小さく「あっ」と驚く

昨日の新聞の オピニオン欄を見て、「あっ」と驚いた。 タイトルは「障害? なんぼのもんじゃい!」とあった。「自分の足では歩けない」 「周りの音が聞こえない」 「声を出すことができない」という障がいを持って誕生した「奇跡のように可愛い赤ちゃん」。そのお父さんからの投稿だった。 

私の内なる「なんぼのもんじゃい おじさん」」と「てやんでぃ おじさん」↓  が顔を出す。

yugure-suifuyou.hatenablog.com

↑ この記事をブログ投稿した 1か月半後に、新聞紙上で「なんぼのもんじゃい!」さんを発見。

なんだか嬉しい。 ここにも、自分を励まし、お子さんを励まし、頑張る「なんぼのもんじゃい !」さん がいらした。 

私の身内にも障がいを抱えて懸命に生きている者がいる。 この投稿のお父さん(ご家族)と赤ちゃんに たくさんのエールを送りたい。

 

新聞といえば、以前にも「あっ」と驚いたことがあった。はるか昔、趣味のサークルの仲間だった方が、新聞に写真入りで載っていらした。 医学界での大きな進歩となる発見をされたとのこと。 

私の所属していた趣味のサークルは、「同じ楽しみで繋がっている」のが基本であり、個人的なこと(年齢・勤務先・家族構成・学歴など)は、ご本人が自ら話されること以外は、わざわざ尋ねたりすることもなく、どなたも「さん付け」で呼びあっていた。その方については、穏やかな口調で話される 物静かな印象があった。 

暫くして私は 結婚や転勤で そのサークルも土地も離れた。新聞を通してではあるが、十数年ぶりの再会。この期間、その方は 日々たゆまぬ研究を重ねてこられたのだと頭が下がる。

 

新刊案内を見ていて「あっ」と驚いたこともあった。新聞の歌壇で 何度も名前をお見かけする方が、歌集を出版されたという記事が載っていた。

歌壇・俳壇に登場する短歌・俳句には、自然・日々の暮らし・情景・心情を詠まれたもの…等がある。 なるほどと頷いたり、くすっと微笑ましかったり、 ぐっと心に迫り来るものも多い。

歌や句には それぞれの持ち味というか魅力があったが、その中に、まるで別の視点から切り込んだような鋭さのある歌があった。「異彩を放つ」とは こういうことなのだろうか。その方の歌は 時には難解な、なんかいな?と考え込ませるものもあった。

早速、新刊の歌集を購入する。添えられたエッセイを読みつつ、そうか、こういう世界観をお持ちだったのか・・・と新たな発見をする。そして 私 のような凡人には 思いもつかないような発想・才能をお持ちなのだと ひたすら感嘆する。

 

そういえば 先日、実家に立ち寄った時、母も「あっ」と驚いていた。
実家では母の仕事場が奥にあり、インターネット環境もその部屋には整っている。だが、離れた場所にあるリビングでスマホや i  Padを使うにはWi-Fiの電波が弱いとのこと。

私は急ぎの調べものがあり、スマホでネットに繋ぎたいけれど、大丈夫かなぁ?と思いつつ、無線LAN ルーターのパスワードを尋ねると、母が「Wi-Fi の箱の中にあるわ」と奥の部屋に探しに行ってくれた。

そして、戻って来たら 箱を二つ抱えている。 自分で「どうして、二つもあるの?」と驚いている。 父が言う。 「電波が弱いからと、中継器を買ってきたじゃないか」。 母は「あっ、そうだった。中継器 買ったよね。箱を見ても まだ思い出せなかったわ。記憶力かなり危ないねぇ」と人ごとのように笑っている。

その無線LAN中継器は コンセントに差し込むだけてOKらしい。 おおお! Wi-Fi ルーターだけだと、スマホの電波受信の強さを示す「扇形アンテナ」が根元の部分だけだったのに、中継器を使うと見事に最大を示す。すごっ。

「なんと! これは優れものねぇ。便利ねぇ」と買ったのをすっかり忘れていた母は新鮮に驚いている。こちらの方が別の意味で驚く。

 

今日、冷蔵庫を開けて「あっ」と驚いた。 お気に入りのプリンを多めに買ってお楽しみにしていた。まだ残りが幾つかあるはずなのに、無い!

