木漏れ日の中で ①(友と共に)

遡ること 1 か月。大型連休がスタートする少し前の 4 月下旬に友人 (Aさん) からLINEが届いた。「夕暮れさん、遊びましょ~♪」。可愛いスタンプが踊っている。彼女とは、娘   (小焼け) が幼稚園時代から現在 (高校) に至るまでの長いお付き合い。「はぁい。遊びましょ~♪」と返信すると電話がかかってきた。LINEでの遣り取りが長くなりそうな内容だと 電話の方が手っ取り早い昭和の私たち。「せっかくの連休なのに、子ども達は部活だったり 友達と出かける約束をしちゃって、もう親とは遊んでくれないしねぇ」という話でひとしきり盛り上がる。

その後、A さんは「○○公園のウォーキングコースが整備されたらしいのよ。夕暮れさんと一緒に行ってみたいなと思って。もちろん、夕暮れさんの体調が良い時に・・・ね」と続ける。私が仕事の部署を変わって 時間が自由になったことも、在宅勤務で外に出る機会がぐんと減ったことも彼女は知っている。気候の良いこの時期に外に連れ出そうとしてくれている。いつもこうしてさりげなく彼女は優しい。

 

連休の間に、郊外にある○○公園へ A さんと 車で出かける。○○公園は緑が多く とても広い所で、屋内外のスポーツ施設、遊具、プラネタリウム、様々な名前の広場などがある。森の中にいるような遊歩道や川や池もある。ウォーキングコースは競技場 (サッカースタジアム?) と屋外運動場の外側をぐるりと 1 周するように作られていて、隣のレーンはジョギングコースになっている。

ウォーキングとジョギングはそれぞれに色分けされていて分かりやすい。一方通行だから他の人とぶつかる心配もなく、3 人くらい並んで歩ける幅広レーンの端っこを歩いていれば 後から来る人が追い越す邪魔にもならず 自分のペースで歩ける。足元もウォーキングやジョギングに適した堅さになっているのだろうか、一般道路よりは遥かに歩きやすく、足・膝に負担も少なそうだ。

A さんと並んでゆっくりと歩く。コースのすぐ傍には、屋根付きのベンチがあったり、枝を広げた木々や 愛らしい草花が目を楽しませてくれる。久し振りの野外で、自然と共にいる嬉しさを感じる。

 

帰りには、A さんとのもうひとつの約束、隠れ家的なカフェに立ち寄ってお喋りをする。落ち着いた雰囲気が素敵なお店で、キッシュも美味しい。

A さんが「スマホのアプリにこんなのがあるのよ」と見せてくれた。歩いた歩数、距離、エクササイズ量、消費カロリー、脂肪燃焼量などが自動で記録され、日々の体重変化を示す折れ線グラフもある。「これ良いわね!私もさっそくダウンロードするわ」と言うと、「始めからスマホに入ってる機種もあるし、その場合はアイコンが隠れているので気が付いてないだけかもよ」とのこと。へぇ、そうなんだ。「全てのアプリを見る」からチェックすると、あった! 設定をした記憶がないのに、なんと!驚いたことに機種変更した時期 (2021年) からずっと記録されている。誰にも(持ち主の私にすら)知られずひっそりと 2 年間も毎日毎日 コツコツと・・・。健気っちゅうか、なんちゅうか・・・。ごめんね、と言いたくなる。

遡ってみると 1 日で 20 歩程度しか歩いていない日が数日続いている。入院中だったとはいえ 20 歩!(手術後は回復を早めるために積極的に歩くように勧められていたから、点滴スタンドを押しながらも歩いていたはずなのに、スマホを病室に置きっぱなしにしていたからカウントされていないのねぇ)

 

こうして A さんと過ごした 1 日は心身共にリフレッシュできて、本当に楽しかった。 A さんのお陰で、新緑の美しい木々を眺め、陽の光や風を感じながら歩くことの心地良さを思い出せた。ありがとう、A さん。

 

 

 

暇人の多忙(その2)

『契約終了時には 諭吉さんが連れ立って我が家にやって来る』はずだったアルバイト。応募したことを とんでもなく後悔するまでに 時間はかからなかった。

まずは 採用にあたっての 注意点などが書かれた手引き書がメールで届いた。堅い言葉が連なっている上に 項目が多くて すぐには頭に入らない。ひとまずプリントアウトして、重要事項にはラインマーカーで印を付けることにする。令和なのに昭和だ。

