こ、これは・・・? 自滅の刃?

実家の父から、孫娘の小焼け宛に LINE が届いた。「刀のカレンダーを貰ったけど、小焼けちゃん、いるかな?」

 

「刀」といえば、『鬼滅の刃』。 小焼けは大喜びして「おじいちゃん、欲しい! ちょうだい!」と返信をした。でも届くのが待ちきれないらしく「どんなデザインなの? 早く見たいよ。先にカレンダーの写真を LINE で送って~」と頼んだ。

 

送られてきた 1 枚目の写真を皆で覗き込む。おお! 1 月はさすが新しい年の始まりにふさわしく、刀のアップで始まっている。見事だ。

次に送られてくる 2 月は、炭治郎や禰豆子ちゃん? それとも・・・?と話しながら待っていると、あら? 次も刀だけのアップ。有名な名刀らしく説明もついている。ほぉ~。

 

ということは・・・。3 月は? ちょっと胸騒ぎ。

小焼けが急いで電話をかける。「おじいちゃん、写真を撮る前に、カレンダーを 12 月までめくってみて。『鬼滅の刃』のイラストは入ってる?」

おじいちゃん:「ん? 12 月まで全部、刀だよ」

 

実家の父は始めから「刀」のカレンダーだと言っている。

「刀」を「やいば」と読んで、勝手に『鬼滅の刃』だと勘違いしたのは、小焼け。

 

小焼け:「おじいちゃん、ごめん。やっぱ、いらないよ」

おじいちゃん:「そうか、いらんか・・・。そんでも、紙質は上等で、艶もある立派なカレンダーだよ(それって、フォローになってます?)」

 

刀というものは、時代を遡って いにしえの武将達を彷彿とさせる。名刀に魅力を感じる方達もいらしゃるのだろうけれど、小焼けにとっては猫に小判

かくして、そのカレンダーは『自滅の刃』?となり、実家に留まることとなった。

おじいちゃん、ごめん!

 

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孤独? 孤独でない?

家の中の細々したものを片付けながら、録りためた TV 録画を早回しで見る。 

あらら、ドラマの主人公が声高く叫んでいる。インターネットを利用し、SNSで繋がっている人達のことを批判しているようだ。私は片付けの手を止め、録画のスピードを元の速さに戻して、もう一度主人公の言葉に耳を傾ける。ストーリーの展開からすると、辛辣な内容は 全てが主人公の本心ではないにしても、彼女が言っていることには一理あるように思える。

だけど、だけど・・・「そんなに語気を荒げて怒んなくてもいいじゃない・・・」と、ブログ・SNSユーザーの一員である私の心が気弱に反論する。気弱にしか反論できないのは、どうしてかしら?

 

そういえば、以前に読んだ文章が、消化しきれないまま心に残っている。

【真夜中、携帯で話しながら通り過ぎてゆく声を見送りながら、彼もしくは彼女は孤独なのか、孤独でないのか、判らなくなる】随想集『人生のレシピ』 神崎繁さん (古代ギリシャ哲学研究者 )

 

時は真夜中。道を歩きながらでも話ができるし、SNSで何か語れば すぐに誰かが応えてくれる。そんな便利さが逆に人の寂しさを増幅させるのだろうか?  見方を変えれば・・・深夜に呼びかけても受け容れてくれる「友達」がいるということ? それすらも錯覚?

 

ドラマの主人公の言葉と、神崎さんの言葉をオーバーラップさせながら、彼もしくは彼女は ( 或いは私も?) 孤独なのか、孤独でないのか、判らなくなる。

 

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音楽されど音楽

YouTubeで見つけたこの映像、いいなぁ。カロリーナちゃん ( 撮影時 11歳。ウクライナ出身 ) のバイオリン演奏の技量に感嘆すると共に、聴いている幼い子達が 路上で踊り出し、全身で楽しさを表現している様子に引き込まれる。可愛いなぁ。音楽っていいなぁ。 見ている私も、周囲のおとな達と同じように画面の中に入り込んで 笑顔になる。 ↓

 