記憶の糸を辿る。 昨日1個食べた。娘の小焼けは2個は食べていた。それから…と購入数から引き算をする。 ほら、まだあるよね? いや、朝食後の忙しさの どさくさに紛れて、私、無意識に食べた? もしそうだとすると、母の物忘れの心配をしている場合じゃない。自分の心配をする番がもう来た? いやいや、そんなはずは・・・。

しかし…プリンが無い!ことだけは紛れもない事実。 私はもう おとなだ。家族の誰かが食べてしまったとしても、それくらいのことで怒りはしない・・・。 う、う、う・・・(泣くんかぃ!?)

 

平凡な日々の暮らしの中にも 小さく「あっ」と驚くことは結構あるなぁ、と思う。

「今こうしている間にも、日本中、いえ、世界中のどこかで誰かが、 あっ と驚いているかも」と考えると楽しい。

 

「おいで」という言葉から、4人の3~4歳児へ想いが飛んだ夜

先日、朝ドラを録画で見ていたら、心に残るシーンがあった。
【長女(喜美子) を真ん中にして、両隣に次女(直子)と三女(百合子)。 三姉妹が川の字になって布団に入っている。

長女は考えごとがあって眠れない。 ふと横を見ると次女が目を開けている。
「起きてたん?」と尋ねると、次女は「怖い夢を見た」と言う。空襲でみな逃げて行くのに自分だけ置いて行かれた(手を繋いでいた姉と はぐれた)幼い頃の怖くて心細かった記憶がトラウマになり、夢になって時々現われるようだ。

長女は言う。「こっち、おいで」。
今はもう女学生になった次女は照れて断わるが、長女は続ける。
「ええから、おいで。手ぇ繋いで寝よ~」】

 

「おいで」って いい言葉だなぁ。その言葉の先には「何か温かいもの」が待っている予感がする。
幼い子なら、「抱っこしてもらう」とか「膝に座って絵本を読んでもらう」など。

もう少し年齢があがると、「一緒に遊ぼ~」など、 ちょっと年上の子から誘いの言葉が続いたり・・・。
おとなだって・・・きっと、心が穏やかになるようなことが待っているはず。

 

そんなことを考えていたら、音楽友達の  L さんが、朝ドラよりもっと早くに(って NHKと張り合う必要もないが) ツイッターで書かれていたことを思い出した。 幼かったお嬢さんとのエピソード。 そこにも「おいで」という言葉があった。

 

L さんがご了承くださったので、ここに抜粋させていただく。

【まだ3~4歳だった娘が、寒い時期に裸足で 廊下を走ってトイレへ行った。
「寒いのに裸足で行って・・・」と思い、トイレから出て来た時、「おいで」と抱っこして居間へ。
その後、 私も(靴下は履いていたが、スリッパを履かずに)トイレへ行った。
出てくると、娘がスリッパを持って待っていて、ニコッと笑って  私のスリッパを並べてくれた。】

 

いいなぁ。こういうエピソード。
寒い時期に 裸足で走ってトイレへ行った 幼いお嬢さん。
足が冷たいだろうに・・・と思い  抱っこして居間へ行くパパ。
その後、 ニコッと笑って、パパにスリッパを並べてくれるお嬢さん。( こんなに ちっちゃいのに 優しい仕草ができるのねぇ)。

愛情が循環している。

 

廊下をトントンと駆けていく可愛らしい足音。
「おいで」と 娘に呼びかける優しいパパの声。
スリッパを揃えて差し出しながら にっこり笑う幼い女の子と、パパの笑顔・・・。
そんな音声と映像が浮かび、私は幸せな気持ちになる。

 

そういえば、このブログに「幼稚園児の発見」というタイトルで書いたことがあった。  ↓ 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 「お」の後には嬉しい言葉が、「あ」の後には嫌な言葉がやってくる、という発見。   改めて 幼い子の感性の素晴らしさを思う。

そういえば、L さんの「おいで」も「お」で始まっているなぁ・・・。
「お」の後には嬉しいことが待っている。(パパが抱っこしてくれた ♪ )

 

