと思えてくる。

事故・事件・病気などで、生木を裂かれるように命の灯火を消されることの無念さに想いが行く。

 

ひと言で「一生」といってしまうことに  ためらいが出る

 

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地べたに座る少年と 娘の謎

先日から4都府県が3回目の緊急事態宣言の期間に入った。今年の GW も昨年同様 ステイホーム。まとまった時間があればこそ できること ( 例えば、 部屋の模様替えや片付け、手の込んだ料理に挑戦、庭の手入れなど ) をして過ごそうかな。

こんな のんきなことを言っては、変異ウィルスで 日に日に増大する感染者に ご自分の命を削るようにして対応されている医療従事者の皆様に 申し訳ない思いがする。ただただ頭が下がる。 また、お店の営業時間短縮・休業も 昨年から通算するとかなりの数になり、経営者・従業員の方達に思いを馳せると胸が痛む。

 

路上にベターと座って大騒ぎしている 20 代の人達のことを、しょうゆだんご (id:syouyudango)さんが、ブログにお書きになっていた。しょうゆだんごさんの語り口は きっぱりとしていて、実に気持ちよく、それでいて、どこかユーモラスで温かい。

しょうゆだんごさんのブログはここです ↓ 

www.syouyudango.com

  

そういえば、路上に座り込んでいる人達は 10 数年前もいたなぁ・・・と思い出す。同じ (路上座りの) ように見えても、コロナ禍の怖さがなかった あの頃は のんびりしていた。

娘 (小焼け) がまだ幼い頃、一緒に散歩をしていると、地べたに べたりと座り込んでいる 10 代半ばと思われる 少年がいた。すると、小焼けは 私と繋いでいた手を振りほどき、とことこと 彼に近付き尋ねた。「何してんの?」 

座り込んでいる少年と 幼い小焼けの目の高さが同じくらいだったので 視野に入りやすく 親しみを感じて近寄って行ったのか、あるいは レジャーシートも敷かずに地面に座っている姿が不思議だったのか、今となっては 当時の小焼けの気持ちは分からないけれど・・・。

 突然の質問にもかかわらず、少年は答えてくれた。「友達、待ってんの」。 小焼けは「ふ~ん」と答える。(これで納得したのか どうかは分からないけれど、話題を変えて続ける)「あのね、小焼けはお散歩。公園に行って遊ぶの。それから、アイス 買ってもらう」(聞かれてもいないのに、個人情報をダダ漏れさせている) 「バイバイ」と少年に手を振って満足そうに戻ってきた。

  

そして その翌年。浴衣を着て出かけた夏祭りの夜。 ごった返す人混みを避けるように 地べたに座っている人が ここにもいた。何を思ったか、小焼けは また とことこと近付いて行き「これ、買ってもらった」と蛍光色の光るボールと 手にさげた透明な袋の中で泳ぐ金魚を見せ始めた。

ちょっと尖った雰囲気をまとっている 10代後半らしき 少年は、見知らぬ幼児に話しかけられて驚いたようだったけれど、応えてくれた。「これ買うてもらったんか? よかったのぅ。そやけど、はよ~行かんとお父ちゃんとお母ちゃんに置いて行かれるで。迷子になるで」

 

それから更に時は流れ、高校生になった小焼けは、入試前から通い始めた塾がすっかり気に入って 引き続きお世話になっている。高校生クラスは授業終了時間が かなり遅い。電車に間に合うようにと 自転車を走らせていると、コンビニ前の地べたに座っていたお兄さん達に声をかけられたそうだ。「勉強、がんばれよ!」 小焼けは「はぁい、がんばります!」と元気に答えて駅に向かったという。 

その話を学校ですると、同じ塾に通っている男の子達(幼稚園から一緒)が「今度から駅まで一緒に行ってあげようか? 帰る方向が同じだし」と言う。「なんで~?」と小焼けが尋ねると「小焼けちゃん、9年間ずっとバス通学で 自転車に乗り慣れていないから ふらついて危ないし、それにさ、気が付いたら お兄さん達と一緒に コンビニの前に座って おしゃべりしていそうだし」とのこと。

「そっか、地べた ( コンクリートに直に座ると制服 汚れるねぇ、次の日に困るかも」と小焼けは答えたらしい。心配したり 反省するとこ そこだけ?