子ども達といえば・・・、遥か昔、娘の小焼けをベビーカーに乗せて 夫と3人で出かけた公園の情景を思い出す。

その日は屋外ライブが催されており、世界各地の人々が民族音楽を奏で ダンスをしていた。観客は三々五々 思い思いの場所に座り、たまたま通りかかった人は足を止めて眺めたりという自由さだった。ステージ下の子ども達がリズムに合わせて踊っている。踊るというよりは身体が自然と動いている感じ。まだ幼い子達は、頭を上下左右に振り、膝を曲げ伸ばし、両腕を振リ回して楽しげだ。幼いのでワンテンポ遅れているのもまた愛らしい。

 

私達もステージ近くまで行くと、突然、小焼けが「おー、あー」と大声を発した。見ると、ベビーカーの中で ニコニコしながら、むちむちとした あんよを ぴょこぴょこと上下に弾ませ、同時に両手の指をバラバラに動かしながら両腕も振っている。全身が とてもご機嫌 「小焼けちゃん、楽しいねぇ」と声をかけると、更に張り切って 歌うがごとくに声をあげ、身体を揺らす。まだ言葉も話せない赤ちゃんが、音楽を聴いて楽しさを身体全体で表現している。

その土地に根付いて伝承されてきた民族音楽って 不思議な魅力がある。思えば、まだ楽器も譜面もない大昔から、人々は何かにつけて 手足でリズムを刻み、歌い踊ってきたのだろう。これが音楽の原点なのかしら?

 

ネットで弾き語りライブをなさる Aさんが時々言われる。「仕事が忙しくてね、疲れているから早くお風呂に入って寝ればいいのに、何はさておき 歌いたくなっちゃうのよ。歌うとすっきり疲れもとれる感じなの」。

以前 TVで「安らぎ・癒やし」についての特集があり、その中に『歌うことでも セロトニンが分泌され 心地良くなるか?』という実験をしていた。被験者の頭につけた装置で アルファ波 セロトニンが増えると反応するを測定すると、歌う前や間奏中は 500 だったものが、歌い始めると 3000 まで上昇していた。すごっ。

・・・ということは、Aさんが 言われることは 理に適っているのねぇ。聴いているだけの私達でも「はぁ~、癒やされる~」という感覚になるのだから、セロトニンは聴く側にも分泌されているはず。(就寝前に ライブ録音を聴くのが楽しみな私の1日は、Aさんのお陰で こうして穏やかに終わっていく)

 

ここまで書いてくると「音楽っていいなぁ」と締めくくりたくなるけれど、歴史を遡ってみれば、ナチスワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し ユダヤ人を迫害したとされていることが脳裏に浮かぶ。日本でも(一例として、朝ドラの中で)戦争が終わった後に「軍歌で若者を高揚させ、死に追いやってしまった」と主人公の作曲家が悩み、長い間 作曲できない精神状態に陥っていたことを思い出す。当時はナチスも日本も「善きことをしている」として疑う余地すらなかったのだろうけれど。

 

「音楽の力」とはよく耳にする言葉だけれど、「安らぎ・楽しさ」と「怖さ」の両面を持っている。願わくば、前者のみであって欲しいけれど。う~む。この続きは いずれまた。(書きかけてはみたのですが、まとまりません。「いずれ」って いつになることやら・・・。ぼちぼちとブログを続けながら 長生きしていれば書きたくなる日がくるかもしれません) 

 

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深夜に突然問いかけられる。「プライドってなに? なによぉ~?」

先日、喪中はがきを作りながら、大好きな友の弾き語り(録音)を聴いていた。『 ♪ だけど今は ♪ あなたへの愛こそが ♪ 私のプライド ♪ 』・・・伸びやかで優しい歌声が心地良い。

ん? プライド? この言葉は 何かをきっかけにして 時折 私の心にふっと浮かび上がってくる。

 

時をさかのぼること、およそ 20 年前の学生時代のこと。サークル仲間の のぶちゃんが深夜に突然電話をかけてきた。「夕暮れちゃん、プライドってなに? なによお~。プライドって・・・」。そう言って、電話口の向こうで のぶちゃんは泣いた。 

当時、のぶちゃんには大学 1 年の時からずっと付き合っている彼がいた。交際を始めて3 年目に入った頃で、たまには喧嘩もしていたけれど、ほどなく仲直りするのが常であった。傍から見ても相性の良さげな、お似合いの二人だった。

 