実家の母が応募した「はがきの名文コンクール」の受賞作にも、3歳にして心優しく頼もしい「小さなお父さん」が登場する。  ↓

この時から17年。 快人(かいと)君は、お母さんに 心の中でずっと抱きしめられて、今夏20歳になった。
「幸せになってください」と遠い空の下から  私も祈る。


私の娘(小焼け)の 幼稚園時代を思い出す。
ある日、「大きくなったら、警察犬になる」と言った。
「ああ、お巡りさんのことね。みんなを守ってくれる警察官になりたいのね」と私。
娘は「犬(けん)」と「官(かん)」を間違えているのだと思った。
首を横に振りながら 娘は答えた。「ちがう。ドーベルマンとか、そういうの。 犯人を捕まえる かっこいいの」。
 ・・・・・・
「犬」でよかったのか・・・。

 

「おいで」という言葉から、4人の3~4歳児に想いが飛んだ夜。

 

 

ひ、ひゃくまんえん! 

 

実家の両親が旅行のついでに足を伸ばして、我が家に立ち寄った。
ひとしきりお互いの近況報告や 旅行のお土産話が弾んだ後に、唐突に母が言う。
「100万円、ダメにしたわ」

 

そこに居た全員が驚きの声をあげる。  「ひ、ひゃくまんえん!」
同じ屋根の下に暮らしている父ですら 初耳らしく、一緒に驚いている。

「旅行中に落としたの? でも旅行にはそんなに大金を持ち歩かないよね?」「留守中に空き巣に入られたか、水漏れ事故かなにかで家財道具をダメにした?」「まさか、骨董品の偽物なんて買わないよね?」などと皆が口々に言う。

 

それ以外だとすると・・・私の脳裏に咄嗟に浮かんだのは、詐欺の被害に遭ったのではないか・・・ということだった。
しかし、母は「なりすまし詐欺、振り込め詐欺」の類いには慎重で、まず騙されそうにはない。 それどころか、このブログの「謎」に書いたように、犯人?(警察官?)を泣かせてしまったかもしれない。   ↓

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 その母から100万円もの大金を奪い取るとは、よほど あっぱれな話術だったのだろう。
どんな風に話を展開していけば 成功するのだろう・・・(いつの間にか 犯人サイドに立って思考している私)

 

皆の問いかけに母は答える。
「違うわよぉ。100万円貰い損ねたのよ」。

えー!! 貰い損ねた~? ということは、まさか、母が犯罪に加担してたってこと? 
いやいや、そんなことをする母ではない。ちょっと粗忽な所はあるが善良な小市民だ。
それでは、うっかりと「ネズミ講」式のものに手を染めてしまった? あるいは、言葉巧みに騙されて「受け子」か なにかをさせられた?
考えていくと冷や汗が出る。

 

「ふふふ」と、皆の驚きをひとしきり楽しんだらしい母は おもむろに続ける。
「あのねぇ、これに応募して、大賞の100万円を貰うはずだったのよ」
母はスマホを開いてHPを見せる。そこには「はがきの名文コンクール」の募集要項があった。 大賞は100万円、佳作は10万円とあった。

 

はい?? 「これに応募したの?」 「で、大賞はダメでも佳作は受賞したの?(していないらしい」 「必要な手紙ですら電話で済ませるような筆無精なのに、どうした風の吹き回し?」
また、矢継ぎ早の質問が飛ぶ。

「あ~たねぇ、考えてもご覧なさいよ。あの五木寛之さん達が読んでくださるのよ。すごいじゃない?  しかも、5分で書き上げたものが100万円よ。時給にしたら1200万円。 銀座のママより高くない?」 (母よ、なぜに銀座のママと同じ土俵に上がろうとする? あの方達は、美しさを維持するだけではなく、コミュニケーション能力・経営能力・スタッフ教育など、日々たゆまぬ努力を重ねて来られて現在があるのに、同じラインに並んで張り合おうとするなんて、 おこがましいんじゃないの? ←私の心の声)。 
結論:母はただ  欲にまみれていただけだった。

 

母は5分で書き上げた後、誰にも見せずに投函したらしい。
「だって、締め切りが当日(消印有効)だったと その日の夕方に気付いたんだもの、相談してたら間に合わないわよ。それに、みんなに相談して いろんな意見が出ると、私の意図するところと違うものができあがるじゃない? 私はね、自分の直感と感性を大事にしたかったの。(文豪か!?)」

 

