私はどこに? (その1)

「夕暮れちゃんは朗らかでいいわねぇ」と親戚の F 子さん (60代) が言う。聞くところによると、F 子さんのお友達に病気が見つかり 手術もされたのだが、その後 精神的落ち込みが強くなられていることを、F 子さんはずっと案じているらしい。(そのお友達のことがあるので)「夕暮れちゃんは朗らかでいいわねぇ」という F 子さんの冒頭の言葉になったのだろう。ふむ・・・。明るい F 子さんといると、こちらまで明るい気持ちになれるから、一緒にいて私は無理して笑顔でいる訳ではない。実際楽しいのだ。

 

それでも、一人で考え事をしていると 気持ちが沈み込んで、このまま浮上できないのじゃないかしら?と思う時も あるにはある。でも、(話すにせよ、書くにせよ) 思いの丈を言葉にしようとすると「しんどさを もう一度なぞる」ような気分になるのが億劫なのと、聞いて(読んで)くれる人 (友や家族) に時間的にも心理的にも負担をかけるのが申し訳ない思いもして、私は一人でじっとしている。それでも、元々こういう性格なので、最終的には「考えてどうなるものでもなし、ま、いっか」となる。その繰り返しの日々。

ヨシタケ シンスケさんの言葉が好きだ。【明日やるよ。すごくやるよ。明日すごいよ。 (でも、今日はもう寝るけどね)】 うん、最後の言葉がいいなぁ。『ひとまず寝る』これが私の座右の銘

 ヨシタケ シンスケさんのことは ここです ↓

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ところが、ところが・・・、このところ「あら? 私、ちょっと変?」と感じることが増えたような気がする。(「いやいや、夕暮れって、いつも変よ」って言っちゃダメ~。話がこれ以上進まない)

☆ 新聞や本を読んでいても頭に入らない。喜怒哀楽の感情が薄れてきている? 興味も湧かなくなっている? これは「大事なこと」や「大変なこと」や「知っておかねばならないこと」だと頭では分かるのだけれど、別の世界のことのように思えたりもする。新刊書や 「お薦めの本」の紹介は今までは楽しく丁寧に読んでいたのに、この頃は内容すら伝わってこない。無味無臭で色彩もない場所にいるようだ。

☆ 日々の生活の中で、気を付けていてもダンピング症候群が起きる。こんな状態では、(栄養面でどんなに気を配っても)栄養不足に陥らない? その内 動けなくなるんじゃない?と虚しくもあり 不安にも駆られる。

☆ 体重が減り過ぎて(←この言葉、ずっと憧れていて、いつか使ってみたかったのに)指がシワシワになって スマホ指紋認証ができなくなった時には焦った。指紋認証でなくても パスワードでもロック解除できるので大丈夫なのだけれど、スマホを開こうとする度にパスワードを何文字も打ち込むのが面倒くさい。

☆ 桜の季節が好きで、祖母・母・私・娘の (大正から平成生まれまで) 4 世代+男性陣で賑やかにお花見をしたのに、祖母も義母も夫も もういない・・・と改めて寂寥感に襲われる。

☆ 加えて、コロナの後遺症か、頭痛と倦怠感も辛い。明確な原因が分からず 対症療法しかないし、今後の見通しも立たないことが不安に拍車をかける。

☆ 小焼けの将来も気にかかる。小焼けは小焼けの人生を歩まねば・・・。私の看病をするヤングケアラーにしてはならない。

☆ これからの生活の経済基盤はどうなる? 小焼けが生まれてからというもの、大学 (或いは大学院?) 卒業までに かかりそうな教育費は 計画的にコツコツと用意してきた (えらいじゃないか!) けれど、それ以外のこれから先の私の生活費・医療費なども含めて計算してみると、何とかなりそうな気もするし、危ないような気もする。

「こんな生活いつまで続くの?」と思いもする。

 

『鉄鉢に明日の米あり夕涼み』と詠んだ良寛和尚のように、「明日炊くだけの米があればそれで充分」とか、宮沢賢治のように『 1 日に玄米 4 合と味噌と少しの野菜を食べ』とか、種田山頭火のように『いつでも死ねる。草が咲いたり実ったり』という風に人生を達観できればいいけれど、俗人で欲望まみれの私は「あさって炊くお米もなければ心配よ」とか「玄米より、バジルソースのパスタが食べたいわ」とか「まだ死にたくない!」などと思ってしまう。

ヨシタケ シンスケさんの言葉を もってしても、こんな状態が積み重なってくると「あれ?  私、大丈夫?」となる。

 

さて、この後 私はどうなったのでしょう? (その2)に続く・・・かもしれない・・・