でも、その晩は今までになく深刻そうに思えた。

『彼との間に何があったのだろう?』と心配になったけれど、のぶちゃんが自分で語る以外のことを 私は尋ねなかった。耳を傾けながら、断片的な言葉を繋ぎ合わせ、のぶちゃんが伝えたいことを推し量ろうとしたけれど、「プライドってなに?」の問いかけに応えることは難しかった。そして『あんなに仲良かった二人に 別れ が来るのだろうか・・・』と切なくなった。

 

時は流れ 紆余曲折を経て、のぶちゃんは その彼と結婚した。結婚式での 二人の幸せに満ち溢れた笑顔を見ながら、私も嬉しかった。 

それから更に年月を重ね、現在に至るまでの間には 「あんな男、いつか棄ててやるわ」と LINE が届くこともある。顔を真っ赤にして怒っているスタンプが添えられている。 

(その時の様子は ↓ こんな感じです) 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

  

20年前に のぶちゃんが口にした「プライド」って、何を意味し、どんな含みを持っていたのだろう。

辞書には『誇り。自尊心。自負心』とあるけれど、人の思いってそんなに明確に言い切れない気もする。『ここから先は口にしない、行動しない、という踏みとどまる気持ち』とか『恥知らずなことはしない、という気持ち』みたいなものも 微妙にブレンドされているような。 ん? でも 結局 これらは『誇り。自尊心。自負心』という言葉に集約されるのかも。 そう考えていくと、『舟を編む』人達はすごいなぁ。簡潔にここまで まとめられる。『辞書は言葉を渡る、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」なのねぇ。(と、思いが どんどん逸れていく)

それから・・・、のぶちゃんの心は あの時 何と闘っていたのだろう。本人は忘れてしまっているかもしれないけれど・・・。20年経っても私はまだ 時折 考える。

友の歌声を聴きながら、そんなことが思い浮かんだ夜。

 

反省:

今年のカレンダーが残り 1 枚になって、何かと気忙しいのに、ぼんやりと こんなことを考えたり、急にブログを書き始めたりして、我ながら ひどく燃費の悪い性分だなぁ・・・。  

明日はがんばるよ。すんごく がんばるつもり。たぶんね・・・

 

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結果がわかって、日が暮れて

「はがきの名文コンクール」の入賞者の発表があった。今年は娘の小焼けも こっそりと応募した気配がある。2 万 5 千分の 1 の確率を新聞紙上で探す。う~む。 母と娘の名は、予想通り (二人ともごめん!) 、ない。

 

二人は どんな「願いごと」を書いたのだろう? 

小焼けがスマホに保存していた応募葉書の写真を見せてくれた。あら? いつも のんびりしてる風なのに、こんなことも考えてたのねぇ・・・。読みながらじ~んとくる。

「これ、なかなか良いんじゃない? もしかしたら、最終選考の辺りの もうひとつ手前の、更に一歩前(どこやねん ? くらいまでは残っていたのかも知れないよ(← 本気でそう思う親バカっぷり)」と言うと、「こっちのは出さなかった」と答える。

私:「えー!どうして? 小焼けの気持ちが素直に表現されてて、とても素敵だなぁ、と母さんは思うけどねぇ」

娘:「思ったまんまを書いたけど、できあがったのを読み返してみたら、なんか照れた。 でねぇ、出すのはやめて、こっちの方を応募したよ」

 

ほぉ、2 枚書いたのね。どれどれ。こちらはお笑い系だ。「オチがイマイチですなぁ」と私の中のおじさんが顔を出す。すると、「お母さんのオヤジギャグを いつも聞かされてる悪影響が出たのかなぁ」だって・・・。

悪かったわねぇ。  以上。

 

私:「投函する前に家族に相談するか、2 枚とも出してみればよかったんじゃない?」(と投函しなかった方の葉書のことを思い、あきらめ悪く言ってみる)

娘:「発表まで黙っていて、突然『 100万円 貰った!(←『大賞』と言わず、賞金額を言うところが、祖母に似ている)』と言って、みんなの『わぁぁぁぁ!』って驚く様子が見たかったんだもん。それに、相談したら 私が言いたかったことと違ってくるかもしれないしね」

そっか。気持ちはわかる。 でも、発想の至る所が おばあちゃん(私の母)に似ている。 恐るべし、遺伝と環境。 

 