父がぼそっと言う。「それでわかった(謎がとけた)」。
母は熱中症のニュースが流れる真夏日なのに、クローゼットから秋冬物の洋服を引っ張り出してあれこれ眺めていたとのこと。

それに、ある時期から そわそわと、自宅の郵便受けを 日に何度も覗きに行っていたらしい。その姿が大江健三郎さんの作品にでてくる「認知症のおばあさん」の描写にそっくりで・・・

父は 母が若年性認知症の症状が出たのではないかと心密かに心配し、機会を見つけて娘の私(夕暮れ)に相談してみようと思っていたらしい。

 

結果発表は9月末に受賞者宛に郵送されるらしかった。

「遅くても10月初旬には結果が分かったはずなのに、どうして今まで誰にも言わずに黙っていたの? おしゃべりなお母さんがよく我慢できたねぇ」と尋ねると、「受賞辞退の方がいらしたら 繰り上げ受賞になるかもしれないじゃないの? そして、みんなが 100万円!と驚く顔を見るのが楽しみだったもの。話したくて うずうずしてたけど、ずっと我慢してたのよ」と母は言う。 

じっくりと推敲されたであろう ご自分の作品が 受賞との知らせを受けて 辞退する方はいらっしゃらないのでは?   しかも、なんで自分が補欠1番という設定になっているの?  クローゼットの秋冬物の洋服を品定めしていたのは、10月末の授賞式にどれを着ていこうか迷っていたためらしい.。(天井知らずの楽天家だ)

先日、インターネット上に受賞作品が掲載されたのを見て、母は遂に観念し 皆に報告したらしい。

 

どんな文章を書いて応募したのかと気になった。母は応募した はがきの写真を撮ってスマホに保存していた。皆で回し読みする・・・ふむ・・・う~む・・・。

小焼けが言った。「おばあちゃんの書いたのって、募集要項に書いてあるテーマに沿ってなくない?」 (テレビなら ここで「一同 どてっ!」となるところだ)

 

約2万7千通から選ばれたという作品を読む。 珠玉の作品揃いだ。 さすがです。 胸を打たれる。 5分で書き上げたものとは 文章のコクというか深みが違う。(お母さんごめん!) 

そして、受賞者発表があるまでの間、母のようにして待っていた人が27000人の中に 数名くらいは いらしただろうか・・・と思った。

 

f:id:Yugure_Suifuyou:20201028200305j:plain 

 

 

ドアの隙間から、何かが覗いている

ん? 何か気配を感じて振り返った。
リビングのドアが少し開いていて、隙間から何かが こちらを覗いている。顔は見えるが 姿は隠れている。 べったりと白く塗られた顔。  両端が大きく裂けた真っ赤な唇。  丸い鼻。 眉から頬にかけて 縦に走る黒い線。・・・それだけは見て取れた。

 

わぁぁ!! 驚きの余り 息を呑む。

「え! 目の錯覚?」 「人間ではない何か?」 いやいや、それは現実的ではない。

「顔が分からないように変装した強盗?」・・・これが一番可能性が高い。
この家には 夕方まで誰もいないと思って空き巣に入ったものの、私がいて鉢合わせした? 

ってことは、私、強盗に殺される? その前に 家中の現金と金目のものをかき集め、「これが全てです。あなたのことは誰にも言いませんから」と言いながら、(「ブログには書くかも知れないけどね」とは さすがに口にできない) かき集めたものを渡して命乞いをしてみようか?  もしかしたら それで おとなしく帰ってくれるかも。しかし、私の へそくりのことだけは黙っていよう。せっかく苦労して貯めたんだもの、渡すのは嫌だ。

これらの思いが一瞬で脳裏を駆け巡った。時間にするとほんの数秒。
いつもは ゆっくりとしか動かない私の頭の中が、今だけは急速にくるくる回転する。

 

私は「目に見えない何か」はあまり怖くない。先日ブログに書いたように、「見守られている」という感じがするから。

もし映画やTVに出てくるような「邪悪な霊」が存在するとしたら、誰かに何か訴えたいことや 心残りがあるので そういう状態になっているのではないかしら?と思ってしまう。「どうしたの?」と膝を交えて(といっても相手には脚がない)じっくり話を聞けば理解しあえるような気もする。(町内の世話焼きおばちゃんか!?)