最後のページには但し書きまで付いている。「メディア等への投稿は禁止いたします」って。「ご遠慮ください」じゃなくて「禁止」って、なんか怖くない? そんなに厳しいものなの? とんでもない所へ足を踏み入れてしまった予感がする。禁を破ったらどうなるの? 裏山に埋められる? メディア等への投稿は禁止ということは ブログにも書けないの? 課題や投稿内容ではなくて こぼれ話だからこれくらいは書いても良いよね? お願いだから埋めんといて・・・。依頼元はちゃんとした所なのに、妄想が暴走する。

 

募集要項を斜め読みしかせずに応募した為、自分勝手に解釈していたことが幾つかあった。えー! そんなの聞いてないよぉ~。(ちゃんと書いてある)。まず第 1 は、課題を読んで その「感想」を書いて送るのではないということ。勘違いする人が多いのだろう。手引き書のその箇所は 始めから太字で下線まで引いてある。「このテーマに関するあなたの意見、提案、要望を」とある。あらまぁ、「感想」を書くのだとばかり思っていた。

そして思い出す。小学校から高校まで奮闘した 夏休み宿題の読書感想文のことを。本を読むのは好きだったけれど、感想を書かねばならないと思いながら読むのは嫌だった。それでも小心者ゆえ、宿題は期限を守ってちゃんと提出する。その為には、夏休み最後の3日間に命をかけて (?!) 頑張った。2学期開始の9月1日が日曜だと分かった時の嬉しさまで甦ってくる。だから今回も「感想」なら締め切りギリギリでもなんとか間に合わせることができるだろうと思っていたのに、はぁ?「このテーマに関するあなたの意見、提案、要望」とな? 

 

第1回目のテーマが届いた時には青ざめた。なんじゃこりゃー! 見聞きしたことはある言葉だが、詳しくは知らない。これについて私の意見? ありませんがな(きっぱり)。仕方ないので検索してみる。解説や識者の意見なるものもあるだろう。またまた なんじゃこりゃー! ものすごい数が出てくる。その上、カタカナや英文字がいっぱいだ。これらをまた検索せねばならない。ふ~ん。なるほど・・・。 で? これって結局ナンなのよ? 情報が多くなれば 余計に混乱する。

今までも新聞やブログでの書評は丁寧に読み、お薦めの本は購入して読むのも楽しかった。自分だけでは知り得なかった分野は新鮮で、こうして自分の世界が広がっていくのが嬉しくもあった。ところが今回 気が付いたのは、独学では踏み込まないだろうと思えた世界も、実は好み・興味・関心の延長上にあったのではないかということ。そうでないものは 無意識に 始めから近付かなかったのだろう。

 

第1回目に与えられたテーマは まさに後者で、私には縁もゆかりもないものとして 始めから近付こうともせず、興味を持つこともなかったものであった。う~ん。いくら調べても纏まらない。締め切り日は刻々と迫る。焦る。気も重くなる。う~ん。・・・そして 突然 閃く。そうだ、みんなの知恵を借りよう。(出た!他力本願夕暮れ)。こういう分野の専門家の友人もいるけれど、たかだか私のバイトのために 忙しい彼女の時間を貰うのは申し訳ない。まずは家族から。さっそく娘 (小焼け) に声をかける。「ねぇ、これ知ってる?どう思う?」 小焼けはあっさりと答える。「知ってるけど、どうも思わないよ」。「謝礼を貰ったら小焼けに1割あげるからさぁ」と私は続ける。「無理。私はすごく忙しいのよ。部活の新入生対応もあるし、模試もあるし、英検も近いし」。「じゃあ、5割でどうよ? ううん、8割あげる」と更に私は粘るが、小焼けはそれ以上は相手にしてくれなかった。あ~あ、この薄情者。

 

実家の父は物忘れは進んでいるらしいけれど、昔取った杵柄、ヒントくらいはくれるかも・・・と思い、ビデオ通話を繋ぐ。「それはなぁ、こういうことだよ」と生き生きと話してくれる。途中で私は気付く。あれ? 父の脳裏にある情報は過去で止まってる?それを指摘するのも可哀相なので 頷きながら聞いた後、キリの良い所で礼を言って終了する。せっかく張り切ってくれたのに ごめんね、お父さん。

