ひ、ひゃくまんえん! ( 2019年版 )

自分の記事に#タグを付けると、何か嬉しいことが起こるようです。(今頃 その話題? 汗)

1.《執筆コース》は私には敷居が高いので、2.《お手軽コース》にします。

過去記事にも付けられるとのことで、昨年のを引っ張り出して#を付けてみます。

 

早いもので、あのドタバタからもう1年経ちました。家族をびっくりさせることが大好きな母の楽しみを奪っては可哀相なので、今年も応募したのかどうかを まだ尋ねずにいます。(今年の発表は11月中旬らしいです)

で、この続きは 2020年版として、その内(いつになることやら)書くかもしれませんが、その節は 読んでやってくださると嬉しいです。

 

 

2019-11-05 ひ、ひゃくまんえん!(2019年版)

実家の両親が旅行のついでに足を伸ばして、我が家に立ち寄った。
ひとしきりお互いの近況報告や 旅行のお土産話が弾んだ後に、唐突に母が言う。
「100万円、ダメにしたわ」

 

そこに居た全員が驚きの声をあげる。  「ひ、ひゃくまんえん!」
同じ屋根の下に暮らしている父ですら 初耳らしく、一緒に驚いている。

「旅行中に落としたの? でも旅行にはそんなに大金を持ち歩かないよね?」「留守中に空き巣に入られたか、水漏れ事故かなにかで家財道具をダメにした?」「まさか、骨董品の偽物なんて買わないよね?」などと皆が口々に言う。

 

それ以外だとすると・・・私の脳裏に咄嗟に浮かんだのは、詐欺の被害に遭ったのではないか・・・ということだった。
しかし、母は「なりすまし詐欺、振り込め詐欺」の類いには慎重で、まず騙されそうにはない。 それどころか、このブログの「謎」に書いたように、犯人?(警察官?)を泣かせてしまったかもしれない。   ↓

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 その母から100万円もの大金を奪い取るとは、よほど あっぱれな話術だったのだろう。
どんな風に話を展開していけば 成功するのだろう・・・(いつの間にか 犯人サイドに立って思考している私)

 

皆の問いかけに母は答える。
「違うわよぉ。100万円貰い損ねたのよ」。

えー!! 貰い損ねた~? ということは、まさか、母が犯罪に加担してたってこと? 
いやいや、そんなことをする母ではない。ちょっと粗忽な所はあるが善良な小市民だ。
それでは、うっかりと「ネズミ講」式のものに手を染めてしまった? あるいは、言葉巧みに騙されて「受け子」か なにかをさせられた?
考えていくと冷や汗が出る。

 

「ふふふ」と、皆の驚きをひとしきり楽しんだらしい母は おもむろに続ける。
「あのねぇ、これに応募して、大賞の100万円を貰うはずだったのよ」
母はスマホを開いてHPを見せる。そこには「はがきの名文コンクール」の募集要項があった。 大賞は100万円、佳作は10万円とあった。

 

はい?? 「これに応募したの?」 「で、大賞はダメでも佳作は受賞したの?(していないらしい) 「必要な手紙ですら電話で済ませるような筆無精なのに、どうした風の吹き回し?」
また、矢継ぎ早の質問が飛ぶ。

「あ~たねぇ、考えてもご覧なさいよ。あの五木寛之さん達が読んでくださるのよ。すごいじゃない?  しかも、5分で書き上げたものが100万円よ。時給にしたら1200万円。 銀座のママより高くない?」 (母よ、なぜに銀座のママと同じ土俵に上がろうとする? あの方達は、美しさを維持するだけではなく、コミュニケーション能力・経営能力・スタッフ教育など、日々たゆまぬ努力を重ねて来られて現在があるのに、同じラインに並んで張り合おうとするなんて、 おこがましいんじゃないの? ←私の心の声)。 
結論:母はただ  欲にまみれていただけだった。

 

母は5分で書き上げた後、誰にも見せずに投函したらしい。
「だって、締め切りが当日(消印有効)だったと その日の夕方に気付いたんだもの、相談してたら間に合わないわよ。それに、みんなに相談して いろんな意見が出ると、私の意図するところと違うものができあがるじゃない? 私はね、自分の直感と感性を大事にしたかったの。(文豪か!?)」