 

それよりは、生きている人間が凶器を持って こちらに向かってくる方が はるかに怖い。

相手は人間だ。怖い!

 

私がフリーズしていると、「ふふふ」という くぐもった声と共に、姿がぴょこんと現われた。 娘の小焼けだ!  なんなのよぉ~。まったく~! ああ驚いた。

 

聞くところによると、E 先輩が「ハロウィーンの日はお揃いにしよう」と言って、ピエロのお面を二つ用意し、その内のひとつを 先日 渡してくれたとのこと。手にとって見ると、お祭りの夜店に売っているようなものとは違って、質感が人肌のように良くできている。さっきは お面だとは分からなかった。

 

娘の学校は、ハロウィーンの日は 仮装して英語スピーチをすることになっている。
昨年は「どんなのにしよう?」と張り切って、スピーチの内容そっちのけで、衣装のことばかり あれやこれやと家族に相談してきた。

そういえば、今年は何も相談されなかった。 そういうことだったのか・・・。 E 先輩とお揃いになるように、洋服も ピエロのお面に合うような色合い・デザインのものを自分で選んで 学校へ持って行ったのね。

 

ハロウィーンといっても、中学生だから 夜に仮装して街に繰り出す訳でもない。
それで、学校帰りに E 先輩と二人で ピエロのお面をつけたりはずしたり、途中で出会った小学生や犬を驚かせたりしながら、いつものようにバス停ひとつ分だけ 一緒に歩いて帰ってきたらしい。 ご陽気じゃのぅ・・・。

 

証明できない「何か」

恩師 T 先生のご葬儀は 「家族葬」で営まれたとのこと。

以前、家族葬について 新聞の特集記事を読んだことがある。

「本当に身近な者だけで、故人をゆっくり見送れたことが良かった」という意見があった。 その反面、「家族のみの 葬儀であったため、参列できなかった人達が『せめてお線香だけでも』と後日、次々と自宅を訪問し、遺族はその対応に疲れ果てた」 という体験談もあった。

この  ご遺族の体験談が心に残っており、T 先生のご自宅に伺ってお参りさせていただくのは遠慮することにした。高校生の頃には気付けなかったことも、歳を重ねるにつれ理解でき、ありがたく思うこともある。それを生前の T 先生に直接お伝えできなかったことを悔やみつつ・・・。

 

遙か昔、夫と私は結婚するにあたり、新居を構えることになった。
夫の勤務先は 家賃を一定金額までは負担してくれて、それを上回る場合は 差額分を自己負担すればよかった。

不動産屋さんで物件を探していると、間取りのゆったりした一戸建て住宅が 驚くほど格安のお値段で賃貸されるとあった。 

こんなお宅が、私達でも手が届くような金額で借りられるとは・・・という問いに、不動産屋さんはちょっと声を潜めて言われた。

「このお宅の持ち主は、高齢になられたご夫婦だったのですが、お一人が病気で亡くなられると、もうお一人も後を追うように亡くなられたそうです。仲の良いご夫婦だったのですね」


そこまで言うと、不動産屋さんは また声を普通の大きさに戻して続けた。
「お子さんは 二人いらっしゃるのですが、もう独立されて 別々の場所に ご自宅を持たれているので、こちらのご実家に戻られるおつもりはないそうです。このお宅は7年間そのまま空き家だったので、傷んでいるところはリフォームして、どなたかにお貸しできれば・・・とのことです」

 

後で二人きりになったとき、夫が言った。「後を追うように・・・ってとこ、もしかして告知義務が必要ってことかなぁ?」。
私も そんな気がしていた。しかし、具体的なことを聞くと、そのお宅には住めないような気もして、敢えてスルーしていた。

う~ん、あの環境の良さ・広い庭付きの一戸建て住宅・私達にも手が届くお家賃・・・等を考えると、不動産屋さんが声を潜めて語られたことは詮索せず、気にしないでおこうという結論に達した。

 

契約後に、大家さん(「二人のお子さん」の内のお一人)にお目にかかった。
立ち居振る舞いの美しい、でも、さっぱりとされて親しみやすい、50代くらいの素敵な女性だった。まだ若かった私達は 憧れに近い思いを抱いた。

 