「 ( 入賞を逃した仲間の) おばあちゃんを慰めてあげよう」と小焼けが言いだし、電話をかける。

母:( 唐突に)「 4 月に応募したシャープのマスクが 今頃になって当選したのよ」

小焼けと私:「はい? はがきの名文コンクールと何か関係があるの?」

母:( 私達の質問にはお構いなしに、更に続ける )「マスク販売開始のニュースを見て、即、応募したのに、11月になるまでずっと外れてたのよ。それが この前、突然当選メールが来たの。この頃は マスクも 3 分の 1 くらいの値段で手に入るようになったけど、今年始めのマスク不足の中、いち早く国内生産を始めたシャープの心意気に敬意を表して 購入することにしたのよ」

小焼けと私:「うんうん。マスクのことは快挙だったし、最近は『曇らないフェイスシールド』も開発したし、シャープは すごく がんばってるよね」 ( 私共の身内にシャープ関係者はおりません。念のため)

母:「うん。で、マスクの方は応募総数 908 万人で、当選倍率が 104 倍だったんだって・・・。あ~あ、私、ここで『運』を使っちゃったのかも~」

小焼けと私:「えっ!? はがきの名文コンクールって『運』なの?!」 (絶句)

 

 

追記:母は反省したのだそうだ。「わずか  4 分か 5 分で書き上げたものを、審査員の五木寛之さん・村山由佳さん・齋藤孝さん始め、審査員の皆様に読んでいただくのは失礼だったかしらねぇ」。( 昨年の応募から 1 年も経って、今頃 気付きます?) 

「だからね、来年は締め切り直前じゃなくて、常 日頃から もっと周りや自分に向き合って 感じたことをメモして、時間をかけてまとめることにする」

(おっ、素敵な反省 ♪ がんばれ~)

 

 

 ↓ 写真は、長い間 病気と闘っているネット友達へのお見舞いです。

花の香りも、メロンの味も伝わらないけれど、せめてもの応援の気持ちとして。

今年も残り少なくなりましたので、そろそろ 私も心を入れ替えて、「全快祈願の壺はいかがですか?」なんて、不謹慎な冗談は言わずにおこうと思います。

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ひ、ひゃくまんえん!!(2020年版)

『はがきの名文コンクール』の受賞者発表日が迫っている。インターネットや新聞紙上では 今月21日らしいけれど、その前に受賞者には連絡があるはず。

母は今年も応募したのだろうか?人を驚かせることが大好きな母が まだ何も言って来ないところを見ると、応募しなかったのかしら? それとも、未だに通知を待っているのかしら?(こちらの可能性の方が遥かに高い)・・・・・・ふむ。

 

せめて応募した気配があるかだけでも、父にそっと聞いてみることにする。

私:「熱中症にかかりそうな真夏日にもかかわらず、お母さんは秋冬物を引っ張り出して眺めてた?」(秋の授賞式に着て行く洋服の品定め)

父:「いや、そういうことは、してなかったよ」

(私の心の声:応募しなかったのかなぁ)

 

私:「郵便受けを何度も覗きに行ってた?」

父:「そういえば、行ってたなぁ」

(私の心の声:やっぱ、応募した?)

 

私:「電卓で 桁数の多い計算をしてた?」(時間給を計算)

父:「家計簿らしきものは つけてるけど、桁数まではわからないなぁ」

(私の心の声:う~む。判断できかねる)

 

父:「そういえば、外付け HD に保存してある写真を拡大して、どれが一番いいかと 相談してきたよ」

私:「えっ、それってどういう意味なの?」

父:「どういう意味だろうなぁ」

(私の心の声:もしや、もしや、佳作にでも採用してもらって、写真が必要になった? それとも、祖母の葬儀の後に『おばあちゃんは、自分の葬儀用の写真を随分前から用意していたけど、これって残された人に手間をかけなくて済むから、大事ね』と言っていた。もしかして母も自分の葬儀用の写真を準備しようとしてるの? もしそうだとするなら、それは それで寂しい)

 

父:「『外出の時は マスク姿だから、化粧は 目の周りと眉だけでいいよね』と言っていた母さんが、この前は鏡の前で念入りに化粧をしてたよ」

私:「え~! なぁにそれ?」

父:「なんだろな」

(私の心の声:謎が深まるばかり・・・)

 

1 週間も待たずに結果はわかるのに、一度 気になるとどうも落ち着かない性分の私。遂に母に電話をかける。

私:「ねぇ、今年も応募したの?」

母:「ふふふ」

(私の心の声:応募したかどうかはまだ教えなくて、受賞者一覧に名前が載ったら その時に 皆を「わぁ!」っと驚かせる気 満々?)