それからというもの、心優しき幼馴染みの男の子達が3人、小焼けの自転車の前になり後ろになりして、駅まで一緒に帰ってくれるようになった。本人は「気持ちはありがたいけどねぇ、自転車のスピードが合わなくて、余計にぶつかりそうになるよ」と屈託なく笑う。

(追記:後日しょうゆだんごさんがコメントをくださいました。【騎士役を買って出た男の子も頼もしくて、まるで少女漫画の一コマのような微笑ましいシーンを想像しました。ホッコリです】。

しょうゆだんごさんが書いてくださった「騎士役」という言葉から、小焼けの自転車を守るように 前後を走る3台の自転車を想像しました。友情に感謝です)

 

中学生の時は まだあどけない感じだったけれど、高校の制服を着ると急におとなびて見える。制服の力ってすごい? 本人の自覚とは別に、傍から見ると1年生も3年生も同じように 「女子高生」だ。「無邪気さ」が「無防備さ」に繋がることもある ということを伝えなくてはならない時期なのかも。( ← 一般論です。コンビニ前に座って、励ましてくれたお兄さん達のことではありません)

 

それにしても、地べたに座っている人に 小焼けが幼い頃から親しみを感じる (相性がいい?)のはなぜ? 

 

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謎の人に出会って 白昼夢を見る

銀行へ行った。ウィルス感染予防対策として、椅子は 窓口に平行に 縦長に並べられ、隣り合って座れないように 一つおきに紙が貼ってある。

私の窓口の順番は 8 人待ち。長い。仕事に戻らねばならない時間に間に合うだろうかといささか心配しながら待っていると、あら?? 夫の声がする。

 

声のする方を見ると、ひょろりと背の高い男性が 窓口の人に何やら尋ねている模様。後ろ姿で 顔は見えない。公の場なので本人は抑えて話しているつもりでも よく通る声が夫と同じだ。髪型は違うけれど、頭に手をやって くしゃくしゃとするとこんな感じになるなぁ、と思いながら眺める。髪の長さは同じね。

彼が身につけているのはカジュアルウェア。今までになく暑い日になったとはいえ、早々と初夏の装い。でも、夫はこんな鮮やかな色と柄の洋服は持っていないはず。

なんで~? 平日の昼間よ。いつものスーツとネクタイはどうした?!

 

失礼とは思ったけれど、気になって耳を澄まして会話 (声) を聞く。銀行の人に  自分の相談したい内容を伝え、どの窓口の順番待ちをすればいいのか・・・などと質問しているようだ。マスク越しとはいえ、聞けば聞くほど 夫にそっくりな声(そうだ、遥か昔、私はこの声に くらくらときたのだった・・と思い出す)。 ゆっくりとした話し方も同じ。

なんで~? 

話の内容が更に気になる。投資関連? 知らんけど。

その人に近付いて 顔を覗き込むわけにもいかない。謎が謎を呼ぶ。

 小説や映画で、別の顔を持ち 巧みに二重生活をしている人の話があった。まさか、夫が・・・。事実は小説よりも奇なりと いうけれど、こんな現実ってあり?

 

後で 夫のスマホに電話して尋ねてみよう。

夫は言うかもしれない。「あっ、見つかっちゃった? その内に言おうと思っていたんだけど、投資で大儲けしちゃってね、これ一本で食べていく決心をして 仕事辞めたんだ。ずっと順調だから、君にも毎月お小遣いを100万円ずつくらいは あげられると思うよ」

う~む。ハイリスク・ハイリターンは、小心者揃いの我が家には 合いそうにないけどねぇそれに、利益を得 続けようとすると、世界情勢・政治・経済に至るまで、ものすごい量の勉強が必要よね? 心身ともにストレスも半端なさそうよ。

でも、毎月100万円のお小遣いねぇ。捨てがたい魅力もある。悪くないかも・・・。う~む。

 

そんなことを考えていたら、窓口で自分の(順番待ちの)番号を呼ばれ、妄想は途切れた。こういうのを白昼夢というのかしら? 

小遣い100万円はきっぱりと諦めて、私は 明日もコツコツと働くことだろう(たぶん)

 

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