 

父がぼそっと言う。「それでわかった(謎がとけた)」。
母は熱中症のニュースが流れる真夏日なのに、クローゼットから秋冬物の洋服を引っ張り出してあれこれ眺めていたとのこと。

それに、ある時期から そわそわと、自宅の郵便受けを 日に何度も覗きに行っていたらしい。その姿が大江健三郎さんの作品にでてくる「認知症のおばあさん」の描写にそっくりで・・・

父は 母が若年性認知症の症状が出たのではないかと心密かに心配し、機会を見つけて娘の私 (夕暮れ) に相談してみようと思っていたらしい。

 

結果発表は9月末に受賞者宛に郵送されるらしかった。

「遅くても10月初旬には結果が分かったはずなのに、どうして今まで誰にも言わずに黙っていたの? おしゃべりなお母さんがよく我慢できたねぇ」と尋ねると、「受賞辞退の方がいらしたら 繰り上げ受賞になるかもしれないじゃないの? そして、みんなが 100万円!と驚く顔を見るのが楽しみだったもの。話したくて うずうずしてたけど、ずっと我慢してたのよ」と母は言う。 

じっくりと推敲されたであろう ご自分の作品が 受賞との知らせを受けて 辞退する方はいらっしゃらないのでは?   しかも、なんで自分が補欠1番という設定になっているの?  クローゼットの秋冬物の洋服を品定めしていたのは、10月末の授賞式にどれを着ていこうか迷っていたためらしい.。(天井知らずの楽天家だ)

先日、インターネット上に受賞作品が掲載されたのを見て、母は遂に観念し 皆に報告したらしい。

 

どんな文章を書いて応募したのかと気になった。母は応募した はがきの写真を撮ってスマホに保存していた。皆で回し読みする・・・ふむ・・・う~む・・・。

小焼けが言った。「おばあちゃんの書いたのって、募集要項に書いてあるテーマに沿ってなくない?」 (テレビなら ここで「一同 どてっ!」となるところだ)

 

約2万7千通から選ばれたという作品を読む。 珠玉の作品揃いだ。 さすがです。 胸を打たれる。 5分で書き上げたものとは 文章のコクというか深みが違う。(お母さんごめん!) 

そして、受賞者発表があるまでの間、母のようにして待っていた人が27000人の中に 数名くらいは いらしただろうか・・・と思った。

 

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いちばん遠くまで行ける乗り物は、想像力かもしれません

GO TOトラベルキャンペーンで、旅行を楽しまれる方が増えているようです。私も機会があれば (条件が整えば)  出かけてみたい気もしますが、残念ながら 今のところ予定が立ちません。 

『いちばん遠くまで行ける乗り物は、想像力かもしれない』という言葉が浮かびます。「そうね、想像力を駆使して楽しもうかな」 と思ったりもします。

 

「想像力」といえば・・・、過去記事に マっ (id:patorearobot)さんがコメントをくださいました。とても温かいコメントでしたので、ご本人のお許しを得て ここに ご紹介させていただきます。 

 マっ (id:patorearobot)さんのコメントより  ↓

★【僕は、出会った人の向こう側を想像します!
どんな道を歩いてきて、どこへ向かっているんだろう?って。
一生懸命な人に出会うと、思わず応援したくなっちゃいます。声を掛けることができなくても、心の中でエールを送っています。すると、自分もがんばりたくなる不思議がヤってきます!
想像力はエールを送り合える乗り物なのかもしれない。と想像してみる☆】★

 

マっさんのコメントを拝見して、私も 10 歳の少女 MIO ちゃんとご家族、そして「チームねこすけ」の皆さんにエールを送りたくなりました。

Web絵本『ねこすけのぼうけん』はとても楽しい絵本で、原案・キャラクター設定担当のMIOちゃんの 柔らかで 壮大なスケールの想像力に拍手喝采です。冒険がスタートするのは なんと!押し入れから。 私も物語の中に入り込んで、「次はこういう展開かな?」と想像してみるのですが、ページをめくると それを遙かに超えた展開が待っていました。(こういう発想力・冒険心を、私はどこに置いてきてしまったのでしょう・・・)