父に代わって 母が顔を出す。「夕暮れったら、また変なことに首を突っ込んで。そのテーマ、私も何となくは分かるけど、文章に纏められるほどの知識はないわよ」。母の言葉を受けて、 私は 勘違いしていた第 2 について ぼやく。「謝礼って原稿用紙1枚で 2000 円、5 問 (5枚分) だから合計で 1 万円だと思っていたのよ。そしたら、1 回につき 2000 円なんだって。1 枚 (400字) で400円?! しかも『内容が趣旨にそぐわないものであれば謝礼はお支払いできません』だって。こんなに大変なのに 400 円とはねぇ。1 文字 1 円よ。やる気も失せる」。「依頼元にしてみれば、そりゃそうよ。専門家ではない人に意見を求めているのだもの。原稿用紙 5 枚で 2000 円でも高額でしょうよ」と母は言うけれど、慰めになっていない。

更に母は続ける。「そんなに辛いなら 今回はお休みさせてもらえば? 夕暮れの友達に、家族を病気にしたり、危篤にしたり、殺しちゃった人いたじゃない? だから夕暮れも 私でもお父さんでも どちらでもいいから 危篤にしていいわよ」。ああ、友人の N ちゃんのことね。彼女は新入社員の頃、出勤するのが辛くなり、親兄弟、祖父母に至るまで病気や危篤 (あるいは死亡) にして会社を休みまくった挙句に退職したのだった。

傍で父が言う「バイトの契約期間は長いんだろう? 1 回、2回はそれで乗り越えることができても、ずっとという訳にはいかんだろう?」。お父さん、物忘れは出てきたけど、こういうことには ちゃんと頭が回るのね。なんだか ほっとする。良かった。「いっそチャット GPT 使っちゃう?」「いや、それは問題が多い」「えっと、じゃあねぇ」・・・と親子三人の悪巧みは続く。越後屋さんの末裔一族か?

 

私達の 遣り取りを聞いていた 小焼けがボソッと呟く。「ちゃんと本当のことを言って、バイトそのものを辞退すればいいんじゃないの?」。「本当のこと? どう言えばいいのよ?」と尋ねると、「『せっかく採用していただきましたが、私には荷が重すぎてお引き受けできそうにありません』って」。 娘よ、潔い (いさぎよい) のぅ。

言い訳がましいけれど 一応書くと、「折角採用していただいたのに、突然のキャンセルでは先方にも迷惑をかけるだろう。こちらもいい年をした おとななのだから 失礼のないようにしなければ」と気を遣っているつもりだったのだが、実は こざかしいだけだったのか・・・と反省し 恥じる。そっか、小焼けの言うように 1回、2回・・・と休みをもらうよりは 契約そのものを辞退すればいいのね。なるほど。「私には荷が重すぎて」・・・確かにその通りだ。自分の知識・力量不足が 情けなく悲しくもある。

依頼元にはご迷惑をかけることになり心苦しいけれど、「明日、辞退の お詫びとお願いをしよう」と決めたら安堵して 心も軽くなり浮き浮きする。「ねぇ、お祝いにお肉にしようか? 5 等級の」と小焼けに話しかける声も弾む。予定していた収入はゼロになるのに 出費が増えとるやないか~。

 

寝る前にふと思う。「ここで辞退したら なんだか負けた気がする」。ん? 私は何と闘っているのだろう? 自分自身? 子ども時代からずっと「私はやればできる」と思って自らを励ましつつ頑張ってきた つもりだった のに、ここで諦めるのはいささか無念だ。しかも謝礼を当てにして、もうシャワーヘッドを買ってしまったではないか・・・。話は逸れるがこのシャワーヘッドはなかなかの優れもので、ミスト ナノやジェットなどの機能が 4 種類あり、頭皮・顔・ボディに応じて使い分けができる。最近では髪もお肌もツヤツヤになってきた(知らんけど)。入浴が待ち遠しく楽しい日々。

(話は戻ります) やはり、できるところまでは頑張ってみようかな? 翌日、心新たにして 丹念にテーマを読む。検索した資料も読む。膨大な量だ。頑張る。う~ん、分からん・・・。が、分からんなりに浮かぶこともある。これを纏めればいいのかな? 締め切りまであと数時間。学生時代よりも切羽詰まっている。

「意見」に対しては正解も不正解もないのだから、もういいや~ これで送ろう。最後はもう破れかぶれ。ポチッ(メール送信ボタンをクリックした音)。第 1 回目はこうして終了した。あら? なんなの? 送信後の この開放感と達成感は?!(打ち上げに、いつもよりはランクアップしたお寿司にしようか?と思う)