 

私:「今年は何分で書きあげたの?」

母:「4分よ」

(私の心の声:むふふ、うっかり応えてしまったわねぇ。応募はしたのね?)

 心の声は隠して 更に尋ねる。なんか、性格悪いかしらん?私

私:「えっ、4分!? 時間給に換算すると、銀座のママをもっと上回ったの?」

母:「(落ち着き払った声で、諭すように)あ~たねぇ、コロナ禍で世の中の人達みんな大変で、銀座のママも同じだと思うわよ。どれだけご心痛されてるかと思うと、今年はそういう計算はしないことにしたのよ。比較するのも申し訳ないもの」

(私の心の声:この発言、まるでアスリートが「対戦相手の負傷している箇所は 敢えて攻撃しない」という美学のようだ。確かに相手を敬うというか、フェア精神は立派だ。だが、これ、母に当てはまります? そもそも、『銀座のママと同じ土俵にあがろうとするのは  やめてよ』と昨年 言ったのに・・・)

 

私:「お父さんが『母さんが写真を探してた』とか『念入りに化粧の練習をしてた』と言ってたけど、どうしたの?」

母:「(のんびりと、歌うがごとく)ああ、あれねぇ。受賞しても今年はコロナのせいで授賞式が中止になって、写真だけ掲載かもしれないし、或いは Web 授賞式になるかも知れないじゃないの? だから、カメラ写りの良い角度とか お化粧の仕方を研究したり、映える写真を探してたのよ」

 

ううぅうぅ・・・。相変わらずご陽気。 心がお花畑だ。

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追記:(寝ようとしてたら、ベッドの中で思い出したことがあって、また起き出して追記です)

そういえば・・・1 か月半前くらいから、娘の小焼けは 帰宅すると一番先に「ねぇ お母さん、私宛の郵便が来てない?」と聞いていた。

平成生まれは、生まれた時から PCやスマホに慣れ親しんでいて、友達との連絡はもっぱら LINE。ネットショッピングは私と一緒でなけばできないし、 文通友達ができたとも思えない。小焼け宛の郵便が届くことは ほぼ 無いよね?

う~む。

そういえば 去年、小焼けがつぶやいたことがあった。「お! 百万円もらった 大賞の人は、小学生だ」

あらっ、もしかして・・・ 小焼け、あなたも こっそり応募してたの?!

 

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↓ 2019年版です 

yugure-suifuyou.hatenablog.com

 

大統領選で思い出してしまいました。心が暴れております

アメリカ大統領選の報道を見ると、なんともいえない感情がこみあげてくる。 苛立ち・怒り・空しさ・情けなさ・寂しさ・悲しみ・やりきれなさ・・・。

こんな感情をおぼえたことが、過去にもあったと思い出す。思い出そうとした訳でもないのに、勝手に浮かんでくる。

 

私には『 Y おばちゃん』がいる。かなりの遠縁になるけれど、実家の母とは子ども時代から仲良しとのことで、私も生まれてから今日に至るまで、随分可愛がってもらったりお世話になっている。

『 Y おばちゃん』には息子がひとりいて、私は『 T お兄ちゃん』と呼んでいる。『 T お兄ちゃん』には先天性の病気があり、身体には大きな傷跡が何カ所もあるらしい。医学が進歩した現代でもまだ治療法が確立しておらず、完治することは難しいとのこと。

 

身体のことは自分の努力ではどうしようもできないけれど、T お兄ちゃんは勉強が好きだ。高校は名の知れた進学校に進んだ。小学校時代から障がいのことでクラスメイトから心ないことを言われたり、嫌がらせも受けたりもしたらしいけれど、T お兄ちゃんはへこたれなかった。

高校生になっても、積極的に生徒会活動や学校行事にも取り組み、学園祭ではスピーチをすることになった。T お兄ちゃんのスピーチを聞こうと、Y おばちゃんに誘われて私 (当時中学生) も行った。(私の両親は地域行事と重なり、行けなかった)

 