 

読み終わってすぐに「ブログでご紹介したいなぁ」と思いましたが、なかなか実行に移せずにいました。今回のマっさんのコメントに勇気をいただき、思い切って 「チームねこすけ」の皆さんにお願いしたところ 快諾してくださいました。嬉しく思いつつ ご紹介させていただきます。 

detchkun.wixsite.com

 

「チームねこすけ」のお一人、あずきさんがお書きになった『ねこすけのぼうけんが生まれた経緯』も併せてご紹介します。(あずきさんも丁稚くんも、インターネットを通しての私の友人です。出会ってから 2 年半近く 仲良くしていただいています) ↓

★【MIOちゃんは脊髄性筋萎縮症という難病で呼吸器をつけています。今、小学校 4 年生です。

小学校入学前にひらがなを覚えて、文字盤で意思疎通もしっかりできます。ぬいぐるみに名前をつけたり、自分で考えたキャラクターを絵にしてもらうのが得意な女の子。

 ある日「白い猫と、だるまと、こけしを描いて」と言いました。

その三人はどこにいるの?と聞くと「おしいれ」と言います。  

知り合いのイラストレーター、でっちくんに「そういうわけだから絵を描いてくれる?」と頼んだところ「物語にすればいいんじゃない?」と快く「ねこすけのぼうけん」web絵本を作っちゃいました。 

物語の登場人物や名前、冒険のエッセンス。隠れキャラクターのオバケなど。

文字盤で発信されるMIOちゃんのイメージは、尽きることがなく。どこでこんなことを知ったのだろう?と驚くことも多々ありました。

大きな瞳をくるくるさせて、今日も想像の翼を広げています。

ご家族が「自分たちだけで楽しむのはもったいない。みんなに見てもらいたい」とのことで公開させていただきます。】★

 

MIO ちゃんが 1 歳 10 か月の時から、訪問看護をされている あずきさんは おっしゃいます。「生まれた時から自分で動くことが出来なくても、ネットで知り得た知識と想像力に翼をつけて羽ばたいている MIO ちゃんが愛おしいです。MIO ちゃんと関わるようになった時から、コミュニケーションの方向性を模索していました。今は視線入力や文字盤という手段で自分の意思を伝えています」。

MIOちゃんにずっと寄り添って来られた 訪問看護師としての あずきさんの熱意と、お人柄の温かさが伝わってきます。

 

『ねこすけのぼうけん』に続き、このWeb 絵本には 第 2 話『双子馬の星月夜』が加わっています。

ストーリーの楽しさと共に、イラストレーター丁稚くんの描かれる 二頭の白い馬の たたずまいがとても素敵です。馬の姿の美しさと共に、平原・夜空・森・湖などに使われている青や緑の繊細な濃淡も素晴らしくて、いつまでも眺めていたい思いがします。こちらの 2 話はまだお話の途中とのことで、私は「猛毒の湖にそびえ立つお城の中に消えて行った 金色のタテガミを持つ馬はどうなったのかしら?」と、はらはらドキドキしながら 今後の展開を待っているところです。

 

想像力について改めて考えます。書物を媒体にすれば、時空を超えて飛んで行けますし、想像力を「他の人の心」に向けることだってできます。 人は、他の人と同じ経験をすることはできないけれど、想像力を使えば 心に寄り添えるのではないでしょうか。 私も、自分の境遇とは違う 社会のさまざまな立場の人への想像力を見失わないよう、心に留めておきたいと思います。

 

☆ 体はここにあっても、心は自由自在にどこへでも駆けて行けます。 MIOちゃんの世界がますます楽しく広がりますように(祈)

 

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これが「日常」って・・・

ショッピングモールの駐車場から建物に向かって歩いていると、少し前を 2 歳前後くらいの女の子が、凄い勢いで入り口のドアに向かって走って行く。この年齢にしては動きが素早いことに感心しつつ その姿を目で追う。転ばないようにねぇ。