娘の小焼けは、そのお借りしている家で生まれた。

生後 数か月もすると、ガラガラの優しい音であやされたり、ベビーベッドの上でくるくる回るメリーオルゴール モビールを見ると、よく笑うようになった。


ところがその頃から、不思議なことが何度も起こった。
誰もいない壁の方を向いて、娘が にこにこ、にこにこ、手足をばたばたさせて嬉しそうに笑うのだ。
夫が ぼそりと言った。「何か見えてるのかなぁ? 赤ちゃんにだけ見える何かが」。

 

私は不思議と怖くはなかった。そして思った。
「ここに暮らしていらした、亡くなられたご夫妻だろうか? 7年もの間ずっと空き家だったのに 私達が住み始め、 小焼けも生まれて賑やかになり 喜んでくださっているのだろうか」と。
あの大家さんのご両親なら、きっと素敵なご夫妻だったのだろう。

 

それからまた数年経ち、夫が転勤になり 私達はその家を離れた。

物心ついた娘に 「小焼けが まだ赤ちゃんだった時に、不思議なことがあったのよ」と話したことがある。
すると娘は歌うがごとく答えた。「ああ、覚えてる。知らない優しそうなお爺さんとお婆さんだったよ。にこにこ してた」。

 

うむむ。生後間もない頃の記憶が残っているものだろうか?(※後で調べると、「3歳になる迄は、赤ちゃんだった頃の記憶が残っている」という説もあった)。

それとも、私が娘に話すより以前に、周りのおとな達がそんな思い出話をしているのを聞いて、赤ちゃんだった自分がそういう人達を見たような気になっていたのだろうか? 

医学者や科学者には一笑に付される話かもしれない。しかし、「立証できない何か」というものは 「絶対に存在しない」とも言い切れないだろう。

 

そういえば、宇宙飛行士が地球に帰還してから、宗教の道に進んだという話を耳にしたことがある。 宇宙で「人間を超えた何か(の存在)」を感じるということは 想像できる。

 

実家の母は「亡くなった父(私の祖父)が守ってくれたに違いないわ」と時々 言う。「大惨事になるはずのところを、免れたことが何度もある」のだそうだ。 

 

そう考えていくと、T 先生は 私が直接伝えたかった感謝の気持ちを、実はもう分かってくださっているのではないかと思える。先生の穏やかな笑顔と共に「夕暮れさんの思いは届いているよ」という声が聞こえるような気がする。

 

医学・科学・  IT  等々、 身の周りのあれやこれやが、これだけ進歩した現代でも、「証明できない何か」があるよね と 思いたい夜。

 

「数分間の猶予」が教えてくれたこと

恩師 T 先生の訃報が届いた。
T 先生は社会科の先生で、私が高校2年の時の担任でもあった。

当時、生徒に人気のある先生といえば、「ユーモアに富む」、「授業がテンポ良くて分かりやすい」、「進路に関する情報量が多くて的確」、「スポーツ万能」、「美形」…といったタイプの先生方であった。

 

そんな中で、T 先生はどちらかというと地味であった。(先生ごめんなさい)
あまり大きな声で話されることはなく、髪や身なりをきちんと整えられ、黒板に書かれる文字は丁寧であった。

授業内容について質問に行くと、即座に「これはね・・・」と 懇切丁寧に説明してくださるので よく理解できた。そして、「学生時代からずっとコツコツと勉強(研究)を重ねてこられたのだろうなぁ」 と思った。

私はそんな T 先生が好きだった。

 

当時の高校の「遅刻」の基準としては、「朝(HRに)担任の先生が教室に入られる前までに、着席していない生徒は遅刻」ということになっていた。
T 先生は、すぐには教室に入らず まずは廊下側から教室内を一瞥された。そして 欠席届の出ている生徒以外の空席があれば、2階の窓から校門を眺めながら 廊下に立っておられるのが常だった。

そこの廊下からは 校門に走り込んでくる生徒の姿が見えるのだ。

 

電車通学の生徒が 駅から学校に着くまでの間には、信号機が幾つもあった。
車の通行量が多い 大きな道路の青信号は長く、その分 そこを横断する歩行者は(赤信号のまま)長く待たねばならなかった。足踏みして待ったところで 待つ長さに変わりはないのに、生徒達は足踏みしながら待った。(早起きして もう少し早い時間の電車に乗ればいいのだが、青春時代はひたすら眠い)。