T お兄ちゃんが舞台に上がり話し始めると、驚いたことに太い大きな声でヤジが飛んだ。私はびっくりして耳を疑い、何が起こっているのか咄嗟には理解できなかった。そのヤジはTお兄ちゃんの障がいに関することだったり、脈絡のない嫌がらせの言葉であったりした。同じようなひどい言葉が続いたことに 更に驚いた。

 

私は隣の席の Y おばちゃんの手をぎゅっと握った。母親である Y おばちゃんがどんな気持ちで その状況の中にいるのかと思うと心配になった。と同時に、Y おばちゃんの手を握っていなければ、私は立ち上がって「高校生にもなって、言っていいことと、悪いことも分からないの!? 人を傷つける言葉を平気で吐いて、恥知らず!」などと叫び出しそうだったのだ。Y おばちゃんは「分かっているよ」とでも言うように、私の手をぎゅうと握り返してくれた。

 

その時、飛び交うヤジの中、ひときわ通る女子高生の声がした。「ドンマイ!!」 「 ▲▲君、負けるな!!」。その言葉に誘われるように「がんばれ!!」コールが続いた。( かっこいいお姉さん達だ。好きだ。憧れる )。エールのお陰で、ひどいヤジは止み、T お兄ちゃんは立派にスピーチを終え、絶大な拍手をもらった。

 

そう、米大統領選で思い出したのだ。 学園祭の時、T お兄ちゃんへ向けられた暴言を聞きながら、なんともいえない感情がこみあげてきたことを・・・。苛立ち・怒り・空しさ・情けなさ・寂しさ・悲しみ・やりきれなさ・・・。同じ会場にいらした先生方が止めに入られなかったことが、不信感と共に それらの感情に拍車をかけた。

そして思った。「こんな 偏差値だけが高い、しょうもない高校生、将来 ろくでもない人にしかならないよ」。

 

帰宅して、この出来事を両親に話した。「偏差値が高いからって、人間が優れているわけじゃないよね。それどころか、他の人を見下すようなことをしたりして、人としては最低よね」。

すると両親が言った。「そういえば、総理大臣に似たような人がいたよ。ことあるごとに自分の学歴を自慢する人だった。そして、自分の政策を批判・追求する野党の人に、小馬鹿にした顔で『君、大学はどこ? ○○大? あ、私大ね』などと。70 年近く生きてきて、誇れるものは学歴だけ? あの人の人生なんだったの? ましてや、政治家なのに 自分がしてきたことに胸を張れるものは何もないのかしらね。情けない」。

 

中学生時代に経験した このできごとは、私の心の奥深くに とどまったらしい。

時は流れ、新聞などで「パワハラ上司」などの記事を見つけると、「あの時の高校生のなれの果て? まだ性懲りも無く 人を傷つけているの?」なんて思ってしまう。 また、自分の意見をきちんと言える、凜とした素敵な女性に出会うと、「もしや、あの時の女子高生?」とも思ってしまう。(地域も年代も違うので別人とは分かっているけれど)。

 

ああ、書いている内に、さまざまな感情の中の「怒り」が突出して こみ上げてきた。人間って怒ると血圧が上昇すると聞いていたので、実証してみようと思ったけれど、家には血圧計がなかった。

しかし、体温計ならある。う~む、仕方がない。せめて熱が上がっているか計ってみよう。

・・・・・・・・

結論: 平熱だった

 

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11月9日追記:

バイデン新政権で、女性として初の、またアフリカ系・アジア系としても初の副大統領に就任するカマラ・ハリス氏の勝利演説の力強い言葉が胸に響く。

【私が初の女性副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません。すべての幼い女の子たち、今夜この場面を見てわかったはずです。この国は可能性に満ちた国であると】

【(19歳でインドからやってきた)母のことを考えています。多くの黒人の、アジア系の、ラテン系、ネイティブアメリカンの女性たちのことを私は考えています。彼女たちによって道が切り開かれました。】

【私は副大統領としてしっかり取り組みます。ジョーがオバマ氏に対して副大統領として尽くしたようにです。これからが真の仕事となります。大変な仕事です。必要な仕事です。人々の命を救い、この病気に打ちかつのです。経済を立て直します。人々への差別をなくすことにも取り組んでいきます。気候変動と戦い、国を結束させ、アメリカの国としての魂の傷をいやしていかなければなりません】

 

もしかして、この人はあの時の女子高生!?

彼女の心意気に希望を得て、今晩は穏やかに眠りにつけそうです。おやすみなさい

 

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