ふと気付く。脚が短い分、ちょこちょこ ちょこちょこと 踏み出す足の回転数が多い・・・。かみ合った大小の歯車の「歯数」と「回転数」の関係だわね。(一生懸命走っているのに、こんなこと言ってゴメンね)。

その女の子は、入り口の 消毒用ボトルの置いてある所に着くと、つま先立って 両腕も めいっぱい伸ばした。おっ! 消毒をするのね。でも、消毒用ボトルは彼女の遥か頭上にある。後ろを小走りで付いてきたママに抱っこされ、消毒をしながら満足そうに笑っている。可愛いなぁ・・・。たまたま そこに居合わせて 彼女の一連の動作を目にしたおとな達も笑顔になる。


それにしても、こんなちっちゃな子が『消毒が日常』になっているのね。そして、今年生まれた赤ちゃんは、自分を覗き込んだり、抱っこして「かわいい!」とか、「あらあら、お腹がすいて泣いてるの?」とか「お風呂にはいりましょうね」などと言ってくれるのは『マスク姿のおとな』。それも『日常』なのね。

 

コロナよ、コロナ、飛んでけ~! 

この子達に「あの頃は大変だったのよ」と笑って話せる日が 早くきますように(祈) 

 

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あれこれと想う

★ 町内会の用事でご近所さん宅へ伺うと、「夕暮れさん、コスモス持って帰る?」と言われた。「ちょっと待っててね」とお庭へ。そして、たくさんのコスモスに吾亦紅を添えて 立派なブーケにしてくださった。

わぁ、嬉しいなぁ。帰宅して 祖母の写真の前に飾る。戸外で 青空を背景にして風にそよぐコスモス達は素敵な情景だけれど、こうして、微笑む祖母 (の写真)と一緒のコスモスも愛らしい。ご近所さんの優しさにありがとう ♪

 

★「私ね、目薬がさせないのよ。先端恐怖症だからね」と唐突に職場の同僚が言う。えっ!? 長い付き合いなのに初めて耳にしたわ。彼女にしてみれば「わざわざ言うほどのことでもないけど、今回 たまたま話の流れで言っただけよ」という感じだった。

そういえば、音楽友達 A さんが話の中で何気なく言われたことがある。「私、なかなか眠れなくてね」。彼女の周りに集う人達に、いつも明るさや 心和むひとときをくれている A さんが、不眠症の辛さを抱えていらっしゃることを初めて知る。仕事も多忙そうだし、眠れなかった翌日はしんどいでしょう・・・。

最近、訪問させてもらうようになった N さんや M さんのブログは、優しさと ユーモアとウィットに富んでいて魅力がある。過去記事も遡って拝読していると、N さんは学生時代に辛い体験をされたらしい。そして M さんはパニック障害に苦しまれた時期もおありだったとのこと。ご本人にしかわからない症状は さぞ 辛かったことだろうと思いを馳せる。 

また、 以前から、更新を楽しみにして読ませていただいているブログも多い。周りの人達や戸外の草花などに注がれる優しいまなざしが伝わる日もあれば、職場のこと・ご家族の介護・ご自身の健康のことなど綴られる日もある。

Aさん・Nさん・Mさん・私の職場の同僚・ブログやツイッターでお知り合いになった方達は どなたも明るい雰囲気をまとわれているけれど、内にさまざまなものを秘め、心身の不調とも折り合いをつけながら、懸命に歩んでいらっしゃるのだなぁ、と改めて思う。

 

『人生って そもそも自営業だからね』( みうらじゅんさん ) の言葉が浮かぶ。それぞれに かけがえのない、誰とも交換することができない自分自身の人生。

そういえば、先週「私、コロナに感染した?」と不安に駆られていた時、毎日発表される感染者数を目にして思った。「もしかしたら、この 8 万 6千 数百人という数字の中に『1』として私も加わるの? だとしても、『 8 万 6 千数百分の 1 』ではなくて、私の人生は『 1 分の 1 』よね? 世界の感染者でみれば、 3581 万という数字の中にも一人一人の大切な人生があるのにね。