 

息つく間もなく 2 回目のテーマが届いた。あれ? 今回は好きな分野だ。これなら書けるかも・・・。こちらは締め切りの 1 日前には送信できた。やればできるじゃない? 真珠のネックレスをして 木に登る豚が見える。

しかし、3 回目のテーマは何だろう? 4 回目は? こんなことがまだあと数ヶ月も続くと思うと涙が滲む。 

今回の教訓:「募集要項はじっくり読もう」「欲に目が眩むと 泣きをみる」

 

        

 

暇人の多忙(その1)

車に付着した黄砂を大雨が洗い流してくれた。晴れた翌日、庭に出る。娘 (小焼け) が植えたパンジーが、どのプランターからも零れんばかりに咲き誇っている。美しく見事な眺めだ。柔らかな風に包まれて花殻を摘む。腰が痛くなったら背を伸ばし 青空を仰ぎ見る。平日の のどかな時間。こういうのも幸せだなぁと思う。本来なら定年退職後(仕事を成し遂げた感を持てた後)に こんな風に過ごす時間が訪れるのが楽しみであったけれど、予定より かなり早く来てしまった時間ではある。

 

職場の厚意で、今までいた部署から 在宅ワーク専門へ切り替えて貰った。今までの仕事は心痛もあったけれど、好きだったから心残りもあった。もう少し 目処が立つまで頑張りたいこともあったし、ここで辞めたら無責任ではないかと悩みもした。でも自分の体調と相談しながらの日々も辛く、通院・入院などで 同僚や上司に迷惑をかけるのも心苦しい・・・と自問自答もした。過労で倒れた末に退職した父の言葉が浮かんだ。「父さんも在職中は、自分がやらねば・・・と責任を感じて無理をしていたけど、いざ辞めてみれば、自分でなくても支障はなかったんだな」 そうよね、お父さん。自分でなくても仕事は回っていく。ちょっと寂しいけどね。

 

在宅ワークになって通勤時間がゼロになったし、締め切りだけしっかり心に留めておけば あとは自由なのがありがたい。ダンピング症候群が出るのを案じて、外出前には 食事時間を逆算して決めねばならないことからも解放された。もし体調が悪くなっても心置きなく対処できる。疲れたら即ベッドに直行もできる。平日の昼間に庭に出て寛ぐこともできる。何よりも嬉しいのは 小焼けを「行ってらっしゃい」と送り出し、「おかえり~」と迎えることができること。高校 3 年になった小焼けは来年の今頃はもうこの家にはいないだろう。残された 共に過ごせる時間を楽しもう。

 

私自身の年金が貰えるようになるのは 遥か先のことだ。これから収入は減るけれど、工夫して支出を抑えれば何とかなるだろう。その上、家計が楽になるような ちょっとした収入(お得なこと)はないかなと探してみる。ポイ活は?と閃く。調べてみると、その名を誰もが知っている大手会社の実施しているアンケートがあった。ここなら大丈夫かな? アンケートに答えればポイントが貯まるそうだ。貯まったポイントは日々の生活(スーパー、ドラッグストア、ガソリンスタンド、ネット購入など)で使える。

申し込みは簡単で すぐに完了した。そしてアンケートはメールで ほぼ毎日送られてくるようになった。政治・経済に関すること、車・コンビニ・食品・美容・健康関連、大学からのアンケートも幾つかある。1 つの回答に 15 分程度かかるのもあるけれど、ポイントはみるみる貯まる。これなら卵の値段が高騰しても L サイズが買えるわね。

けれども、ほどなくして不安になった。こんなことして大丈夫かなぁ? 答えたアンケートを集めると個人情報が溢れている。中には こちらの郵便番号 (住所がほぼ特定される)、年齢、家族構成、仕事内容、年収、賃貸か持ち家か、預貯金額などを聞かれることもあり、次第に怖くなった。そういえば、最初に申し込みをする際に 本名や正確な住所、メールアドレス、電話番号まで登録していたことを思い出す。アンケート会社は 委託を受けて実施しているだけでも、個人情報はいろんな所に飛んで行くのだろう。もうやめようかな。

 