そうして、息を切らした生徒達が教室の前まで辿り着くと、先生はにっこり笑って「おはよう」と言われ、生徒達が着席した後に教室に入られた。

 

数年経って、車の免許を取得しに教習所へ通っていた時、車のブレーキペダルやハンドルには「遊び」といわれる「ゆとり」があってこそ、スムーズな運転が可能なのだと教わった。しかし「遊び」が多すぎても危ないとも。

その時 なぜか私は、T 先生がくださった 朝の「数分間の猶予」を思い出した。

 

学校生活のみならず 社会生活においても、あまりに「きっちりしすぎた規律」に囚われると 息苦しさを感じることもある。 車に「遊び」がないと アクセルに軽く触れただけで急発進・急加速してしまい、事故のもとになってしまうのと同じように。

反面、あまりにルーズであってもダメになる。

「程良い寛容さ」を自分も持ちたいと思う。(なかなか難しいけれど)

そして、そんな社会ならいいなぁ…。

 

T 先生の穏やかな笑顔を懐かしく思い出しながら、こんなことを思う夜。

 

恋 あれこれ 

娘(仮の名「小焼け」)の友達Mちゃんが、「小焼けちゃんと 一緒に勉強する約束をしたのよ」と家に来た。幼稚園時代から知っているけれど、Mちゃんは会う度に素敵な女の子に成長している。

 

勉強の合間に 、Mちゃんが突然 言う。
「ねぇ、おばちゃん。小焼けちゃんに彼ができたの知ってた?」
「はい?」と私は驚き、娘の顔を見ると、素知らぬ顔でおやつを頬張っている。

 

Mちゃんは続ける。

「それがね、おかしいったらないの。小焼けちゃんが【 E 先輩に告られたんだけど、まだ付き合い始めてもいないのに、速攻で振られた】って言うのよ。で、スマホ(の文面)を見せて貰ったら、【小焼けちゃんが大好きだ。けど、受験もあるから付き合うのは無理かなぁ】とかあって、その後に【やっぱ、あきらめきれないんだけど…】と続いていたのよ。これって【付き合ってください】っていう意味でしょ? 告られて速攻 で振られてないよね? 小焼けちゃんったら、読解力なさ過ぎ~」。

 

私の産んだ娘が、「読解力なさ過ぎ~」と笑われている。 遺伝だわね。

 

母親に知られても、娘は平気らしい。「ふふふ」と笑いながら、また おやつに手を伸ばしている。

部活の先輩の E 君のことは、私も学校行事などで何度か見かけたことがある。ひょろりと背の高い、真面目そうな、感じの良い男の子だ。

「学年も違うのに、どんな風にして付き合っているの?」と尋ねると、自転車通学の E 先輩とバス通学の娘は、停留所1個分だけ一緒に歩いて帰るのだそうだ。(部活を引退した先輩と まだ部活がある娘では なかなか時間が合わないらしいが・・・)。

二人が楽しそうに会話しながら、ゆっくりと歩いている様子が目に浮かぶ。

 

Mちゃんはまだ続ける。「うまくいってるのは小焼けちゃんだけよ。この前『失恋した』と言ってた同じクラスのSちゃんは、情緒不安定になって 授業中にポロリと涙をこぼすし。性格の悪い女子と付き合ってたK君は『もう女なんか信じらんねぇ~』って ぼやくし・・・」。

 

『中学生の初々しい恋。可愛いいのぉ~、みんな』と私の中のおじさんが 顔を出して微笑む。

 

つい先日、ブログに「娘の恋バナが聞けるのは当分先のことだろう」と書いたばかりだったのに、予想外の展開の早さ。

そういえば、最近、娘が机に向かっている時間が 増えていた。
Mちゃん情報によると「小焼けちゃんは E 先輩と同じ高校に行きたいらしいよ」。
そうだったのか…。ひとつ謎が解けた。

私にとって持つべきものは、『陽気で情報通の、 娘の友達』。
Mちゃん、ありがと。


そして・・・・・・思う。
事故・災害・病気・(ましてや虐待などもってのほか)で失われた幼い命。
その子達の将来にも あったはずの  たくさんの可能性や喜び。
生まれ変わったら、笑いながら こんな  たわいもない恋の話が できますように(祈)