 

 

★ 先日、新聞の歌壇に載っていた短歌と、選者の永田和宏さんの言葉を目にし、驚くと共に胸がいっぱいになった。

観音寺市)篠原俊則さん【闘病の歌詠む住持の名を長く見ぬまま虫の鳴く頃となる】

永田和宏さん【篠原さん、岡田独甫さんは 5月 1日にご逝去。案ずる歌が多く寄せられています】

 

岡田さんのことは、以前に私もブログに書かせていただいたことがある。 ↓ 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

  

歌壇にたびたび登場される 僧侶の岡田独甫さんの詠まれる歌は、世情をしっかり見つめられ、尚且つ、おおらか・ユーモラスで 魅力的だった。

 

核兵器持つ大国も0.1ミクロンの敵にあたふたしをり

☆ 檀徒よりしばしば魚を貰ふためホームセンターで「ウロコ取り」買ふ

☆ 流行せるコロナウイルス警戒し亡父の年忌に長子のみ来る

☆ 庫裡の電話早朝鳴りて身構ふる死者出でたるに相違なければ

☆ 親の死期宣告されし子寺に来てその日の前後の予定を尋ぬ

☆ 呆(ほう)けたる爺が葬儀後僧われに「儲(もう)けたのう」と声を掛けくる

 (※ この歌のみ『番外地』として採用。『番外地』とは『入選はしなかったが、捨てがたい可笑しさをもった歌であり、これらの笑いは現実を笑いとばす元気や挑発力があるのが楽しい歌』とのこと)

☆ 元の値は適正なりしや売れ残りお歳暮商品半値で並ぶが

☆ 競争心老いにもありて級友が認知症検査の得点誇る

☆ ステージは吾と異なれど同じガン病める檀徒と相哀れめり

☆ ガンを病み先わからねど来年も忘年会を子と開きたし

 

選者のお一人である 馬場あき子さんは 以前に【 ( 岡田さんの ) いかにも洒脱(しゃだつ)な、そしてあからさまな自己暴露を、敬意とともに愛するファンの方も多い】と記されている。

人生の途中からは病を抱えながらも 大事な生を生きられた岡田さん。ご冥福をお祈り致します

 

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微熱と 倦怠感

先週、日中は暑かったのに、夕方から夜半にかけて冷え込んだ。秋冬物は週末に入れ替えるつもりだったので、「その時までは ま、いっか」と思っていた。すると、夜が更けるに連れ もっと冷え冷えの感じがしてきて「これ、もしかして風邪をひく?」とは思った。案の定、翌日 目覚めると喉が痛い。微熱もある。だるい。「あー、やっぱり風邪をひいてしまった」と反省する。

 

喉の痛みは 1 日で取れたけれど、微熱と だるさが残っている。急いでクローゼットの中を秋冬物に入れ替え、暖かくして安静に過ごす。「これで (今までと同じように) すぐに治るはず」と思っていたのに、数日経っても微熱と倦怠感は相変わらず。「あら?こんなに長引くなんて、私にしては珍しい。もしや、コロナ?」と不安がよぎる。

報道によると、『さっきまで微熱だった人の容体が急変し、病院に搬送された時には 呼吸困難など重篤な状態になっている』場合もあるとか。TVで見たコロナの患者さんが入る病室の情景が脳裏をよぎる。広いけれど 必要最低限のものだけが置かれた無機質な病室。感染の危険を考えると、ドクターや看護師さんもそう頻繁には訪れてくれそうにない。気持ちを和ませるお花なども持ち込めないだろう。ひとりぼっちでここ?

想像していると急に辛くなる。このような状況で、呼吸器の助けを借りて何週間もコロナと闘い続けられた方達に思いを馳せる。

 

私も 容体が急変した時の為に、家族に伝えておかねばならないことを箇条書きにしてみる。結構あるなぁ。微熱・倦怠感があったはずなのに、なんか急にやる気が出てくる。(火事場のなんとやら?)