報道を賑わせた強盗事件や、詐欺のドキュメンタリードラマのことが脳裏に浮かんだという母は「危なすぎるわよ。悪用されたらどうするの? 強盗や詐欺の標的にならないように『貯金はなし。収入はほんのちょっと。大家族』と回答するのよ」などと言う。「どうして大家族なの?」と尋ねると「『家族が多いと すぐに相談できる人が傍にいるから 詐欺にひっかからないし、強盗に入っても皆殺しするのが大変だ』と相手が判断するじゃない?」と母は力説する (←あくまで個人の意見です)。二人家族なのに事実でないことを書くのも不誠実でしょうよ。ちゃんとしたアンケート会社だと思うけれど、個人情報がどう使われるのか考えるとやはり不安で 結局やめてしまった。

 

他に何かないかしら?と思っていた矢先に「商品の感想を送ってくださった方に、ブランド米プレゼント」という記事が目に入った。原稿用紙 1 枚なら書けるかも、と軽いノリで感想を書いて送った。「当選発表は発送をもってかえさせていただきます」とある。「ねぇ、ホンマに誰かには 送ってる?」と問いたくなる あの「商品の発送をもって・・・」だ。期待もしないまま すっかり忘れていた頃、宅配便が届いた。わぁ!ホンマに届いた。ごめんねぇ~ 疑って。しかも普段は口にしたことのない高級米。「明日炊くだけの米があればそれで充分」とおっしゃる良寛和尚にも分けてあげたい。プレゼントされたのは全国で 5 名のみとか(感想の内容というより、ただの抽選だったらしい) みんなで美味しくいただこう。

 

こうなると、他にも美味しい話はないかと探す(出た!物欲の夕暮れ)。知恵と工夫を友として ( by アンパンマン ) 貧乏は貧乏なりに楽しいわ。

お! ポイ活とお米ゲットの次を見っけ。なになに? 謝礼は原稿用紙 1 枚で 2000 円らしい。ざっと計算すると、契約終了時には諭吉さんが連れだって我が家にやって来る。なんて素敵じゃありませんか ♪ 軽労働・短時間・高収入・・・好きだ。応募条件として、まずは課題にそって原稿用紙 1 枚分の意見を書いて送る必要がある。こちらは気合いを入れて書いてみたら ほどなくして採用通知が届いた。よっし、本業の仕事の合間をぬって がんばろう!!と決意した(この時、夕暮れはまだ知らなかった。すぐに とんでもなく後悔することになるとは ←サスペンス風

・・・命がまだあれば つづく・・・

 

私はどこに?(その2)

胃癌手術で執刀してくださった先生にお会いした時、退院後の生活について尋ねられた。(その 1) に書いたような話をすると「心療内科を紹介しましょうか?」とおっしゃる。「えっ! 私、そこまで状態がきてます?」と驚きつつも少し安堵する。心身共に力の出ない中にあっても、心の片隅には「何とか抜け出さねば・・・」という焦りもあり、心療内科を受診することに一筋の光を見いだせる思いがした。そうすると、今度は大学病院の心療内科というものに興味が湧いてくる。お! 無気力だったはずなのに、持ち前の野次馬根性が そっとが顔を出した?

 

その後 予約もでき 大学病院で受診することになった。最終的には准教授に診ていただいたのだけれど、まずはとても若い女性ドクター (研修医さん?) の問診があった。その後に もう少し経験を積まれた風の男性ドクターによる確認などもあった。いずれも 他の人(病院スタッフや他の患者さん)の気配のしない 密室のような部屋に通されて『ここだと、誰にも話を聞かれる心配はありませんから、心置きなく なんでもお話しください』という雰囲気がある。防音もしっかりしてる感じ (知らんけど)。閉所恐怖症の人には却って辛いかも、などと余計な心配までする。

 

大学病院だからだろうか? 研修医さんによる問診は長い。生まれた所から始まって現在に至るまでの生い立ちを細々と尋ねられる。その都度、彼女は PC にせっせと打ち込みつつも (タイピング早っ!)  私が話す時にはこちらをしっかり見て、大きく何度も頷きながら耳を傾けてくださる。

この繰り返しが続く中で 私はふと思う。授業で習ったことをきちんと真面目に実行されてるのかなぁ。患者に寄り添おうとする ひたむきな姿勢が伝わってくる。死別した夫のことになると涙まで浮かべていらっしゃる。優しい人だ。ありがたく思う。でも患者に感情移入するとお疲れが出ませんか?と気にかかる。心療内科のドクターって大変だなぁとも思う。

