視覚からのインパクトについて語る 母の日

NHKのドラマ 『レ・ミゼラブル』が 5 月3日に最終話を迎えた。
母がまだカタカナが読めないほど幼い頃、父親からカタカナのそばに平仮名を書いてもらって読んだという本『レ・ミゼラブル』。

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 私は、当時の母よりは もう少し年齢が上になって (カタカナも漢字も読める年齢になって) から、母が読んだのとは 別の本で読んだ。やはり子ども向けではあったけれど、登場人物の身になって 怯えたり悲しんだりしながら 読んだ記憶がある。

 

そして このたび、懐かしい『レ・ミゼラブル』に 映像として再会。 録画を見ながら後悔した。 子ども向けの本を読んだだけで終わらず、原作 (を翻訳したもの) を読んでおけばよかったなぁ…と。 小学生には理解できなかったことも、高校生くらいになってからもう一度 (できれば、もっと上の年齢になって、更にもう一度) 読めば、行間にも思いを馳せることができたり、さまざまに異なった思いも持てたはずなのに。そして本から伝わってくるものと、映像から伝わってくるものを比べてみることもできたのに・・・。でも、もう間に合わない。

第1話に【1815 年 6 月フランス敗北。ナポレオンは追放された。新たな王を擁し 古き体制が復活。革命は忘れ去られた】と字幕が出た。あれはワーテルローの戦いだったのね。文学の時代背景と 世界史とが突然 繋がる。

1 話が終わり 次回の予告を見る前に、ストーリーが次々に 頭に浮かんでくることに 驚いた。 2 話、3 話・・・最終話も同じく、展開が予測できた。 おお! なんてこと! 子ども向けの本だったとはいえ、記憶にしっかりと残っている。あの頃の 私って、記憶力 すごくなぁい?! ( ←ここ、女子 中,高生風の発音)。まあ 今じゃぁ、一昨日の晩御飯のメニューも思い出せないことが あるんですけどねぇ。

 

それから、ふと気がついた。「ん? 私が覚えていた (つもりの) 内容は もしかしたら、挿絵を繋げただけのものかも? 例えば、ジャン・バルジャンが銀の燭台を盗む場面。コゼットが 暗い森の中を 大きな桶を持って 水汲みに行く箇所、そこに現れて桶を持ってあげるバルジャン。(コゼットとバルジャンの身長差まで目に浮かぶ)。 何度も現れる 鋭い目つきのジャヴェール警部の描写。 ジャン・バルジャンが 瀕死の若い男の人 ( 美しい娘に成長したコゼットの恋人、マリユス・ポンメルシー) を背負って地下道を逃げる場面、等々。

なぁんだ。 文字で読んで、1 冊分のストーリーがすべて頭に入っていたのではなかった。子ども向けなので挿絵は 結構な量で挿入されており、1 ページを丸ごと使って丁寧に描かれていたし 迫力もあった。それら挿絵だけが、私の記憶にあったのね。「すっごい子!」じゃなかったことが発覚…。めでたい。おめでたい。つまんない。

 

母は 放送を毎週楽しみにしていたらしい。若くして亡くなった父親の姿と重なり、様々な思いと ともに観たとのこと。「それにしても、視覚からくるものはすごいね。当時、 幼いなりに 本から感じて 心の中に描いていたものが 消えてしまって、テレビ の映像ばかりが迫ってくるわ」。

確かに視覚からくるインパクトはすごい。私の中にも、数十年経っても 記憶としてとどまっていたのだから。

 

今日は母の日だったけれど、実家を訪れるのはあきらめて (プレゼントは宅配便にお願いし)ウェブカメラを繋いで お互いの顔を見ながら、こんなとりとめもない おしゃべりをして過ごした 今年の母の日。

 

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