生活関連のことを一通り書き終えた後に、「万一のことがあった場合」も想定して、家族や友人にもメッセージを残したくなる。ベッドの上でそんなこんなをしていると、じわじわと哀しさがこみ上げてくる。

実家の母は、6 月に自分の母親を見送ったばかり。娘の私まで この母より先に旅立つわけにはいかない。ゆるやかにではあるけれど、物忘れが出始めている実家の父や、義父のことも心配。娘の小焼けもまだ 14 歳。もう少し長く成長を見守りたい。コロナだったら、職場の同僚達に感染させることはできない。有給休暇も残っているし使おう。

 

かかりつけ医に電話をして受診する。「う~ん。感染していても無症状の内に治ってしまう人もいるしねぇ。一概には言えないけど、夕暮れさんは大丈夫なような気もしますよ」とおっしゃる。指定医療機関等で検査を受けるには手続きや条件がなかなか大変らしい。自費診療で PCR 検査や 抗体検査をしてくれるクリニックもあるらしいけれど、かなりの高額。もう少し様子をみましょうとのこと。いつもながら、丁寧に話を聴き、説明をしてくださる かかりつけ医の先生に感謝。

 

昨年までなら「季節の変わり目に風邪をひきました」で済んだのに、今年は「もしや、コロナ?」の心配が加わった。『同じような思いや体験をされている方達が 全国には相当数いらっしゃるのだろうなぁ・・・』と思いつつ、ドクターの言葉に ほっとして、病院の帰り道に、いつものよりは高級なプリンを買った。プリン好きなのです(この情報、要ります?)

 

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生蜂蜜を勧められても、文房具店に行っても

先日 美容院に行った時に、生蜂蜜を勧められた。ハンガリー産で非加熱・無添加とのこと。加熱されたものと比べて栄養面や効能などの違いがどれほどあるかを、新人の美容師さんが 熱心に説明され、「試食もどうぞ」とスプーン一杯分 差し出される。想像していたよりも さらっとしていて 甘過ぎず 美味しい。

「ん? 美容室でどうして生蜂蜜?」と思いもしたけれど、『食事も摂れなくなっている祖母も、この生蜂蜜なら口にできるかもしれない』と脳裏に浮かぶ。そして次の瞬間に気付く。『ああ、もうおばあちゃんはいない・・・』

 

毎年 9 月の声を聞くと、『敬老の日に何を贈ろうかな』と思う。寄せ書きをする素敵なカードを探したり、喜んでくれそうなプレゼントを、あれこれと皆で探すのが楽しみ。もういろんなことがわからなくなっていた祖母だったけれど、綺麗にラッピングされたプレゼントを受け取ると、目をくりくりとする ( ← 驚いた時や 嬉しい時の 祖母の癖 ) ように、笑ってくれた。

今年も文房具店でカードを探そうとして、「ああ、おばあちゃんは、もういないのだった・・・」とまた気付く。

 

お医者様が「今晩が峠かもしれませんね」と私達にそっと告げられても、祖母はそれから数日間、お別れをしたい者が全員揃うまで頑張って待っていてくれた(ように思える ) ので、いよいよ この世の息が絶える時にも 私達は皆 傍にいることができた。コロナ禍で、窓越しにしか会えなかった時期が長かったのが心残りではあるけれど、 危篤状態になってからは、施設の職員さん達のお心遣いで、他の方達とは別の入り口から 祖母の部屋に入り、話しかけたり 手を握ることもできた。葬儀も 49 日の法要も済ませた。今では、「おばあちゃん、安らかな旅立ちだったね」と話したりもしている。

 

それなのに、なにかある毎にこうして『あ、これ、おばあちゃんに』と咄嗟に思ってしまう。改めて寂しさがこみあげる。ひとつの命の ともしび が消えるということは、こういうことなのだろう。 

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眠れぬ夜に 古老に会いに行く

寝付きは良い方なのだけど、時折 寝そびれてしまうことがある。そんな時、羊の数を数えたことがあった。 ( ↓ 昨年の twitter & ブログより )

珍しく寝付けない夜、羊の数でも数えようと思った。 NHK朝ドラ 『夏空』 の舞台になった北海道の広々とした牧場を思い描く。吹く風も心地良い。その牧場の柵を羊が跳び越えるのをイメージする。

羊が1匹、

羊が2匹、
 ・
 ・ 

羊が次々とやって来て、軽々と柵を跳び越えて行く。可愛い!