今では「ゴッド ハンド」とか「名医」と呼ばれるベテランドクター達にも「初めての○○ (執刀など) 」の時期が あったはずだし、いずれ 娘の小焼けも 職種は違っても 就職したての折には このように一生懸命頑張るのだろう・・・、などという思いも浮かび、この初々しい研修医さんにエールを送りたくなる。患者として訪れたのに、もう自分がどの立場にいるのやら分からなくなる。

 

こんなにきちんと 時間軸に沿って 自分の人生を (その都度の感情なども含めて) 思い起こしたことはなかった。ましてや他の方から 事細かに質問されることも 答えることも なかった。歩んできた道を振り返ってみる良い機会をいただいたと思う。そして、これまでに 恩師、友人、職場の同僚や上司、家族 親戚など、数え切れない人達に随分と手を差し伸べて貰い、お世話になった人生であったと改めて思う。

それから暫く待合室で待って いよいよ准教授の診察。私の 生い立ちと現在の状況や 気にかかっていること等が 先程の研修医さん?によって まとめられていて、准教授はそれらに目を通しつつ 静かな口調で  私に話しかけながら 確認なさる。ゆったりとした穏やかな時間が流れる。

 

ドクター達と話している内に、私の心の中の もやもやの霧が晴れていくようだった。「もしも・・・」とか「~だったら」と考えたり、将来 身の上に 起こるか どうかも分からないことにまで不安を抱えても仕方ない、と改めて思う。そして、准教授が「こうしてお話してみると、夕暮れさんの場合は薬も必要なさそうですね。このまま様子をみましょうか? もし今後 何か気になることがあれば またいつでも 予約の電話をして 来てくださいね」とおっしゃる。ドクターの最後の言葉に勇気づけられる。「何か気になることがあればいつでも・・・」と言われると、帰る港ができたような安堵感を覚える。

 

インターネットを介して知り合った 友達のことが心に浮かぶ。もう数十年もメンタルの病と闘っていらっしゃる方、冬の季節は特にしんどいと言われる方、天候に左右されて体調を崩される方、薬がないと眠れない方もいらっしゃる。明るく元気そうにお見受けしても それぞれ人知れず闘っていらっしゃる。

 

心療内科受診後は何だかエネルギーが戻ってきたようだ。単純な性格なのかしら? 後で読もうと思ってそのままになっていた新聞に目を通す。

【保育園 独り泣きをる孫の手に 人形持たす一歳の友】宝塚市 中西さん 

幼い友情のなんと美しいこと。保育園で 独りで泣いている子に 人形を持たす「一歳の友」という表現も素敵だなぁ。光景が目に浮かぶ。心がほっこりとして潤う。

新聞の広告や、twitterやブログにも目を通す。「これいいなぁ。買おうかな」とか、「ここいいなぁ、行きたいな」とか「この本、読んでみよう」とか、「これ美味しそう。お取り寄せしよう」などと思えるようにもなった(私の場合、ほぼ食欲と物欲?情けない)。それでもモノクロだった世界に色彩が戻ってきたような感じがする。心が動き出した気配が嬉しい。

 

心の病には たくさんの原因があって 現在では15人に1人ともいわれている ( 人ひとりの生涯を通して考えると もっと多い数字になるのかも?) 。私のように のほほんと生きているように思える人間も いろいろ積み重なるとこうして心療内科のお世話になることもある。

ましてや、災害や事故・事件による PTSD を発症されている方達の 長期に渡る辛さは、メディアでも見聞きするけれど、いかばかりかと改めて思いをはせる。

 

私はどこに? (その1)

「夕暮れちゃんは朗らかでいいわねぇ」と親戚の F 子さん (60代) が言う。聞くところによると、F 子さんのお友達に病気が見つかり 手術もされたのだが、その後 精神的落ち込みが強くなられていることを、F 子さんはずっと案じているらしい。(そのお友達のことがあるので)「夕暮れちゃんは朗らかでいいわねぇ」という F 子さんの冒頭の言葉になったのだろう。ふむ・・・。明るい F 子さんといると、こちらまで明るい気持ちになれるから、一緒にいて私は無理して笑顔でいる訳ではない。実際楽しいのだ。

 

それでも、一人で考え事をしていると 気持ちが沈み込んで、このまま浮上できないのじゃないかしら?と思う時も あるにはある。でも、(話すにせよ、書くにせよ) 思いの丈を言葉にしようとすると「しんどさを もう一度なぞる」ような気分になるのが億劫なのと、聞いて(読んで)くれる人 (友や家族) に時間的にも心理的にも負担をかけるのが申し訳ない思いもして、私は一人でじっとしている。それでも、元々こういう性格なので、最終的には「考えてどうなるものでもなし、ま、いっか」となる。その繰り返しの日々。

ヨシタケ シンスケさんの言葉が好きだ。【明日やるよ。すごくやるよ。明日すごいよ。 (でも、今日はもう寝るけどね)】 うん、最後の言葉がいいなぁ。『ひとまず寝る』これが私の座右の銘

 ヨシタケ シンスケさんのことは ここです ↓

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

ところが、ところが・・・、このところ「あら? 私、ちょっと変?」と感じることが増えたような気がする。(「いやいや、夕暮れって、いつも変よ」って言っちゃダメ~。話がこれ以上進まない)

☆ 新聞や本を読んでいても頭に入らない。喜怒哀楽の感情が薄れてきている? 興味も湧かなくなっている? これは「大事なこと」や「大変なこと」や「知っておかねばならないこと」だと頭では分かるのだけれど、別の世界のことのように思えたりもする。新刊書や 「お薦めの本」の紹介は今までは楽しく丁寧に読んでいたのに、この頃は内容すら伝わってこない。無味無臭で色彩もない場所にいるようだ。

☆ 日々の生活の中で、気を付けていてもダンピング症候群が起きる。こんな状態では、(栄養面でどんなに気を配っても)栄養不足に陥らない? その内 動けなくなるんじゃない?と虚しくもあり 不安にも駆られる。

☆ 体重が減り過ぎて(←この言葉、ずっと憧れていて、いつか使ってみたかったのに)指がシワシワになって スマホ指紋認証ができなくなった時には焦った。指紋認証でなくても パスワードでもロック解除できるので大丈夫なのだけれど、スマホを開こうとする度にパスワードを何文字も打ち込むのが面倒くさい。

☆ 桜の季節が好きで、祖母・母・私・娘の (大正から平成生まれまで) 4 世代+男性陣で賑やかにお花見をしたのに、祖母も義母も夫も もういない・・・と改めて寂寥感に襲われる。

☆ 加えて、コロナの後遺症か、頭痛と倦怠感も辛い。明確な原因が分からず 対症療法しかないし、今後の見通しも立たないことが不安に拍車をかける。

☆ 小焼けの将来も気にかかる。小焼けは小焼けの人生を歩まねば・・・。私の看病をするヤングケアラーにしてはならない。

☆ これからの生活の経済基盤はどうなる? 小焼けが生まれてからというもの、大学 (或いは大学院?) 卒業までに かかりそうな教育費は 計画的にコツコツと用意してきた (えらいじゃないか!) けれど、それ以外のこれから先の私の生活費・医療費なども含めて計算してみると、何とかなりそうな気もするし、危ないような気もする。

「こんな生活いつまで続くの?」と思いもする。

 

『鉄鉢に明日の米あり夕涼み』と詠んだ良寛和尚のように、「明日炊くだけの米があればそれで充分」とか、宮沢賢治のように『 1 日に玄米 4 合と味噌と少しの野菜を食べ』とか、種田山頭火のように『いつでも死ねる。草が咲いたり実ったり』という風に人生を達観できればいいけれど、俗人で欲望まみれの私は「あさって炊くお米もなければ心配よ」とか「玄米より、バジルソースのパスタが食べたいわ」とか「まだ死にたくない!」などと思ってしまう。

ヨシタケ シンスケさんの言葉を もってしても、こんな状態が積み重なってくると「あれ?  私、大丈夫?」となる。

 

さて、この後 私はどうなったのでしょう? (その2)に続く・・・かもしれない・・・

 

 

庭にも 心にも 春

家の玄関前の大きな 6 個のプランターには 36 株のパンジーの苗が植えてある。娘 (小焼け) が かなり前に一人で植えたものだ。

小焼けが言うには「苗を買った時には花が咲いていたのに、プランターに植え替えた後は蕾もつけなくなったよ。パンジーって次々に花が咲くよね? なんでかなぁ? 水やりをしすぎたかなぁ? お母さんが退院する日に間に合うように、早くいっぱい咲かせようと思って、植える時に粒の肥料を土の中に混ぜ込み過ぎたのが悪かったのかなぁ? 後で調べたら、肥料が多すぎると花が咲かずに葉ばかりが成長するらしいね」

 