  ・

 ・

 わっ、うそっ! 集団で来た!! 
集団の奥にいる羊も 数え落とさないようにと 必死になる。
余計に目が冴えて 眠れないじゃないの・・・。

 

 

以前にそんなことが ↑ あったから、昨晩は もう羊の数は数えないことにした。灯をほの暗くし、静かな音量でお気に入りの曲を流している。アロマもかすかに香っている。他に何か良い方法がある? う~ん。どうしようかなぁ。

ふと脳裏に浮かぶ。そういえば・・・心を穏やかにして眠りにつける方法を 何か ( 新聞? 雑誌? TV? DVD? )で見聞きしたことがあった。記憶の糸を手繰り寄せる。

『どんなに文明が発達しても、人間には元来の動物本能が残っているから、自然に戻りたくなるときがある。そういう時には 森の奥深くに入り込み、川のせせらぎをイメージし、木々を揺らす風を感じ、古老に会いに行こう。』← 記憶があやふやで著者 ( 作者 ) に失礼だけど・・・ 

 

私はベッドの上でイメージを膨らませ、森の奥深くに入り込む。茂った木々の枝が日を遮っている。遥か遠くの上流から流れ来る水の透明さ。心地良いせせらぎ。湿り気を帯びた深緑色の苔が、大樹の幹や根元を覆っている。頬や髪を撫ぜていく風が優しい・・・・。なかなか いいじゃない? なんか落ち着く。眠りに落ちていけそう。

 

突然、『ん? これから古老に会いに行くの?  古老って? 仙人とは違うよね?』という疑問が湧き上がる。このままイメージを膨らませていけばいいものを、気になって起き上がる。折角の静寂な世界が一気に現実に戻る。分からないことはすぐに調べなければ気が済まない性格には困ったものだ。(その割にはすぐに忘れるけどねぇ)スマホを取り出して、検索欄に単語を入れる。

★古老・・・・・・老人。特に、昔の事や故実に通じている老人。

★仙人・・・・・・ 俗界を離れて山中に住み、不老不死で、飛翔(ひしょう)できるなどの神通力をもつといわれる人。

 

ふ~ん。そうなのねぇ。 古老って、ビジュアル的には 長~い白髭をたくわえて 杖をついたお爺さんというイメージがあったけれど、それは仙人? 古老とは もっと身近な物知りのお爺さんなの? 仙人なら深い森の奥に一人で住んでいても似合うけれど、古老だと「家族を置いて森の中に?」なんて余計な心配が頭をもたげる。

『ところで、 古老と長老とはどう違うの?』。またまた検索。あら 『老大家』という聞き慣れない言葉も現われた。

長老・・・・・・経験が豊かで、指導的な立場にある老人。

老大家・・・・・・その道にすぐれ、権威のある老人。

 

う~む。やはり私を待っていてくれる人は古老? 仙人だと浮世離れしていて、他人のことに構ってくれそうにないけれど、古老なら寄り添ってくれるような気もする。薄れた記憶によると、『( 会いに行くと)古老はあなたを包み込み、安心感を与えてくれるでしょう』と続いていたように思う。

 

深い森の中で古老に会って、私は幸せな気持ちになるのだろうか? 無理やり その状況を思い描いてみるけれど、深い森の中には 古老以外には人の気配が全くない。 なんか寂しい・・・。忙しい日々が続くと ( 好きな音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごすような)自分だけの時間が欲しくなってくるけれど、かといって、このように森の奥深くで独りぼっちは寂しい。家族や友との語らいが恋しくなる。

 

ううん、以前に目にした本?(新聞? TV ?  DVD ?)は、たぶん、ほんのひとときでも現実から離れて、精神を解き放つ方法を伝えてくれようとしていたのよね?

それなのに、こんなに脱線して妄想を暴走させていたら、余計に目が冴える。困ったもんです。

 

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