言われてみれば、各プランターには 一つか二つ花が咲いているのもあるけれど、あとは「観葉植物ですか?」ってほど、濃い緑の立派な葉が生い茂っている。(これはこれで見事だけれど)

「この前まで、朝は氷点下になる日が続いてたしね。暖かくなったら咲き始めるかもよ」と言いながら、私はウルウルとする。そかそか。ありがとうね。私が病院から帰って来た時に 玄関先でたくさんの色とりどりのパンジーが出迎えてくれるようにと 植えてくれていたのね。

 

それからというもの、目覚めると庭に出てプランターを眺めるのが 私の毎朝の習慣になった。数日前、よく探さないと見つからないほどの小さな蕾が、茂った葉の間にひっそりとあるのを発見した時は とても嬉しかった。

その後、日に日に蕾が大きくなり、遂にどのプランターの花も開き始めた。それぞれの花の色の組み合わせも美しい。美術が好きな小焼けらしい彩り。いいね。

 

ここ最近は風も柔らかくなり、春の足音が着実に近づいているのを感じる。お日様ってありがたいなぁ。

小焼けも呼んで一緒に眺める。「これからもっともっと咲くね。良かった! 楽しみ~」

6 個の大きなプランターの中の 36 株のパンジーが咲いた光景は見事だろう

 

 

深夜にそっと ご挨拶

★訪れてくださった皆様へ

5 か月ぶりのブログ更新となりました。あんなことや こんなことがありまして、その内の幾つかはいずれブログに書くかもしれませんが、ざっと並べますと、元々予定にあった入院治療の他に、コロナ感染 & 後遺症、更に別の病気、仕事のこと、義父・実家の両親のこと等が重なり「なんじゃこりゃー?!」のカオスの世界で じたばたしておりました。

久し振りに、ブログやツイッターにログインしてみると、記事更新がない間もブログを訪れてコメント (非公開設定ですみません) を残してくださったり、DMをくださったネットのお友達がいらして・・・。温かい言葉の数々に胸がいっぱいになりました。お礼の返信もできないままで申し訳なく思っています。優しいお気持ちをたくさんいただきました。心より感謝しております。ありがとうございました。

もう暫くはパソコンの前に座る時間も限られますが、皆様のブログにも これから楽しみに訪問させていただきます。取り急ぎ ご挨拶まで (_ _)

 

(※さて、ここからは ↓ いつもの備忘録 日記です。相変わらずの ぶっきらぼうな口調ですみません)

大雪の降った日に娘 (小焼け) が学校から帰宅して動画を見せてくれた。何やら楽しげな笑い声と叫び声、画面の中では体操服 (ジャージ) 姿の高校生の男女と、先生とおぼしき人が雪の中、広い運動場を走り回っている。

小焼けが言う。「体育が始まる前、先生に『今日の授業は雪合戦にしましょうよ~』と皆で提案したら、先生が『皆さんは もう子どもじゃないんですから』と戸惑われたんだけど『こんな大雪、滅多にないんですから~』と更に頼むと、『仕方ないですねぇ。でも、翌日 誰かが体調不良になって保護者の方達から苦情がきたら、皆さん 私をかばってくださいよ』と言われてOKになったのよ。」

ふむふむ。「で、この動画はどうしたの?」と尋ねると、来年卒業する時に渡される「卒業アルバム」の他に 「3年間の思い出動画」も配ることにしていて、1年生の時から 学校生活の様子を撮影し、後で皆で編集して仕上げることになっているのだとか。(今回も 各自で動画を撮ったり 雪合戦に加わったりしたらしい)。 ほ~、卒業動画ねぇ。楽しそうだ。

画面の中には、体育の先生とは別のおとなの人が 飛んで来る雪玉を 広げた傘で防御しながら走り回っている。はじけそうな笑顔だ。よく見ると担任の先生のようだ。たまたま授業が空いていた先生が 生徒達の声を聞いて「楽しそう !」と雪合戦に加わられたとのこと。「洋服が濡れると次の授業の時に困るから」と傘まで用意されての参加だったようだ。

 

「もう1回見る? 面白いでしょ?」という小焼けの言葉に頷きながら、日本や世界のあちらこちらで起きている痛ましい出来事が脳裏をよぎる。大雪で大変な思いをされた方達もいらっしゃることだろう。それでも こうして、学校から帰ってきた娘の笑顔を見、話を聞ける日常がまた私に戻ってきたこと、この ささやかな幸せを ありがたく思い 感謝する